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六章
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ひとしきり笑い合い満足した僕らは非常口を離れ、食堂中央スペースを北に向かって歩いた。
この食堂には、東側と西側に長テーブルが四台ずつ設置されている。その中間、つまり非常口から足を踏み入れた先には、テーブルも何もない幅15メートルほどの空間が広がっていた。真山によるとここは、配膳待ちをするための場所なのだと言う。
「夕食開始までまだ間のある今は閑散としているけど、寮生がどっと押し寄せる朝は、ここに30メートル近い行列ができる。休み明けの朝は長くなるから、明日は壮観だろうね」
真山が前方を指さした。目をやると突き当りの壁に男子配膳、女子配膳、と味のある字で書かれた板が掛けられていた。書道家になったOBが十年ほど前、寄贈した物なのだそうだ。
配膳棚の向こうは広い厨房だった。その中で、割烹着姿の大人達がキビキビ働いていた。今は冷凍食品とロボットの時代だから、人のいる厨房の方が断然少ない。つまり現代は、並外れて優れた技術者のみが手作り料理を商品として提供することを許される、人類史上初の時代なのだ。世界に通用するプロになることを目指す僕ら研究学校生にとって、厨房で己の技を振るう技術者達は、憧れと尊敬の対象なのだった。
配膳待ちスペースを縦断し、三人で右折する。厨房を左手に、長テーブルを右手に眺めながら、今度は食堂を横断した。といっても横断するのは、食堂の東半分のみだけどね。
僕ら三人がそうだったように、仲間とじゃれ合う寮生達が食堂のあちこちに見受けられた。猛によると食堂で仲間と過ごす時間を、寮生はとても大切にしているらしい。教育AIもそれを奨励していて、相殺音壁をそこかしこに巡らせ、心ゆくまでおしゃべりし笑い合える場を提供しているのだそうだ。心地よい広々とした空間を大勢の寮生達と共有しつつも、気の合う仲間達とプライベートな時間を過ごせる、特別な場所。僕にはここが、そんな夢のような場所に思えてならなかった。
僕らが今歩いている食堂の北側には、少数の観葉植物が所々に置かれていた。それに対し食堂南側には、大量の植物が壁のように並べられていた。それは空間演出ではなく、豪華なスペースを区別する境界線として働いているようだった。
「窓際の豪華スペースは六年生か、もしくは六年生に招待された下級生のみが使えるスペース。眠留、覚えていてね」
「俺ら下級生にとって、豪華スペースは憧れの場所というより、悲しい場所という印象が強い。あそこは、最後の一年を過ごす先輩方の、憩いの場所。相殺音壁があるとはいえすぐ近くで無礼な真似をしないよう、俺らは注意しているんだ」
しっかり頷く僕の背中を、お前の事だから心配してないけどな、と二人は小気味よく叩いた。この信頼に応えるよう、上級生同級生の区別なく無礼なことは絶対しないぞと、僕は密かに気合いを入れた。
という僕の心中を、二人の友は掌を指すように感じるのだろう。食堂と昇降口を繋ぐ出入り口の5メートルほど手前で二人は立ち止まり、普段より素敵さ20%増しの笑顔を真山は浮かべた。
「という訳で、決まりを早速覚えて貰うね。眠留、足元を見て」
足元へ張り切って向けられた僕の目が、もう一段見開かれる。僕らのいる場所を境に床のパネルが変わっていることに、気づいたのだ。
「ここから先に進めるのは、男子のみ。緊急時以外に女子がこの先へ足を踏み入れると、厳しい罰を課せられる事になる。反省の色が見られない場合は即退寮だから、眠留、注意してね」
高速首肯を繰り返す僕は緊張のあまり、二人が歩みを再会しても、白い床へ足を踏み出すことが出来なかった。猛が「ぶはっ」と笑い僕の肩を抱き、クルッと向きを変えさせ、女子寮側の出入り口を指さした。
「眠留は目が良いから見えるだろ。俺ら男が注意しなきゃならないのは、食堂の向こうの端にある床が朱色のスペースだ。普通にしていれば、女子寮間近のあんな場所に近づくことはない。退寮なんてないから安心してくれ」
猛が指摘した場所に朱色の床を確認した僕は、ほっと息をついた。ここから80メートルも離れたあんな場所、確かに行かないもんね。
「湖校18年の歴史で、この決まりを破って退寮になった生徒は一人もいない。眠留、安心したかい」
「うん安心した。待たせちゃってごめんね」
即退寮という言葉に衝撃を受けた事を、この二人の友は即座に理解してくれた。僕はスキップ寸前の足取りで食堂を後にし、男子昇降口に足を踏み入れる。空いている下駄箱に靴を入れ、三人並んで階段を目指している最中、疑問がふと口を突いた。上りの階段は当然として、あの下りの階段は、どこに繋がっているの?
