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008 許せるはずがありません!
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ジルナリスはその日の夕食の席で悶々と考えていた。
自分がどうしたらシルフィスカの力になれるのか。どうしたら穏やかに彼女が何の憂いもなく過ごせるようになるのか。
考えれば考えるほど、ベリスベリー伯爵家とその姉、そして、呪解石を奪った国を消すのが一番良いことだと思えてしまう。
けれど、そうして彼女の手をそんなことで汚していいのか。そう思えて悩んでしまうのだ。
そんな珍しく憂い顔を見せるジルナリスに、夫である侯爵やレイルは表情を曇らせていた。
「どうしたのだ? 怪我でもしたのか?」
「母上……また冒険者として国境を越えられたと聞きました……あまり危ないことはもう……」
その言葉を聞いて、ジルナリスははっと顔を上げる。
「なんでもないわ。ちょっと考えごとをしていただけよ……」
「そうか? 何か悩んでいるのなら聞くぞ?」
「一人で抱えていては良くありませんよ」
「……いいえ……いいの。これはあなた達には言えないわ」
「「……」」
夫と息子が傷付いたように顔を合わせていることも目に入らない。
二人がジルナリスのことを大事に思っていることは彼女自身わかっているのだ。しかし、シルフィスカのことに関しては二人は敵だ。
大切な友人を馬鹿げた内容の誓約で縛ったことは許せるものではない。
そこで、ふとジルナリスはいつも側で控えているはずの者達の姿が数人見えないことに気付いた。
「あら? そういえば、キリル達がいないわね?」
「あ、ああ……少し大事な話し合いをしていてな……」
夫が何やら濁すので、ジルナリスは眉をひそめた。
「何かあったの?」
「「……っ」」
ジルナリスを問い詰めることはできなくても、反対にジルナリスが二人を問い詰めることはできる。彼らはジルナリスを力で押さえつけることは絶対にできないと分かっているからだ。
そこに、キリルが飛び込んできた。
「失礼いたします、旦那様。これ以上の話し合いは無意味です。わたくしはこちらを出て行かせていただきます」
「「っ……」」
「キリル? どうしたの? あなたらしくない……」
いつも表情を崩すことのない穏やかな青年。彼は若いながらも次期執事長にとまで望まれる将来有望な若者だった。年齢は今年で十九だ。これほどの天才はいないだろうと誰もが期待している。
そんな彼が辞めると言うのだ。
「奥様……わたくしは……許せないのです」
「……誰を?」
初めて見た。それは冷徹な光。それを今、彼はその瞳に宿していた。
「許しても良いかもしれないと思いはじめていた自分です……この際です。言わせていただきます。わたくしは……旦那様を恨んでおりました」
「っ……キリル……?」
信頼していたキリルに冷たい目を向けられ、侯爵は表情を強張らせた。
「旦那様は覚えておられるでしょうか……あの方から呪解石を取り上げたことを……」
「っ……!?」
「呪解石?」
目を見開くジルナリスとは違い、侯爵は必死にそれを思い出そうとしていた。
「そうです。冒険者であるあの方から、王家の命とはいえ、わずかな代価と引き換えに取り上げたのだと聞いております。あの方がこの国を見限った原因を作ったのだと」
「王家っ……あの呪解薬のっ」
思い出したようだと察し、キリルは続ける。
「わたくしの母には、命を賭してでも殺したかった相手がいました。呪術師に身を落としてでも……それなのに……っ」
「っ……キリル……あなた、あなたの母親って王宮のメイドだった?」
「はい……」
「シルフィが助けた親子……待って! なら、シルフィから呪解石を取り上げたのはっ」
椅子を蹴倒して立ち上がり、キッと夫を睨んだ。しかし、すぐにジルナリスは考え込む。
「まさかシルフィは知ってるんじゃ……っ」
「っ……?」
侯爵は意味が分からないのだろう。ジルナリスからも睨まれ、混乱中だった。それはレイルも同じだ。
「この上、わたくしや母の恩人であるあの方に、あのような誓約をさせるなど……っ、許せるはずがありません!」
