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五話 引き起こすインスタントカメラ
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私は史上最高のクズだと思う。その自覚がある。勿論、私以下の人間が存在していることも理解しているが、それでも自分を卑下せずにはいられない。それほどに酷い趣味を持った、死んだ方がいい人間なのだ。
そう、私は起きた事故や事件を集めるコレクター……正真正銘の不審者なのだから。
◇
1年の始まり。電灯が、散った桜の花びらを照らす。私はそこに影を作りながら歩いていた。
数年前の私であれば見上げて満開の桜が咲き誇る様に心打たれ、その風景を大事なカメラの中に残していたに違いない。しかし、今の私はそんな景色に興味を抱けず、ただ目的地を目指して下を見ながら進んでいくだけである。
「はぁ」
私の中で素敵だと思えるものが、普通ではなくなってしまったことを直視して、ため息を吐く。
いつからこんな風になってしまったのか。
最初はインターネットを通して、過去に起きた事故や事件の情報を調べるだけで満足だった。それが、今ではアニメやドラマのファンが作品にゆかりのある場所を巡るという巡礼の如く、事故や事件の起きた場所を趣味で巡るまでになった。
今日も、私は過去に事故があった現場に赴いている。
「っと、この交差点かな」
スマートフォンの地図アプリを開き、場所を確認する。どうやらここで間違いない。
2年前、ある親子が撥ねられた現場だ。
下校中の小学2年生の少女とそれを迎えに来た彼女の母親が、脇見運転をしていた車に撥ねられ、死亡。車を運転していた人は過失運転致死の疑いで逮捕された。ネット上ではそれ以上の情報はない。
彼女らはどのように撥ねられたのか。轢いた車は何色だったのか。家族が亡くなった父親はどのような気持ちだったのか。それらは不確かである。
私はそれが知りたい。
実際に来ても分からないことは分からない。それでも、目で見て、耳で聞いて、肌で感じたいのだ。
こんな熱意を語ったとしても、結局のところ、私はただの不審者なので、何も言わず首からかけた大事なカメラに手を掛ける。
「カシャッ」
私は趣味を謳歌する。
他人が見れば何の変哲もないただの交差点でしかない。しかし、ここで誰かが事故に遭った。その背景を考えるだけで、この写真は私にとって宝になる。
「いいものを残せた」
自然と笑みが溢れる。
そうして、カメラに入っている過去に残してきたものを振り返る。
腐っても写真家。どれもこれも、画にはなっている。しかし、どこか物足りない。
残したい瞬間は、ここではないのだ。
私は深いため息を吐き、空を見上げる。
「また、間近で見てみたいな……」
そんな言葉を口から垂らし、ハッとして周囲を見渡す。
もしも誰かが聞いていたとして、今の言葉だけでは意図を理解することは難しいだろう。しかし、後ろめたさからか、周りを警戒してしまう。
どうやら、誰もいないようだ。私は安堵から息を漏らす。その時だった。
「何を見たいと、考えましたか?」
突如、背後から男か女か分からない声で、そう問いかけられたのだ。
私は「うわぁ!」と叫び声をあげて、前方へ転がり込む。
「おや、大丈夫ですか?」
声のする方へ目を向ける。
そこにいたのは、大きな鞄を背負い、仮面とローブで素顔を隠した怪しい人物だった。
「え、えっと……貴方は誰ですか……?」
ゆっくりと立ち上がり、ローブの怪しい人物にそう問いかける。
「あぁ、申し遅れました。私、しがない古物商でございます」
その人物は唖然とする私に対して、こう口にして一礼した。
◇
私は怪しい人物に連れられて、一軒のてるてる坊主が吊るされた、小さな屋台の目の前にいた。
「これは……?」
「私の屋台でございます。言ったでしょう?私、古物商なので」
なるほど。商売を生業とする古物商の屋台があることにはまぁ、納得できる。しかし、異様だ。
ここは住宅街の一角であり、祭りの会場などというわけではない。
花見のできる公園の周辺で何軒かの屋台が並んでいるのを見たが、そことここでは大違いだ。