「下りの階段の先にあるのは、お風呂。サウナやジェットバスの付いた定員100人の巨大なお風呂で、俺は大好きなんだ」
「真山の風呂好きは寮でも有名で、平日は一時間、休日は二時間が、真山にとって必要最底限のお風呂タイムらしい。休日の夜、冷凍食品の配膳すらなくなる時間が近づいても悠然と湯船に浸かっているのは、2000人を超す寮生の中でもコイツだけだな」
「むっ、眠留聞いてくれ。ここの給湯システムは分子の小さい特別な軟水を遠赤外線セラミックで沸かす非常に優れたもので、お湯の滑らかさといい体の温もり具合といい・・・」
瞳を爛々と輝かせ風呂講義を始めた真山に多少面食らいつつ、僕は階段を上った。けどその講義のお陰で、然るべき法的根拠を持たない女性がこの階段に足を踏み入れると犯罪者として海底資源採掘所送りになると猛から小声で説明されても、先ほどの退寮ほどの衝撃を、僕は受けずに済んだのだった。
この食堂には、東側と西側に長テーブルが四台ずつ設置されている。その中間、つまり非常口から足を踏み入れた先には、テーブルも何もない幅15メートルほどの空間が広がっていた。真山によるとここは、配膳待ちをするための場所なのだと言う。
「夕食開始までまだ間のある今は閑散としているけど、寮生がどっと押し寄せる朝は、ここに30メートル近い行列ができる。休み明けの朝は長くなるから、明日は壮観だろうね」
真山が前方を指さした。目をやると突き当りの壁に男子配膳、女子配膳、と味のある字で書かれた板が掛けられていた。書道家になったOBが十年ほど前、寄贈した物なのだそうだ。
配膳棚の向こうは広い厨房だった。その中で、割烹着姿の大人達がキビキビ働いていた。今は冷凍食品とロボットの時代だから、人のいる厨房の方が断然少ない。つまり現代は、並外れて優れた技術者のみが手作り料理を商品として提供することを許される、人類史上初の時代なのだ。世界に通用するプロになることを目指す僕ら研究学校生にとって、厨房で己の技を振るう技術者達は、憧れと尊敬の対象なのだった。
配膳待ちスペースを縦断し、三人で右折する。厨房を左手に、長テーブルを右手に眺めながら、今度は食堂を横断した。といっても横断するのは、食堂の東半分のみだけどね。
僕ら三人がそうだったように、仲間とじゃれ合う寮生達が食堂のあちこちに見受けられた。猛によると食堂で仲間と過ごす時間を、寮生はとても大切にしているらしい。教育AIもそれを奨励していて、相殺音壁をそこかしこに巡らせ、心ゆくまでおしゃべりし笑い合える場を提供しているのだそうだ。心地よい広々とした空間を大勢の寮生達と共有しつつも、気の合う仲間達とプライベートな時間を過ごせる、特別な場所。僕にはここが、そんな夢のような場所に思えてならなかった。
僕らが今歩いている食堂の北側には、少数の観葉植物が所々に置かれていた。それに対し食堂南側には、大量の植物が壁のように並べられていた。それは空間演出ではなく、豪華なスペースを区別する境界線として働いているようだった。
「窓際の豪華スペースは六年生か、もしくは六年生に招待された下級生のみが使えるスペース。眠留、覚えていてね」
