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第二章 聖女は過去とむきあうようです
建国神話と厄災の竜の眷属
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「建国神話には、いくつかの付記があります。その中に、『厄災の竜は、自身の瘴気から眷属を生み出した。その眷属は、瘴気を自在に操ることができ、竜に危機が及んだ時には、他種族の中に潜み、その復活の手助けをする』というものがあります」
冷静にならないといけない、今は相手の出方を冷静に判断しなくては。かつての誰も味方がいなかった時の自分とは違う。天音は必死に自分に言い聞かせる。
「そして、『封印の際に多くの眷属も屠られた。しかし眷属は狡猾にも散り散りに逃亡した』と続きます。つまり未だ生き残りがいると、わが国では考えられています。そして瘴気が依然として生じているのは、その眷属が各地で瘴気を生じさせ、封印されし竜の復活を待っていると信じられています」
「――一体、何をおっしゃりたいのですか?」
アルテアは、いつになく低い声を出す。
「アマネは瘴気を浄化したり、瘴気による病を治癒したりできるそうですが、本当は自由に瘴気を操れるだけなのではないでしょうか?」
「つまり、アマネが厄災の竜の眷属であると仰りたいわけですね」
「端的に言えばそういうことです。瘴気が濃くなり、人々の生活が脅かされる。そこに聖女を騙る竜の眷属が現れ、王族に取り入る。そして国を治めるものを誑かし、虎視眈々とと厄災の竜の復活を促進させる」
エレノアは翡翠色の瞳をアルテアに真っ直ぐに向ける。
「エレノア王女殿下、これ以上は聞き捨てなりません。我が国の聖女様を侮辱することは、メイオール王国の侮辱と同義です」
アルテアは、「アマネ様、この話は聞くに値しません。もう城へ戻りましょう」と立ち上がり、天音の手を取ろうとする。
エレノアは、不安げな顔をした天音を一瞥すると、密かに口角を上げる。
「お兄様、冗談ですよ? 私はただ国が違えば話も考え方も違うと言いたかっただけです」
「それにしては言い方に悪意がありますね」
「だってあまりにもお兄様が、アマネと楽しげにしているので、意地悪をしたくなってしまっただけです」
先程までの理路整然として人を追い詰めていく雰囲気は一転し、甘ったるい声でエレノアは話す。そうしていれば、普通の可愛い貴族令嬢の様だ。
エレノアが、天音の方を見て、「アマネもそう思ってくれるでしょう?」と言う。
その瞳の圧力に負け、無言で頷く。
「さすが、聖女サマですね。心がお広いことで、有難いことです。しかし、いきなり現れてお兄様や他の方々を騙して、いきなり消えるなんてことは、無いですよねえ?」
エレノアが、悪意をたっぷりと含んだ目で天音を見つめる。
「はい。そんなことはございません」
天音は、手のひらの白鳥の文様をすがるように撫でる。そして、嘘をついたことで胸が痛む。騙しているつもりはないが、元々三年しかここにいることができない。
「まあ、でしたら私もお兄様も安心ですわね。竜の封印は、とても古く劣化しつつあると言いますし、王族として色々と気をつけなければならないことが多いのです」
「封印の件は、トウライアムウル連合国の環境汚染と瘴気が濃くなっていることが原因だと報告を受けています。混乱を招きますから、発言には責任を持っていただきたいですね」
「お兄様、そんなに怖いお顔なさらないで、ね?」
エレノアがアルテアの腕に両手を置いて、寄り添う。
「そのお兄様と言うのもやめていただきたい。もう成人されたのですから。またアマネ様に対して、敬称をつけずにそのお名前を呼ぶのも、大変レディらしくないことかと思いますよ?」
アルテアがエレノアの腕をさり気なく振り払うと、今度こそ立ち上がり、天音の腕を掴む。