「えっと、なんでここに建てたんですか?ほら、こんなところじゃ客も来ませんでしょうし……あと、許可とかいるんじゃないですか?」
「なるほど、許可ですか。それは一考の余地がありますね。参考にします」
「それで、お客に関しましては貴方がいらっしゃいますから」
「えっと……私、ですか?」
「えぇ、貴方です」
古物商は頷く。
つまり、この人は私を客として招く為にここに屋台を建てたということだろうか。
それではまるで、私がここに来ることを知っていたみたいではないか。
先程の発言といい、何か見透かされているような感覚に寒気がして、私は古物商を問い詰める。
「なんで、私を客として扱うんですか?私、別に古物などに興味はないんですけど」
「いえ、貴方に興味がなくても、貴方にぴったりの商品を私が持ち合わせていましたので」
訝しげな私に対して、古物商は悪びれる様子もなく淡々と返す。
どうやら、この人物は自ら客を選んでいるらしい。しかも、私にぴったりの物があるという事はやはり、私について知っている様子だ。
もしかして、ストーカーだろうか。いや、私のような人間にそんな大層なことをする奴がいるはずない。それに、ストーカーだとしても私はこの人を責めることが出来ない。
そんなことを考えていると、古物商は私の手元へと目線をやり、口を開く。
「それにしても、そちら、大変に大事なもののようですね」
「え?」
古物商の言葉を受けて、自分の手の内を見る。どうやら、私は不審者を前にして、大事なカメラを庇うように握りしめていたようだ。
「まぁ、そうですね。仕事と趣味の相棒ですから」
そう、カメラは私にとって命の次に、いやもしかするとそれ以上に大事なものだ。コイツとは長い付き合いになるし、趣味の面からいえば共犯者みたいなものだろう。
「えぇ、えぇ。物を大切にすることは大変に素晴らしいことだと思いますよ。物には魂が宿るなんて言いますからね」
古物商は嬉しそうに頷く。
「ただ、まぁ……唯一無二の相棒というのは、少し恐ろしいものですよ。これがなきゃ生きていけない、とか、コイツが俺の生きがいだ、とか」
「まぁ、そのような方がいてくれると、私としては大変ありがたいのですが……」
よく、訳の分からないことを口にしながら、古物商はカバンの中をガサガサと漁る。そうして、お目当ての物が見つかったのか、それを中から引っ張り上げる。
「控えの相棒なんてのはいかがですか?」
古物商がそう言って、私に見せたのは一台のインスタントカメラだった。
「えっと、これは……」
「見ての通り、インスタントカメラですよ。まぁ、古物というほど古い物ではございませんが、このような物も取り揃えております」
「な、なるほど」
私はじっくりとそのカメラを見る。彼は古物というほど古くはないなんていったが、明らかに年代物のカメラだ。60年代のインスタントカメラだとして、中古品でも10万ほどの価値があるのではないだろうか。
コレクターなら、喉から手が出るほど欲しそうなものである。しかし、私はそのようなコレクターではない。それに、そもそも、今はあまり金を持ち合わせていないのだ。
だから、このインスタントカメラは不要だと古物商に告げようとした時、それは古物商の言葉によって遮られた。
「勿論、ただのカメラではございませんよ。控えの相棒になり得る性能が彼にはあるんです」
「はぁ……性能ですか。それは、一体どのようなものなのですか?」
断るつもりではあるものの、こう切り出されると続きが聞きたくなるものだ。私はつい、その性能とやらを聞いてしまった。
その時、古物商が笑った気がした。待っていましたと言わんばかりに。
「えぇ。このインスタントカメラはですね、"アナタの望んだ景色を写し出す"んです」
◇
彼の言葉の意味を理解できずに、「はぁ……?」と声を漏らした。
望んだ景色を写し出す?一体、何を言っているんだ、この店員は。
「まぁ、物は試しと言いますし。どうです?一枚、撮ってみては?」
古物商はそう言って、私にカメラを手渡してきた。断ることもできず、私はそれを受け取る。
「そこの木なんて、被写体としていかがですか?」