キリルは諸用でしばらく屋敷を留守にしていた。その間に結婚し交わされていたシルフィスカとの誓約書を、帰ってきて目にしたのだ。
侯爵やレイルは、正妻として扱うつもりのないシルフィスカとの結婚を重要なこととは思っていなかった。だからこそ、キリルが不在でも構わず進めていたのだ。
シルフィスカの実家のことは、キリルの出自を知るからと、シルフィスカは代わりにと言って教えていた。だからすぐにレイルの相手であるシルフィスカ・ベリスベリーが誰なのかがキリルには分かった。
キリルの剣幕に、常の穏やかな彼しか知らない他の使用人達も動揺せずにはいられない。そして、さすがに彼らも理解した。
レイルがそれを口にする。
「キリル……お前の恩人とは、シルフィスカ嬢のことか? 彼女が持っていた呪解石? を父上が取り上げたと? 彼女は一体……」
「あの方は、自身の姉に依頼された呪術師によって呪いを受けておられました……そのために幼い頃から何年もかけて、たった一人で迷宮を攻略してこられた。そうして手に入れた呪解石です。あなた方は、どれほどあの方を苦しめれば気が済むのか……っ、許そうと……この恨みを忘れようとしていた自分が愚かでした……っ」
「っ……」
キリルの怒りが分かったのだろう。騎士として、人と相対するからこそ、それがレイルや侯爵にはよく分かった。
そして、ここでも一人その怒りを爆発させようとしている者がいた。
「……シルフィを苦しめたのがあなただったなんて……っ、謝って済む問題じゃないわ……になさい……」
「じ、ジーナ?」
「母上?」
侯爵が顔を伏せて独白するジルナリスへ手を伸ばす。しかし、その手が触れる前に彼女はゆっくりと顔を上げた。その目は夫や息子を見る目ではなかった。
「死になさい……死んで詫びなさい。あんた達を殺したあとは、あの第一王子を殺してやるわ! 国なんて、あの子を苦しめる国なんてさっさと滅んでしまえばいいのよ!!」
「「っ!?」」
氷炎という二つ名に相応わしく、ジルナリスは体から炎のように冷気を発生させていた。手をついていた木のテーブルは見る間に凍りついていく。
誰もが本気だと悟った。
************
読んでくださりありがとうございます◎
次回、24日に上げます。
よろしくお願いします◎
自分がどうしたらシルフィスカの力になれるのか。どうしたら穏やかに彼女が何の憂いもなく過ごせるようになるのか。
考えれば考えるほど、ベリスベリー伯爵家とその姉、そして、呪解石を奪った国を消すのが一番良いことだと思えてしまう。
けれど、そうして彼女の手をそんなことで汚していいのか。そう思えて悩んでしまうのだ。
そんな珍しく憂い顔を見せるジルナリスに、夫である侯爵やレイルは表情を曇らせていた。
「どうしたのだ? 怪我でもしたのか?」
「母上……また冒険者として国境を越えられたと聞きました……あまり危ないことはもう……」
その言葉を聞いて、ジルナリスははっと顔を上げる。
「なんでもないわ。ちょっと考えごとをしていただけよ……」
「そうか? 何か悩んでいるのなら聞くぞ?」
「一人で抱えていては良くありませんよ」
「……いいえ……いいの。これはあなた達には言えないわ」
「「……」」
夫と息子が傷付いたように顔を合わせていることも目に入らない。
二人がジルナリスのことを大事に思っていることは彼女自身わかっているのだ。しかし、シルフィスカのことに関しては二人は敵だ。
大切な友人を馬鹿げた内容の誓約で縛ったことは許せるものではない。
そこで、ふとジルナリスはいつも側で控えているはずの者達の姿が数人見えないことに気付いた。
「あら? そういえば、キリル達がいないわね?」
「あ、ああ……少し大事な話し合いをしていてな……」
夫が何やら濁すので、ジルナリスは眉をひそめた。
「何かあったの?」
「「……っ」」
ジルナリスを問い詰めることはできなくても、反対にジルナリスが二人を問い詰めることはできる。彼らはジルナリスを力で押さえつけることは絶対にできないと分かっているからだ。
そこに、キリルが飛び込んできた。
「失礼いたします、旦那様。これ以上の話し合いは無意味です。わたくしはこちらを出て行かせていただきます」