「では、失礼します。良い夜を」
アルテアの微笑んだ顔はいつもの穏やかな表情であったが、琥珀色の瞳はいつになく険しい色をしていた。
エレノアは、一人すっかり冷めてしまったコーヒーを飲み干すと、くすくすと笑う。
「……アルお兄様、あんなに表情に出すなんて、王族として失格ですね。あの女がお兄様を堕落させているのだわ。 でも案外簡単に壊れてしまいそうで安心したかも……」
エレノアはどこから出したのか、手元でころころと濁った茶色の魔水晶を転がしながら、「屠殺場から処分用アレを三体くらい出してきなさい」と使用人に伝えた。
***
「アマネ、彼女のことは気にしないで。彼女の母親が、ナルヴィク侯爵家の出身で、トウライアムウル連合国ミドアース領で第五王妃になった関係から、エレノアのことは昔からよく知っています」
「はい……。理解しております」
天音は弱々しく微笑む。帰りの馬車の中は、居心地の悪い雰囲気で充満している。
「小さい頃のままの気安さで何でも気にせず口に出してしまうのが、悪い癖なのですが、外国からの王妃は彼女の母だけで、子どもの頃は寂しい思いをしたこともあり、周りのものはきつく注意もできず、我儘に育ってしまいました」
「問題ありません。私のことよりも、むしろ外交問題になってしまわないか心配です」
彼女はきっとアルテアのことが好きなのだ。本気で結婚したいと思っている。
(権力や家柄、容姿、財力も全て備わっている人が全力でアルテアを望むのなら、私にはどうすることもできないだろう)
けれど天音の中には、アルテアを誰にも渡したくないという小さな欲が芽生えてしまった。例え三年しか側にいられなくても……。
どうしてこんなにもわがままになってしまったのか。全てを諦めていた前世の反動なのだろうか。
「それは大丈夫です。今回のことはプライベートなことだし、何かあれば私がどうにかします」
「――ですが、自分の存在が、アルテア、お義父様、お義母様、またメイオール王国の皆様にご迷惑をおかけすることになるのだけは、耐えられません」
「迷惑だなんて、何もありませんよ。シグナイ様に遣わされたアマネを守ることは、とても栄誉あることなのですよ」
アマネは、エレノアのあの敵意に燃えた翡翠色の瞳を思い出す。何かをしかけてくるに違いないという強い予感がある。そういう執念深さを内包しているエレノアは、きっとアルテアを手に入れるために手段を選ばずに周りを巻き込んで行動してくる。
「明日で会合は午前で終わりますから、予定を切り上げて午後から王都に帰りましょう。ここにいても疲れるだけですから」
天音は無表情で頷く。過去が再び天音に、暴力的に迫ってくるような気がした。
前世では、何もできなかった。ただ愚かにも伊久磨に捨てられることを恐れ、考えることを放棄し、力ある者に蹂躙されるだけの人生だった。
自分を信じて守ってくれようとする人たちのために、何ができるのか。
天音は、『自分の幸せについて、これからの三年間でじっくりと考えればいいよ』というシグナイの言葉を唐突に思いだす。彼が言った『とにかく君が生きやすい人生』を改めて考える時が、来たのかもしれない。
自分には何ができるのか。シグナイ様が与えてくれた神聖力は、少なくても皆の力になれるだろう。
これまで考えたことがなかった自分の『幸せ』の答えがそこにある気がした。
大切な人たちのために、使える力がある。それは何よりも幸せなことのように思えた。借り物でも構わない、あるものは全て渡していきたい。
天音は壊れものに触れるように、ふわりと重ねられたアルテアの手をとても温かく感じて、アルテアの肩に自分の頭を寄せる。
――でもそんなこと、できるのかな。エレノアに一言も言い返せなかった自分、震えて怖がる自分、未だに前世を引きずる自分に嫌気がした。