住宅街の空き地に立つ立派な木。古物商はそれを指差す。これを撮れということらしい。
「ええっと、じゃあ……と、撮りますよ?」
私はその大きな木にカメラを向ける。
そうして、レンズ越しに被写体を観察する。
なんというか、私はその木を見て、嫌な感じがした。これほど立派に育ち、緑に色づいた巨木がどうしようもない私を見下しているように感じたのだ。
だから、こう思った。
枯れてしまえばいいのに。
「カチッ」
光と共にシャッター音が鳴る。その時、私の景色が一変した。
「は、え?」
意味がわからず、あほらしい声が出た。
カメラは「ジー」と音を鳴らしながら、一枚の写真をプリントする。
そこには、緑などない丸裸に枯れた巨木が写っていた。
それが、私の撮った被写体であることには違いない。だが、間違っている。私が撮ったのは緑が生い茂る立派な木であったはずだ。はず、なのだが……。
私は被写体であったはずの木に、もう一度目を向ける。
そこには、写った通りの取るに足らない枯れた木があった。
「なるほど……アナタは豊かな思考をお持ちのようですね」
うんうんと頷く古物商。
その冷静っぷりから、こうなることは分かっていたという風だ。
私はこんなにも唖然としているというのに……待てよ、さっきの言葉。望んだ景色を写し出すって……。
「そう。やっと理解してくださったみたいですね。やはり、百聞は一見にしかずだ」
顎に手を当て古物商は満足気だ。
「い、いや。理解はしましたが、納得はできませんよ!こんなの!」
震える足を片手で押さえて、私は吠えた。
「納得はしていただかなくても構いません。理解さえしていただけましたら問題ありませんから」
この人、めちゃくちゃだ。
あ、あぁ。そうだ、なるほど。私はきっと夢でも見ているのだろう。
じゃなきゃ、こんな道具を手にすることなんてあり得ない。
そうだ、きっとそうなんだ。
だったら……。
邪なことを考えてハッとする。いやいや、いけない。それはあまりにも倫理に反する。
でも、このカメラがあれば。
これが夢なら。
気づけば、私はそのインスタントカメラを大事に握りしめていた。
古物商はそんな私の様子から、これをもらう決心がついたと納得したようだった。
そうして、古物商は口を開いた。
「最初の質問に、答えてもらっていませんでしたね。もう一度、聞きましょう」
私の目を見て問いかける。
「貴方は、そのカメラで何を写したいと考えてますか?」
◇
私はあの古物商から受け取ったカメラを持て余していた。
「結局、夢じゃなかったみたいだしな……」
そう。一度家に帰って、眠りについてもこのカメラは私の手元にあった。
どうしよう。夢だと思って、金も払わずにそのまま受け取ってしまった。
また、あの場所へ行けば会えるだろうか。いや、出店を離れる時に古物商は何も言わなかった。それに、あの人は私を客にしたい…みたいなことを言っていた気がする。
つまり、古物商は最初から、私にタダでこのインスタントカメラを渡したかったのではないだろうか。
このカメラについて、私はそう結論付けた。
しかし、金を払っていないことに納得が出来たところで、私はこのカメラを使いたくはなかった。
「私の願望を写すカメラなんて……」
よくない。絶対にいいわけがない。
しかし、売るわけにもいかないし手元に置いておけば、いつか願望に負けてしまう気もする。壊して捨てるか?いや、それは流石に勿体無い。
「う、うーん……」
私がこのカメラの扱いについて悩んでいると、「ピロン」とスマートフォンが鳴った。
私は片手にインスタントカメラを抱えたまま、スマートフォンを覗き込む。
『再来月の末、楽しみにしてるね』
そこには、遠くに住んでいる恋人からのメッセージが写っていた。
再来月、彼女が私の家に遊びに来る。そういう約束を最近彼女と交わしていた。
だというのに、なんだこの部屋の有り様は。床には食べ終わったカップ麺の容器や飲み終わった酒の缶、その他ゴミと呼ばれるものが散らかっていた。
男性の一人暮らしというのは、基本的にそのようなものだろう。だが、まだ時間があるとはいえ、恋人が来るのに部屋をこのままにしておくのは、良くない。
片付けなくては……!
