僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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六章

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 体育祭の混合リレーで、昴は女子300メートルの学年歴代一位を出した。しかし教育AIによると、そのタイムは同学年全国一位でもまったく遜色ないものだったと言う。それどころか昴が陸上専用トラックをスパイクシューズで走ったら、中一女子400メートルの日本新記録を出す可能性が高いと教育AIは試算した。その昴に僕と同種の軸があったと、他でもない那須さんが証言したのだから、自分に非のあったことを女子部員達は速やかに認めてくれた。僕は、そう感じたのである。
 女子に続き男子も謝罪してくれた。一年男子のエーススプリンターの田原は、特に心を尽くしてくれた。混合リレーで昴と同じ300メートルを走った田原自身から以前聞いたところによると、田原は昴の了解を得て同レースを検証したと言う。それでも、直線では差を詰めたのにコーナーでは差を開けられた事と、身長は自分が10センチ高いのに脚の長さは同じだったこと以外なにも判明せず落ち込んだと、田原は僕に打ち明けてくれた。あの時は脚の長さに気を取られ、「僕なんて昴より15センチも背が低いのに椅子に座ると1センチ低いだけになるんだぞ」と暴露し一緒に腹を抱えたせいで、高速ストライド走法を明かせなかった。しかし縁が巡り、今こうしてその機会を得られたことへ、僕は喉に刺さった小骨が取れたような感覚を味わっていた。
 よって心機一転、僕は勝負に臨んだ。
「軸走りはラストスパートだけでなく最初からしているんだけど、軸の性質が異なるから特に最後をそう呼んでいるんだ。どう違うかと言うと、最初は」
 僕は再度しゃがみ、クラウチングスタートの姿勢を取る。けど今回は僕独自の、左右の踵を揃える方法だったので、皆の注目度はいや増した。僕はそれを受け、普段より背を丸め頭の位置を下げ、踵だけでなく背筋はいきんの使用法も独特であることを皆に示した。その方が、胴体の筋力を推進力に加算する僕の走法を理解してもらえると思ったのだ。すると、
「眠留の背中の筋肉量は半端ない。例えば広背筋は、運動部に所属している同学年男子平均の、優に三倍あるな」
 絶妙なタイミングで猛の解説が入った。敬意と信頼を最高レベルで捧げる共同研究者に、僕は解説をすべて任せることにした。
「その背中の筋肉を推進力に用いるべく、眠留はこのスタートを考案した。前かがみになった胴体を、背筋を使い元の位置に戻す慣性力を、推進力に加算しているんだな。だがそれを受け止めるには、脚一本では力不足だ。よって眠留は両脚で、スタブロを同時に蹴っているんだよ」
 前かがみになった胴体を元に戻す動作を誇張して、僕はスタブロを蹴った。そして右脚を踏み出し、目一杯踏み出した所で骨盤を捻り、右脚を更に前へ出した。那須さんと田原の息を呑む音が、鼓膜をきっちり震わせた。
「胴体を固定した方が速く走れると言う『固定概念』があると、眠留の今の骨盤捻りを思い付くことはまず不可能だろう。本人が認めているとおり眠留は素人だったからこそ、胴体の筋力で骨盤を軸回転させ新たな推進力を創造するという方法を、発見できたんだろうな」
 僕は骨盤捻りを誇張し、スローモーションで走った。
「このように骨盤を捻ることで、胴体の中心に軸を生みだす。眠留によると、スタートダッシュ時における軸は直径6センチほどの、目の詰まったスポンジ製だそうだ」
 抑揚のある声で那須さんが問いかける。
「なぜスポンジ製?」
「現時点で軸を堅くすると、軸が許す動きだけしかできなくなり、体は軸の支配下に置かれる。だからスポンジ製にして、軸を意識しつつもそれに縛られないよう心掛けているそうだ。眠留は軸すら、固定することを避けたんだな」
 那須さんの質問に猛は淀みなく答えた。猛が共同研究者で幸せだよって芹沢さんに今度伝えなきゃな、などと考えつつ僕は180度ターンし、筋力とバネの複合走行へ移行した。
「この時点における軸は、直径5センチほどの堅いゴム製。部分的に曲げることは困難でも全体としてゴムが、イメージに合うそうだ。骨盤を捻る角度はスタート時より小さくなるが、そのぶん速度が増すため、スポンジより強固な軸が求められるのだろうな」
 僕は最後のターンをして、那須さんから頼まれたラストスパートに入った。すると自分でも不思議なほど、軸が細くなって行った。しかもそれはスローモーション中の出来事だったので、軸が細くなってゆく様子を、僕自身初めて詳細に観察する事ができたのである。その時、遥か虚空から微かな声が届いた。

