僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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十三章

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「「「ありがとうございます!!」」」
 フィールドにいる三人と控室にいる十二人の、新忍道部全員で公式AIへ頭を下げた。観客席からも、多数の感謝の言葉が上がっていた。特にそれが顕著だったのは、湖校と越谷研究学校の生徒達だった。研究学校生は己を適材に育て、適所を歩むことにより、社会貢献を成すからである。それらの生徒達へ、公式AIは「どういたしまして」と返した。
 そしてついに、この言葉が放たれる。
「では、評価を告げます」
 競技場に、二度目の静寂が降りた。
 のちに知ったのだが、新忍道公式AIとお隣の陸上連盟公式AIは連絡を取り合い、補助競技場の歓声に陸上選手が驚かぬよう配慮していたと言う。その中で一度だけ、相殺音壁では消しきれないと予想されたため陸上競技の号砲を十秒ずらすしかなかった場面が、あったのだそうだ。
 そのたった一度は、これだった。
「湖校チームの評価、S。これは高校生における最高評価であると共に、高校生が公式戦で出した世界初の評価でもあります。湖校の皆さん、おめでとうございます!」
 丁度そのころ、スタートの号砲を待っていた陸上選手達は、口を揃えてこう漏らしたと言う。
「号砲を十秒遅らせるアナウンスを聞いたときは訝しく思ったが、この歓声じゃ仕方ないな」と。

 それから十五分ほど経った、お昼休み。
 場所は、選手控室。
 ぐわしぐわし。
 という珍しい擬音語を、真田さんと荒海さんと黛さんの食事っぷりへ、僕はこっそり充てていた。
 体育会系部活に所属している十代男子の食事描写に充てられるのはガツガツが定番で、モリモリやムシャムシャがそれに続くのだろう。もちろん部室で車座になりお弁当を食べるときは、真田さん達も皆と同じくガツガツモリモリ食事するのだけど、今日この場に限っては、そのどれにも当てはまらない気がしきりとした。よって心を無にし、三人の食べっぷりを観察したところ、「ぐわしぐわし」というあまり見かけない擬音語が心に浮かんだのである。僕のつたない表現力で説明するなら、こんな感じになるだろうか。
『本当はガツガツ食べたいが、超絶美味な惣菜おかずを作ってくれた美鈴に配慮し食事速度を落とした結果、荒々しさが弱まり、カタカナから平仮名になった。また咀嚼時間も延びたため、二文字が三文字に増えて、ぐわしぐわしになった』
 まあでもそんな事より、真田さんと荒海さんと黛さんがお昼御飯を食べられるのは美鈴のお陰なのだということの方が、比較にならないほど重要なのである。なぜなら控室に戻ってきた真田さん達は「食欲がない」と、口を揃えて言っていたからだった。