「あ、そうだ」
そこで、片手に握りしめられたカメラを思い出し、フィルム越しに部屋を見る。そうして、シャッターボタンに指を押し当てた。
「カチッ」
その音と共に、部屋が一変する。
カメラは埃一つ落ちていない綺麗な部屋をプリントし、私の部屋はカメラの写した景色のままになった。
「はは。便利だ」
思わず笑みを浮かべてしまう。この道具の有用性に私は心躍っていた。危険なものである予感はあるが、それがどんどんと薄れていくのを自覚しながら。
それから、時計を眺めてハッとする。
「おっと、いけない。そろそろ、行こうか」
私は2つのカメラを持ち、会社へと向かった。
◇
通勤中の出来事だ。
私は駅までの道を歩いていた。普段と違うことは、通い路の横にあるビルで工事が行われていたことと、奇妙なカメラを持っている事くらいだ。
何ら変わらない1日が始まるはずだった。
一瞬、暗闇に包まれて「がしゃん」という耳の裂けるような音を聞くまで私はそう思っていた。
音と共に視界がぶれる。気づけば空を見上げていた。
一体、何が起こったのか。この音はなんだ。そんな思考に至ろうとした頭が警鐘を鳴らした。それは痛みによるものだった。
足が……足が痛い。
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い。
何が起こった。痛い。意味がわからない。
私はゆっくりと、自分の足を確認しようと下を見る。
「ぐっ……べっ?」
そこには、私の足はなかった。私の足は、潰れて切り落とされ、断面から血液が飛沫をあげて地面に流れていた。
分かった。上から鉄骨が落ちてきたのだ。
「ぎっ、がああああああああああ!!!!!」
私の足は鉄骨に押し潰されたのだ。
「あああああっ!あああああっ!!!」
視界がチカチカする。寒気も止まらない。
「うぎいぃ!うぎぎぎ!!!」
そう。このままでは死ぬ。い、嫌だ。このまま死にたくはない。痛みが意識をはっきりとさせる。
「ふーっ!ふーっ!」
私は震える右手であのカメラを構える。
そうして、シャッターを切る。
「カチッ」
カメラは写真をプリントした。
痛みはない。足も元通り。血痕も鉄骨さえも世界にはない。
私はゆっくりと立ち上がる。やはり痛みはない。そうして、周囲の視線に気づいた。
叫び声を聞いて集まってきた人から見ると、私は転んで絶叫した狂人であっただろう。もしかしたら、カメラで撮った途端に体が元に戻ったのを目撃してしまった人物もいたかもしれない。
これは非常にまずい。
私は必死で駅の方へと逃げて行った。
そうして、改札を通り電車へと乗り込む。周りを見ても、あの場の視線を送っていた人物はいなかったはずだ。
「ふぅ……」
一息ついて、座席に座る。
電車が発車し、過ぎていく景色を眺めながら、私は先程のことを思い出す。
どうやら、このカメラがなければ私は死んでいたに違いない。
「命の恩人、か」
ぼそりと呟かれた独り言。
「命の恩人?何言ってんだ、アンタ?」
私の前に立っていた人物がこれに反応した。
スーツを着た会社員風の男だった。彼は私の一言を耳にして聞き流すこともせず、問いかけてきた。
「アンタ、そのカメラを見ながら命の恩人って言ったんか?」
私は手元にある特異的なカメラの存在に気づかれまいと、だんまりを決め込む。
そんな私を、彼は笑った。
「はっ。急に声かけてすまねぇな。いや、ビビらすつもりはなかったんだけどさ、大事そうにそのカメラ抱えて命の恩人なんていうもんだからさ…気になっちまって」
「まぁ、無理に聞き出すつもりもないから安心してくれよ」
彼は続ける。
「ただ、物ってのは使いようだよなって思ってさ。アンタ、カメラマンかなんかだろ?だったら色々撮ってきたと思うんだけどさ」
「カメラって、使い方次第じゃ、趣味にも仕事にもなるだろ?そんな道具をアンタは命の恩人なんて言うからさ。やっぱ、人の使い方次第じゃ何にでもなるんだなって」
「ただのカメラが命の恩人にもな」
彼はそう言って再度、元気に笑う。
