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彼の苦悩と遠見の鏡
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ジルベルトは警ら隊に復帰した。今まで面倒だからと逃げていた昇進試験にも真剣に挑み、寮を出てそれまで蓄えていた金で町内に一軒家を買った。全ては、いつか転生してくるポルカを迎え入れる為だ。
「…………」
仕事から帰ってきたジルベルトは、夕食の前に必ず寝室へ向かう。
無言でそっと真新しい両開きの扉を開けば、大きめの寝台の上には……木製の人形が仰向けに寝そべっていた。
「まだ、だな」
木目の美しい頬を手の甲でそっと撫で、ジルベルトは呟く。
この人形は、ポルカの為に用意した新しい身体である。世界樹の麓で“天空の神”に真摯な祈りを捧げること十年、そうして賜った大きな枝から造り上げた『魂の器』だ。この器と下界のポルカは因果の糸で結ばれ、下界のポルカが生を全うすれば、その魂は因果の糸に引き上げられる。
器に魂が収まり、身体と魂が馴染んだら、新しい妖精族が誕生するのだ。
「……」
――転生し再会した時、ポルカは俺を見てどんな顔をするのだろう。
詰るだろうか?
泣き叫ぶだろうか?
それとも、嫌悪に歪んだ面持ちでジルベルトを睨むだろうか?
「…………」
独りで夕食をとり、ジルベルトは一人用の寝台が置いてある自室に引っ込んだ。そして、遠見の鏡を取り出して覗きこむ。これもまた、ジルベルトの日課だ。
台座についた小さな金剛石に触れると、磨き抜かれた鏡の中に―――狭いながらも素朴な温かみに溢れる民家が映し出される。
『母ちゃん、ただいま! 今日のご飯なにー?』
『今日はタルモ芋のパン粉焼きだヨ………って、ジャン!こら、手を洗ってから席につきなぁ!』
『いってぇええ!! こんのクソババァっ』
『何だいクソガキ! パン粉焼き一個減らすよッ』
『うわぁあぁごめん! ごめんってば母ちゃん! 洗う! 洗うから!!』
食器の擦れる音に、バタバタと駆け回る息子の足音と賑やかな話し声が鏡から溢れ出る。鏡の中には、あの日より随分背が高くなった上の息子と、その頭にゲンコツを落とす……壮年の女性が映っていた。
「………ポルカ」
鼻歌をうたいながら揚げ物を作る横顔を鏡越しに撫でる。随分と皺や白髪が増えた。只でさえ小さな背が、また少し小さくなった気がする。
……けれど、変わらずジルベルトにとっては愛しい妻。
『母ちゃん、ただいまー』
『ミゲル! アンタも手ぇ洗うんだよ』
『分かってるよもう。兄さんじゃないんだから』
『んだとゴラァ!』
上の息子は、とある商家で働いている。真ん中の息子は狩人になり、末の息子は薬屋に就職が決まった。
妖精のジルベルトからすれば瞬きの間に、息子たちは成長してもうじき巣立ちを迎える。そして、ポルカもどんどん年を取り―――
『けほ、けほっ!』
「………………ッ!!」
不自然に咳き込み始めたポルカに、ジルベルトは血相を変える。即座に鏡を通して診察すると、心の臓に不穏な影を発見した。
『母ちゃん、大丈夫か?』
『ん?うーん、最近多いんだよ。風邪かねぇ?』
首をひねるポルカの胸元へ、ジルベルトは物凄く慎重に治癒魔法をかける。心の臓にあった影はスッと姿を消し、ホッと息をつき……そして、頭を抱えた。
「あ゛ーーーー……何やってんだ俺ぁ」
どうかしている。こうして遠見の鏡なんか使って、勝手に様子を伺って。これではまるで付き纏いだ。いや、まるでも何もそのモノである。
おまけに、またポルカの病を治してしまった。大体長生きすればするほど転生が遅くなるのだ。病なら好都合、そのまま放っておいて、さっさと死なせて此方側へ喚んでしまえばいい。分かっている、分かってはいるのだが……
『あ、そうそう。ガルラが猪を獲ってきたってさ!猪肉持ってそろそろ帰ってくるよ』
『ただいまー』
『ガルラ兄ちゃん、おかえり!』
賑やかな、家族の情景。その中心で笑う、ポルカ。
『ガルラ、ご飯出来てるから手を洗いな』
『うん、ただいま母ちゃん』
どうかしている。
自分勝手に転生させようとしている癖に、恨まれても仕方ないと思っている癖に。
『――おかえり!』
「……ただいま、ポルカ」
――笑って長生きして欲しい、なんて、本当に無茶苦茶だ。
そして、さらに数十年後。
何故か大きな病気や怪我もなく順調に年を重ねたポルカは、老衰で眠るように息を引き取った。ポルカの魂は、ジルベルトの因果の糸に引き上げられ……
ついに、妖精族として転生を果たしたのである。
「…………」
仕事から帰ってきたジルベルトは、夕食の前に必ず寝室へ向かう。
無言でそっと真新しい両開きの扉を開けば、大きめの寝台の上には……木製の人形が仰向けに寝そべっていた。
「まだ、だな」
木目の美しい頬を手の甲でそっと撫で、ジルベルトは呟く。
この人形は、ポルカの為に用意した新しい身体である。世界樹の麓で“天空の神”に真摯な祈りを捧げること十年、そうして賜った大きな枝から造り上げた『魂の器』だ。この器と下界のポルカは因果の糸で結ばれ、下界のポルカが生を全うすれば、その魂は因果の糸に引き上げられる。
器に魂が収まり、身体と魂が馴染んだら、新しい妖精族が誕生するのだ。
「……」
――転生し再会した時、ポルカは俺を見てどんな顔をするのだろう。
詰るだろうか?
