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第3部(終章)
花鶏side 蘇芳に似た彼
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よく見れば、瞳の色は蘇芳と違った。眼前の男の眼は睡蓮の花弁の色をそのまま写し取ったような淡い蓮紅色だ。
その眦にはうっすらと赤い色が差されていて、歌劇の演者のようでもある。
花鶏は神経質に頭を振った。訳の分からないことが多すぎるが、これだけは言える。
「お前は先生じゃない。先生には俺がいる限り妻なんて言葉はこの先も一生口にさせない」
蘇芳に似た男がああ、と何かに気付いたように頷いて見せた。
「先生というのは、そなたらの好いた相手か? すまないね。私の性なのだ。見た人間の好ましい相手の面影を写し取る。私とその先生とやらは似ているかね」
花鶏は思わずはつりを見た。緯線を受けたはつりがぱっと目を逸らす。
一瞬、蘇芳を先生と呼ぶ人間を全員まとめてこの場に引き摺り出したい衝動に駆られた。
ふふ、と微笑ましいとでも言いたげに、男が口元に長い袖を当てる。その仕草は、確かに蘇芳にしては違和感がある。蘇芳は繊細な見目に反して、言動や仕草は案外、男っぽく大雑把だ。眼前の男はたおやかで、優美で、儚げだった。
(さっき素手で吹っ飛ばされてなければの話だが)
「お前はなんだ。巫術師か?ここはどこにつながってる?里で起こったことと関係あるのか?……それに」
花鶏は剣先を定めたまま、横に視線を滑らせた。
「あの女人はなぜ……死体なのにまるで生きているようなんだ」
死体、と口にするとき、胸の奥が重苦しくなった。
(関係ない、あれは花雲じゃない。先生の描いた絵と偶然似てるだけだ)
男は不思議そうな面持ちで、小首をかしげた。
「死体?異なことを……息をしていない、心の臓が動いていないだけで、死んだなどど。妻は私との約束を守って、こうして眠りながら私を待たせているだけだ」
背筋がひやっとした。男の言い分は明らかにおかしかった。心臓が止まったまま水に浸かっていたなら、それは死体に他ならない。
なぜ彼女の身体は生きた人のように瑞々しい? 足りないのは血の気くらいのものだ。
「彼女との約束通り、百年以上この月代を干ばつ飢饉から守ってきた。二十年、いや十五年前だったかな……その時の飢饉は酷かった。月代の領地権を持った人間が貿易の不正をした咎で、救済が宙に浮いた状態になったのだ」
十五年前……。花鶏は頭の中に引っかかった何かがぱっと弾けた。十五年前の中央政府の贈賄事件……当時皇帝の寵愛を得て二児をもうけた多々良姫の父親が捕まり、没落した。残された子供のうち、五歳の姉は衰弱死したと後から聞かされた……。
(あの時没収された領地のひとつが、月代の里だったのか)
花鶏の生家の話だ。奇縁としか言いようがない。
男は花鶏の心中など知らず、横たわる女を大事そうに見下ろした。
「彼女との約束なのだ。能あたう限り最小限の代償と引き換えに、この土地と住まう人々を守るように、と彼女は頼んだ。彼女の願いに応え、成就した暁には、きっと目覚めてふたり静かに、この上なく睦まじく暮らしてゆこうと……」
男は微笑んだまま、花鶏の剣先に指を伸ばした。
沙羅っ、とはつりが鋭い声を発し、花鶏はいつの間にかぼうっと、男のまとう空気に呑まれていたことに気付いた。
「……沙羅?」
男はいよいよ笑みを深くした。親し気に花鶏の頬に手を伸ばし、そっと撫でる。
蘇芳がよくそうして、花鶏を可愛がるように。
「妻と同じ名前ではないか。私の一等好きな名前だが……母御に女子の名前を付けられたのか?」
まるでずっと水に浸していたような、氷のように滑らかで冷たい手。浮いた血管は青く、ずっと抱いていた違和感が形を成した。この男は頬に血の気が差していない。血色を補うように、演者のような化粧をしているのだ。こんなに顔を近づけられても、呼吸音も、息遣いも全く感じられなかった。