彼の言葉には間違いがあった。これはただのカメラではない。でも、私は彼にそれを話せない。
しかし、何か言葉を返したかった。でも、思いつかない。
そうして私が口籠もっていると、車内アナウンスが鳴る。
「まもなく、乾広ー、乾広ー。下り口は左側ですー」
それを聞いた目の前の彼は強く握りしめていた吊り革を手放した。
「おっと、俺はここで降りるんだ。気分悪くさせたってんならごめんな。話聞いてくれてありがとうよ」
電車が止まり、彼はそのまま駅へと去っていった。
「物は使いよう……か」
名前も知らぬ彼の言葉。何ら難しい言葉ではない。使い方一つで道具は利にも不利にもなるというだけの言葉だ。
それが私の頭の中でずっと響いていた。
そして、あぁ、そうかと納得した。
このインスタントカメラ、自分の欲の為に使えばいくらでも悪い道具になるだろう。しかし、私の命を助けたように、誰かを助ける為に使えば、ただの危険な道具ではなくなる。
それは史上最高にクズな私でも、人のためになれるということではないか。
趣味に罪悪感を持つ私は、常に贖罪の機会のようなものを求めていた。このカメラがあれば、それができる。
そうして、私はこのカメラで人を助けると心の中で誓いを立てた。
◇
それから、私はインスタントカメラを使いバレないように奉仕活動を行った。
街に落ちているゴミを撮り、それをなかったことにした。
転んで膝を擦りむき泣きじゃくる少女の傷を撮り、それをなかったことにした。
別れ話をする夫婦を撮り、それをなかったことにした。
そんな調子で、私は何人もの人を助けた…はずだ。中には、私は命の恩人になったと言える奉仕活動もあったように思える。
沢山、良いことをした。このカメラで。
しかし、贖罪を果たしていったところで、私の心が満たされることはなかった。
善行を積むたび、免罪符が増えていく気がした。本当にしたいことを渇望していた。
「これだけいい事をしたんだ、少しくらい……」
気づけば、こんな事を思っていた。自制心は善行が殺した。
そして、その時は来た。
真夏のある日、私はある学校の前に立っていた。時刻は昼前、学生たちは今頃、勉学に勤しんでいる事だろう。
私は木陰に隠れて、校門を眺める。誰も出てくる気配はない。その後、道路を見渡す。1台の車も通っていない。
そして、カメラを構える。
さて、何を写そうか。
「ふーっ。ふーっ」
息が荒くなるのを感じながら、シャッターボタンに指を当てる。
視たい。視たい視たい。
「視て、みたい」
この日、史上最高のクズは一線を超えた。
「カチッ」
その音と共に聞こえたのは、「ばちんっ!」という、人間が車に打ち付けられる音だった。
少年が轢かれた。
学校から、水着姿の少年が飛び出して、突然現れたトラックに跳ね飛ばされた。
カメラが写真をプリントする。
そこには、人が死ぬ瞬間が写っていた。
「ははっ」
やった。やってしまった。
そこには、罪悪感と後悔があった。ただ、それだけではない。いや、むしろそれ以上に。私は興奮していた。
絶対にバレることなく、人の死ぬ現場に立ち会えたのだ。こんなに最高なことはないだろう。
もう、この先も我慢なんてできない。
その後、私はその場を去った。
それからは早かった。このカメラで、沢山の写真を撮った。プリントされた写真はどれも凄惨で私の宝物だ。
何人も、殺した。
◇
9月の末。心がおかしくなってしまったのか、会社にも行かず、ただ大事な写真を眺めるだけの寂しい日々を過ごしていた。
しかし、今日は恋人が家に来る日。久しぶりに彼女に会える、楽しみだ。
部屋はカメラのおかげで綺麗だし、大事な宝物も隠してある。万全の状態だ。
ふと、こんなにイカれた思想を持つ私が幸せだなんて、不思議だと思った。それがおかしくて笑ってしまう。
私はこんなに化け物なのに。
「ピンポーン」
チャイムがなる。
「あいてるよ」
私がそう玄関の方へと声をかけると、ゆっくりと扉が開き、彼女が顔を覗かせる。
「お邪魔します。あれ、意外と綺麗だね」