すっきりと雲が無かった夜空に、いつの間にか黒い雲が広がり、遠くに稲妻が走っている。この時期の天候は変わりやすく、もうすぐこちらにも雷雨がやってくるだろう。
天音とアルテアは、お互いに手を握る。不安げな二人に雷鳴が近づいてきている。
冷静にならないといけない、今は相手の出方を冷静に判断しなくては。かつての誰も味方がいなかった時の自分とは違う。天音は必死に自分に言い聞かせる。
「そして、『封印の際に多くの眷属も屠られた。しかし眷属は狡猾にも散り散りに逃亡した』と続きます。つまり未だ生き残りがいると、わが国では考えられています。そして瘴気が依然として生じているのは、その眷属が各地で瘴気を生じさせ、封印されし竜の復活を待っていると信じられています」
「――一体、何をおっしゃりたいのですか?」
アルテアは、いつになく低い声を出す。
「アマネは瘴気を浄化したり、瘴気による病を治癒したりできるそうですが、本当は自由に瘴気を操れるだけなのではないでしょうか?」
「つまり、アマネが厄災の竜の眷属であると仰りたいわけですね」
「端的に言えばそういうことです。瘴気が濃くなり、人々の生活が脅かされる。そこに聖女を騙る竜の眷属が現れ、王族に取り入る。そして国を治めるものを誑かし、虎視眈々とと厄災の竜の復活を促進させる」
エレノアは翡翠色の瞳をアルテアに真っ直ぐに向ける。
「エレノア王女殿下、これ以上は聞き捨てなりません。我が国の聖女様を侮辱することは、メイオール王国の侮辱と同義です」
アルテアは、「アマネ様、この話は聞くに値しません。もう城へ戻りましょう」と立ち上がり、天音の手を取ろうとする。
エレノアは、不安げな顔をした天音を一瞥すると、密かに口角を上げる。
「お兄様、冗談ですよ? 私はただ国が違えば話も考え方も違うと言いたかっただけです」
「それにしては言い方に悪意がありますね」
「だってあまりにもお兄様が、アマネと楽しげにしているので、意地悪をしたくなってしまっただけです」
先程までの理路整然として人を追い詰めていく雰囲気は一転し、甘ったるい声でエレノアは話す。そうしていれば、普通の可愛い貴族令嬢の様だ。
エレノアが、天音の方を見て、「アマネもそう思ってくれるでしょう?」と言う。
その瞳の圧力に負け、無言で頷く。
「さすが、聖女サマですね。心がお広いことで、有難いことです。しかし、いきなり現れてお兄様や他の方々を騙して、いきなり消えるなんてことは、無いですよねえ?」
エレノアが、悪意をたっぷりと含んだ目で天音を見つめる。
「はい。そんなことはございません」
天音は、手のひらの白鳥の文様をすがるように撫でる。そして、嘘をついたことで胸が痛む。騙しているつもりはないが、元々三年しかここにいることができない。
「まあ、でしたら私もお兄様も安心ですわね。竜の封印は、とても古く劣化しつつあると言いますし、王族として色々と気をつけなければならないことが多いのです」
「封印の件は、トウライアムウル連合国の環境汚染と瘴気が濃くなっていることが原因だと報告を受けています。混乱を招きますから、発言には責任を持っていただきたいですね」
「お兄様、そんなに怖いお顔なさらないで、ね?」
エレノアがアルテアの腕に両手を置いて、寄り添う。
「そのお兄様と言うのもやめていただきたい。もう成人されたのですから。またアマネ様に対して、敬称をつけずにそのお名前を呼ぶのも、大変レディらしくないことかと思いますよ?」
アルテアがエレノアの腕をさり気なく振り払うと、今度こそ立ち上がり、天音の腕を掴む。
「では、失礼します。良い夜を」
アルテアの微笑んだ顔はいつもの穏やかな表情であったが、琥珀色の瞳はいつになく険しい色をしていた。
エレノアは、一人すっかり冷めてしまったコーヒーを飲み干すと、くすくすと笑う。
