僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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七章

眠らせ留めた者、1

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 宇宙の彼方から藍色の光を灯されたかのような東の空。
 藍色の光を辿たどり大気の外まで見通せそうな、東の空。
 その空を目指し駆けつつ、末吉が報告した。
「本日最後の魔想は、圧想並闇。眠留、どうするかにゃ」
 この魔想を区切りとする覚悟を、僕はした。
「最後の魔想は圧想並闇。末吉、これを三か月の区切りにするよ」
「了解したにゃ」
 末吉は減速し、僕の後方20メートルへ移動する。
 僕は本日最後の魔想へ全速で翔る。
 そしてすれ違いざま、猫丸を稲穂切りで鉛直方向へ振り下ろした。
 バキッ
 骨の中心部分を砕かれた圧想が拡散し、消えてゆく。
 生命力を補充し終えた末吉が、宣言した。
「本日の魔想はすべて終了!」
「終了、諾!」
 パンッ
 僕と末吉は手を打ち鳴らせる。
 その芯のある音に、ここ三か月ご無沙汰していた力強さを、僕は感じたのだった。

 十一月三十日、午前四時。
 僕らは埼玉県三郷市の、東の端スレスレにいた。
 爪先の300メートル下を、漆黒の江戸川が北から南へ流れている。あとほんの数メートル進み川の半ばを越えると、そこは千葉県。紫柳子さんが守っている、狼嵐家の管轄地だ。
 狼嵐家は栃木県、茨城県、そして千葉県を魔想から守ってきた。ただ千葉県だけは全域でなく、かつて安房国と呼ばれていた千葉県南部は、三浦半島に拠点を置く鳳家の管轄地となっていた。関東を隈なく守れるよう巨大な正三角形を描き三翔家を配置した徳川家康に、僕らは今も従っているのだ。その最大の理由は、縄張り意識からくる三翔家の不和を避けるためだった。仮に、
「廃藩置県で安房国がなくなり狼嵐本家のある千葉県になったのだから、鳳家は出ていけ」
 なんてことを狼嵐家が言い出したら、一体どうなるだろうか。それまでどんなに仲良くして来たとしても、両家の間に不和が生じてしまうだろう。心の現れである翔体をまとい命がけの戦いをしている僕ら翔人にとって、それは絶対避けねばならぬ事。よって僕らは隣り合う翔家といがみ合うのではなく、助け合う間柄であるよう、ずっと心掛けてきたのだ。
 この精神は三翔家以外にも適用されていた。伊豆国が、その好例だろう。伊豆国つまり伊豆半島は、江戸時代まで鳳家が管轄していた。しかし廃藩置県で伊豆半島が東海地方に編入されると、鳳家はかの地を、東海を守る人達にあっさり引き渡した。縄張りの維持などという些事に、僕らは執着しないのである。
 廃藩置県から数年を経て、古来の国境より新しい県境を人々が受け入れるようになると、三翔家も境界を調整していった。調整は、新二翔家との間でも行われた。新二翔家が管轄していた三郷市周辺を、埼玉県として猫将軍家が管轄するようになったのはその頃の事。このように僕らは管轄地の違いに、こだわりを持っていないのである。
 よって今討伐した魔想が江戸川を越え千葉県に入ったとしても、僕は躊躇なく境界を越えて魔想を葬った。行政区分が見えない壁となり魔想を見逃すなんてことには、決してならないのだ。
 とはいえ、境界を完全に無視するなんてことも僕らはしない。こだわらないことと敬意を払わないことは、まるっきり別だからね。然るに、
 ザッ
 討伐を境界スレスレで終えた僕らは宙に静止し居住まいを正し、東へ向かって一礼した。
 狼嵐家への挨拶をきちんと済ませてから、僕と末吉は帰路に着いたのだった。

