僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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二十一章

お早う、1

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 咲耶さんとエイミィに全日記を公開した去年のゴールデンウイーク初日以降、二人も日記を自由に読めるよう、僕はミーサに頼んでいた。よって美夜さんと咲夜さんとミーサは日記の話題をしばしば取り上げるようになったのに、なぜかエイミィだけは日記に一切触れなかった。それを案じる僕に咲耶さんがこっそり教えてくれたところによると、エイミィは僕の十三カ月分の日記を読んださい、フリーズと再起動を本当は幾度も繰り返していたと言う。僕はエイミィに抱いた感情を可能な限り日記に綴っていて、それらの一つ一つがエイミィにフリーズをもたらしたらしいのだ。その影響は後を引き、僕との会話に日記を取り上げようと試みるだけでフリーズしかけ、そのせいで触れることが一切できないというのが真相だったのである。そういえば十三カ月分の日記を読んでもらってから昇降口までの道中にエイミィは一度も現れなかったなあ、と胸に痛みを覚えつつ回想する僕に、「だから気長に待ってあげて」と咲耶さんは微笑んだ。もちろん僕はいつまでも待つことを約束し、然るにこちらからその話を振ることも控えていたのだけど、去年に続き今年の一月三日も振り袖姿でAI達が僕の部屋を訪れてくれたさい、エイミィが代表して尋ねたのだ。「魔想討伐の描写が日記にめっきり減りましたが、私達が日記を読んでいるせいで、書きたくても書けなくなったのですか?」 清水の舞台から飛び降りる覚悟でそう問い、僕の反応を注視していたエイミィが言うには、僕はポカンとしたのち驚愕するという、定番中の定番の反応をしたらしい。ただそこはさすがと言う他なく、定番であっても表情の微妙な差異から僕の心中を正確に知覚したエイミィは、魔想討伐の描写の減少に自分達が無関係だと知り、一人ニコニコしていたそうだ。そんなエイミィに美夜さんは感心し、美夜さんとエイミィほど僕の心中を知覚できなかった咲耶さんは困惑し、咲耶さんよりもう一段知覚できなかったミーサは涙ぐむという、定番驚愕など吹き飛ばす事態が、ふと気づくと目の前に展開していた。僕はあぐらから正座に切り替えエイミィの問いに答え、ミーサを誠心誠意慰めたけど、涙ぐむミーサを笑顔にするには、お年玉の四分の一を新たなケーキの購入に費やさねばならなかった。
 まあ去年は運動音痴改善法関連の収入がお年玉の数十倍あったから、痛手では全然なかったんだけどね。
 それはさて置き、四人の振り袖AI達が「お節ケーキ」なる豪華絢爛なケーキに驚喜したことによって生じた放置時間を利用して、去年の魔想討伐を僕は振り返ってみた。だが日記に改めて書き加えるような記憶は見つからず、ただ精霊猫と行う対魔邸訓練で爆渦軸閃を陽動に使う許可をもらったことを書き忘れていたのには、少し動揺した。文化祭の準備が最も忙しかった時期だったとはいえ、そんな重大事を漏らすというのは、馴れによる油断なのではないかと感じたのである。その翌日、宝くじのような確率で巡って来た祖父との休憩時間中に、魔想討伐が日常化し過ぎるのは油断に繋がるのではないかと尋ねた僕に、祖父はこんな話をしてくれた。
「新たな段階へ足を踏み入れるには、今いる場所を意識しなくなる必要がある。しかし眠留が危惧しているように、意識しないことが油断に化ける危険は大いにある。眠留、油断せず気を引き締めなさい。儂の勘では、今までとは異なるまったく新しい事態が、今年中に起こると思うぞ」
 儂の勘などという言葉を祖父から聞いたのは人生初だったことと、その直後に休憩が終わってしまったことにより、僕は如何なる返事をすることもできなかった。ただ、どうもそれが良い方へ転んでくれたらしく、
 ――油断せず新たな事態に備える覚悟
