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第3部(終章)
花鶏saide 朽ちない死体
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「本当に『月代恋月記』の睡蓮? あれは小説の作り話で……」
話の中で、睡蓮は相思相愛の乙女と里のために、水の祟り神を鎮めて自分も封じられた。瀧華国で皇族以外を神と奉っていた最後の時代だ。乙女は睡蓮を封じた土地に家を建て、寿命が尽きるまで彼を待ち続けたという。
今まで読んだ恋物語の中で一番好きだ。
睡蓮は恋した相手のために命を投げ打って、相手から死ぬまで感謝され、忘れられることなく、想われ続けた。
ーー「小説の中では、そうなっていますね」
蘇芳の言葉が脳裏をよぎった。
(これまでも、先生はたまに妙な言動をしてたな)
まるで、先のことを少しだけ知っているような、曖昧な態度。
カデンルラでもそうだった。
アジラヒムとイルファーンに表向き友好的だったのに、裏ではハナから警戒して、花鶏に東雲の毒を仕込むよう指示していたり。
蘇芳の不可解な行動の裏には、花鶏を何かから……目に見えない悪意から遠ざけようとする必死さがある。
(先生はいつも俺のことを一番大事に考えてくれる)
だから信じている。根拠も何も無くても、蘇芳がああ言った以上、こいつは小説の中の<睡蓮>と同じではない。
(せっかく先生と似てるのに……残念だ)
恋物語に蘇芳と自分を当てはめて、あれこれ空想するのが好きだった。
黒曜宮に移った頃からずっとだ。中でも<睡蓮>は先生と雰囲気が似ていて、お気に入りだった。
「実在すると思わなかった。人間にしか見えないな」
「この身体か。よく似せているだろう? 私の本体は別にあるが、そなた達と話すにはこの方具合がよい……さて」
睡蓮は突きつけられた剣に目もくれず、流れるように優雅な動作で沙羅の身体を抱き上げ、水中に下ろした。
奇怪な現象が起こった。
水中の睡蓮の茎が、彼女の青白い肌に絡まり、皮膚の下に潜り込む。茎につながる花弁が、呼応するように仄かに発光した。
「ご覧。ああして彼女に養分を与えて、身体が朽ちないようにしている。魂が目覚めた時、戻る身体が無くては困るからね」
「お前があの話に出てくる睡蓮なら、彼女は百年以上前に死んだ人間だろう……死に戻りなんて、神にさえ不可能だ」
睡蓮は出来の悪い生徒に言って聞かすように微笑した。
「できるとも。彼女さえそう望むなら、いくらでも方法はある。それには残った最後の里が必要だというのに、なかなかしぶとくてね」
睡蓮はやれやれと苦笑した。花鶏は眉をひそめた。
「最後の里? 二の里で住民が昏睡していることと関係あるのか?」
関係あるはずだ。地上で蟲札の猟犬たちが吠えたてたのはこの場所。つまり蟲の震源地は、ここだ。
睡蓮はかぶりを振った。
「心外な。あれはヒトが勝手に始めたことではないか。次の順番が自分の代で来るのを恐れた二の里のまとめ役が、一の里の里長に泣きついたのだ。どうか里を捨て余所へ移ることを許してくれと。だが、そんな真似は許されない。百年前から、ここは外から人が入ることはあっても、逆はあり得ない。沙羅を生贄にした人間の直系は逃げることはできない決まりだ」
「なぜ、そこまでして自分達だけで対処しようとしたんだ……国に助けを求めても良かっただろうに」
百年前ならともかく、今なら巫監術府も機能して……いや、そもそも巫監術府の所員たちが先に調査に来ていたはずだ。
なぜその時、申し出なかった? 彼らは今どこにいる?
「知られたくない事情があったのだろうよ」
くつくつと、愉快そうに含み笑う。しかし、すぐに笑みを消して、痛ましい表情を浮かべた。
「沙羅は当時、六の里の貧しい農家の娘だった。あの辺りは開墾した土地をめぐって集落同士の争いが絶えない。用水路の取り合いや、いざこざは日常茶飯事。干ばつと蝗害が里を襲った時、一の里の長は人柱を立てることにした。選ばれたのが、沙羅だった」
そうだ。蘇芳が地上で、確かにそんなことを言っていた。
ー「里の呼び名が、今と昔では逆なんだ。その頃は今の一の里のことを、六の里と呼んでいた。序列は生活用水と農業水路を使いやすい下段の里の方が、むしろ上だったんだ」
睡蓮は物憂げに話し続けた。
「一番下位の里に住む沙羅に断る手立てはなかったのだ。彼女は人柱として、杭で打たれた棺に閉じ込められ、華鏡湖に投げ捨てられた」
ひどい、とはつりが呟いた。そんな、生きたまま……ひとりぽっちで、なんて。想像を絶する仕打ちだ。
花鶏は睡蓮の言葉に嘘がないか、神経を研ぎ澄ませていた。今のところ、蘇芳の話と齟齬はないようだが。
「その時に、彼女はああなったのか?」
水中の沙羅に視線を向ける。百年前から、ああして睡蓮の茎から養分を与えられているなんて、あり得るのか?
