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新婚旅行編
遅えんだよ、父ちゃん(長男ジャン視点)
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「アタシの息子と旦那に怪我させるたぁどういう了見だい。毛玉だか何だか知らないけど、それ以上近付くなら……ただじゃおかないよ!!」
細っこい腕を目一杯広げ、顎を上げるその背中は、小さい筈なのに何故か物凄く大きく見える。いや、錯覚ではなく、背中の布が膨らんで――バチン!と弾けた!
「――――……は?」
そこに現れたのは、人間の背中には絶対にないもの。葉脈のように筋が走る、半透明の小さな羽だった。それは、薄紅色の光の粒を散らしながら小刻みに震えている。
あまりに浮世離れたその光景にジャンが呆けた次の瞬間、魔獣の方も驚いたのか動きが一瞬だけ止まった。
けれど、そんな仄かな光なんて目くらましにもなりやしない。地面が震え、今度こそ、魔獣が大きく口を開ける所だった。
それなのに母は、キッと魔獣を睨み上げたまま動かない。
「母ちゃん……っ俺らは良いから逃げろって!」
「バカ言うんじゃないよ! 息子を護れなくて何が母親だいっ!!」
生温い息を吐き、目を血走らせた魔獣の大口が迫ってくる。このままでは母が、いや、家族全員が毛玉アンコウに飲み込まれるのは時間の問題だ。
ジャンは何とか足に力を入れようとしたが、震えるばかりで役に立たない。ガルラは未だ気を失ったまま、ミゲルは声もなく、真っ青な顔で硬直していた。
「……っ、クソッ!!」
大人になったと思っていた。歳をとって、体も大きくなって、働けるようになって、家族を護れる大人になれたと思っていた。それなのに結局、母の小さな背中に護られている。情けない。それ以上に母を再び失うかもしれない絶望がジャンの胸を押し潰そうとしていた。
――――誰か……っ
分かっている。そんな事を考えたところで、助けてくれる誰かなんて居ないことは分かっている。父が蒸発して虐められた時も、母が夜独りで泣いていた時も、結局誰も助けてはくれなかった。
人生において窮地に陥った時、そんなに都合良く助けなんて来るわけがない。そんな事は、ジャンが大人になる過程で嫌と言うほどに思い知らされてきた筈だ。
それなのに、いざ命の危機に瀕した時。
脳裏によぎるのは、父の、大きな大きな背中だった。
――――父ちゃん……っ!
良い年をした大人だというのに、ジャンの喉は恐怖で震えて声も出ない。せめて、青褪めたミゲルを背中に庇いながら、顔を背けて奥歯を食いしばる。
魔獣の口に小さな母が飲み込まれる――まさにその時。
ドッズゥゥウウンッ!!!!!!
腹の底にまで響くような轟音と共に、鼓膜を突き破るような魔獣の咆哮が響く。恐る恐る顔を上げたジャンの前には、信じられない光景が広がっていた。
折れた木の幹が、毛玉アンコウの眉間を刺し貫いている。まるで、魔獣の頭に大きな木が生えたようだ。
おまけに、粘液でテカる分厚い皮膚の上、木の幹を抱えるようにして、暁色の瞳をギラつかせた大男が立っているではないか。
その男は暴れ回る毛玉アンコウにもう一度木の幹を蹴りつけ駄目押しした後、血走った魔獣の目を何度も何度も容赦なく殴りつける!
どれがトドメになったのだろうか。目から頭から血を噴き出した毛玉アンコウは、断末魔を上げて数度体を痙攣させ……あっけなく事切れた。地鳴りのような音と共に巨体が揺れ、ゆっくりと腹這いに崩れ落ちてゆく。
「ポルカ、ジャン、ミゲル……怪我ぁねえか!!!!」
拳を魔獣の目玉から引き抜き、大男が魔獣の上から息を荒げ大声で叫んだ。
太い腕、盛り上がった肩、デコボコした背中に逞しい足。短く刈られた赤毛が陽光に照らされて燃えていて、ジャンによく似た色の瞳には焦りと心配が見て取れる。
「――――……っ、」
人生において窮地に陥った時、都合良く助けなんて来るわけがない。そんな事は、大人になる過程で嫌と言うほどに思い知らされてきた。
それなのに今更、何で、今になって……!