泣き叫ぶだろうか?
それとも、嫌悪に歪んだ面持ちでジルベルトを睨むだろうか?
「…………」
独りで夕食をとり、ジルベルトは一人用の寝台が置いてある自室に引っ込んだ。そして、遠見の鏡を取り出して覗きこむ。これもまた、ジルベルトの日課だ。
台座についた小さな金剛石に触れると、磨き抜かれた鏡の中に―――狭いながらも素朴な温かみに溢れる民家が映し出される。
『母ちゃん、ただいま! 今日のご飯なにー?』
『今日はタルモ芋のパン粉焼きだヨ………って、ジャン!こら、手を洗ってから席につきなぁ!』
『いってぇええ!! こんのクソババァっ』
『何だいクソガキ! パン粉焼き一個減らすよッ』
『うわぁあぁごめん! ごめんってば母ちゃん! 洗う! 洗うから!!』
食器の擦れる音に、バタバタと駆け回る息子の足音と賑やかな話し声が鏡から溢れ出る。鏡の中には、あの日より随分背が高くなった上の息子と、その頭にゲンコツを落とす……壮年の女性が映っていた。
「………ポルカ」
鼻歌をうたいながら揚げ物を作る横顔を鏡越しに撫でる。随分と皺や白髪が増えた。只でさえ小さな背が、また少し小さくなった気がする。
……けれど、変わらずジルベルトにとっては愛しい妻。
『母ちゃん、ただいまー』
『ミゲル! アンタも手ぇ洗うんだよ』
『分かってるよもう。兄さんじゃないんだから』
『んだとゴラァ!』
上の息子は、とある商家で働いている。真ん中の息子は狩人になり、末の息子は薬屋に就職が決まった。
妖精のジルベルトからすれば瞬きの間に、息子たちは成長してもうじき巣立ちを迎える。そして、ポルカもどんどん年を取り―――
『けほ、けほっ!』
「………………ッ!!」
不自然に咳き込み始めたポルカに、ジルベルトは血相を変える。即座に鏡を通して診察すると、心の臓に不穏な影を発見した。
『母ちゃん、大丈夫か?』
『ん?うーん、最近多いんだよ。風邪かねぇ?』
首をひねるポルカの胸元へ、ジルベルトは物凄く慎重に治癒魔法をかける。心の臓にあった影はスッと姿を消し、ホッと息をつき……そして、頭を抱えた。
「あ゛ーーーー……何やってんだ俺ぁ」
どうかしている。こうして遠見の鏡なんか使って、勝手に様子を伺って。これではまるで付き纏いだ。いや、まるでも何もそのモノである。
おまけに、またポルカの病を治してしまった。大体長生きすればするほど転生が遅くなるのだ。病なら好都合、そのまま放っておいて、さっさと死なせて此方側へ喚んでしまえばいい。分かっている、分かってはいるのだが……
『あ、そうそう。ガルラが猪を獲ってきたってさ!猪肉持ってそろそろ帰ってくるよ』
『ただいまー』
『ガルラ兄ちゃん、おかえり!』
賑やかな、家族の情景。その中心で笑う、ポルカ。
『ガルラ、ご飯出来てるから手を洗いな』
『うん、ただいま母ちゃん』
どうかしている。
自分勝手に転生させようとしている癖に、恨まれても仕方ないと思っている癖に。
『――おかえり!』
「……ただいま、ポルカ」
――笑って長生きして欲しい、なんて、本当に無茶苦茶だ。
そして、さらに数十年後。
何故か大きな病気や怪我もなく順調に年を重ねたポルカは、老衰で眠るように息を引き取った。ポルカの魂は、ジルベルトの因果の糸に引き上げられ……
ついに、妖精族として転生を果たしたのである。
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