「俺ら下級生にとって、豪華スペースは憧れの場所というより、悲しい場所という印象が強い。あそこは、最後の一年を過ごす先輩方の、憩いの場所。相殺音壁があるとはいえすぐ近くで無礼な真似をしないよう、俺らは注意しているんだ」
しっかり頷く僕の背中を、お前の事だから心配してないけどな、と二人は小気味よく叩いた。この信頼に応えるよう、上級生同級生の区別なく無礼なことは絶対しないぞと、僕は密かに気合いを入れた。
という僕の心中を、二人の友は掌を指すように感じるのだろう。食堂と昇降口を繋ぐ出入り口の5メートルほど手前で二人は立ち止まり、普段より素敵さ20%増しの笑顔を真山は浮かべた。
「という訳で、決まりを早速覚えて貰うね。眠留、足元を見て」
足元へ張り切って向けられた僕の目が、もう一段見開かれる。僕らのいる場所を境に床のパネルが変わっていることに、気づいたのだ。
「ここから先に進めるのは、男子のみ。緊急時以外に女子がこの先へ足を踏み入れると、厳しい罰を課せられる事になる。反省の色が見られない場合は即退寮だから、眠留、注意してね」
高速首肯を繰り返す僕は緊張のあまり、二人が歩みを再会しても、白い床へ足を踏み出すことが出来なかった。猛が「ぶはっ」と笑い僕の肩を抱き、クルッと向きを変えさせ、女子寮側の出入り口を指さした。
「眠留は目が良いから見えるだろ。俺ら男が注意しなきゃならないのは、食堂の向こうの端にある床が朱色のスペースだ。普通にしていれば、女子寮間近のあんな場所に近づくことはない。退寮なんてないから安心してくれ」
猛が指摘した場所に朱色の床を確認した僕は、ほっと息をついた。ここから80メートルも離れたあんな場所、確かに行かないもんね。
「湖校18年の歴史で、この決まりを破って退寮になった生徒は一人もいない。眠留、安心したかい」
「うん安心した。待たせちゃってごめんね」
即退寮という言葉に衝撃を受けた事を、この二人の友は即座に理解してくれた。僕はスキップ寸前の足取りで食堂を後にし、男子昇降口に足を踏み入れる。空いている下駄箱に靴を入れ、三人並んで階段を目指している最中、疑問がふと口を突いた。上りの階段は当然として、あの下りの階段は、どこに繋がっているの?
「下りの階段の先にあるのは、お風呂。サウナやジェットバスの付いた定員100人の巨大なお風呂で、俺は大好きなんだ」
「真山の風呂好きは寮でも有名で、平日は一時間、休日は二時間が、真山にとって必要最底限のお風呂タイムらしい。休日の夜、冷凍食品の配膳すらなくなる時間が近づいても悠然と湯船に浸かっているのは、2000人を超す寮生の中でもコイツだけだな」
「むっ、眠留聞いてくれ。ここの給湯システムは分子の小さい特別な軟水を遠赤外線セラミックで沸かす非常に優れたもので、お湯の滑らかさといい体の温もり具合といい・・・」
瞳を爛々と輝かせ風呂講義を始めた真山に多少面食らいつつ、僕は階段を上った。けどその講義のお陰で、然るべき法的根拠を持たない女性がこの階段に足を踏み入れると犯罪者として海底資源採掘所送りになると猛から小声で説明されても、先ほどの退寮ほどの衝撃を、僕は受けずに済んだのだった。
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