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第二章 聖女は過去とむきあうようです
オーロラはためく夜に雷鳴
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会合は順調に進み、スケジュールに余裕が出てくると、アルテアと天音は合間にベルーゲンの街を散策する。
演劇を鑑賞したり、美術館を回ったり、市場や外国人街を散策して過ごす。
長い冬で家や建物の中にいる時間が多いためか、メイオール王国では様々な室内で楽しめるような芸術が栄え、観るものには事欠かなかった。
お忍びで二人、こそこそと街歩きをしていると、何だか普通の恋人同士になったような気がして、天音はくすぐったい気分になる。
今日の夕食は外で食べようということになり、天音とアルテアは、少し小高い場所にある海が一望できるレストランにやってきた。レストランは二階建ての建物で、人気のメイオール料理の店だった。警備上の観点から今晩は二階を貸切にしたため、天音とアルテアは、二人で夕暮れの海を見ながら、料理を楽しんでいた。
海老やサーモンのカルパッチョは新鮮で臭みがなく、アンチョビやデールの酢漬けで少し味を変えながら楽しむ。
ムール貝をふんだんに使ったスープは、魚介のうまみが凝縮されており、メインのトナカイ料理はベリーソースがたっぷりとかかっており、癖のあるトナカイ肉を食べやすくする。
アルテアはアクアヴィットを、天音はそんなに酒に強い方ではないのでシードルを飲みながら、美味しい料理を食べる。
少しアルコールが入ると楽しい気分で会話も弾む。二人で今日観た演劇や絵画の感想、市場での見たこともない他国の品々について話すことは、この上なく楽しい時間だった。
メインディッシュが終わったところで、部屋の照明が少し落とされた。
「あれ? もうお店は終わりの時間なのでしょうか?」
天音が不思議に思って尋ねる。
「いえ、窓の外見てください」
アルテアに言われて天音は、すっかり陽が落ちて何も見えなかった海の方を見る。
「――!」
窓一面に広がる緑のオーロラが、神秘的にはためいていた。天音はその美しさと不思議さに言葉なく外を見つめる。
前世、テレビでオーロラは見たことはあったが、実際に見るのは初めてのことだった。
漆黒の夜空に白く霧がかかったかと思うと、すぐに緑に色づく薄衣のようなオーロラに呆然となる。次から次へと現れては消えるオーロラの荘厳さは、言葉では言い表せない。
自分は世界の一部でしかなく、無価値で、ひどくちっぽけなもののように思える。
アルテアは、言葉を失っている天音の手にそっと自分の手を重ねる。
「シグナイ正教では、オーロラは天界の扉と言われています。こちらで役割を終えた魂が戻り、新しい役割を持った魂が下りてくると教えられています。アマネが来てくれた日の未明にもオーロラが美しく夜空に現れたのですよ」
「……そう、なのですね」
天音はこの不思議な光からアルテアに視線を戻す。
「王族は、国の存続のためにだけ存在しています。言い換えれば、王族の全ての行動は、国益にならなければいけない。聖女様を妻にという神託を得た時、これで仕事一つが完遂できそうだと私は義務感から思いました。けれど、あなたと出会って、肌を合わせ、その人となりを知るにつれて、あなたと結婚できて良かったと強く思いました」
「ア、アルテア……」
天音は、アルテアの真剣な瞳から目を反らす。自分は、シグナイのお願いと自分のためだけにここに来た。それにもかかわらず、こんなことを言われるなんて、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
アルテアは、天音の頬に手を添えると、再び自分の方へ天音の顔を向ける。
「愛しています」
短く飾り気のない言葉に、心が揺れる。涙が溢れそうになる。
(私の身体には三年の命しかないのに……。私が去った後に、彼はこの気持ちが偽りだったと気が付くのだろうか。……その時、アルテアは何を思うのだろうか?)
