君を愛さない……こともないような、そうでもないようなって、どっちなんですか旦那様!?~氷の軍神は羊飼い令嬢を溺愛する~

束原ミヤコ

文字の大きさ
上 下
75 / 84

ディジーは猛獣使い

しおりを挟む

 ◇


 ダンテ・ミランティスという男を一言で表現するならば、内に激情を秘めた寡黙な猛獣である。

 獅子は常に相手を威嚇しているわけではない。ただそこに眠っていても獅子は獅子であり、近づくと途端に起き出して襲いかかってくるものだ。
 無駄吠えをしない。無暗に怒りをあらわにすることもない。

 けれど、その性分は獰猛な獣。

 ダンテもおそらくは同様なのだろうと――あの襲撃の場にいあわせた私は思っている。

 卑劣極まりないクオンツ・ローラウドの毒牙により、ミランティス公爵と奥方様、それから多数の兵たちが命を落としたヴァルディアの惨劇と呼ばれている襲撃。

 ダンテと私もその場に同席しており、ダンテは両親の死を目の前で見ることにより声を失った。
 比喩ではなく、実際に言葉を話すことができなくなってしまった。

 失語症――と呼ばれている症状で、原因は精神的なものだと典医は診断をした。
 当時はまだ壮健だった我が父は幾度もダンテに謝っていた。ダンテは表情を変えずに、唇だけを動かして「大丈夫です」と伝えていたことを覚えている。

 私はローラウドの汚いやり方が許せずに、父に何度も抗戦を主張した。
 けれど父は「ローラウドを滅ぼせというのか? かの地は、平坦な土地がほぼない。人が住める場所が少なく、土地も痩せている。ローラウドを手に入れたところで、我が国に利益などはない」と厳しく私を諭した。

「我が国が受けた恥辱を晴らし、ローラウドに支配されている周辺諸国を開放することができます」
 
「周辺の国から助力を求められもいないのに、そのようなことはしない。正義を振りかざし遠征をおこない、死ぬのは誰だ? 内乱がようやく落ち着いたばかりの今、民は戦いなど求めていない」

「ですが! このままではあまりにも、ミランティス公が哀れだ」

「ミランティス公の死は、名誉なものだった。……ジェイド。私も、死ぬのはミランティス公ではなく私であればよかったのだと、思わぬ日はない」

 それは、ヴァルディア国王としての言葉ではなく、友を失った一人の男としての言葉だった。
 私はそれ以来、父に対して何も言わなくなった。
 抗戦を主張することもなくなった。
 父はあまりにも弱腰であると心の片隅で考えてはいたものの、怒りの感情に任せて判断をしてはならないことを理解したのだ。

 ダンテと再会したのは、貴族学園でのことだった。
 ローラウドからの侵略は、国境で防いでいる。ローラウドも度重なる侵攻で、金も兵も失っていたのだろう。
 国境の向こうに砦が築かれて兵が敷かれていたが、攻め込んでくるようなこともなく、にらみ合いが続いていた。

 私は何かしなくてはという焦燥を感じていたものの、玉座を継ぐためには教育を受ける必要がある。
 
 貴族学園で久々に再会したダンテは、幼い日に見た小柄な少年ではなくなっていた。
 この時も、獅子に似ていると思っただろうか。

 鬣に似た銀の髪に、不機嫌そうに寄せられた眉。
 冷ややかな青い瞳に、立派な体躯。

 在りし日のミランティス公によく似ていた。

「ダンテ、久しいな! その後、元気にしていただろうか。こちらから会いに行かずにすまない。君のことをずっと思っていた」

 ミランティス公と奥方に起こった凶事への罪悪感から、私はずっとダンテのことを気に病んでいた。

 顔を見ることができた喜びに思わず駆け寄り、その手を取る。
 ダンテは眉間の皺を更に深くして、俄かに目を見開いた。

「殿下、ご無沙汰しております」

 低い声で、礼儀正しくダンテは言う。
 そして、沈黙が訪れた。

 何か言われるかと思っていた私は、口を引き結んでしまったダンテにより一層責められている気がした。

 両親が亡くなったのは、王家のせいであると。

 入学式のために校舎前に集まっている貴族の子供たちが、私たちを遠巻きに見ている。
 私たちの間には、一触即発の空気が漂っているように見えただろう。
 ヴァルディアの惨劇については、貴族たちならば皆知っている。