沙羅、という名前の女を妻と呼び、百年前、などと平然と口にする。
「……<睡蓮>」
呆然と呟いた花鶏に、男は褒めるように頬に指を滑らせ、妖艶に微笑んだ。
その眦にはうっすらと赤い色が差されていて、歌劇の演者のようでもある。
花鶏は神経質に頭を振った。訳の分からないことが多すぎるが、これだけは言える。
「お前は先生じゃない。先生には俺がいる限り妻なんて言葉はこの先も一生口にさせない」
蘇芳に似た男がああ、と何かに気付いたように頷いて見せた。
「先生というのは、そなたらの好いた相手か? すまないね。私の性なのだ。見た人間の好ましい相手の面影を写し取る。私とその先生とやらは似ているかね」
花鶏は思わずはつりを見た。緯線を受けたはつりがぱっと目を逸らす。
一瞬、蘇芳を先生と呼ぶ人間を全員まとめてこの場に引き摺り出したい衝動に駆られた。
ふふ、と微笑ましいとでも言いたげに、男が口元に長い袖を当てる。その仕草は、確かに蘇芳にしては違和感がある。蘇芳は繊細な見目に反して、言動や仕草は案外、男っぽく大雑把だ。眼前の男はたおやかで、優美で、儚げだった。
(さっき素手で吹っ飛ばされてなければの話だが)
「お前はなんだ。巫術師か?ここはどこにつながってる?里で起こったことと関係あるのか?……それに」
花鶏は剣先を定めたまま、横に視線を滑らせた。
「あの女人はなぜ……死体なのにまるで生きているようなんだ」
死体、と口にするとき、胸の奥が重苦しくなった。
(関係ない、あれは花雲じゃない。先生の描いた絵と偶然似てるだけだ)
男は不思議そうな面持ちで、小首をかしげた。
「死体?異なことを……息をしていない、心の臓が動いていないだけで、死んだなどど。妻は私との約束を守って、こうして眠りながら私を待たせているだけだ」
背筋がひやっとした。男の言い分は明らかにおかしかった。心臓が止まったまま水に浸かっていたなら、それは死体に他ならない。
なぜ彼女の身体は生きた人のように瑞々しい? 足りないのは血の気くらいのものだ。
「彼女との約束通り、百年以上この月代を干ばつ飢饉から守ってきた。二十年、いや十五年前だったかな……その時の飢饉は酷かった。月代の領地権を持った人間が貿易の不正をした咎で、救済が宙に浮いた状態になったのだ」
十五年前……。花鶏は頭の中に引っかかった何かがぱっと弾けた。十五年前の中央政府の贈賄事件……当時皇帝の寵愛を得て二児をもうけた多々良姫の父親が捕まり、没落した。残された子供のうち、五歳の姉は衰弱死したと後から聞かされた……。
(あの時没収された領地のひとつが、月代の里だったのか)
花鶏の生家の話だ。奇縁としか言いようがない。
男は花鶏の心中など知らず、横たわる女を大事そうに見下ろした。
「彼女との約束なのだ。能あたう限り最小限の代償と引き換えに、この土地と住まう人々を守るように、と彼女は頼んだ。彼女の願いに応え、成就した暁には、きっと目覚めてふたり静かに、この上なく睦まじく暮らしてゆこうと……」
男は微笑んだまま、花鶏の剣先に指を伸ばした。
沙羅っ、とはつりが鋭い声を発し、花鶏はいつの間にかぼうっと、男のまとう空気に呑まれていたことに気付いた。
「……沙羅?」
男はいよいよ笑みを深くした。親し気に花鶏の頬に手を伸ばし、そっと撫でる。
蘇芳がよくそうして、花鶏を可愛がるように。
「妻と同じ名前ではないか。私の一等好きな名前だが……母御に女子の名前を付けられたのか?」
まるでずっと水に浸していたような、氷のように滑らかで冷たい手。浮いた血管は青く、ずっと抱いていた違和感が形を成した。この男は頬に血の気が差していない。血色を補うように、演者のような化粧をしているのだ。こんなに顔を近づけられても、呼吸音も、息遣いも全く感じられなかった。
沙羅、という名前の女を妻と呼び、百年前、などと平然と口にする。
「……<睡蓮>」
呆然と呟いた花鶏に、男は褒めるように頬に指を滑らせ、妖艶に微笑んだ。
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