天音が何か言わなければと逡巡していると、突然ドアがバンと開く。
その乱暴な音に二人は目を見開く。すぐにアルテアが天音を庇うように立ち上がり、剣に手をかける。
「アルお兄様!」
そこに立っていたのは、教会裏で会った、ピンクブロンドの少女、エレノア・ミドガーランド王女だった。
呆気にとられたアルテアは、何とも言えない声を出す。
「エ……、エレノア?」
「アルお兄様、お久しぶりです。一年ぶりでしょうか?」
アルテアは、すぐに王太子の仮面を被り、トウライアムウル連合国の王女に対する態度に変える。
「エレノア王女殿下、大変ご無沙汰しております。お会いするのは、去年の誕生日会に参加した時以来でしょうか」
アルテアは、剣から手を放すが、天音の前に立ったまま、慎重な様子で話を続ける。
「今年はいらしてくれなくて、寂しかったのですよ。私、やっと成人になり、お兄様と結婚できる歳になりましたのに」
「お戯れを。私もついに結婚しましたもので、色々と忙しくしており、参加の機会を逃してしまいました。お誘いを辞退しまして、申し訳ございませんでした」
「まあ結婚されたというのは本当なのですね? ではそちらにいらっしゃる方は……」
エレノアが、アルテアの後ろを覗き込むように身体を少し横に傾ける。
アルテアは、「こちらご紹介が遅れましたが、妻のアマネです」と簡単に紹介をする。
部屋が暗く表情がよく読み取れない。どう反応していいか分からないが、取り敢えず教会の裏で会ったことに触れると面倒くさそうだと天音は瞬時に考えを巡らせ、無難に挨拶を返す。
「お初にお目にかかります。アマネ・メイオールと申します。どうぞ宜しくお願い申し上げます」
紹介をしろと暗にねだったにも関わらず、天音には一切反応をせずに、エレノアはアルテアに話しかける。
「お兄様、私もこちらで一緒にお食事してもよろしいでしょうか?」
「いや、私たちはもう帰るところですから。よろしければ二階は貸切にしておりますので、お食事を楽しんでいただければと思います。では、失礼します」
できるだけ早く切り上げてこの場から撤退する意を見せているアルテアに、エレノアは距離を詰め、抱きつく。
天音は、エレノアの両腕がアルテアの背中にギュッと回されるのを見る。そして肩越しに見えるエレノアの翡翠色の瞳が、じっと天音を見つめていた。その強い敵意を含む視線に天音の身体はすくむ。
「お兄様ぁ、せっかく久しぶりにお会いできたのに、もうお別れなんて寂しいですわ」
甘えたような声でエレノアがアルテアの耳元でささやく。困ったような声でアルテアが答える。
「エレノア王女殿下、もう成人されたのでしょう? 子どもではないのだから、こういうことはよくありませんよ」
「いやです。アルお兄様、他人行儀なことをおっしゃらないで。昔のように普通の口調で話してくださいませ」
エレノアに抱きつかれた時、アルテアの両手は両脇に下げたままであったが、今は、エレノアを引きはがそうと、ゆっくりと両肩を押している。
「お兄様、少しだけでも私との時間を取ってもらえないでしょうか? アマネが許してくれればいいかしら?」
「もう遅いですから、時間があったらその時にお会いしましょう」
エレノアは、アルテアの肩越しに、何かを訴えるように天音を強く睨む。
(ああ、これはダメだ。私は断れない。私のせいで外交問題になるかもしれない……)
アルテアは、何となく自分とエレノアをあまり関わらせたくないようだが、こじらせてしまえば自分のせいで迷惑がかかるかもしれない。
「あ、あの、アルテア様、デザートとコーヒーだけでもご一緒されてはいかがでしょうか」
思ったよりか細く震える声が、口から漏れる。エレノアの大きな瞳が弧を描き、アルテアに視線が向けられる。
「ねえ? お兄様、アマネもそう言っていることだし、少しだけお話したいですわ」
アルテアは、エレノアを自分から放すと、外向きの作り笑いをしながら、振り返る。
「アマネ様が、……そうおっしゃるなら」
あ、ちょっと怒っているかもしれないとその微笑みを見ながら、天音は思ったが、どうすることもできない。
部屋の照明が元に戻り、デザートとコーヒーが運ばれ来る。デザートはベリーとりんごのタルトだった。
あざとく微笑むエレノアは、作り笑いを貼り付けたアルテアの横にぴったり座る。天音は二人の対面にまるで面接をされる人のように座る。
「あなたはどこの国から来たの? 爵位は何かあるの?」
「シグナイ様がいらっしゃる天界から参りました」
