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二十一章
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そしてこの選択が、再び活きてくれた。実際に目の当たりにして初めて知ったのだけど、魔想は意識の残滓に沿って移動する場合、驚くべきことに速度を十倍にできるらしい。約10メートル前方を進む悲想は生まれたてとしてはあり得ない、秒速100メートルの速度を突如出したのである。斜めに交差する軌道を選んでいたとしてもこの程度の速度増なら容易く対応できたが、真後ろの方が確実なのは、やはり事実と言える。僕は自分の選択に感謝し落ち着いて猫丸を振りかぶり、二百圧の火花を発動して、猫丸を中心核へ振り下ろそうとした。その時、
「ッッッ!!!」
「にゃにゃにゃ!!!」
今度こそ真に想定外の事態が発生した。中心核の中心をなす場所から黒い光を鈍く放つ直径1ミリほどの何かが飛び出て、速度を更に十倍した、秒速1000メートルで降下し始めたのだ。「危険にゃ!」との末吉の制止を振り払い、僕は九百圧の火花を発動し、秒速2100メートルでその何かに追いつき、持てる限りの技術を総動員して猫丸を振り下ろした。その際の、
にゅら・・・
という両断時の手応えに、全身から冷や汗が滝の如く噴き出てくる。手応えの不気味さもさることながら、九百圧で放った渾身の稲穂斬りでなければあの「何か」を葬れなかったと、体に叩き込んだ翔刀術が訴えていたのだ。生命力枯渇の危険を伴う九百圧ではなく安全な四百圧でも、25メートル進めば「何か」に追いつけたから、追いつく事だけを念頭に置けば四百圧でも足りたと言える。だが、
―― 万物の逆位相
とでも呼ぶべきマイナスの振動により、活性の具現化である光を不活性の具現化である闇に変えていく、直径1ミリの黒核を一瞥するや、九百圧以外にないと本能が叫んだのである。平時ならその本能へ礼を述べねばならないが、今は有事。僕は消費した生命力を0.2秒で補充して、周囲の状況把握に努めた。あの黒核の気配はなく、葬ったと考えて良いように思うも、「周囲に魔想なし」の報告を末吉がしない内に戦闘態勢を解くなどもっての外。今こうして冷静に振り返ると、末吉はあの悲想の特殊性を、事前に察知していた節がある。戦闘するか否かの判断にめずらしく時間が掛かったし、特闇に挑む覚悟を持てという、まこと適切な指示も出してくれたからだ。絶大な信頼を寄せるパートナーが安全を確信するまで、僕は気を引き締めて戦闘態勢を維持していた。すると、
チリリ
肌に微かな刺激を感じた。それは、とても馴染み深い感覚だった。第六感が友人の視線を、肌の刺激に似せて感じさせてくれたような、湖校で無数に経験した感覚だったのである。それが油断を招いたのだろう、視線を感じた方角へ、僕は何気なく目を向けようとした。それを咎めるが如く、
ゾクッ
全身の神経が注意を促した。その方角は、あの特殊悲想が地上へ真っすぐ降ろしていた意識の残滓と、ピッタリ同じだったからだ。僕は急いで地上へ目を向け、焦点を合わせた。
息を呑んだ。
焦点を合わせた場所は、非常に良く知っている場所だった。それは北斗の家の、裏庭だったのである。僕はすぐさま強化翔化視力に切り替え、裏庭の一点を凝視した。いや、凝視してしまった。なぜなら目がバッチリ合うや、
オ~~イ
とばかりに、北斗が掲げた右手を僕に振り始めたからだ。
「ヒエエッッ!!」
思わず叫び、僕は腰砕けになった。すると北斗は、掲げた右手を継続して振りつつ左手で腹を押さえて笑いまくるという、器用なことを始めた。その親友の姿に自然と笑みが零れ、ひどく波立った心が急速に凪いでゆく。僕は左手の人差し指で自分の顔を指さしてから、両手の人差し指で、左右の目の上にそれぞれ丸を描いた。これはモンスターとの戦闘中に行う、新忍道のハンドサイン。左手を使うのは、疑問形であることを示唆していて、両手の人差し指で左右の目の上に丸を描くのは、「見える」を意味している。つまり今回のサインは、「僕が見えるの?」という問いかけを表現していたのだ。北斗はそれに、両手のOKサインで応えた。右手だけなら普通の肯定、両手なら強い肯定だから、さしずめ「バッチリ見える」だろうか。僕はわざとらしさ全開の大きな大きな溜息をつき、両手を上げて降参の意を伝える。そして末吉と「ごめんバレちゃった」「仕方ないにゃ、おいらも付き合うにゃ」とのやり取りをして、北斗のもとへあえてゆっくり降下して行った。バレたのが北斗とは言え僕には心の準備が必要だったし、それは末吉も、そして北斗も同じだって思えたからね。
