僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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十六章

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 千家さんはその後しばらく、頬を朱に染めて怒っていた。正直言うとその姿に、年上美女の可愛らしさを強く感じて僕はギャップ萌えしたのだけど、それを明かすとただでさえ少ない時間が更に少なくなってしまう。何より千家さんの可愛らしさを本人に初めて伝えるのは荒海さんであるべきなのに、それが成されたか否かを知らなかったので、エア土下座を駆使し許してもらってから、脳の映像を出した理由を僕は説明した。
「千家さんはカチューシャを着色するとき、美術部員として役に立てるかもしれないって言いましたよね。でも本当はそれどころではなかった事を、ミッドナイトブルーの標本を見て確信しました。千家さんは新開発した塗装技術を、あのカチューシャに用いてくれたんですよね」
 自分で言うのもなんだが、僕は目がすこぶる良い。その目を介して見る標本右端のミッドナイトブルーは、内部から光を放つ宝石を僕に想起させる。しかもその宝石は、上野の博物館で一度だけ見たことのあるカラーダイヤなのだ。僕は塗装のド素人だけど、これが革命的技術なことくらいは理解できるつもりだ。それを明かさず「役に立てるかもしれない」とぼかしたのが如何にも千家さんで、しかもそこに『湖校実技棟ソファーにおける熟睡方法』という茶目っ気が加わったものだから、
 ――心底信頼する友人
 に見てもらう気安さで僕は脳の映像を出したのである。
 という説明に、千家さんはとても喜んだらしい。ホントは「らしい」ではなく確信していたのだけど、喜んでいるのに神妙な顔を懸命に作っている年上美女が可愛くてならず、しかしそう感じているのを当人に悟らせてはならないという複雑な理由により、ぼかした表現をあえて選んだのだ。
 と、僕が心の中で考えていたのを逆手に取られたのかもしれない。
「み、見てもいいのかしら」
 などと千家さんが上目遣いに訊いてきたため、僕は冗談抜きで萌え死にしそうになってしまった。それどころか、
「もちろんです。特殊視力を持つ色彩の専門家の意見を、ぜひ聴かせてください」
 そうお願いしたところ、
「そこまで言うなら仕方ないわね、見てあげるわ」
 てな具合に、千家さんはツンデレお姉さんになってしまったのである。この人は僕の息の根を本気で止めようとしているのだろうか、と戦慄する一幕があったのだがそれはさて置き、千家さんは研究者の眼差しを脳の映像へ向けつつ述べた。
「脳は、中心に近づくにつれ温度が上昇して行く。一般的に松果体はさほど温度が高くないけど、猫将軍君の松果体は例外中の例外であることがこの映像から見て取れる。猫将軍君の特殊視力には、松果体が大きく作用している印象を受けるわ」
 無意識にしてしまったガッツポーズを急いで改め、姿勢を正して応えた。
「はい、千家さんの印象どおりです。僕は紫外線や赤外線を網膜細胞ではなく、松果体で見ているんです」
「猫将軍君は、四色型色覚じゃないの?」
「300nmを知覚できる錐体網膜細胞を持っていますが、僕はそれより波長の短い紫外線も見分けられます。赤外線を感知するピット器官ももちろん無いですから、松果体頼みの視力ですね」
 四色型色覚とは、赤と青と緑の三色を知覚する三種類の網膜細胞に加え、紫外線を知覚できる四番目の網膜細胞を有する色覚を指す。ただこの四番目で捉えられるのは300nmが上限であり、僕はもっと波長の短い紫外線も区別できるから、それだけに頼っているのではないと考えるのが妥当だろう。
 ピット器官とは赤外線を知覚する、眼球から離れた場所にある器官のこと。蛇などがそれを持っており、体の先端に配置されていることが多く、恒温動物の夜間捕獲に使われている。もちろんそれもこの体には無いから、僕は別の器官で赤外線を見ているのだ。
