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2話~道代~
しおりを挟む「そなたの言い分はわかった……で?これから如何する」
少し煩わしいという空気を纏いながら、そう言葉を発したひとりの高貴な女性は、侍女達が優雅に扇ぐ扇子の風に包まれながら、更に物足りないという督促仕草をしてみせました。
その姿を張り詰めた顔で見守っていたひとりの側近らしき男性は、額に汗を滲ませながらポツリポツリと話し始めました。
「恐れながらお后様、史様が幼少期の頃に教育を担った田辺史大隅(たなべのふひとおおすみ)この者を以て、道代様の教育を勤める事が出来る者はおりませぬ」
「確かに……史の読み書きの才は並々ならぬものがある。しかしながらあの破天荒な道代に、それが通用するであろうか」
あまり乗り気ではない様子で目を閉じると、更に侍女が送る風に向かって顔を差し出し深いため息をつくと、今度は憂いの表情を浮かべました。
后の名は鸕野讚良(うののさらら)
天武天皇の姪であり、天智天皇の娘という、生まれながらにして身分の高き血筋であったがゆえに、年頃になるやいなや天武天皇の后として父、天智天皇から献上され草壁皇子を出産。
母となり幸せな安息の日々を送っていたのも束の間、今度は663年の白村江の戦いで日本が唐と新羅の連合軍に敗北してからは、新羅王である文武王への貢ぎ物として政治の駒として献上をされ
その文武王との間に授かった道代を産んだ後は、この藤原の宮で、隠れるように暮らしていたのでした。
「あと鎌足。后と呼ばれるのは気が進まぬ。私はあくまでも新羅王への貢ぎ物であって、皇后とはこの国にとっては名ばかりの物なのだから」
「しかしながら………」
「さららでよい……そなたは父上の側近中の側近であったのだからゆるす」
「あ、有り難き幸せにございます!」
ひれ伏したその側近男性の名は、藤原鎌足。
天智天皇の側近中の側近で、かの645年の乙巳の変では中大兄皇子であった天智天皇と共に、蘇我入鹿を討った中心人物でありました。
「して、そなた……亡くなった事にしてから何年になる」
「5年にございます。さらら様がおられなければ、もうとっくにこの命、この世からは消えておりました」
深々と頭を垂れる鎌足の姿を横目で見ながら、さららは風で乱れた髪をその細い指で整え終えると、侍女達の人払いをしました。
「お后様、いえさらら様。何か大事なお話でも?」
鎌足はふたりきりになった空間に動揺しながら、さららの前で引き続きかしづきながら、次の言葉を待ちました。
「おじ上は、もう長くはないだろう」
「天武帝が!?まさか…病に?」
「という事に、しようと思うておる」
「ま、まさか……それは」
鎌足は言葉の意味を察すると、その場で脂汗を浮かべて黙り込みました。
「時をかけてゆっくりと毒を盛るのじゃ。さすれば自ずと新たな代へと替わる、その時を迎える事が出来る」
「なんて恐ろしい……なんて恐ろしい……」
鎌足は声を震わせながら、食い入るように皇后の事を見つめ続けました。
「今は新羅に侵略され大人しくはしておるが、このままおじ上が大人しくしてるとは到底思わぬ。その前に手を打ち、何としても我が子、草壁をこの国の王にすえるのだ」
「確かに、天智帝の孫である草壁様が皇位につくのは真っ当な事でありますが。このままでも行く行くはそうなるのでは?」
「大津もいる、高市もいる」
天武帝には、さららとの間にもうけた草壁皇子以外にも、その他の妃との間に何人かの皇子がおり、その中でも大津皇子、高市皇子はひときわ目立つ存在でありました。
「なるほど、つまり邪魔者は全ていらぬと…」
鎌足は、この目の前で優雅にまどろみ続ける女主人の赤裸々な野望を前にして、ぶるりと武者震いをしました。
「鎌足安心せよ、ゆえに史と道代は許嫁の間柄にしたのだ。おじ上無き後、政権を担う草壁の側近として夫婦で共に支えて欲しい。だから尚更に史の為にも、道代にはあらゆる教養を身につけさせておきたいのだ。わかってくれるな?」
「史は、天智帝のご落胤。お腹に宿した鏡王女様を私ごときにお預け頂いたあの日から、史は我が子以上の宝と思うております。頂きしこの藤原宮の藤原の名を語り継ぐ祖として、これからも命尽きるその日まで、さらら様、藤原の為に生きてまいります、御安心くださいませ」
深々と更に頭を垂れる鎌足の姿を安心した笑みを見せた、さららは「少し眠る」と言うと、手を2回打ち鳴らし侍女を呼び戻しました。
鎌足もその姿を見て一礼をした後、そっと部屋から退出をしたのでした。
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