菩提樹の猫

無一物

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9章 ネコと和解せよ

1 決心

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「あら、ワンちゃんお久しぶりね。せっかく来てくれたのに、最近猫ちゃんも顔見せてくれないのよ。なにかあったのかしら? 心配だわ……」

 たくさんの食材を手にし、久しぶりに顔を見せたバルトロメイに、老婆は顔を綻ばせるものの、すぐに心配そうな表情をする。

「そうなんだ……」

 予測はついたが、解放されて以来レネはここに来ていないようだ。

(あいつ……大丈夫だったのか?)

 癒し手に治療は受けていたはずだが、まだ全快していないのかもしれない。
 自分はすぐに治してもらえたのでこの通りピンピンしているが、レネは怪我をして発熱したまま二日間まともに水も飲んでいなかった。
 本調子になるまではこっちには来ないかもしれない。

 レオポルトが兄のラファエルの補佐見習いとして、バルチーク領へ帰ってしまい、バルトロメイはお役御免となった。
 自ら代闘士となり決闘を行ったとして、ラファエルからは護衛としては身に余る報酬をもらっていた。
 もちろん、口止め料込みの値段だ。

 こうして自由の身になったバルトロメイは、久しぶりに老夫婦の家を訪れていたのだが、レネも姿を見せていない。

「どうしたんだい? なにか悩みでもあるのかい?」

 珍しくいつも無口な老爺が話しかけてくる。
 そんなに自分は深刻な顔をしていただろうかとバルトロメイは反省する。

「いや、そんなことないよ……」

 否定はしたものの、無理していることがバレバレだ。

「元気がないから、失恋でもしたのかと思って心配したよ」

 老爺に言われて初めて気付いた。

「あ~~それだ……」

 このモヤモヤとした気持ちはもしかしたら、失恋に近いのかもしれない。
 決闘で実の父親に負け、地面に転がっている時に聞いたレネの言葉は、剣で貫かれた時よりもバルトロメイにダメージを与えた。

『——バルーーッッ!!』

 頑なに自分を『バルトロメイ』と呼んでいた理由に気付いて、一気に脱力したのを覚えている。

(実の父親に完敗した……)

 レネからしたら、バルトロメイはレオポルトと一緒に自分を監禁していた憎き相手なのだ。
 一度落ちた信用を取り戻すのは難しい。

『レネを守ってくれたことに感謝する』

 剣で貫かれた時に、父親が耳元で囁いた言葉が唯一の慰めになるとは情けない。
 弱ったレネにまで手を出そうとするレオポルトを、バルトロメイはずっと見張っていた。
 バルナバーシュにはレネが監禁されている間にも、『早くしないとレネが危ない』と何度も手紙を送っていたのだ。

「そういう時は、相手にありのままの自分を見てもらうしかないんだよ。決して偽ってはだめだ」

 老爺の言葉にバルトロメイは現実に引き戻される。

「だよね……言葉で言ってどうにかなる問題じゃないし……」

「そう。大事なのは誠意を見せることさ」

「あらあら、二人でなにをお喋りしてるの?」

「恋愛相談だよ」

 台所から戻ってきた老婆に、バルトロメイは笑いながら告げる。

「あら、てっきり猫ちゃんのことで悩んでるのかと思ってたわ」

「いやいや……」

 ズバリと言い当てる老婆に、冷や汗をかく。
 どうやら女の勘は幾つになっても衰えないようだ。

「あの子は綺麗な子だけど中身は普通の男の子だわ。ちょっと雑なくらいが心地いいはずよ」

 お茶を飲みながら老婆は、しれっと宣う。

「おばあちゃん……レネのことよく見てるね」

 その観察眼にバルトロメイは舌を巻く。

「あら、何年生きてきてると思ってるの? あなたが来てない時にね、あの子も浮かない顔をしてたわ。あなたたちにはいつも笑っててほしいの」

 少し灰色を帯びた瞳が、包み込むようにバルトロメイを見つめた。

「——おばあちゃん……」

 我慢できずに切ない顔をして、老婆を見つめ返す。

(よし……こうなったら、自分から行くしかない)

 老夫婦の言葉に背を押されるような形で、バルトロメイは決心した。


 次の日、バルトロメイはもう二度と行かないだろうと思っていた場所を訪れていた。
 興味本位に覗き込んでくる団員たちの視線を受けながらも、臆することなく執務室へと向かった。

「——失礼します」

「よう。元気にしてたか?」

 決闘相手だった自分が急に現れても、目の前の人物はおどろく様子さえない。
 それどころか、まるでバルトロメイが来ることを予見していたかのようだ。

 男の後ろには、若葉を茂らせる菩提樹が見える。
 二階の窓からだと全貌が見えない大木は、いったい何百年前に植えられたものだろうか。
 訪れるたびにその存在感に圧倒される。

「ええ。ぐっさりやられましたけど、この通り元気にしてます」

 腕には自信があったのだが、実の父親から見事にやられてしまった。
 あそこまで完敗したら、悔しさなど通り越して逆に清々する。

(——俺だって、頑張れば同じ血が流れているこの男のように強くなれる)

 もちろん、父を超えるつもりだ。

「すまんな。あそこまでやるつもりはなかったんだが、真剣勝負になると手を抜けない質でな。実は、レネも殺しかけたことが何度かある」

 だから、レネのあんな姿を見ても動揺しなかったのか。
 レネを救うためになにもかも捨てて来た割には、レネの酷い状態を見て動揺も、レオポルトに対して激しい怒りも一切見せなかった。
 バルナバーシュをあそこまで動かしたのは、レオポルトではなく、きっと別の理由があったのだ。
 自分が知らない、バルナバーシュとレネの事情があったのだろう。

「ところで、今日はなにか用事があって来たんだろう?」

 わかっているぞと言わんばかりに、自分と同じヘーゼルの瞳が覗き込んでくる。

「ええ。一つお願いがあって来ました」

 レネと一緒にいるためにはこれしかない。
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