 東西に延びる首都外環道を、右下に認めつつ翔けてゆく。約二時間半後に日の出を迎える東の空はまだしも、神社のある西の空は、未だ夜中と変わらぬ闇に覆われている。強化翔化視力を使えば目印の人造湖を捉えるのは容易いが、最近はもっぱら、幹線道や鉄道などを基準に神社へ帰投していた。太陽の光を当てにできるのは夏だけだから、高速道路などの人工物を目安に現在位置と方位を割り出すのは、翔人の必須技術に指定されている。だがその技術を磨いていると言ったら、それは嘘になる。僕はここのところずっと下ばかり向いていたので、人工物を目安にしていただけだからだ。学校では俯かずとも、学校以外では俯きがちな日々を、僕は送っていたのである。
 けどそんな僕を、家族は責めなかった。現に今も、末吉は僕を責めていない。以前より若干前のめりになっているだろうに、末吉は今日も変わらず僕の頭に乗っかってくれている。祖父母も妹も、翔猫も精霊猫も、そしてHAIもミーサも、俯きがちな日々を送る僕を一度も咎めなかった。僕は目線を上げ夜空を見つめた。
 そして、三か月前のことへ思いを馳せた。

 
 三か月前の九月一日。
 時刻は、午後八時。
 明日の準備を終えベッドに腰かけた僕を、水晶が訪ねて来た。それは予想していた事だったから布団にもぐり込まずベッドに腰かけたのだけど、トントンとドアをノックし「入って良いかの」と声を掛けられたのには驚いた。でもそれ以上に救われた僕はすぐさま立ち上がりドアを開けた。「手間をかけたの」と謝意を述べ、香箱座りのままふわふわ宙を漂い、水晶が部屋に入って来る。その姿に、物質をすり抜ける精霊体でどうやってドアをノックしたのかな、なんて考えていると、水晶がいるだけで心が少し軽くなったことに気づいた。僕は感謝を込め、床に正座しようとした。のだけど、
「寮に泊まった眠留が友人たちと交わした真心に、儂は憧れての。今夜は布団の中で二人並んで話したいのじゃが、どうかの」
 にこにこ顔でそう頼まれたものだから、思わず破顔してしまった。布団に入り壁際に詰め、水晶の場所を作る。精霊体から肉体へ替えた水晶が「おじゃまするぞよ」と言って、頭から布団にもぐり込んでくる。そしてモゾモゾと方向転換して、すぐそばに頭をポンと出した。
「ほうほう、これは良い物じゃ。儂が肉の身でいたころは、布団はまだ無かったのじゃよ」「ええっ、布団が無かったの!」 なんてワイワイやっているうち、心がいつもの柔らかさを取り戻していった。
 僕らはそれから様々なことを語り合った。最初は、昴についてだった。昴が翔人見習いになってすぐの頃、水晶と昴は師弟関係をまだ結んでいなかったが、それでも昴は水晶を訪ね、自分達のことをすべて打ち明けたらしい。苦悶に身をよじる昴へ、そなたの想うままにしなさいとだけ水晶は告げた。昴が最上級の敬意を水晶へ捧げるようになったのは、それ以降のことなのだと言う。
 本人が望んだ事ゆえ、僕が何も知らないままでいるのを昴は喜んだ。喜ぶ昴に輝夜さんと美鈴も喜んでいたから、娘達がそれを気に病んだことは無い。安心しなさいと水晶は言った。僕は偽りない笑みで、水晶に頷いた。
 学校では決して俯かないという誓いと、その誓いを守ったことを、水晶は褒めてくれた。それだけでなく、友人や級友達と絆を深めてきた事も、とても褒めてもらえた。
 那須さんについても水晶は話してくれた。
「言葉にせずとも分かり合える幼馴染に、那須夏菜は依存していたのじゃ。依存は、成長の最大の妨げとなる。今回の件でそれを身を以て学んだあの娘は、災い転じて福となるの学校生活を送るじゃろう。輝夜の勇気が実り午後からは大事なく過ごしていたゆえ、安心するのじゃぞ」 