「いいや。私が棺から助けてやった。……私は人間に姿を見られるのを憚って、湖の岸辺に横たわる彼女を隠れて見ていた。偶然通りかかった里の男が、彼女を介抱し、長たちに見つからないよう匿われることになった。……そのうち、二人は情を交わし合うようになったのだ」
睡蓮の横顔に苦渋が、声には切なさが滲んだ。
花鶏は、ん? と内心で首を捻った。昔、先生が寝る前にしてくれた話に似ている。あれはたしか……。
(海で溺れた皇子様を、下半身が魚の化け物……<人魚>が助けて恋に落ち、後から来た別の女に横取りされる話だ)
話の中で、睡蓮は相思相愛の乙女と里のために、水の祟り神を鎮めて自分も封じられた。瀧華国で皇族以外を神と奉っていた最後の時代だ。乙女は睡蓮を封じた土地に家を建て、寿命が尽きるまで彼を待ち続けたという。
今まで読んだ恋物語の中で一番好きだ。
睡蓮は恋した相手のために命を投げ打って、相手から死ぬまで感謝され、忘れられることなく、想われ続けた。
ーー「小説の中では、そうなっていますね」
蘇芳の言葉が脳裏をよぎった。
(これまでも、先生はたまに妙な言動をしてたな)
まるで、先のことを少しだけ知っているような、曖昧な態度。
カデンルラでもそうだった。
アジラヒムとイルファーンに表向き友好的だったのに、裏ではハナから警戒して、花鶏に東雲の毒を仕込むよう指示していたり。
蘇芳の不可解な行動の裏には、花鶏を何かから……目に見えない悪意から遠ざけようとする必死さがある。
(先生はいつも俺のことを一番大事に考えてくれる)
だから信じている。根拠も何も無くても、蘇芳がああ言った以上、こいつは小説の中の<睡蓮>と同じではない。
(せっかく先生と似てるのに……残念だ)
恋物語に蘇芳と自分を当てはめて、あれこれ空想するのが好きだった。
黒曜宮に移った頃からずっとだ。中でも<睡蓮>は先生と雰囲気が似ていて、お気に入りだった。
「実在すると思わなかった。人間にしか見えないな」
「この身体か。よく似せているだろう? 私の本体は別にあるが、そなた達と話すにはこの方具合がよい……さて」
睡蓮は突きつけられた剣に目もくれず、流れるように優雅な動作で沙羅の身体を抱き上げ、水中に下ろした。
奇怪な現象が起こった。
水中の睡蓮の茎が、彼女の青白い肌に絡まり、皮膚の下に潜り込む。茎につながる花弁が、呼応するように仄かに発光した。
「ご覧。ああして彼女に養分を与えて、身体が朽ちないようにしている。魂が目覚めた時、戻る身体が無くては困るからね」
「お前があの話に出てくる睡蓮なら、彼女は百年以上前に死んだ人間だろう……死に戻りなんて、神にさえ不可能だ」
睡蓮は出来の悪い生徒に言って聞かすように微笑した。
「できるとも。彼女さえそう望むなら、いくらでも方法はある。それには残った最後の里が必要だというのに、なかなかしぶとくてね」
睡蓮はやれやれと苦笑した。花鶏は眉をひそめた。
「最後の里? 二の里で住民が昏睡していることと関係あるのか?」
関係あるはずだ。地上で蟲札の猟犬たちが吠えたてたのはこの場所。つまり蟲の震源地は、ここだ。
睡蓮はかぶりを振った。
「心外な。あれはヒトが勝手に始めたことではないか。次の順番が自分の代で来るのを恐れた二の里のまとめ役が、一の里の里長に泣きついたのだ。どうか里を捨て余所へ移ることを許してくれと。だが、そんな真似は許されない。百年前から、ここは外から人が入ることはあっても、逆はあり得ない。沙羅を生贄にした人間の直系は逃げることはできない決まりだ」
「なぜ、そこまでして自分達だけで対処しようとしたんだ……国に助けを求めても良かっただろうに」
百年前ならともかく、今なら巫監術府も機能して……いや、そもそも巫監術府の所員たちが先に調査に来ていたはずだ。
なぜその時、申し出なかった? 彼らは今どこにいる?
「知られたくない事情があったのだろうよ」
くつくつと、愉快そうに含み笑う。しかし、すぐに笑みを消して、痛ましい表情を浮かべた。
「沙羅は当時、六の里の貧しい農家の娘だった。あの辺りは開墾した土地をめぐって集落同士の争いが絶えない。用水路の取り合いや、いざこざは日常茶飯事。干ばつと蝗害が里を襲った時、一の里の長は人柱を立てることにした。選ばれたのが、沙羅だった」
そうだ。蘇芳が地上で、確かにそんなことを言っていた。
ー「里の呼び名が、今と昔では逆なんだ。その頃は今の一の里のことを、六の里と呼んでいた。序列は生活用水と農業水路を使いやすい下段の里の方が、むしろ上だったんだ」
睡蓮は物憂げに話し続けた。
「一番下位の里に住む沙羅に断る手立てはなかったのだ。彼女は人柱として、杭で打たれた棺に閉じ込められ、華鏡湖に投げ捨てられた」
ひどい、とはつりが呟いた。そんな、生きたまま……ひとりぽっちで、なんて。想像を絶する仕打ちだ。
花鶏は睡蓮の言葉に嘘がないか、神経を研ぎ澄ませていた。今のところ、蘇芳の話と齟齬はないようだが。
「その時に、彼女はああなったのか?」
水中の沙羅に視線を向ける。百年前から、ああして睡蓮の茎から養分を与えられているなんて、あり得るのか?
「いいや。私が棺から助けてやった。……私は人間に姿を見られるのを憚って、湖の岸辺に横たわる彼女を隠れて見ていた。偶然通りかかった里の男が、彼女を介抱し、長たちに見つからないよう匿われることになった。……そのうち、二人は情を交わし合うようになったのだ」
睡蓮の横顔に苦渋が、声には切なさが滲んだ。
花鶏は、ん? と内心で首を捻った。昔、先生が寝る前にしてくれた話に似ている。あれはたしか……。
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