その道中、去年の春休みの合宿中に聞いた「サークルの射撃訓練のお陰か、目がかなり良くなった」を、僕は今更ながら思い出した。あの時点でかなり良くなったことを北斗は自覚しており、そしてあれから丁度一年経つのだから、小学生時の北斗の視力2.0を、今は大幅に上回っていると考えるべきなのだろう。こんなことならクラスが違っても四月上旬の身体測定と体力測定についてもっと話し合っておくべきだった、北斗の目は特別いいって知っていればバレるヘマを避けられたかもしれないのになあ、と悔やむ心を、ある記憶がふとかすめて行った。それは、インハイ予選と本選で覚えた、違和感だった。埼玉予選で一回、長野の本選で二回の都合三回、僕は真田さん達の戦闘が始まる前に、翔化している。そして戦闘が終わり体に戻って来た際、
―― 誰かに見られたかな?
系の違和感を僕は覚えていた。ただそれは一瞬で消え去り、僕を驚きの眼差しで凝視している部員やチラ見する部員がいなかったばかりか、気配が変化している部員も、またその後態度が変わった部員もいなかったため、僕はその出来事自体をすっかり忘れてしまっていたのだ。
今なら解る。
体に戻って来た僕を、北斗は朧気に感じていたに違いない、と。
しかし北斗は、僕に悟られるより早くそれを封印した。おそらくその最大の理由は、僕が皆と一緒に先輩方の応援を続けていた事にあるのだろう。永遠の中二病こじらせ男の北斗のことだから、幽体離脱に関する知識を豊富に持っていると思われる。だがその中に、翔人として僕も長年調べてきたから分かるのだけど、「先輩方を一心に応援しながら幽体離脱を並行して行う」に類する事例はそう無いはず。圧倒的多数は睡眠中や手術中や気を失っている最中の受動的幽体離脱であり、対する能動的幽体離脱は瞑想中がせいぜいだから、北斗が自分の感覚に疑念を抱きそれを封印したのは順当だったと思う。まあ超絶頭脳を有する北斗のことだから封印より、保留の方が適切なんだろうけどね。という訳で、
―― 保留しただけ
の線で推測を先へ進めるとしよう。
埼玉予選の控室では保留するも、北斗は自分の感覚の正誤を二か月後の長野本選で確認すべく、様々な試みをすぐ始めたと思われる。何を試みたのかは分からないが、宙に浮く半透明の僕を自分だけが見た原因究明と、もっと見えるようになる方法の模索の二つは、間違いなく行っただろう。そして北斗はその二つに、確かな手応えを得たと考えて良いはず。その根拠は千家さんに教えてもらった「新忍道部員は紫外線視力を無意識に鍛えている」と、頂眼址にある。千家さんのような特殊視力は持たずとも超絶頭脳を有する北斗は、部員達とモンスターの戦闘シミュレーションから、千家さんと同種の結論に至っていても何ら不思議はない。また北斗は、僕と親友付き合いすることによって松果体と頭蓋骨に変化が生じた経験をしており、そして自分と同じ頂眼址を、僕と昴と美鈴も持っていることを知っている。加えて北斗は、僕の松果体が並外れて活発なことを、猛が医学的に証明したことも知っている。然るに北斗は、宙に浮く半透明の僕の正誤をインハイ本選で確認すべく、松果体の活性化を選んだとするのが最も無理がない。小学三年生の時に味わった、痛みを覚えるほど活性化した松果体を、再現しようと試みたのだ。翔人の知識と照らし合わせてもその方法は的を射ており、かつあの北斗がそれを二か月間本気で行ったなら、少なくとも予選の時よりは翔化中の僕を明瞭に知覚できたはず。長野の本選から約七カ月半が過ぎた今、翔化中の僕を現にこうしてバッチリ見ているのだから、この一連の推測が大きく外れている事はないように僕は感じた。
なんて推測をあれこれ巡らせている内、とうとう七ッ星家の裏庭に着いてしまった。着いてしまったなんて思うのは北斗に失礼だけど、本心だから仕方ない。照れくさいなら尚更なのである。けどまあ、人付き合いの全ての基本は挨拶にあることを思い出した僕は、頭を掻き掻き元気よくそれを実行してみた。
「やあ北斗、お早う!」と。
二十一章、了
「ッッッ!!!」
「にゃにゃにゃ!!!」