 を、あれから二カ月半以上が経った今も僕は保っていられた。そうは言っても相変わらず、魔想討伐が日記に登場することは無いんだけどね。
 前方に、狭山丘陵が見えてきた。頭に覆いかぶさって寝る末吉を起こさぬよう、僕は緩やかに進路変更して神社へ向かう。それは少なくとも二百回以上行ってきた進路変更で、僕は絶対的な自信を持っていたのだけど、
「にゃ?」
 今日はなぜか、末吉を目覚めさせてしまったようだ。僕は視線を上げ、末吉に語り掛けようとする。その直前、
「ッ!!」
 視線が十一時の方角に固定された。僕は急停止しそちらへ体ごと向け、強化翔化視力を用いる。翔人になったばかりの僕なら、いや半年前の僕なら、生まれたての悲想が前方1000メートルに浮いていると感じただけだっただろう。だが今の僕は、状況をもう少し詳細に探ることができた。悲想から地上に向かって、細長い意識の残滓が真っすぐ伸びているのを、はっきり見て取ったのである。その光景から推測するに、人が放った想いは細長い線に収束して上空へ昇って行くも、地上500メートル付近で上昇を止め一か所に留まり、そしてその直径が30センチを超えたら、魔想になるという仕組みなのだろう。この「上昇を止め一か所に留まる」という現象に、闇属性の独立意識生命体が係わっているかは定かでないが、生まれたての魔想が移動せず一か所に留まっている理由なら、真っすぐ伸びる残滓によって判明したと言える。その残滓もみるみる消滅していて、それに伴い魔想の意識も明瞭化しつつあるように感じた僕は、末吉に尋ねてみた。
「あの悲想が移動能力を獲得する前に、討伐する?」
「にゃにゃ~」
 僕の頭の上で頭を抱えて暫し逡巡したのち、末吉は答えた。
「初めての状況だから、油断大敵にゃ。特闇に挑むつもりで戦うにゃ」
「了解!」
 件の覚悟を胸に抱いた身としては、油断大敵という言葉に全面賛同するしかない。末吉の指示どおり、最終形態の闇油に挑むつもりで悲想へ翔けて行った。
 それが活きた。翔け始めて200メートルも進まぬ内に、悲想が地上への移動を突如開始したのである。僕は心の中で自分に悪態をついた。
『生まれたてなら尚更、親元へ逃げようとして当然じゃないか!』
 翔人は通常、魔想の元となった想いを放出した人を、魔想の親とは呼ばない。だが今回僕は二つの理由により、「親」をあえて使った。一つは、真っすぐ伸びる残滓を忠実になぞって降下している悲想の先には、元となる想いを放出した人がいるから。そしてもう一つは、
 ―― その人の心が魔想の影響を受けるかもしれない
 からだ。
 魔想が人の心に影響を及ぼすことは、一応ないとされている。物理的な肉体を持つ魔物になって初めて魔想は、人に害をなす存在となるのだ。しかし十四歳にすぎない僕でも「何事にも例外はある」という法則を知っており、そして今回は、その例外になる気がしきりとした。悲想の元となる悲しみが放たれてから僅かな時間しか経っていないため、その人は同じ悲しみを、今でも心に抱いている可能性が高い。その悲しみに満たされた心を、逃げ込むべき安全な場所として悲想が認識したなら、パニックになった悲想の影響を心が受けても、おかしくないのではないか? 悲想がその人に辿り着き、頭部をすっぽり覆ったとき、両者の意識が共鳴して通路を形成したとても、不思議ではないのではないか? そんな直感が、警鐘をガンガン鳴らしていたのである。
 幸い、生まれたての魔想が出せる速度は、秒速10メートルがせいぜい。今回の悲想もそれに漏れず、秒速10メートルで進む悲想が地上に到達するには、五十秒を要する。僕の百圧時の戦闘速度は以前よりちょっぴり増えた秒速700メートルなので、落ち着きさえすれば問題はほぼ無いだろう。とはいえ油断大敵だから、百圧を発動した僕は悲想が浮いていた場所に着くや進路を真下に変更し、悲想を後ろから追いかけた。この方法をわざわざ採用した理由は、「この方が確実に仕留められるから」の一言に尽きる。降下する悲想と斜めに交差するより、真後ろから追いかけた方が、中心核の両断は簡単だからね。
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