「……アルお兄様、あんなに表情に出すなんて、王族として失格ですね。あの女がお兄様を堕落させているのだわ。 でも案外簡単に壊れてしまいそうで安心したかも……」
エレノアはどこから出したのか、手元でころころと濁った茶色の魔水晶を転がしながら、「屠殺場から処分用アレを三体くらい出してきなさい」と使用人に伝えた。
***
「アマネ、彼女のことは気にしないで。彼女の母親が、ナルヴィク侯爵家の出身で、トウライアムウル連合国ミドアース領で第五王妃になった関係から、エレノアのことは昔からよく知っています」
「はい……。理解しております」
天音は弱々しく微笑む。帰りの馬車の中は、居心地の悪い雰囲気で充満している。
「小さい頃のままの気安さで何でも気にせず口に出してしまうのが、悪い癖なのですが、外国からの王妃は彼女の母だけで、子どもの頃は寂しい思いをしたこともあり、周りのものはきつく注意もできず、我儘に育ってしまいました」
「問題ありません。私のことよりも、むしろ外交問題になってしまわないか心配です」
彼女はきっとアルテアのことが好きなのだ。本気で結婚したいと思っている。
(権力や家柄、容姿、財力も全て備わっている人が全力でアルテアを望むのなら、私にはどうすることもできないだろう)
けれど天音の中には、アルテアを誰にも渡したくないという小さな欲が芽生えてしまった。例え三年しか側にいられなくても……。
どうしてこんなにもわがままになってしまったのか。全てを諦めていた前世の反動なのだろうか。
「それは大丈夫です。今回のことはプライベートなことだし、何かあれば私がどうにかします」
「――ですが、自分の存在が、アルテア、お義父様、お義母様、またメイオール王国の皆様にご迷惑をおかけすることになるのだけは、耐えられません」
「迷惑だなんて、何もありませんよ。シグナイ様に遣わされたアマネを守ることは、とても栄誉あることなのですよ」
アマネは、エレノアのあの敵意に燃えた翡翠色の瞳を思い出す。何かをしかけてくるに違いないという強い予感がある。そういう執念深さを内包しているエレノアは、きっとアルテアを手に入れるために手段を選ばずに周りを巻き込んで行動してくる。
「明日で会合は午前で終わりますから、予定を切り上げて午後から王都に帰りましょう。ここにいても疲れるだけですから」
天音は無表情で頷く。過去が再び天音に、暴力的に迫ってくるような気がした。
前世では、何もできなかった。ただ愚かにも伊久磨に捨てられることを恐れ、考えることを放棄し、力ある者に蹂躙されるだけの人生だった。
自分を信じて守ってくれようとする人たちのために、何ができるのか。
天音は、『自分の幸せについて、これからの三年間でじっくりと考えればいいよ』というシグナイの言葉を唐突に思いだす。彼が言った『とにかく君が生きやすい人生』を改めて考える時が、来たのかもしれない。
自分には何ができるのか。シグナイ様が与えてくれた神聖力は、少なくても皆の力になれるだろう。
これまで考えたことがなかった自分の『幸せ』の答えがそこにある気がした。
大切な人たちのために、使える力がある。それは何よりも幸せなことのように思えた。借り物でも構わない、あるものは全て渡していきたい。
天音は壊れものに触れるように、ふわりと重ねられたアルテアの手をとても温かく感じて、アルテアの肩に自分の頭を寄せる。
――でもそんなこと、できるのかな。エレノアに一言も言い返せなかった自分、震えて怖がる自分、未だに前世を引きずる自分に嫌気がした。
すっきりと雲が無かった夜空に、いつの間にか黒い雲が広がり、遠くに稲妻が走っている。この時期の天候は変わりやすく、もうすぐこちらにも雷雨がやってくるだろう。
天音とアルテアは、お互いに手を握る。不安げな二人に雷鳴が近づいてきている。
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