そう言って笑う彼女はとても愛らしかった。
それから、私達は他愛のない話をして、ご飯を食べて、テレビを見て、2人で過ごした。
こんなに幸せなのに、私は殺人鬼だ。人を何人も殺した。でも、それでいいと思う。どうしようもない趣味を抱え、罪悪感とともに生きてきた私だからこそ、幸せになるべきだろう。そう、思えるはずなのに、なにか、引っかかるような感覚を覚える。
なんで、なのだろうか。
トイレに入って、彼女を部屋に1人にした時、ずっとそんなことを考えていた。
その時だった。
「きゃあ!」
叫び声を聞いた。彼女の声だった。
私は慌てて、トイレから出る。
「大丈夫!?何かあった!?」
彼女はクローゼットの前でへたり込んでいた。
もしかして、虫でも出たのだろうかと一瞬頭をよぎったが、クローゼットが開いてるのを見て、彼女がなぜ叫んだのか一瞬で理解した。
「いや、あまりにも部屋が綺麗だったから、ここに無理やり詰めたんじゃないかと思って、開けちゃったんだけど……ねぇ、この写真の束……なに?」
怯えた顔で彼女は問いかける。そんな彼女を愛らしいな、と思った。
「ねぇ、もしかして、何かに巻き込まれていたりしない?大丈夫?警察に、連絡しない?」
彼女は腰を抜かしたのか、立ち上がりもせず、私に心配の目を向ける。
そんな彼女を見ていると、私は視てみたくなってしまった。
最愛の人の死に様を写したいと思った。
この部屋は6階だ。あぁ、転落死なんて素敵じゃないだろうか。
ただ、笑う私に彼女は怯えた様子だ。
「どうしたの?ねぇ、何か言ってよ……」
不安が最高潮に達した彼女を見下し、そのままベランダの扉を開ける。
夏はほとんど終わりを迎えて、夜の風は寒い。それを浴びながら、大事に抱えていたインスタントカメラを外に向ける。
「なに、してるの?」
彼女の問いに、私は答える。
「君を撮るんだよ」
彼女からしたら、訳の分からない言葉であったはずだ。でも、理解されるかされないかなんて、どうでもよかった。
彼女は今から死ぬのだ。
しかし、常軌を逸した私をみた彼女は何かを察したようで「や、やめて!」と叫んでいる。
やかましいな。そう思いながら、シャッターボタンを軽く撫でる。
「さようなら、私の最愛の人」
そんなことを呟きながら、指を強く押し込んだ。
「カチッ」
その音と共に景色が一変する。
「……え?」
私は外から6階にある私の部屋を覗き込んでいた。
どうやら、ベランダの外に放り出されていた。
何故?
考える。
私はこのカメラで人を助ける。
あの時の誓いはこのカメラを手放さないための言い訳に過ぎなかった。
しかし、贖罪の機会を求めていたというのは嘘ではない。
あぁ、なるほど。
この落下は、私が望んだものなのか。
下へと、落ちる。ゆっくりと、落ちていく。
やけに長く感じる落下の中、インスタントカメラを自分に向けてシャッターを切る。
「カチッ」
その時の私ははたして、どんな顔をしていたのだろうか。
鈍い音を最後に、私は何も分からなくなった。
◇◇◇
「古来より、写真を撮られると魂を抜かれる、なんて言いますが実際のところはどうなんでしょうね」
もう動かなくなった写真家に古物商は問いかける。
「このカメラには貴方の魂が宿っているのでしょうか」
地面に強く打ち付けられ、彼と共に壊れてしまったカメラ。それを拾い上げる。
「さて、アナタは何故死んでしまったのでしょうね?」
「物に殺された?それとも、ただの自殺ですか?」
彼が答えることはない。
「まぁ、どちらでも構いません。アナタも違うみたいでしたから」
そう言って、古物商は壊れたカメラを片手に、事故現場から姿を消した。
そう、私は起きた事故や事件を集めるコレクター……正真正銘の不審者なのだから。
◇
1年の始まり。電灯が、散った桜の花びらを照らす。私はそこに影を作りながら歩いていた。
数年前の私であれば見上げて満開の桜が咲き誇る様に心打たれ、その風景を大事なカメラの中に残していたに違いない。しかし、今の私はそんな景色に興味を抱けず、ただ目的地を目指して下を見ながら進んでいくだけである。
