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二章
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「眠留くん、しっかりして眠留くん」
輝夜さんの声が耳に届いた。その銀鈴の声に、混乱の底なし沼から引き上げてもらった僕はそれでも、彼女へ言葉をかけることを憚らずにはいられなかった。彼女の声の高貴さに、ある可能性を思い付いたからだ。家族の中で自分だけが違うと輝夜さんが苦悩し続けてきた、可能性の一つを。
「眠留くん、私は大丈夫。決心が付いたから、もう平気なんだ。だから眠留くんには、気持ちをしっかり持っていてほしい。そして、しっかり判断してほしいの。猫将軍家の翔人として、私の質問にどこまで答えて良いかを」
彼女の放つ決意が僕のそれの数段上をいっていることに気づき、僕は己を鼓舞した。
輝夜さんに負けてもいい。だが、
――負け続けるな!
「わかった。僕は僕の判断で、全責任を背負って猫将軍家の秘密を明かす。輝夜さん、どうか信じてほしい」
「うん、信じる。眠留くんに、全てお任せします」
輝夜さんはそう言って、豊かに笑った。脈絡がなさ過ぎると分かっていても、僕は思わずにいられなかった。豊饒の神は、やっぱ女神様だよなあ、と。
「じゃあ続きを話すね。家康は、天海の条件を確約した。それを受け天海は、家康の家臣とその家族から翔人の素質を持つ者を集め、教育を施し、二つの翔家を新設した。それが白銀家と、御剣家。両家には、天海が翔化技術を身に付けてから設けた子供が一人ずついて、その子たちが白銀家と御剣家の二代目当主になったから、二つの家には天海の血が流れている。白銀家は天海の直接の子孫と言ったのは、そういう意味なの」
表面上、僕は静かに頷いた。だが心の奥底では、炎が激しく渦巻いていた。御剣家という名前を、僕は今日初めて聞いた。そのはずなのにその名が耳に届くなり、心に怒りと闘志の炎が猛然と湧き起こったのである。翔人としての血が僕に告げた。御剣家は危険だ、と。
しかしこれも血のなせる技なのか、僕は輝夜さんに心の猛火を気づかせなかったようだ。彼女は僕に相槌を打ち、話を再開した。あるいは彼女も翔人だから、僕の猛火に気づいたことを、僕に気づかせなかっただけなのかもしれないけどね。
「新設した白銀家と御剣家が落ち着くのを待ち、天海は両家の者達を一堂に集め言った。『海道一の弓取りと名高い戦上手の御館様なら、天下分け目の大戦以外でそなた達に翔化を命じることは無いだろう。だが天下太平になってからも、御館様の子孫が約束を守るなどと考えてはならぬ。戦という真の悲劇を知らぬ為政者達から、二翔家は些末な翔化を命じられるようになるだろう。だがそれを拒めば、そなた達はあらぬ嫌疑をかけられ死罪。かといって翔化できなくなれば、両家は断絶の憂き目に遭う。そなた達は些末な翔化でその能力を失いつつも、その技術を保ってゆかねばならぬのだ。然るに私は、一族として翔化技術を維持する方法をここにしたためた。努々これを、軽んじる事なきように』 天海はそう言って、両家の当主に巻物を渡した。その巻物のお陰で、白銀家と御剣家は能力消滅の危機に度々遭いながらも、それを何とか維持してこられたの。でも‥‥」
でも? 僕は目で問いかけた。しかし彼女は首を横に振り、今話すと長くなっちゃうからまた今度聞いてください、と寂しげに笑った。そして、今日話そうと思っている天海のエピソードはあと一つだけだからこのまま続けるね、と言った。
「徳川家康が関東に国替えされると、翔家に関するある問題が生じた。それは、鎌倉時代から続く三翔家への処遇だった。家康は三翔家を嫌っても恐れてもいなかったけど、政治に関わる翔人は少なければ少ないほど良いと天海に教えられていたため、三翔家を表向き敬遠する決定を下した。新領主である家康から敬し遠ざけられている印象を皆に植え付けることで、三翔家を『触らぬ神に祟り無し』の状態にし、三翔家が俗事に邪魔されず魔物討伐を続けていけるよう家康は図ったのね。天海もそれに賛成し、三翔家の神社の遷座を家康に進言した。その候補地を聞いた家康はさすが海道一の弓取りと謳われただけあり、天海の意図を即座に理解し許可を出した。こうして三翔家は関東と、伊豆半島及び伊豆諸島を含む広大な地域を隈無く守れる場所に、巨大な正三角形を描いて配置される事となった。その際、天海は二翔家に連なる者達を全員集め、厳しく言い渡したと伝えられているわ。『御館様の深慮により、三翔家は表向き敬遠される運びとなった。だが三翔家は我ら二翔家より主筋に近い格上の家であるゆえ、そなた達は三翔家へ、密かに礼を尽くすべし』と」
心の中で音がするのを僕は聞いた。
それはパリンという、心の一部が砕ける音だった。
輝夜さんの声が耳に届いた。その銀鈴の声に、混乱の底なし沼から引き上げてもらった僕はそれでも、彼女へ言葉をかけることを憚らずにはいられなかった。彼女の声の高貴さに、ある可能性を思い付いたからだ。家族の中で自分だけが違うと輝夜さんが苦悩し続けてきた、可能性の一つを。
「眠留くん、私は大丈夫。決心が付いたから、もう平気なんだ。だから眠留くんには、気持ちをしっかり持っていてほしい。そして、しっかり判断してほしいの。猫将軍家の翔人として、私の質問にどこまで答えて良いかを」
彼女の放つ決意が僕のそれの数段上をいっていることに気づき、僕は己を鼓舞した。
輝夜さんに負けてもいい。だが、
――負け続けるな!