 その器官を調査したのが、3D蠅と本物の蠅を網で捕まえる実験だった。その実験により特殊視力使用時に最も活性化し、かつ温度上昇が最も顕著な脳の部位は、松果体と判明した。これは僕の感覚と合致し、またそれは翔化中も同じなため、それで間違いないだろうと僕は考えていた。
 その考えと、千家さんと意見が一致したのだから嬉しくないワケがない。それは千家さんも同じらしく、しかも研究者と私人の両方で喜んでいるのが見て取れたので、僕はキーボードに十指を走らせ、蠅実験のデータを千家さんに送信しようとした。のだけど、
「猫将軍君、ちょっと待って!」
 エンターキーを押す直前に行動を止められ、僕は「待て」を指示された豆柴と化してしまった。まあでもそんな僕に千家さんはプッと吹き出し、ツンデレ美女から優しいお姉さんに戻ってくれたから、結果オーライなんだろうな。
「まったくこの子にはホントまいるなあ。あのね猫将軍君、この実験データには千金の価値があるの。言い換えると、量子AIが管理している社会でなければ、猫将軍君は悪の組織に拉致されてモルモットになってしまうかもしれないの。そんなデータを、私なんかにポンポンくれちゃダメよ」
 失敗した並行世界ならいざ知らずここは成功した世界ですから大丈夫ですよ、という反論理由を最初に思い浮かべなかった自分を胸中褒めたのち、僕は反論した。
「千家さん、『私なんか』なんて言わないでください。千家さんを見下げる人は、千家さん本人だろうと、僕は許しませんからね」
 そう告げるや、眼前に予想外の事態が発生した。包み隠さず白状すると、僕の反論に千家さんは喜ぶと予想していたのに、今僕の目の前にいるのは、眉間に皺をよせてこめかみを親指でグリグリ揉む千家さんだったのである。かつて僕も同じ仕草をした事があり、北斗がそれをしていた場面も脳裏に浮かんだが、それらと眼前の光景に共通点を見つけられず、僕は再び豆柴化した。その、失敗をしでかししょげ返る豆柴へ、千家さんは貴子さんに似た声音で問うた。
「そんなセリフを女の人にポンポン言っちゃいけませんって、猫将軍君を叱ってくれる人は周囲にいる?」
 耳と尻尾をシュバッと立て、答えた。
「はい、います! 貴子さんと美夜さんと美鈴の、三人います!!」
「美夜さんにはお会いしたこと無いけど、きっと素晴らしい方なのでしょう。いいこと猫将軍君、その三人の言いつけを、しっかり守るのよ」
「任せて下さい、守ります!」
 千家さんと貴子さんは新忍道埼玉予選の翌日のカレーパーティーで同じテーブルを囲んでおり、貴子さんから千家さんに話しかけ、絵画の話題で盛り上がっていたのを記憶している。千家さんは美夜さんとも気が合いそうだし、十二単の教育AIを知っている気も何となくするから、みんなと楽しい時間を過ごすに違いない。その時はAI用のお茶とケーキを差し入れするぞ、などと僕はニコニコしながら考えていた。
 そんな僕に、諦念と愛情を融合させた馴染み深い笑みを浮かべて、
「降参したわ、あなたの誇れる私になりましょう」
 千家さんはそう呟き、脳の3D映像を注視した。僕はキーボードを操作し、自由閲覧の表示を見えやすい場所に出す。無言の首肯でそれに応え脳を矯めつ眇めつしたのち、千家さんは視床後部を拡大した映像を指さし、確たる声で言った。
「猫将軍君は、手綱の向きを変えられるのね」
 首をブンブン縦に振る僕へ、千家さんは続ける。
「文科省の古文書解読AIも匙を投げた千五百年前の古文書の、視力について書かれた個所を、これで解読できるかもしれない。猫将軍君の誇れる私に、私はなれたかな?」
 千家さんはそう言って首を傾げた。
 そのあまりの艶やかさに、ほぼカンストした美人耐性スキルでも手に負えない強者がいる事を、僕は思い知らされたのだった。
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