今度こそ真に想定外の事態が発生した。中心核の中心をなす場所から黒い光を鈍く放つ直径1ミリほどの何かが飛び出て、速度を更に十倍した、秒速1000メートルで降下し始めたのだ。「危険にゃ!」との末吉の制止を振り払い、僕は九百圧の火花を発動し、秒速2100メートルでその何かに追いつき、持てる限りの技術を総動員して猫丸を振り下ろした。その際の、
にゅら・・・
という両断時の手応えに、全身から冷や汗が滝の如く噴き出てくる。手応えの不気味さもさることながら、九百圧で放った渾身の稲穂斬りでなければあの「何か」を葬れなかったと、体に叩き込んだ翔刀術が訴えていたのだ。生命力枯渇の危険を伴う九百圧ではなく安全な四百圧でも、25メートル進めば「何か」に追いつけたから、追いつく事だけを念頭に置けば四百圧でも足りたと言える。だが、
―― 万物の逆位相
とでも呼ぶべきマイナスの振動により、活性の具現化である光を不活性の具現化である闇に変えていく、直径1ミリの黒核を一瞥するや、九百圧以外にないと本能が叫んだのである。平時ならその本能へ礼を述べねばならないが、今は有事。僕は消費した生命力を0.2秒で補充して、周囲の状況把握に努めた。あの黒核の気配はなく、葬ったと考えて良いように思うも、「周囲に魔想なし」の報告を末吉がしない内に戦闘態勢を解くなどもっての外。今こうして冷静に振り返ると、末吉はあの悲想の特殊性を、事前に察知していた節がある。戦闘するか否かの判断にめずらしく時間が掛かったし、特闇に挑む覚悟を持てという、まこと適切な指示も出してくれたからだ。絶大な信頼を寄せるパートナーが安全を確信するまで、僕は気を引き締めて戦闘態勢を維持していた。すると、
チリリ
肌に微かな刺激を感じた。それは、とても馴染み深い感覚だった。第六感が友人の視線を、肌の刺激に似せて感じさせてくれたような、湖校で無数に経験した感覚だったのである。それが油断を招いたのだろう、視線を感じた方角へ、僕は何気なく目を向けようとした。それを咎めるが如く、
ゾクッ
全身の神経が注意を促した。その方角は、あの特殊悲想が地上へ真っすぐ降ろしていた意識の残滓と、ピッタリ同じだったからだ。僕は急いで地上へ目を向け、焦点を合わせた。
息を呑んだ。
焦点を合わせた場所は、非常に良く知っている場所だった。それは北斗の家の、裏庭だったのである。僕はすぐさま強化翔化視力に切り替え、裏庭の一点を凝視した。いや、凝視してしまった。なぜなら目がバッチリ合うや、
オ~~イ
とばかりに、北斗が掲げた右手を僕に振り始めたからだ。
「ヒエエッッ!!」
思わず叫び、僕は腰砕けになった。すると北斗は、掲げた右手を継続して振りつつ左手で腹を押さえて笑いまくるという、器用なことを始めた。その親友の姿に自然と笑みが零れ、ひどく波立った心が急速に凪いでゆく。僕は左手の人差し指で自分の顔を指さしてから、両手の人差し指で、左右の目の上にそれぞれ丸を描いた。これはモンスターとの戦闘中に行う、新忍道のハンドサイン。左手を使うのは、疑問形であることを示唆していて、両手の人差し指で左右の目の上に丸を描くのは、「見える」を意味している。つまり今回のサインは、「僕が見えるの?」という問いかけを表現していたのだ。北斗はそれに、両手のOKサインで応えた。右手だけなら普通の肯定、両手なら強い肯定だから、さしずめ「バッチリ見える」だろうか。僕はわざとらしさ全開の大きな大きな溜息をつき、両手を上げて降参の意を伝える。そして末吉と「ごめんバレちゃった」「仕方ないにゃ、おいらも付き合うにゃ」とのやり取りをして、北斗のもとへあえてゆっくり降下して行った。バレたのが北斗とは言え僕には心の準備が必要だったし、それは末吉も、そして北斗も同じだって思えたからね。
その道中、去年の春休みの合宿中に聞いた「サークルの射撃訓練のお陰か、目がかなり良くなった」を、僕は今更ながら思い出した。あの時点でかなり良くなったことを北斗は自覚しており、そしてあれから丁度一年経つのだから、小学生時の北斗の視力2.0を、今は大幅に上回っていると考えるべきなのだろう。こんなことならクラスが違っても四月上旬の身体測定と体力測定についてもっと話し合っておくべきだった、北斗の目は特別いいって知っていればバレるヘマを避けられたかもしれないのになあ、と悔やむ心を、ある記憶がふとかすめて行った。それは、インハイ予選と本選で覚えた、違和感だった。埼玉予選で一回、長野の本選で二回の都合三回、僕は真田さん達の戦闘が始まる前に、翔化している。そして戦闘が終わり体に戻って来た際、
―― 誰かに見られたかな?
