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009 あなたが怒らないからっ!

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ジルナリスは怒っていた。涙を流しながら、部屋を凍らせていく。

冷気によって流れる涙も凍って剥がれ落ちていくが、次から次へと溢れ出てくるそれは、尽きることはなかった。

彼女は、怒りによって完全に我を忘れ、魔力を暴走させていたのだ。手元に剣がなかったのは幸いだった。きっと、この時点でもう誰も立ってはいられなかっただろう。

ジルナリスにとっては、レイルの補佐や使用人達も同罪なのだ。

「奥様っ。おやめください!」
「ジーナっ、ジーナ、待ってくれっ」

使用人や侯爵が話しかけた所でそれは収まらない。声なんてもう届かないのだ。

既に幾人かは意識がなかった。凍り付いた腕や指は壊死し始めており、逃げようとした拍子に打ち付けて折れてしまう。悲鳴が屋敷中に響いていた。

「母上っ!! 正気に戻ってください!!」

レイルはこれほど母親が怖いと思ったことはない。もう寒さで震えているのか、恐怖で震えているのかも分からなかった。それは、夫である侯爵も同じだった。

「ジーナっ!」

自分の方へ少しずつ近付いてくるジルナリスの手には、氷でできた剣が握られていた。魔力によって具現化させるにはとてつもない魔力が必要になる。それは命をも燃やす行為だ。

それほどまでに憎まれたということが、侯爵やレイルには衝撃だった。

「ジーナ……っ」
「っ……母上……」

凍て付く寒さで痛みを感じながらも目を見開き、これでは本当に殺されてしまうと絶望した時だった。

一瞬、赤い炎が部屋を撫でた。

そうして、朦朧とし出した意識の中で、ジルナリスとレイル達の間に現れた少女の背中を認識した。

「ジーナ、落ち着け」

その声で、多くの者が息をする。凍てついた空気が和らいでいた。縮こまった肺がゆっくりと広がっていく。咳き込む者は多かった。

そこでいつの間にか部屋を出て行っていたらしいキリルが飛び込んできた。

「奥様っ……っ! シルフィ様っ!!」

声をかけながらも、息を切らし膝を突いた。その目には、ジルナリスの作った氷の剣を手で受け止めるシルフィスカの姿が映っていた。

シルフィスカは誓約によって、この家の者に招かれない限りこの屋敷に入ることはできない。キリルはジルナリスが正気を失ったと感じてすぐにシルフィスカを呼びに走ったのだ。

「ジーナ、ちゃんと見ろ。私が誰かわかるか?」
「っ、しる……フィ……」
「そうだ。まったくお前は、その直情型は危険だから対策を考えろと言っただろう。うっかりで夫と息子を殺すつもりか?」
「っ、だ、だってっ……だってっ! あっ……っ」

ポタポタとシルフィスカの手から流れる血が床にシミを作っていく。それに気付いて、ジルナリスはその剣を霧散させた。

「し、シルフィ……っ、わ、私っ……」

シルフィスカに怪我をさせたことに動揺するジルナリス。その様子を見ながら、目の端に映った使用人達の状態を知ってシルフィスカは広域の治癒魔法を発動させる。詠唱さえしなかった。シルフィスカを中心にして広大な魔法陣が広かったのだ。

「っ……!?」
「て……手が……戻った……っ」
「足が……っ」

失われていた手や足までも元に戻り、使用人達は夢でも見たのかと混乱する。気を失っていた者達も次々に目を覚ます。

「治癒魔法……? どうして……っ」

凍傷も治り、壊死していた手足も元に戻ったことで、レイルはまさかとシルフィスカの背中をもう一度見つめた。

無能だと聞いていたのだ。それがどうだ。一瞬で多くの者を癒した。失った四肢さえも治すなど歴代の聖女でも出来なかったことだ。

だが、シルフィスカの手だけは未だ血を流していた。それを無造作に持っていた布で巻いていくその様を混乱しながらも呆然と見つめるしかなかったのだ。

「まったく……いいか、ジーナ。お前が怒る必要はないと前から言っているだろうに……」
「だ、だってキリルも……っ」
「あ~、そうだな。ここに居るとは全くの予想外だ。だが、キリルにも自分で納得できる落とし所を見つけろと言ってあるんだよ……それでここに来てるとは思わんかったがな……」

参ったなと頭を抱えるシルフィスカ。

「恨みや怒りは本人のものだ。他人が代弁するものじゃない。なんでかお前らは私の代わりに怒りたがるが」
「だってっ、あなたが怒らないからっ!」
「ちゃんと怒ってんだろ。クズなバカ親とクソ姉も含めてあの家の使用人らも全員潰す気満々だっての。金貨数枚で手を打てって言って呪解石を取り上げたのは、お前の旦那じゃなくて王家だ。そっちも国庫を空にしてやる気満々だ。ほらみろ、これのどこが怒ってねえんだよ」
「っ……でも……っ」

シルフィスカの口調が違いすぎて、レイルも補佐達もポカンと口を開けて固まるしかないようだ。

その間もシルフィスカの言葉は続く。

「あのなあ、一応はどれだけクズでどうしようもなく腐ってても伯爵家が無くなれば領民が放り出される。王家を叩けば、国民が途方に暮れるだろう。関係のない奴らまで巻き込むのは本意じゃねえんだよ。だから、こっちも慎重になってんだ。それなのにお前らときたら……ギルドは撤退するとか言うし、なんなんだよ」
「……っ……」

シルフィスカには分からないのだ。自分のために動こうとする者があるということに戸惑わずにはいられない。

「とりあえず、旦那とは話し合って、お前ん中でも折り合いつけろ。もう知らん。キリル」
「はっ、はい!」
「私はお前に好きにしろと言った。その言葉を変える気はない。好きにしろ。ただし、無関係な他人に迷惑をかけるな。いいな」
「はい!!」

シルフィスカは何事もなかったかのようにレイルや侯爵達に目を向けることなく部屋を出て行こうとする。その背中に、ジルナリスが慌てて頭を下げた。

「っ、し、シルフィ、その……ごめんなさい……その手……」
「気にするな。どうせ痛みも感じん。明日の朝には塞がるさ」
「っ……ごめんなさい……」

しょぼくれた声に、シルフィスカはらしくないと振り返る。

「すまんと思うなら、ドレスを選んでおいてくれ。その辺のメイドとかにも服を選ばせて、ちょっとでもあそこの在庫を減らしてくれると助かるよ」
「えっ、そ、そんなっ、そんな事でいいわけ……」
「いいんだよ。頼むな~♪」

背を向け、手を振りながら部屋の出口へ向かうシルフィスカ。すれ違いざまにキリルの胸をトンと叩いてしっかりしろと告げて出て行った。

あとに残された侯爵家の者達は、しばらく誰も動くことはできなかった。

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読んでくださりありがとうございます◎
次回、二日空いて27日です。
よろしくお願いします!
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