「ダンテ、声が出るようになったのだな。よかった」

「はい。あのあと、エステランドに療養にいき、そこで」

「そうか。エステランドの空気は綺麗だろう。エステランド伯爵は社交会には顔を出さないが、毎年出来のよいチーズや葡萄酒を城に届けてくれる」

 エステランドの話をすると、ダンテは何故かよりいっそう不機嫌そうな顔になった。
 何か悪いことを言っただろうか。
 私はできれば、ダンテと親しくしたい。
 
 ミランティス家は古くから王家を支えてくれている。
 王家の剣であり、盾として。
 それだけではなく、ミランティス公は父の友人であった。

 私がダンテの友人になるなど、難しいかもしれない。
 だが、同じ場に居合わせて、同じようにローラウドに怒りを持つものとして、ダンテと肩を並べて歩めるようになりたかった。

「……葡萄酒や、チーズを。俺も、早急に手配しなくては」

「どうした?」

「いえ」

「エステランド伯爵には娘が一人いるらしい。ディジー・エステランドだったか。可愛らしいとの噂を聞くが、君は会ったか?」

 会話を続けたくて、私は思い出したことを口にした。

「殿下。何故、その名を」

「貴族のことはだいたい把握している。それに、エステランドは我が国の豊かさにはかかせない」

「殿下」

 ダンテが私を睨んだ。それはそれはおそろしい顔で、私はこの場で斬り殺されるかと思ったぐらいだ。

「エステランドの娘と、会ったことが?」

「ないが」

「では、そのまま会わないでいただきたい」

「え?」

「それでは、失礼します」

 ダンテは話は終わったとばかりに、その場から去った。
 私はあわててその背を追いかける。

「待て、ダンテ。君が私に腹を立ていることは知っている。君の両親が亡くなったのは、私や私の父のせいだ。すまなかった!」

 追いかけながら、私は大声で話す。
 他の貴族たちに聞かせるためでもある。
 私たちが不仲だと知られたら、まだ内乱が起こりかねない。ミランティス家とは、国の貴族たちの重要な抑止力なのだ。

「私が玉座につけば、ローラウドの不遜を許したりしない! ともに手を取り合い、彼の国に復讐を果たそう!」

 ダンテは足を止めて振り向いた。

「殿下。復讐など、しません」

「しかし、君は怒っている、恨んでいるだろう?」

「いえ。怒りも恨みも、愛の前では塵のように消えるものです」

「愛……!?」

 愛などと口にしそうにない男がそんなことを言うので、私は何故か乙女のように頬を染めてしまった。

 先程から私たちを見ていた者たちが、ざわめく。
 彼らもダンテの言葉に驚いたのだろう。

 この時は意味が分からなかったが、その数年後に国境の防衛戦に参戦したダンテから、「ディジーを守るために戦っている」と聞かされて、やっと理解した。

 ダンテはエステランドでの療養中に、ディジーをみそめた。
 いつかローラウドがせめてくることを見越して、体を鍛え、軍備を増強していた。

 ローラウドに我が国が負けるようなことになれば、ディジーの安寧が脅かされるからである。

 そのため、ダンテは国境で獅子奮迅の働きをみせた。
 容赦なく敵兵を討ち倒す姿は、正しく氷の軍神。

 私は、愛とはこれほどおそろしいものかと、震えるような気持ちでそれを見ていたものである。

 その姿は、正しく獅子であった。

 そのダンテが、ディジー嬢とついに結ばれることになったらしい。
 結婚の許可を求める手紙は既にもらっていた。
 私は喜ばしい気持ちで、許可証をミランティス家に送った。

 あの恐ろしい男と結婚する女性とは、どんな人なのだろうと思いながら。

 ミランティス家から早馬が来たのは、数日前のこと。
 ディジー嬢が吹雪を予知したのだという。

 まさかそんなことがあるわけがないと思いながらも、ダンテが冗談など言わない男だと私は知っている。
 念のために備えをしていると、本当に吹雪がやってきた。

 おかげで、王都にはさしたる被害は出なかった。

 何も知らずに、大きな損害が出ていたかもしれないと思うと、身が震えるようだ。
 この期に乗じて、ローラウドが再び侵攻してくるとも限らなかったのだから。

 それにしても──ディジー嬢とは。
 あの強靭かつ冷酷で寡黙な獅子を手なづけるのだから、まるで猛獣使いのような女性だ。

 会ってみたいなと思いながら、私はミランティス家に送る礼状を書くために、ペンを手にした。
しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

