僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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二章

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「天海は直筆で、はっきり書いている。明智家と、明智家の本家である土岐家に、魔封奉行について記した古文書は無かったと」
 若干の驚きを込めて僕は頷いた。美濃源氏の名門である土岐家と、土岐家から分かれた明智家には、魔封奉行に関する古文書が有ったのではないかと僕は推測していたのだ。それを酌み、彼女は付け加える。
「主君織田信長の近江攻略を見越し、朝廷や公家への知識をより深める必要性を感じた光秀は、土岐家に赴き秘蔵している古文書を見せてもらえるよう頼んだ。清和源氏の流れをくむ土岐家には京での政治活動に役立つ文献が多数残っていたそうだけど、魔封奉行に関する記述は一つも無かったと天海は明言しているわ。信長旗下の重臣として事実上の京都奉行を勤め、様々な機密文書に目を通していた時もそれは同じ。光秀は本能寺の変の数ヶ月前まで、翔人の存在をまったく知らなかったそうなの」
 本能寺の変の数ヶ月前まで、と叫ぶ直前、僕は自分の口を塞ぐことに辛うじて成功した。
「でも残念ながら、光秀が翔人の存在を知った経緯は明かされていない。同じく、光秀が翔化技術を身に付けた経緯も一つも残されていない。それについてはただ一つ、『山崎の戦いに敗れ各地を放浪していた際、縁あって翔人の技を学ぶ機会を得た』とだけしか、書かれていないの」
 恥ずかしながら僕は、自分でもそうとわかるほど落胆してしまった。慌てて首を横に振る僕へ、彼女は胸に染み入るような笑顔を向ける。それだけで、僕の活力は充電100%になったのだった。
「ここからは光秀ではなく天海で統一するね。天の意志か地の導きか人の企てか、天海は徳川家康の知遇を得ることとなった。その後、天海が高度な翔化技術を身に付けていることを知った家康は改めて天海を招き、戦国の世を終わらせるべく力を貸して欲しいと頭を下げた。これは脚色ではなく、家康は上座から下座へ移動し床に手をつき、深々と腰を折ったと伝えられているわ。甲斐、信濃、そして駿遠三の五カ国を領有する大大名であったとはいえ、地方の一大名に過ぎない家康が大乱の世を真摯に憂えているのを知った天海は、ある条件を受け入れてくれるなら力を貸すと家康に約束した。その条件とは、『魔物討伐以外の目的で翔化すると翔人は翔化できなくなるゆえ、天下分け目の大戦おおいくさ以外で翔人を翔化させない事』というものだった」
 僕は今回、自分の口を手で塞ぐことに失敗した。しかしそれでも、僕の口から言葉が発せられることは無かった。茫然自失の体現者となった僕は口をあんぐり開け、時が止まったように固まり続けることしかできなかったのである。そうなった理由は二つあった。
 一つは、『魔物討伐以外の翔化を、天海が強く拒んだ事』だ。魔想を討伐する以外の目的で翔化したことが、僕には無い。それをすることへ、本能的で根源的な絶対的拒絶を覚えるからだ。そしてそれは祖父によると、猫将軍家と鳳家と狼嵐家の旧三翔家の翔人全員に共通するらしく、この感覚を持たない翔人に祖父は一度も会った試しがないと言う。『邪悪な行いは、人の心を重くする。意識の表れである翔体は特にそれが顕著なため、邪悪な理由で翔化した翔人は心が重くなり、翔体を肉体から解き放てなくなる』 祖父はそう、僕と美鈴に教えてくれた。祖父ほど高度な翔化視力を持たない僕は『重い心』をまだ目視できないけど、感覚としてなら把握している。それは三翔家の翔人にとって説明の必要などない、自明のことなのだ。そして天海も、その感覚を持っていた。おそらく天海も僕と同じく、本能的拒絶を感じていたのだろう。ではなぜ天海はそれを持っていたのか? 天海に翔化技術を教えたのは、あるいは三翔家だったのではないか? そうすることで三翔家は自分達がしたくない事を、天海に押しつけたのではないだろうか? その可能性に気づいたとたん僕は混乱のあまり、茫然自失に陥ってしまったのである。
 茫然自失に陥った二つ目の理由は、『ではなぜ新二翔家は莫大な富と権力を保持し続けているのか』だ。仮に、翔人が得た情報をもとに天下分け目の関ヶ原の戦いを家康が制し、太平の世が訪れたとするなら、新二翔家に高禄と重職が与えられて然るべきだと僕も思う。だがその一事だけで関ヶ原の戦いから460年を経た今日こんにちまで、富と権力を保持できるものなのだろうか? 翔化技術の応用以外でそれを保持してきたのなら、僕は新二翔家へ途轍もなく失礼な思いを抱いて来たことになるが、果たしてそんなことが可能なのだろうか? しかし、僕の知る新二翔家唯一の翔人である輝夜さんは、清らかで高潔な人だ。僕はそれを、露ほども疑ってない。だからと言って・・・・・と僕は思考の袋小路はまり、硬直してしまったのである。
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