 ――真心の分かち合いへ、理解の深化を我は附与する――

 その瞬間、初めて理解した。
 なぜ美鈴がこの夏、料理の腕をあれほど伸ばしたかを。
 そして僕がなぜ今、軸の細化をこれほど詳細に観察しているのかを。
「ラストスパート時、軸は物質から離れ、刻々と細くなってゆく概念のようなものになるらしい。先月初め、俺は眠留の体に計測シールを五十枚貼り、100メートルを全力疾走させた。自分でも理解できない渇望に、俺は突き動かされていたんだ」
 友の声を聴きつつ、僕はこの走法への理解を急速に深めていった。
「送信されてきたデータに、俺は驚愕した。眠留の速筋そっきんは、75メートルで疲労し切っていた。膝靭帯とアキレス腱の反発力、つまりバネも、平均曲線に沿い下降していた。減速を押し留めようとする筋肉の酷使も、データに現れていなかった。よって本来なら75メートル以降は、走行速度が落ちるはずだった。にもかかわらず眠留はまったく減速せず、残り25メートルを走っていたんだよ」
「体育祭の男子100メートル決勝を、私は忘れられない。猫将軍君は70メートルまで六位だったけど、残り30メートルで二人抜いて、三位を抜く寸前にゴールした。私にも龍造寺君と同じ渇望があったから、忘れようにも忘れられなかったのだと思う」
 100メートル走では稀に、ゴール前のゴボウ抜きが見られる。それはその選手がゴール前で加速したのではなく、速度を落とさなかったから起こる現象なんだよねと、僕は奇妙なほど客観的に猛と那須さんの会話へ耳を傾けていた。
「速度が落ちない仕組みは、測定データに基づく厳密な3D映像を作成することで判明した。細くなりゆく軸を、眠留は正確に、歩幅へ還元していた。しかも、骨盤の捻りを大きくしながら還元していた。ゴールが迫るにつれ、眠留の歩幅は広くなって行ったが、眠留はそれを胴体の筋力を使って成していたんだよ」
「脚力で歩幅を広げるのではなく、胴体の筋力で歩幅を広げるから、脚力が減少しても、猫将軍君は最後の30メートルを等速で走れるって事?」
 肯定を伝える猛の声は、那須さんへの賞賛に彩られていた。それが嬉しかった僕は自分を観察するのを止め、那須さんへ体を向けた。
「那須さん、これが僕のラストスパートだ。役に立てたかな」
 兜さんの息を呑む声が耳に届いた。
 その声に僕は悟った。
 那須さんが今浮かべている春の日差しのような微笑みは、物心つく前からの幼馴染である兜さんすら、初めて見る微笑みなのだと。
「猫将軍君、私は脚を壊さず陸上を続ける。そして自分に合う走法を、ずっと探し続けてゆく。そうすることで私の感謝と、この夏一緒に部活をした証を、猫将軍君に贈るね」
 僕は何も言えず、ボケた笑みをさらし頭を掻くことしかできなかった。なぜなら、中吉のため息を聞いた気がしたからだ。
『うちのボンは友達を見る目だけはあると思っていたが、その上更に、女を見る目まであった。恵まれ過ぎてて、あたしゃかえって心配になってきた』と。 
 幸い、と言うのはヘタレの極みでも僕としてはそれが真情なので繰り返すが幸い、田原を初めとする大勢の部員達が那須さんの申し出に賛同してくれたお陰で、僕と那須さんは言葉を交わすことなく自主練に戻って行った。ただそれ以降、兜さんの僕への態度が、ほんの少し鋭角化したような気がした。う~んでもやっぱ、そんなのただの錯覚だよなあ。
 そして正午。
「グラウンドに、礼!」
「「「ありがとうございました!」」」
 この挨拶をもって、陸上部における僕の夏は、幕を閉じたのだった。
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