前世の記憶があるが、天界を経由してこちらに来たので、嘘はついていない。嘘をつくと辻褄を合わせるのが大変なので、真実を曖昧に伝える。
「じゃあ、王族とか身分のある方じゃないのね」
「そうですね。天界は、多くの輪廻していく魂とシグナイ様しかおりませんでしたから、そもそも身分という概念はありません」
シグナイのいた場所は、真っ白の霧の中で、何もなかった。天も地もない場所。心地よく寂しくもあり、清浄で懐かしい場所でもあった。
「エレノア王女殿下、アマネ様がシグナイ様から遣わされた聖女様であることは周知の事実でしょう?」
「あらどこの誰とも分からない方が、『聖女です』と自称して現れてもすぐには信じられませんわ。お兄様はいい人すぎるので、騙されているのではと私は心配でございます」
天音は、エレノアが言っていることは至極当然のことで反論できない。緊張で手のひらから汗がにじみでる。
「アマネ様は、神託の通りに神殿に現れました。私のみならず、多くの神官もこの様子は、見ておりました。これは間違えようもない事実です。何より神聖力を使うことができるのですから、疑いようもありません」
「でもそれは、メイオール王国での話ですよね。国教を否定するわけではありませんが、我が国のミドアース領では少し話が違います」
エレノアは、目の前に出されたベリーとりんごのタルトを一口食べるとアルテアの方だけを見て、話を続ける。
「かつて厄災の竜から生じた瘴気は、多くの種族に大いなる厄災を与えていた。人族、天族、魔族が立ち上がり、厄災の竜を北の地に封印し、平和が再び訪れた。同じ種族だけでは、なしえなかった厄災の竜の封印を共に行った三種属は、これからも困難が起こった時に共に立ち向かうことを約束して作られたのがトウライアムウル連合国だった。これは建国神話ヴァレカワに記載されております」
「それは、私も存じております。それと我が国における聖女様の正当性には何か関係があるのでしょうか」
天音は、エレノアの話を聞いていると、自分が立っている地面がぐらぐらと崩れ落ちていくような、強い不安がこみあげてくる。
エレノアは、ただのあざとく可愛いらしい女性ではない。この理詰めで周りをからめとっていくやり方は、前世の伊久磨の婚約者の清羅のそれとそっくりだった。気がついたら、逃れられない罠の中にいるのだ。
スカートを両手で握りしめる。
エレノアは、そんな天音の様子を知ってか知らずか、話を続ける。
この話は聞くべきではないと本能が叫ぶ。前世の経験からか、嫌な予感しかしなかった。
演劇を鑑賞したり、美術館を回ったり、市場や外国人街を散策して過ごす。
長い冬で家や建物の中にいる時間が多いためか、メイオール王国では様々な室内で楽しめるような芸術が栄え、観るものには事欠かなかった。
お忍びで二人、こそこそと街歩きをしていると、何だか普通の恋人同士になったような気がして、天音はくすぐったい気分になる。
今日の夕食は外で食べようということになり、天音とアルテアは、少し小高い場所にある海が一望できるレストランにやってきた。レストランは二階建ての建物で、人気のメイオール料理の店だった。警備上の観点から今晩は二階を貸切にしたため、天音とアルテアは、二人で夕暮れの海を見ながら、料理を楽しんでいた。
海老やサーモンのカルパッチョは新鮮で臭みがなく、アンチョビやデールの酢漬けで少し味を変えながら楽しむ。
ムール貝をふんだんに使ったスープは、魚介のうまみが凝縮されており、メインのトナカイ料理はベリーソースがたっぷりとかかっており、癖のあるトナカイ肉を食べやすくする。
アルテアはアクアヴィットを、天音はそんなに酒に強い方ではないのでシードルを飲みながら、美味しい料理を食べる。
少しアルコールが入ると楽しい気分で会話も弾む。二人で今日観た演劇や絵画の感想、市場での見たこともない他国の品々について話すことは、この上なく楽しい時間だった。
メインディッシュが終わったところで、部屋の照明が少し落とされた。
「あれ? もうお店は終わりの時間なのでしょうか?」
天音が不思議に思って尋ねる。
「いえ、窓の外見てください」
アルテアに言われて天音は、すっかり陽が落ちて何も見えなかった海の方を見る。
「――!」
窓一面に広がる緑のオーロラが、神秘的にはためいていた。天音はその美しさと不思議さに言葉なく外を見つめる。
前世、テレビでオーロラは見たことはあったが、実際に見るのは初めてのことだった。