系の違和感を僕は覚えていた。ただそれは一瞬で消え去り、僕を驚きの眼差しで凝視している部員やチラ見する部員がいなかったばかりか、気配が変化している部員も、またその後態度が変わった部員もいなかったため、僕はその出来事自体をすっかり忘れてしまっていたのだ。
今なら解る。
体に戻って来た僕を、北斗は朧気に感じていたに違いない、と。
しかし北斗は、僕に悟られるより早くそれを封印した。おそらくその最大の理由は、僕が皆と一緒に先輩方の応援を続けていた事にあるのだろう。永遠の中二病こじらせ男の北斗のことだから、幽体離脱に関する知識を豊富に持っていると思われる。だがその中に、翔人として僕も長年調べてきたから分かるのだけど、「先輩方を一心に応援しながら幽体離脱を並行して行う」に類する事例はそう無いはず。圧倒的多数は睡眠中や手術中や気を失っている最中の受動的幽体離脱であり、対する能動的幽体離脱は瞑想中がせいぜいだから、北斗が自分の感覚に疑念を抱きそれを封印したのは順当だったと思う。まあ超絶頭脳を有する北斗のことだから封印より、保留の方が適切なんだろうけどね。という訳で、
―― 保留しただけ
の線で推測を先へ進めるとしよう。
埼玉予選の控室では保留するも、北斗は自分の感覚の正誤を二か月後の長野本選で確認すべく、様々な試みをすぐ始めたと思われる。何を試みたのかは分からないが、宙に浮く半透明の僕を自分だけが見た原因究明と、もっと見えるようになる方法の模索の二つは、間違いなく行っただろう。そして北斗はその二つに、確かな手応えを得たと考えて良いはず。その根拠は千家さんに教えてもらった「新忍道部員は紫外線視力を無意識に鍛えている」と、頂眼址にある。千家さんのような特殊視力は持たずとも超絶頭脳を有する北斗は、部員達とモンスターの戦闘シミュレーションから、千家さんと同種の結論に至っていても何ら不思議はない。また北斗は、僕と親友付き合いすることによって松果体と頭蓋骨に変化が生じた経験をしており、そして自分と同じ頂眼址を、僕と昴と美鈴も持っていることを知っている。加えて北斗は、僕の松果体が並外れて活発なことを、猛が医学的に証明したことも知っている。然るに北斗は、宙に浮く半透明の僕の正誤をインハイ本選で確認すべく、松果体の活性化を選んだとするのが最も無理がない。小学三年生の時に味わった、痛みを覚えるほど活性化した松果体を、再現しようと試みたのだ。翔人の知識と照らし合わせてもその方法は的を射ており、かつあの北斗がそれを二か月間本気で行ったなら、少なくとも予選の時よりは翔化中の僕を明瞭に知覚できたはず。長野の本選から約七カ月半が過ぎた今、翔化中の僕を現にこうしてバッチリ見ているのだから、この一連の推測が大きく外れている事はないように僕は感じた。
なんて推測をあれこれ巡らせている内、とうとう七ッ星家の裏庭に着いてしまった。着いてしまったなんて思うのは北斗に失礼だけど、本心だから仕方ない。照れくさいなら尚更なのである。けどまあ、人付き合いの全ての基本は挨拶にあることを思い出した僕は、頭を掻き掻き元気よくそれを実行してみた。
「やあ北斗、お早う!」と。
二十一章、了
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