旦那様、政略結婚ですので離婚しましょう

おてんば松尾
恋愛
王命により政略結婚したアイリス。 本来ならば皆に祝福され幸せの絶頂を味わっているはずなのにそうはならなかった。 初夜の場で夫の公爵であるスノウに「今日は疲れただろう。もう少し互いの事を知って、納得した上で夫婦として閨を共にするべきだ」と言われ寝室に一人残されてしまった。 翌日から夫は仕事で屋敷には帰ってこなくなり使用人たちには冷たく扱われてしまうアイリス…… (※この物語はフィクションです。実在の人物や事件とは関係ありません。)

白い結婚は無理でした(涙)

詩森さよ(さよ吉)
恋愛
わたくし、フィリシアは没落しかけの伯爵家の娘でございます。 明らかに邪な結婚話しかない中で、公爵令息の愛人から契約結婚の話を持ち掛けられました。 白い結婚が認められるまでの3年間、お世話になるのでよい妻であろうと頑張ります。 小説家になろう様、カクヨム様にも掲載しております。 現在、筆者は時間的かつ体力的にコメントなどの返信ができないため受け付けない設定にしています。 どうぞよろしくお願いいたします。

【完結】白い結婚成立まであと1カ月……なのに、急に家に帰ってきた旦那様の溺愛が止まりません!?

氷雨そら
恋愛
3年間放置された妻、カティリアは白い結婚を宣言し、この結婚を無効にしようと決意していた。 しかし白い結婚が認められる3年を目前にして戦地から帰ってきた夫は彼女を溺愛しはじめて……。 夫は妻が大好き。勘違いすれ違いからの溺愛物語。 小説家なろうにも投稿中

【完】夫から冷遇される伯爵夫人でしたが、身分を隠して踊り子として夜働いていたら、その夫に見初められました。

112
恋愛
伯爵家同士の結婚、申し分ない筈だった。 エッジワーズ家の娘、エリシアは踊り子の娘だったが為に嫁ぎ先の夫に冷遇され、虐げられ、屋敷を追い出される。 庭の片隅、掘っ立て小屋で生活していたエリシアは、街で祝祭が開かれることを耳にする。どうせ誰からも顧みられないからと、こっそり抜け出して街へ向かう。すると街の中心部で民衆が音楽に合わせて踊っていた。その輪の中にエリシアも入り一緒になって踊っていると──

側近女性は迷わない

中田カナ
恋愛
第二王子殿下の側近の中でただ1人の女性である私は、思いがけず自分の陰口を耳にしてしまった。 ※ 小説家になろう、カクヨムでも掲載しています

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

私は幼い頃に死んだと思われていた侯爵令嬢でした

さこの
恋愛
 幼い頃に誘拐されたマリアベル。保護してくれた男の人をお母さんと呼び、父でもあり兄でもあり家族として暮らしていた。  誘拐される以前の記憶は全くないが、ネックレスにマリアベルと名前が記されていた。  数年後にマリアベルの元に侯爵家の遣いがやってきて、自分は貴族の娘だと知る事になる。  お母さんと呼ぶ男の人と離れるのは嫌だが家に戻り家族と会う事になった。  片田舎で暮らしていたマリアベルは貴族の子女として学ぶ事になるが、不思議と読み書きは出来るし食事のマナーも悪くない。  お母さんと呼ばれていた男は何者だったのだろうか……? マリアベルは貴族社会に馴染めるのか……  っと言った感じのストーリーです。

夫が愛人を離れに囲っているようなので、私も念願の猫様をお迎えいたします

葉柚
恋愛
ユフィリア・マーマレード伯爵令嬢は、婚約者であるルードヴィッヒ・コンフィチュール辺境伯と無事に結婚式を挙げ、コンフィチュール伯爵夫人となったはずであった。 しかし、ユフィリアの夫となったルードヴィッヒはユフィリアと結婚する前から離れの屋敷に愛人を住まわせていたことが使用人たちの口から知らされた。 ルードヴィッヒはユフィリアには目もくれず、離れの屋敷で毎日過ごすばかり。結婚したというのにユフィリアはルードヴィッヒと簡単な挨拶は交わしてもちゃんとした言葉を交わすことはなかった。 ユフィリアは決意するのであった。 ルードヴィッヒが愛人を離れに囲うなら、自分は前々からお迎えしたかった猫様を自室に迎えて愛でると。 だが、ユフィリアの決意をルードヴィッヒに伝えると思いもよらぬ事態に……。

処理中です...