漆黒の夜空に白く霧がかかったかと思うと、すぐに緑に色づく薄衣のようなオーロラに呆然となる。次から次へと現れては消えるオーロラの荘厳さは、言葉では言い表せない。
自分は世界の一部でしかなく、無価値で、ひどくちっぽけなもののように思える。
アルテアは、言葉を失っている天音の手にそっと自分の手を重ねる。
「シグナイ正教では、オーロラは天界の扉と言われています。こちらで役割を終えた魂が戻り、新しい役割を持った魂が下りてくると教えられています。アマネが来てくれた日の未明にもオーロラが美しく夜空に現れたのですよ」
「……そう、なのですね」
天音はこの不思議な光からアルテアに視線を戻す。
「王族は、国の存続のためにだけ存在しています。言い換えれば、王族の全ての行動は、国益にならなければいけない。聖女様を妻にという神託を得た時、これで仕事一つが完遂できそうだと私は義務感から思いました。けれど、あなたと出会って、肌を合わせ、その人となりを知るにつれて、あなたと結婚できて良かったと強く思いました」
「ア、アルテア……」
天音は、アルテアの真剣な瞳から目を反らす。自分は、シグナイのお願いと自分のためだけにここに来た。それにもかかわらず、こんなことを言われるなんて、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
アルテアは、天音の頬に手を添えると、再び自分の方へ天音の顔を向ける。
「愛しています」
短く飾り気のない言葉に、心が揺れる。涙が溢れそうになる。
(私の身体には三年の命しかないのに……。私が去った後に、彼はこの気持ちが偽りだったと気が付くのだろうか。……その時、アルテアは何を思うのだろうか?)
天音が何か言わなければと逡巡していると、突然ドアがバンと開く。
その乱暴な音に二人は目を見開く。すぐにアルテアが天音を庇うように立ち上がり、剣に手をかける。
「アルお兄様!」
そこに立っていたのは、教会裏で会った、ピンクブロンドの少女、エレノア・ミドガーランド王女だった。
呆気にとられたアルテアは、何とも言えない声を出す。
「エ……、エレノア?」
「アルお兄様、お久しぶりです。一年ぶりでしょうか?」
アルテアは、すぐに王太子の仮面を被り、トウライアムウル連合国の王女に対する態度に変える。
「エレノア王女殿下、大変ご無沙汰しております。お会いするのは、去年の誕生日会に参加した時以来でしょうか」
アルテアは、剣から手を放すが、天音の前に立ったまま、慎重な様子で話を続ける。
「今年はいらしてくれなくて、寂しかったのですよ。私、やっと成人になり、お兄様と結婚できる歳になりましたのに」
「お戯れを。私もついに結婚しましたもので、色々と忙しくしており、参加の機会を逃してしまいました。お誘いを辞退しまして、申し訳ございませんでした」
「まあ結婚されたというのは本当なのですね? ではそちらにいらっしゃる方は……」
エレノアが、アルテアの後ろを覗き込むように身体を少し横に傾ける。
アルテアは、「こちらご紹介が遅れましたが、妻のアマネです」と簡単に紹介をする。
部屋が暗く表情がよく読み取れない。どう反応していいか分からないが、取り敢えず教会の裏で会ったことに触れると面倒くさそうだと天音は瞬時に考えを巡らせ、無難に挨拶を返す。
「お初にお目にかかります。アマネ・メイオールと申します。どうぞ宜しくお願い申し上げます」
紹介をしろと暗にねだったにも関わらず、天音には一切反応をせずに、エレノアはアルテアに話しかける。
「お兄様、私もこちらで一緒にお食事してもよろしいでしょうか?」
「いや、私たちはもう帰るところですから。よろしければ二階は貸切にしておりますので、お食事を楽しんでいただければと思います。では、失礼します」
できるだけ早く切り上げてこの場から撤退する意を見せているアルテアに、エレノアは距離を詰め、抱きつく。
天音は、エレノアの両腕がアルテアの背中にギュッと回されるのを見る。そして肩越しに見えるエレノアの翡翠色の瞳が、じっと天音を見つめていた。その強い敵意を含む視線に天音の身体はすくむ。
「お兄様ぁ、せっかく久しぶりにお会いできたのに、もうお別れなんて寂しいですわ」
甘えたような声でエレノアがアルテアの耳元でささやく。困ったような声でアルテアが答える。
「エレノア王女殿下、もう成人されたのでしょう? 子どもではないのだから、こういうことはよくありませんよ」