「はぁ」
私の中で素敵だと思えるものが、普通ではなくなってしまったことを直視して、ため息を吐く。
いつからこんな風になってしまったのか。
最初はインターネットを通して、過去に起きた事故や事件の情報を調べるだけで満足だった。それが、今ではアニメやドラマのファンが作品にゆかりのある場所を巡るという巡礼の如く、事故や事件の起きた場所を趣味で巡るまでになった。
今日も、私は過去に事故があった現場に赴いている。
「っと、この交差点かな」
スマートフォンの地図アプリを開き、場所を確認する。どうやらここで間違いない。
2年前、ある親子が撥ねられた現場だ。
下校中の小学2年生の少女とそれを迎えに来た彼女の母親が、脇見運転をしていた車に撥ねられ、死亡。車を運転していた人は過失運転致死の疑いで逮捕された。ネット上ではそれ以上の情報はない。
彼女らはどのように撥ねられたのか。轢いた車は何色だったのか。家族が亡くなった父親はどのような気持ちだったのか。それらは不確かである。
私はそれが知りたい。
実際に来ても分からないことは分からない。それでも、目で見て、耳で聞いて、肌で感じたいのだ。
こんな熱意を語ったとしても、結局のところ、私はただの不審者なので、何も言わず首からかけた大事なカメラに手を掛ける。
「カシャッ」
私は趣味を謳歌する。
他人が見れば何の変哲もないただの交差点でしかない。しかし、ここで誰かが事故に遭った。その背景を考えるだけで、この写真は私にとって宝になる。
「いいものを残せた」
自然と笑みが溢れる。
そうして、カメラに入っている過去に残してきたものを振り返る。
腐っても写真家。どれもこれも、画にはなっている。しかし、どこか物足りない。
残したい瞬間は、ここではないのだ。
私は深いため息を吐き、空を見上げる。
「また、間近で見てみたいな……」
そんな言葉を口から垂らし、ハッとして周囲を見渡す。
もしも誰かが聞いていたとして、今の言葉だけでは意図を理解することは難しいだろう。しかし、後ろめたさからか、周りを警戒してしまう。
どうやら、誰もいないようだ。私は安堵から息を漏らす。その時だった。
「何を見たいと、考えましたか?」
突如、背後から男か女か分からない声で、そう問いかけられたのだ。
私は「うわぁ!」と叫び声をあげて、前方へ転がり込む。
「おや、大丈夫ですか?」
声のする方へ目を向ける。
そこにいたのは、大きな鞄を背負い、仮面とローブで素顔を隠した怪しい人物だった。
「え、えっと……貴方は誰ですか……?」
ゆっくりと立ち上がり、ローブの怪しい人物にそう問いかける。
「あぁ、申し遅れました。私、しがない古物商でございます」
その人物は唖然とする私に対して、こう口にして一礼した。
◇
私は怪しい人物に連れられて、一軒のてるてる坊主が吊るされた、小さな屋台の目の前にいた。
「これは……?」
「私の屋台でございます。言ったでしょう?私、古物商なので」
なるほど。商売を生業とする古物商の屋台があることにはまぁ、納得できる。しかし、異様だ。
ここは住宅街の一角であり、祭りの会場などというわけではない。
花見のできる公園の周辺で何軒かの屋台が並んでいるのを見たが、そことここでは大違いだ。
「えっと、なんでここに建てたんですか?ほら、こんなところじゃ客も来ませんでしょうし……あと、許可とかいるんじゃないですか?」
「なるほど、許可ですか。それは一考の余地がありますね。参考にします」
「それで、お客に関しましては貴方がいらっしゃいますから」
「えっと……私、ですか?」
「えぇ、貴方です」
古物商は頷く。
つまり、この人は私を客として招く為にここに屋台を建てたということだろうか。
それではまるで、私がここに来ることを知っていたみたいではないか。
先程の発言といい、何か見透かされているような感覚に寒気がして、私は古物商を問い詰める。
「なんで、私を客として扱うんですか?私、別に古物などに興味はないんですけど」