「遅えんだよ、父ちゃん」
ジャンの呟きは、何故か震えて湿っていて、やけに温かかった。
細っこい腕を目一杯広げ、顎を上げるその背中は、小さい筈なのに何故か物凄く大きく見える。いや、錯覚ではなく、背中の布が膨らんで――バチン!と弾けた!
「――――……は?」
そこに現れたのは、人間の背中には絶対にないもの。葉脈のように筋が走る、半透明の小さな羽だった。それは、薄紅色の光の粒を散らしながら小刻みに震えている。
あまりに浮世離れたその光景にジャンが呆けた次の瞬間、魔獣の方も驚いたのか動きが一瞬だけ止まった。
けれど、そんな仄かな光なんて目くらましにもなりやしない。地面が震え、今度こそ、魔獣が大きく口を開ける所だった。
それなのに母は、キッと魔獣を睨み上げたまま動かない。
「母ちゃん……っ俺らは良いから逃げろって!」
「バカ言うんじゃないよ! 息子を護れなくて何が母親だいっ!!」
生温い息を吐き、目を血走らせた魔獣の大口が迫ってくる。このままでは母が、いや、家族全員が毛玉アンコウに飲み込まれるのは時間の問題だ。
ジャンは何とか足に力を入れようとしたが、震えるばかりで役に立たない。ガルラは未だ気を失ったまま、ミゲルは声もなく、真っ青な顔で硬直していた。
「……っ、クソッ!!」
大人になったと思っていた。歳をとって、体も大きくなって、働けるようになって、家族を護れる大人になれたと思っていた。それなのに結局、母の小さな背中に護られている。情けない。それ以上に母を再び失うかもしれない絶望がジャンの胸を押し潰そうとしていた。
――――誰か……っ
分かっている。そんな事を考えたところで、助けてくれる誰かなんて居ないことは分かっている。父が蒸発して虐められた時も、母が夜独りで泣いていた時も、結局誰も助けてはくれなかった。
人生において窮地に陥った時、そんなに都合良く助けなんて来るわけがない。そんな事は、ジャンが大人になる過程で嫌と言うほどに思い知らされてきた筈だ。
それなのに、いざ命の危機に瀕した時。
脳裏によぎるのは、父の、大きな大きな背中だった。
――――父ちゃん……っ!
良い年をした大人だというのに、ジャンの喉は恐怖で震えて声も出ない。せめて、青褪めたミゲルを背中に庇いながら、顔を背けて奥歯を食いしばる。
魔獣の口に小さな母が飲み込まれる――まさにその時。
ドッズゥゥウウンッ!!!!!!
腹の底にまで響くような轟音と共に、鼓膜を突き破るような魔獣の咆哮が響く。恐る恐る顔を上げたジャンの前には、信じられない光景が広がっていた。
折れた木の幹が、毛玉アンコウの眉間を刺し貫いている。まるで、魔獣の頭に大きな木が生えたようだ。
おまけに、粘液でテカる分厚い皮膚の上、木の幹を抱えるようにして、暁色の瞳をギラつかせた大男が立っているではないか。
その男は暴れ回る毛玉アンコウにもう一度木の幹を蹴りつけ駄目押しした後、血走った魔獣の目を何度も何度も容赦なく殴りつける!
どれがトドメになったのだろうか。目から頭から血を噴き出した毛玉アンコウは、断末魔を上げて数度体を痙攣させ……あっけなく事切れた。地鳴りのような音と共に巨体が揺れ、ゆっくりと腹這いに崩れ落ちてゆく。
「ポルカ、ジャン、ミゲル……怪我ぁねえか!!!!」
拳を魔獣の目玉から引き抜き、大男が魔獣の上から息を荒げ大声で叫んだ。
太い腕、盛り上がった肩、デコボコした背中に逞しい足。短く刈られた赤毛が陽光に照らされて燃えていて、ジャンによく似た色の瞳には焦りと心配が見て取れる。
「――――……っ、」
人生において窮地に陥った時、都合良く助けなんて来るわけがない。そんな事は、大人になる過程で嫌と言うほどに思い知らされてきた。
それなのに今更、何で、今になって……!
「遅えんだよ、父ちゃん」
ジャンの呟きは、何故か震えて湿っていて、やけに温かかった。
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