 さかのぼること、十五分前。 
 高校生の公式戦で世界初のS評価を出した真田さん達は、宙を飛ぶかの如き足取りで控室に帰ってきた。その足取りばかりに目が行き、僕らは忘れてしまっていた。
 元気一杯に見えるのは表面に過ぎず、上狒々とギリギリの戦いをした真田さんと荒海さんと黛さんは、体力と精神力の双方を消耗し切っていることを。
 そしてそのような状況では往々にして、食欲が湧いてこないことを。
 これが通常の部活なら、お弁当を無理に食べる必要はない。食欲が自然と湧いて来た時に食べれば、それで良いのである。だが今日は大会であり、控室を使える今のうちに食事しておかないと、他校の試合を観戦しながらお弁当をガッツク事態になりかねない。世界初のS評価を出した湖校の三戦士に無数の憧憬が集まるのは想像に難くなく、そしてその三戦士が観戦そっちのけでお弁当をむさぼる様子は憧憬を失望に変えることも、同じく想像に難くなかったのだ。よっていち早く「お弁当を食べましょう」と提案すべきだったのだけど、過度の疲労で食欲のない真田さん達へ、僕らはその言葉をどうしても掛けられずにいた。だからもしその時、
「みなさ~ん、お昼御飯ですよ~」
 三枝木さんの、年頃娘だけが発しうる明るく華やかな声が皆の耳に届かなかったら、気まずい空気が場に降りていたと思う。十五人分のお弁当と飲み物をカートに乗せるのではなく、肩から下げて控室に戻ってきた三枝木さんと、その姿を見るや一目散に駆けてゆきバッグを受け取った加藤さんのファインプレーに助けられ、僕らは降りかけた空気を払拭することができた。しかもその上、
「おじゃまします」
 三枝木さんに続いて美鈴も現れたものだから、年頃男子達は一気にテンションマックス状態になった。だがそれでもその数分後、
「真田さん、荒海さん、黛さん、やはり食欲はわきませんか」
 竹中さんが代表し、そう訊かねばならなかった。にっこり笑顔の三枝木さんに両手でお弁当を差し出されただけで、もともと美味しい湖校のお弁当が更に美味しく感じられて食欲魔人化するのがこの部の常なのに、真田さん達はそうならなかったのである。
 しかし、ならどうすれば良いかが僕らには判らなかった。食欲がないなら無理して食べず体を横たえる方法もあり、この控室は十二時五十五分まで使えるからそうする事もできたのだけど、それを選ぶと「ではお弁当はいつどこで食べるのか」という問題が発生する。憧憬を失望に変えないために観客席以外の食事を選択した場合、真田さん達だけを送り出す訳にはいかないので、湖校新忍道は観客席からごっそり消えることになる。学校は違えど同じ道を歩む仲間達の応援が、できなくなってしまうのだ。真田さん達もそれを重々承知していたためお弁当の蓋を開け、一口二口頬張ってみるも、やはり食欲は湧かなかったらしい。とはいえ何らかの決断を早急に下さねばならず、かくなる次第で竹中さんが代表して尋ねたのである。やはり食欲はわきませんか、と。
 三人はそれに苦笑いで応えた。その様子に、後輩達の目の色が変わる。一人一人が脳をフル稼働させ、最善の方法を探そうとしたのだ。
 が、それは新忍道部の後輩十二人に限っての事だった。
 ここには、湖校の後輩であっても新忍道部の後輩ではない生徒が、一人いたのである。
 それは美鈴だった。
 美鈴は迷いのない足取りで三人のもとへ歩いてゆき、かいがいしく膝立ちになり、三つの容器を並べながら言った。
「真田さん、荒海さん、黛さん、唐揚げとお漬物とおむすびを持ってきたので、よかったら食べてくださいね」 
 その途端、三人の眉がピクリと跳ねた。正確には、三人の眉が動いたのは、唐揚げという語彙が紡がれた直後だった。運動をしている十代後半の男子にとって「唐揚げ」という言葉は、超常の力を持つと言っても過言ではない、魔法の如き言葉なのである。
 その機を逃さず美鈴は唐揚げの容器を手に取り、菜箸を丁寧に使って、三人のお弁当に唐揚げを添えてゆく。美鈴が笑顔とともによそった唐揚げを食べぬ年頃男子など、この世にいはしない。比喩でもなんでもなく、三人は小刻みに震える箸を必死に制御し、美鈴お手製の唐揚げを口に含んだ。
 僕は、いや僕ら十二人は、そのとき初めて知った。
 人の表情は食欲によって、これほど劇的に変わると言うことを。
 三人は人が変わったようにお弁当をガッツキ始めた。
 ややあって自分達の無我夢中さに気づき、そんな自分達を皆がにこにこ眺めているのを目にし、ひとしきり照れ笑いをしたのち、真田さんの提案により改めて声を揃えることになった。
「「「いただきます!!」」」
 それからはいつもと同じ、美味しいやら楽しいやらの時間がやって来た。
 そして僕は、真田さん達の食事風景へ胸中秘かに、ぐわしぐわしという珍しい擬音語を充てたのだった。
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