僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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二十四章

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 北里さんが先ずしたのは、清水と大和さんへの謝罪だった。「私が選択授業に望むのは剣道の習得ではなく、牛若丸の動きをなぞれるようになる事です。剣道部の方々へお詫びします」と、北里さんは二人に腰を折ったのだ。二人は背筋を伸ばして謝罪を受け取ったのち、牛若丸の身体操作で剣道を上達させようとしている自分達も似た者同士であることを、北里さんに伝えた。そして三人で目配せし、いたずら小僧の笑みを揃って浮かべてから、「「「牛若丸先生よろしくお願いします!」」」と大声を出した。牛若丸だけは勘弁して下さいと顔を真っ赤にして懇願する僕に、三人のみならず教室のあちこちから笑いが起こる。それは僕を、羞恥のどん底に突き落としたのだった。
 まあそれはさて置き、北里さんが次にしたのは、僕への質問だった。
「回転踏み込みに不可欠な、瞬時に大筋力を絞り出す筋肉は、脚を太くしないかな?」
 不安げにそう問う北里さんに大和さんも同調し、正面と斜向かいに座る女の子たちに心配顔を向けられたことは、羞恥に沈んだ心を健全な状態に戻してくれた。そのお陰かある疑問が心に浮かんだので、それも併せて答えた。
「速筋特化の体質でない限り、筋肉が付き過ぎて女の子の脚が太くなることは、そうないと思う。僕と同じ訓練を長年してきた美鈴も、一年時の五月から始めた昴も、ほぼ同じ訓練をずっと続けて来た輝夜さんも、細い脚をしているからね。ねえ大和さん、昨日の選択授業で女子生徒が両足踏み込みを習いたがったのも、脚が太くなることを懸念したからなのかな?」
 大和さんは「バレちゃった」と頭を掻いた。そんな大和さんに清水が「猫将軍大丈夫なんだろうな、本当に問題ないんだろうな!」と掴みかからんばかりに訊いて来たので、コイツへの応援も兼ね、「女子短距離走者の立派な太腿が僕は好きだよ」と本音を明かしてみた。すると案の定、
「俺もだ。細すぎると折れそうな気がして怖いし、何よりもったいなく感じてしまう。血液の研究者にとって、太い大腿骨と豊富な大腿四頭筋を持つ女性が老化しにくく、病気への抵抗力も強く、そして長寿に恵まれやすいのは、常識だからな」
 てな具合に、太腿の重要性について熱く語り始めたのである。血液の専門家なら太腿の効能を知っているはずと思い本音を明かしたことは、大正解だったようだ。大和さんと北里さんの女子組も、僕の「立派な太腿が好き」発言には生暖かい視線を向けていたが、
 ―― 老化しにくく病気への抵抗力も強く長寿に恵まれやすい
 には、演技抜きで飛び付いていた。いつまでも若々しくいられることへの憧れは、男性より女性の方が圧倒的に強いのは、それこそ常識だからね。僕はこの機を逃さず清水に協力を仰ぎ、腿が太くなることを怖がっている女子生徒へのアドバイスを二人で考えていった。無粋な野郎どもが考えたそのアドバイスを、女子に白眼視されにくい言い回しへ女子組が変えるという協力体制を確立した結果、十分と経たず草稿が完成した。活舌の良い北里さんが名乗り出て、それを読み上げてくれた。
「猫将軍君の刀術は、両足踏み込みの技術を磨くだけでも習得可能。また回転踏み込みの訓練をしても、速筋が特に多い体質でない限り、筋肉の付き過ぎによって脚が太くなることは滅多にない。速筋体質か、遅筋体質か、速筋と遅筋を併せ持つ複合体質かは、健康診断を参照すればすぐ判明する。速筋体質だった場合は猫将軍君に相談すれば、太くなりにくい訓練を一緒に考えてくれる。両足踏み込みと回転組み込みの区別なく大腿骨と大腿四頭筋は鍛えられ、そして両者の鍛錬がアンチエイジングと健康増進に繋がることは、医学的に証明されている。今できあがった草稿は、こんな感じですね」
 北里さんへの盛大な拍手をもって、議題は次へ移った。といっても、火曜日の選択授業について北里さんが疑問を抱いていたり不安を感じていたりする事を取り上げるだけだから、ホント北里さん頼みなのだけどね。ただ古来より言われているように、
 ―― 未経験者の素朴な疑問
 というものは、時として黄金に化ける。この宇宙には、未経験者だからこそ目に留まるまったく新しい視点というものが、確かに存在するのだ。個人的には、北里さんのこの問いもそれに相当すると、つまり万金に値すると僕は考えている。
「ところで猫将軍君。私達ずぶの素人は、どんなモンスターと最初に戦うのかな?」
 この発言に、清水と大和さんは困惑を隠せないでいた。剣道のみならず大抵の格闘技において、他者との試合はかなりの日数を経て初めて許可される、応用に属する訓練と考えて良い。格闘技特有の身体操作と、それを無理なく行える基礎体力を身に着けてからでないと、他者との試合は大怪我を招くおそれがあるからだ。その恐ろしさを剣道部の自分達は知っていても、ダンス部の北里さんは知らないらしい。北里さんを傷つけずにその説明をするには、どうすれば良いのか。清水と大和さんの困惑は、それだったのである。
 ただ僕は、二人とは異なる感想を抱いた。その理由はおそらく、剣道と新忍道の違いにあると思う。人と人が戦う剣道に対し、新忍道はAI制御の3Dモンスターと戦う。その経験が僕に、こんな閃きをもたらしたのだ。
 ―― 素人が木刀を武器に戦っても危険性の少ない3Dモンスターを、教育AIに造ってもらえばいいんじゃないかな?
 だがそこは、研究者の育成を任された教育AI。自分で考えず「安全なモンスターを作ってよ」と丸投げすることを、教育AIが許容するなどあり得ないのである。ならば僕は今、どう行動すべきなのか。幸い北里さんに「どんなモンスターと最初に戦うのかな?」と問われたのは僕だったので、十秒少々時間をもらって考えたのち、こう対応してみた。
「ごめん北里さん、適切なモンスターを思い付けなかった。モンスターの選別条件を明確にする手助けを、してくれないかな?」
 これは木刀を振るのが初めての北里さんにしか頼めない事なんだ、と偽らざる本心を告げると、北里さんはノリノリで協力を了承してくれた。すかさず清水と大和さんが北里さんを囃し立て、四つの机をくっ付けた即席テーブルは活気みなぎる場となる。そんな皆の様子に、三年生も楽しく過ごせそうだなあと胸中にこにこしつつ、問うた。
「ダンス素人の僕にはまったく想像できないんだけど、ダンス部は新入部員をどんなふうに育てているの?」
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