「「っ……」」
「キリル? どうしたの? あなたらしくない……」
いつも表情を崩すことのない穏やかな青年。彼は若いながらも次期執事長にとまで望まれる将来有望な若者だった。年齢は今年で十九だ。これほどの天才はいないだろうと誰もが期待している。
そんな彼が辞めると言うのだ。
「奥様……わたくしは……許せないのです」
「……誰を?」
初めて見た。それは冷徹な光。それを今、彼はその瞳に宿していた。
「許しても良いかもしれないと思いはじめていた自分です……この際です。言わせていただきます。わたくしは……旦那様を恨んでおりました」
「っ……キリル……?」
信頼していたキリルに冷たい目を向けられ、侯爵は表情を強張らせた。
「旦那様は覚えておられるでしょうか……あの方から呪解石を取り上げたことを……」
「っ……!?」
「呪解石?」
目を見開くジルナリスとは違い、侯爵は必死にそれを思い出そうとしていた。
「そうです。冒険者であるあの方から、王家の命とはいえ、わずかな代価と引き換えに取り上げたのだと聞いております。あの方がこの国を見限った原因を作ったのだと」
「王家っ……あの呪解薬のっ」
思い出したようだと察し、キリルは続ける。
「わたくしの母には、命を賭してでも殺したかった相手がいました。呪術師に身を落としてでも……それなのに……っ」
「っ……キリル……あなた、あなたの母親って王宮のメイドだった?」
「はい……」
「シルフィが助けた親子……待って! なら、シルフィから呪解石を取り上げたのはっ」
椅子を蹴倒して立ち上がり、キッと夫を睨んだ。しかし、すぐにジルナリスは考え込む。
「まさかシルフィは知ってるんじゃ……っ」
「っ……?」
侯爵は意味が分からないのだろう。ジルナリスからも睨まれ、混乱中だった。それはレイルも同じだ。
「この上、わたくしや母の恩人であるあの方に、あのような誓約をさせるなど……っ、許せるはずがありません!」
キリルは諸用でしばらく屋敷を留守にしていた。その間に結婚し交わされていたシルフィスカとの誓約書を、帰ってきて目にしたのだ。
侯爵やレイルは、正妻として扱うつもりのないシルフィスカとの結婚を重要なこととは思っていなかった。だからこそ、キリルが不在でも構わず進めていたのだ。
シルフィスカの実家のことは、キリルの出自を知るからと、シルフィスカは代わりにと言って教えていた。だからすぐにレイルの相手であるシルフィスカ・ベリスベリーが誰なのかがキリルには分かった。
キリルの剣幕に、常の穏やかな彼しか知らない他の使用人達も動揺せずにはいられない。そして、さすがに彼らも理解した。
レイルがそれを口にする。
「キリル……お前の恩人とは、シルフィスカ嬢のことか? 彼女が持っていた呪解石? を父上が取り上げたと? 彼女は一体……」
「あの方は、自身の姉に依頼された呪術師によって呪いを受けておられました……そのために幼い頃から何年もかけて、たった一人で迷宮を攻略してこられた。そうして手に入れた呪解石です。あなた方は、どれほどあの方を苦しめれば気が済むのか……っ、許そうと……この恨みを忘れようとしていた自分が愚かでした……っ」
「っ……」
キリルの怒りが分かったのだろう。騎士として、人と相対するからこそ、それがレイルや侯爵にはよく分かった。
そして、ここでも一人その怒りを爆発させようとしている者がいた。
「……シルフィを苦しめたのがあなただったなんて……っ、謝って済む問題じゃないわ……になさい……」
「じ、ジーナ?」
「母上?」
侯爵が顔を伏せて独白するジルナリスへ手を伸ばす。しかし、その手が触れる前に彼女はゆっくりと顔を上げた。その目は夫や息子を見る目ではなかった。
「死になさい……死んで詫びなさい。あんた達を殺したあとは、あの第一王子を殺してやるわ! 国なんて、あの子を苦しめる国なんてさっさと滅んでしまえばいいのよ!!」
「「っ!?」」
氷炎という二つ名に相応わしく、ジルナリスは体から炎のように冷気を発生させていた。手をついていた木のテーブルは見る間に凍りついていく。
誰もが本気だと悟った。
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