「わかった。僕は僕の判断で、全責任を背負って猫将軍家の秘密を明かす。輝夜さん、どうか信じてほしい」
「うん、信じる。眠留くんに、全てお任せします」
輝夜さんはそう言って、豊かに笑った。脈絡がなさ過ぎると分かっていても、僕は思わずにいられなかった。豊饒の神は、やっぱ女神様だよなあ、と。
「じゃあ続きを話すね。家康は、天海の条件を確約した。それを受け天海は、家康の家臣とその家族から翔人の素質を持つ者を集め、教育を施し、二つの翔家を新設した。それが白銀家と、御剣家。両家には、天海が翔化技術を身に付けてから設けた子供が一人ずついて、その子たちが白銀家と御剣家の二代目当主になったから、二つの家には天海の血が流れている。白銀家は天海の直接の子孫と言ったのは、そういう意味なの」
表面上、僕は静かに頷いた。だが心の奥底では、炎が激しく渦巻いていた。御剣家という名前を、僕は今日初めて聞いた。そのはずなのにその名が耳に届くなり、心に怒りと闘志の炎が猛然と湧き起こったのである。翔人としての血が僕に告げた。御剣家は危険だ、と。
しかしこれも血のなせる技なのか、僕は輝夜さんに心の猛火を気づかせなかったようだ。彼女は僕に相槌を打ち、話を再開した。あるいは彼女も翔人だから、僕の猛火に気づいたことを、僕に気づかせなかっただけなのかもしれないけどね。
「新設した白銀家と御剣家が落ち着くのを待ち、天海は両家の者達を一堂に集め言った。『海道一の弓取りと名高い戦上手の御館様なら、天下分け目の大戦以外でそなた達に翔化を命じることは無いだろう。だが天下太平になってからも、御館様の子孫が約束を守るなどと考えてはならぬ。戦という真の悲劇を知らぬ為政者達から、二翔家は些末な翔化を命じられるようになるだろう。だがそれを拒めば、そなた達はあらぬ嫌疑をかけられ死罪。かといって翔化できなくなれば、両家は断絶の憂き目に遭う。そなた達は些末な翔化でその能力を失いつつも、その技術を保ってゆかねばならぬのだ。然るに私は、一族として翔化技術を維持する方法をここにしたためた。努々これを、軽んじる事なきように』 天海はそう言って、両家の当主に巻物を渡した。その巻物のお陰で、白銀家と御剣家は能力消滅の危機に度々遭いながらも、それを何とか維持してこられたの。でも‥‥」
でも? 僕は目で問いかけた。しかし彼女は首を横に振り、今話すと長くなっちゃうからまた今度聞いてください、と寂しげに笑った。そして、今日話そうと思っている天海のエピソードはあと一つだけだからこのまま続けるね、と言った。
「徳川家康が関東に国替えされると、翔家に関するある問題が生じた。それは、鎌倉時代から続く三翔家への処遇だった。家康は三翔家を嫌っても恐れてもいなかったけど、政治に関わる翔人は少なければ少ないほど良いと天海に教えられていたため、三翔家を表向き敬遠する決定を下した。新領主である家康から敬し遠ざけられている印象を皆に植え付けることで、三翔家を『触らぬ神に祟り無し』の状態にし、三翔家が俗事に邪魔されず魔物討伐を続けていけるよう家康は図ったのね。天海もそれに賛成し、三翔家の神社の遷座を家康に進言した。その候補地を聞いた家康はさすが海道一の弓取りと謳われただけあり、天海の意図を即座に理解し許可を出した。こうして三翔家は関東と、伊豆半島及び伊豆諸島を含む広大な地域を隈無く守れる場所に、巨大な正三角形を描いて配置される事となった。その際、天海は二翔家に連なる者達を全員集め、厳しく言い渡したと伝えられているわ。『御館様の深慮により、三翔家は表向き敬遠される運びとなった。だが三翔家は我ら二翔家より主筋に近い格上の家であるゆえ、そなた達は三翔家へ、密かに礼を尽くすべし』と」
心の中で音がするのを僕は聞いた。
それはパリンという、心の一部が砕ける音だった。
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