「いやです。アルお兄様、他人行儀なことをおっしゃらないで。昔のように普通の口調で話してくださいませ」
エレノアに抱きつかれた時、アルテアの両手は両脇に下げたままであったが、今は、エレノアを引きはがそうと、ゆっくりと両肩を押している。
「お兄様、少しだけでも私との時間を取ってもらえないでしょうか? アマネが許してくれればいいかしら?」
「もう遅いですから、時間があったらその時にお会いしましょう」
エレノアは、アルテアの肩越しに、何かを訴えるように天音を強く睨む。
(ああ、これはダメだ。私は断れない。私のせいで外交問題になるかもしれない……)
アルテアは、何となく自分とエレノアをあまり関わらせたくないようだが、こじらせてしまえば自分のせいで迷惑がかかるかもしれない。
「あ、あの、アルテア様、デザートとコーヒーだけでもご一緒されてはいかがでしょうか」
思ったよりか細く震える声が、口から漏れる。エレノアの大きな瞳が弧を描き、アルテアに視線が向けられる。
「ねえ? お兄様、アマネもそう言っていることだし、少しだけお話したいですわ」
アルテアは、エレノアを自分から放すと、外向きの作り笑いをしながら、振り返る。
「アマネ様が、……そうおっしゃるなら」
あ、ちょっと怒っているかもしれないとその微笑みを見ながら、天音は思ったが、どうすることもできない。
部屋の照明が元に戻り、デザートとコーヒーが運ばれ来る。デザートはベリーとりんごのタルトだった。
あざとく微笑むエレノアは、作り笑いを貼り付けたアルテアの横にぴったり座る。天音は二人の対面にまるで面接をされる人のように座る。
「あなたはどこの国から来たの? 爵位は何かあるの?」
「シグナイ様がいらっしゃる天界から参りました」
前世の記憶があるが、天界を経由してこちらに来たので、嘘はついていない。嘘をつくと辻褄を合わせるのが大変なので、真実を曖昧に伝える。
「じゃあ、王族とか身分のある方じゃないのね」
「そうですね。天界は、多くの輪廻していく魂とシグナイ様しかおりませんでしたから、そもそも身分という概念はありません」
シグナイのいた場所は、真っ白の霧の中で、何もなかった。天も地もない場所。心地よく寂しくもあり、清浄で懐かしい場所でもあった。
「エレノア王女殿下、アマネ様がシグナイ様から遣わされた聖女様であることは周知の事実でしょう?」
「あらどこの誰とも分からない方が、『聖女です』と自称して現れてもすぐには信じられませんわ。お兄様はいい人すぎるので、騙されているのではと私は心配でございます」
天音は、エレノアが言っていることは至極当然のことで反論できない。緊張で手のひらから汗がにじみでる。
「アマネ様は、神託の通りに神殿に現れました。私のみならず、多くの神官もこの様子は、見ておりました。これは間違えようもない事実です。何より神聖力を使うことができるのですから、疑いようもありません」
「でもそれは、メイオール王国での話ですよね。国教を否定するわけではありませんが、我が国のミドアース領では少し話が違います」
エレノアは、目の前に出されたベリーとりんごのタルトを一口食べるとアルテアの方だけを見て、話を続ける。
「かつて厄災の竜から生じた瘴気は、多くの種族に大いなる厄災を与えていた。人族、天族、魔族が立ち上がり、厄災の竜を北の地に封印し、平和が再び訪れた。同じ種族だけでは、なしえなかった厄災の竜の封印を共に行った三種属は、これからも困難が起こった時に共に立ち向かうことを約束して作られたのがトウライアムウル連合国だった。これは建国神話ヴァレカワに記載されております」
「それは、私も存じております。それと我が国における聖女様の正当性には何か関係があるのでしょうか」
天音は、エレノアの話を聞いていると、自分が立っている地面がぐらぐらと崩れ落ちていくような、強い不安がこみあげてくる。
エレノアは、ただのあざとく可愛いらしい女性ではない。この理詰めで周りをからめとっていくやり方は、前世の伊久磨の婚約者の清羅のそれとそっくりだった。気がついたら、逃れられない罠の中にいるのだ。
スカートを両手で握りしめる。
エレノアは、そんな天音の様子を知ってか知らずか、話を続ける。
この話は聞くべきではないと本能が叫ぶ。前世の経験からか、嫌な予感しかしなかった。
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