 この話だけでも嬉しかったのに、「それにしてもさすが輝夜は我が愛弟子じゃの」と孫娘にデレデレのお爺ちゃんに水晶がなったものだから、僕は心の底から笑うことができた。
 翔刀術の基本中の基本を録画し友人達に渡す約束をした件に、お咎めはなかった。正確には、
「羞恥の嵐を跳ね除け、友人のため凛として基本中の基本を録画するのじゃから、それ以上の罰は必要ないの」
 と、人の悪い笑みを向けられるだけで済ませてもらえた。ごもっともでございますとヘイコラ頭を下げる僕に、水晶は豪快に笑って、初めて聞く話をした。
 水晶によると、翔刀術の基本中の基本を目にした人は、意外と大勢いるらしい。祖父や先代と試合をした剣道家たちがそうで、その人達から熱心に請われ、二人はそれを幾度か披露したと言う。しかし録画を渡したことは一度も無いため、それに関し水晶は二つ言及した。一つは、複製不可能にする事。そしてもう一つは、録画の存在を誰にも話さない事だ。
「HAIを介して録画すれば、複製不可能は太鼓判を押せる。誰にも話さないことは、今すぐメールで伝えるね」
 そう水晶に告げ、すぐさま那須さんにメールを送った。録画を渡す約束をした四人は丁度チャットをしていたらしく、返信がすぐ返ってきた。そこには二つを必ず守るという誓いと、録画の件をまだ誰にも話していない旨が書かれていた。寮で楽しくやっていますという言葉の添えられた那須さんのメールを、僕は口頭で水晶に伝えた。水晶はご機嫌に頷くも陰のある表情をわざとらしく作り、「中吉の心配が儂にもうつったようじゃわい」と、大仰おおぎょうに息を吐いた。顔を赤面させる僕をあえて見ず、水晶は布団の心地よさに顔を綻ばせたのち、独り言のように呟いた。
「眠留、儂に頼みごとがあるなら、何でも言ってごらん」
 対魔邸訓練に臨む気構えで、僕は口を開いた。
「できれば、翔人の技術を先へ進めることに、少し猶予を頂けませんか」
 僕は話した。自分への甘えだと承知していても、翔人として新しい技術を学ぶ余裕が、今の僕には無い。でも復習は可能だから、身に付けた技を磨き精度を上げ、確固たる土台にしたい。けれども水晶が否というなら、僕はそれに従います。そう、僕は話した。
「ふむ。確かに眠留はここの処、成長著しかった。その波に乗りここまま突き進む手もあるが、波から離れ己を顧みて、長足の進歩を余すところなく土台とするのも手の一つじゃと儂も思う。して眠留、そなたはその猶予を、いか程の期間望むのかな」
 水晶は僕の頼みを頭から否定せず、試験をすると言ってくれた。猶予期間は自分で決めなさい、それを基に儂は合否の判断をしようと、水晶は譲歩してくれたのだ。アドレナリンの味しかしない唾を呑み込み、僕は告げた。
「一か月、ではどうでしょうか」
 ぺしん、と柔らかな音が部屋を満たした。水晶がその桃色の肉球で、僕の頭を叩いたのである。そして間を置かず、水晶は僕の頭を優しく撫でた。叩くために用いた肉球をこうも素早く別の用途に使うことができるのは、最初からそのつもりでいないと不可能な事。その気遣いと、肉球の柔らかさに涙ぐむ僕へ、水晶は語りかけた。
「眠留、心に巣くう自己嫌悪の巨大さを、素直に受け入れなさい」
 せめて声から震えだけは取り除こうと心身に鞭を打ち、僕は応えたた。
「北斗は、百日耐えました。だから僕が立ち直る期間は、せめてそれより十日短い、三か月にしようと思います。九月、十月、十一月の、三か月の猶予を僕に頂けませんか」
 妥当じゃの、と言って水晶は布団から出る。そして後ろ足で立ち、両方の前足で僕の頭をひとしきり撫でてから、宙へ消えて行ったのだった。
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