僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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六章

許容量スレスレ

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 僕は昇降口で、大勢の同級生から意味深な視線を投げかけられた。同級生たちは級友との再会を喜ぶ合間に、僕の様子をチラチラ窺っていた。けど僕は、それを気にしない演技ができた。それは覚悟していた事だったし、また何より、北斗を始めとする友人達が胸の中で僕を支えてくれたからである。僕は下駄箱で靴を履き替えつつ、これなら想像より楽に過ごせるかもな、と考えていた。
 だが下駄箱を離れるなり、それは楽観だったと思い知らされた。同級生たちは視線だけでなく、ひそひそ話も加えるようになっていた。僕は心の中で自分の軽率さを叱った。再会を喜び合ったあとは情報交換に励むのが世の常なのに、そんな当然なことを見落とすなんて油断しすぎだぞと、叱ったのである。
 そう、その時はまだ余裕があった。自分を叱るなんて余裕を、僕はまだ持てていた。けどそんな余裕は、歩を進めるごとに消し飛んで行った。いつも利用している西階段に近づくにつれヒソヒソ話をする生徒は増えていき、階段に着くころには誰もそれを隠そうとしなくなっていた。あからさまに交わされるヒソヒソ話は次第に音量を上げ、二階に着くころにはざわめきと化し、廊下にいた生徒達を階段へ次々呼び寄せていた。ヒソヒソ話からざわめきへの移行を知らないその生徒達は、初めから通常音量で僕について噂しあっていた。その騒ぎに負けまいと「あの人が来たよ!」と大声を出す生徒がとうとう現れたところで、僕はやっと十組の敷居をまたいだ。下駄箱から一分もかからない自分のクラスを、なんて遠い場所にあるのだろうと僕は初めて思った。
 教室に入ってからも、廊下に集まり噂話をする人達の視線を背中に感じていた。でも僕は、それを気にしない振りをすることができた。クラスの皆はそんなこと一切しなかったし、最も親しい友人達が僕を取り囲んでいたからである。僕は胸の中で、クラスメイトと仲間達に手を合わせていた。
 しかし程なく、それは間違いだと知った。それを教えてくれたのは、猛と真山だった。「昨夜話したことを覚えているか」と問う二人に、「クラスメイトと他のクラスの生徒に同じことを求めてはならない」と二人が何度も話してくれたのを、僕は思い出したのだ。僕は自分が、それを理解しているつもりという、最も駄目な状態に陥っていたことを知った。僕はクラスメイトを素晴らしい人達として、そして背中に感じる人達をそうでない人達として、無意識に選別していたのである。「同じことを求めちゃいけないって、今やっとわかったよ」 そう言って頭を掻く僕の背中を、二人は優しく叩いてくれた。
 それでも、やはりそんな素晴らしい人達のお蔭で、項垂れないという誓いを僕は守れていた。だがお昼休みに入ってすぐ、それは崩壊寸前に追い込まれた。今朝仲良くなった大和さんから、那須さんがずっと一人でいるとのメールを受け取ったのである。
 大和さんによると那須さんは、食堂ではなく教室でお弁当を食べる決意を、当初からしていたらしい。早急すぎるのではないかと大和さんは反対したが、那須さんの前向きな気持ちに水を差してはならないと考え、最後はそれに同意したと言う。でもその結果、那須さんはお昼休みになっても、朝からずっとそうだったように、お弁当を一人で食べていると大和さんは知らせてくれた。そのメール以降、僕は頬杖をつき、前へ傾きそうになる体を支えていた。途中までは上手く誤魔化せていたが、お弁当を一口も食べられなかったせいで、それは隠せなくなってしまった。だがそれでも、僕は幸せ者だった。輝夜さんが、那須さんを守ってくれたのである。輝夜さんは那須さんの様子を知るや、
「眠留くん、わたし見くびられるのが大嫌いなの」
 怒った顔を作り僕の頬を両手でつねった。そして昴と芹沢さんを促し、お弁当を手に三人の先頭に立って、後ろ出入り口から教室を去って行った。前の出入り口ではなく後ろの出入り口を使うことにより、東階段経由で三階へ行き那須さんのいる十四組に向かうことを、輝夜さんは教室の皆に示したのだ。その後ろ姿に、先陣を切るタイプでは決してない輝夜さんがここまで大胆になったのは、小学校卒業間近の自分に那須さんが重なったからではないかと僕はふと思った。僕はそれを無我夢中で心の底に押し込めた。そうでもしないと平静を保つことは絶対無理だと、僕はそれこそ全身全霊で知っていたのである。
 数分後、ハイ子を操作していた真山が「四人で楽しそうに食事しているそうだ」と、そっぽを向き淡々と言った。その十五分後、味のまったくしないお弁当を僕は食べ終えた。
 食後、トイレに行くため席を立つと、クラスにいた男子全員が立ち上がり一緒に着いてきてくれた。そいつらが僕を取り囲み大騒ぎしながらトイレと教室を往復してくれたお蔭で、僕は視線を感じることも噂話を耳にすることも無かった。なんというかもう、何も言うことができなかった。
 それから掃除時間まで、北斗と京馬が漫才を披露してくれた。京馬によると、昨夜北斗の家に泊まった際、二人でネタを考え練習したのだそうだ。文句なしに面白かったし、昨夜京馬が北斗のそばにいてくれた事を嬉しく思ったが、それでも僕は終始、笑う振りができているか心配でならなかった。
 掃除時間が始まり、輝夜さんと並んで二階の渡り廊下を箒掛けした。自分を周囲から切り離そうといつも以上に気合いをいれたからか、担当場所を掃き終わった最後の一瞬、僕は隣の輝夜さんに演技でない笑顔を向けることができた。輝夜さんもその日初めて、演技でない笑顔を僕に返してくれた。
 五限目が終了し、帰りのHRが終わった。北斗と京馬はサークルへ、猛と真山と芹沢さんは部活へそれぞれ去って行った。そしてそれは、昴も同じだった。昴は今日で休部を解き、薙刀部へ復帰することになっていたのである。
「この前話したのが本音だけど、お師匠様に命じられたら諦めるしかないわ」
 昴は苦笑して、舌先をちょこんと出した。言葉とは裏腹の嬉しさをそこに感じた僕は、昴を笑顔で送り出した。輝夜さんと昴は、最前列中央右側の僕の席から教室の出入り口までのたった数メートルの距離を、何度も何度も振り返り一分以上の時間をかけて歩いた。そして最後に大きく手を振り、二人は教室から去って行った。
 昴は先日、「翔薙刀術が面白すぎるから部活はきっぱり辞めるつもり」と僕に話した。僕はそれに反対したが、昴は聞く耳持たずの状態だった。とはいうものの、それを心配する気持ちなど全然なかった。九月から薙刀部に復帰するよう水晶が命じるはずだと、僕は確信していたのである。
 まあでもそんなことは、星辰の巫女たる昴こそ承知していたのだろう。水晶が部への復帰を命じるなり、仰せに従いますと昴はすんなり腰を折った。そのしおらしさに、僕と輝夜さんは揃って相好を崩したのだった。
 その時のことを思い出した僕は、教室で今日初めて自然に笑うことができた。それを弾みに立ち上がり、お泊りセットで膨れたバッグを肩にかけた。すると、
「「猫将軍、たまには一緒に帰ろうぜ!」」
 二人の男子から声がかかった。そいつらに僕を加えた三人は、部やサークルに正式加入しておらず寮生でも無い、たった三人の十組男子だった。えへへと、またもや演技でなく頭を掻いていると、二人がヘッドロックとくすぐり攻撃をしかけてきた。僕は校舎に入ってから初めて声を出して笑った。すると、
「「私達も一緒にいいかな」」
 二人の女の子が声を掛けてくれた。男子三人で「どうぞどうぞ」と大喜びし、僕ら五人は一緒に校門を目指した。
 二人の女の子とは今日初めてまともに言葉を交わしたが、夏休み明け初日だったこともあり話題は尽きなかった。嬉しいことにみんな電車通学だったので、校門を出てから神社の大石段まで全員でにぎやかに歩いた。「ここが僕の神社なんだ、いつでも気軽に立ち寄ってね」 別れ際にそう呼びかけると、みんなバツ悪げな顔をして「何となく畏れ多くて来られなかった」などと返してきた。想定外すぎる事態に目を丸くした僕の耳に、
「「にゃ~~」」
 小吉と末吉の鳴き声が届く。僕の脚にじゃれつく二匹の猫に皆パッと顔を輝かせ、女の子たちは身を屈めて小吉たちを撫で始めた。小吉と末吉は気持ちよさそうに喉を鳴らし、彼女達にじゃれついていた。機を見計らい、
「こんな感じの可愛い猫達がいる普通の神社だから、いつでも気軽に立ち寄ってね」
 僕はさっきのセリフに猫の要素を付け加えてもう一度言ってみた。そのとたん、
「「来る来る!」」「「絶対来るよ!」」
 みんなこぞって来訪を約束してくれた。「せっかくだから四人一緒にこない?」「いいねそれ!」なんてワイワイやりながら、四人は何度も振り返り、駅の方角へ去って行った。 
 
 小吉と末吉をたっぷり撫で、石段を登る。
 社務所の祖父母にただいまと声を掛け、母屋の玄関をくぐる。
 そして、上り框で僕を迎えてくれた美鈴の顔を見た瞬間、僕はその場に崩れ落ちた。
 すべて僕のせいだった。
 普通に出会っていれば仲良くなれたはずの人達に、意味深な視線や噂話をさせてしまったのは僕のせいだった。
 那須さんを巻き込んだのも僕のせいだった。
 クラスメイトに気を使わせたのも僕のせいだった。今日起こったことは全部、僕が原因だったのだ。
 この世で一番好きな輝夜さんの前では完全無欠な自分を演じ、そしてそんな自分を、この世で一番愛している昴に許してもらおうとする。そんな僕のせいで、本当は素晴らしい人達を嫌な人達にし、もともと素晴らしい人達にいらぬ負担をかけてしまった。そうすべては、卑怯過ぎる僕に原因があったのだ。
 それなのに、美鈴は何も言わず僕を抱きしめ、優しく背中を叩いてくれた。そんな資格のない卑怯な僕を、美鈴は労わってくれた。だから僕は美鈴に、墓場まで持っていこうと思っていた話を打ち明けようとした。一昨日この玄関で約束した話をしようとした。
 でも僕はどうしても、嗚咽以外の音を喉から出すことができなかった。
 だから美鈴はいつまでも、僕の背中をトントンと、優しく叩いてくれたのだった。

          六章、了
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