「いえ、貴方に興味がなくても、貴方にぴったりの商品を私が持ち合わせていましたので」
訝しげな私に対して、古物商は悪びれる様子もなく淡々と返す。
どうやら、この人物は自ら客を選んでいるらしい。しかも、私にぴったりの物があるという事はやはり、私について知っている様子だ。
もしかして、ストーカーだろうか。いや、私のような人間にそんな大層なことをする奴がいるはずない。それに、ストーカーだとしても私はこの人を責めることが出来ない。
そんなことを考えていると、古物商は私の手元へと目線をやり、口を開く。
「それにしても、そちら、大変に大事なもののようですね」
「え?」
古物商の言葉を受けて、自分の手の内を見る。どうやら、私は不審者を前にして、大事なカメラを庇うように握りしめていたようだ。
「まぁ、そうですね。仕事と趣味の相棒ですから」
そう、カメラは私にとって命の次に、いやもしかするとそれ以上に大事なものだ。コイツとは長い付き合いになるし、趣味の面からいえば共犯者みたいなものだろう。
「えぇ、えぇ。物を大切にすることは大変に素晴らしいことだと思いますよ。物には魂が宿るなんて言いますからね」
古物商は嬉しそうに頷く。
「ただ、まぁ……唯一無二の相棒というのは、少し恐ろしいものですよ。これがなきゃ生きていけない、とか、コイツが俺の生きがいだ、とか」
「まぁ、そのような方がいてくれると、私としては大変ありがたいのですが……」
よく、訳の分からないことを口にしながら、古物商はカバンの中をガサガサと漁る。そうして、お目当ての物が見つかったのか、それを中から引っ張り上げる。
「控えの相棒なんてのはいかがですか?」
古物商がそう言って、私に見せたのは一台のインスタントカメラだった。
「えっと、これは……」
「見ての通り、インスタントカメラですよ。まぁ、古物というほど古い物ではございませんが、このような物も取り揃えております」
「な、なるほど」
私はじっくりとそのカメラを見る。彼は古物というほど古くはないなんていったが、明らかに年代物のカメラだ。60年代のインスタントカメラだとして、中古品でも10万ほどの価値があるのではないだろうか。
コレクターなら、喉から手が出るほど欲しそうなものである。しかし、私はそのようなコレクターではない。それに、そもそも、今はあまり金を持ち合わせていないのだ。
だから、このインスタントカメラは不要だと古物商に告げようとした時、それは古物商の言葉によって遮られた。
「勿論、ただのカメラではございませんよ。控えの相棒になり得る性能が彼にはあるんです」
「はぁ……性能ですか。それは、一体どのようなものなのですか?」
断るつもりではあるものの、こう切り出されると続きが聞きたくなるものだ。私はつい、その性能とやらを聞いてしまった。
その時、古物商が笑った気がした。待っていましたと言わんばかりに。
「えぇ。このインスタントカメラはですね、"アナタの望んだ景色を写し出す"んです」
◇
彼の言葉の意味を理解できずに、「はぁ……?」と声を漏らした。
望んだ景色を写し出す?一体、何を言っているんだ、この店員は。
「まぁ、物は試しと言いますし。どうです?一枚、撮ってみては?」
古物商はそう言って、私にカメラを手渡してきた。断ることもできず、私はそれを受け取る。
「そこの木なんて、被写体としていかがですか?」
住宅街の空き地に立つ立派な木。古物商はそれを指差す。これを撮れということらしい。
「ええっと、じゃあ……と、撮りますよ?」
私はその大きな木にカメラを向ける。
そうして、レンズ越しに被写体を観察する。
なんというか、私はその木を見て、嫌な感じがした。これほど立派に育ち、緑に色づいた巨木がどうしようもない私を見下しているように感じたのだ。
だから、こう思った。
枯れてしまえばいいのに。
「カチッ」
光と共にシャッター音が鳴る。その時、私の景色が一変した。
「は、え?」
意味がわからず、あほらしい声が出た。
カメラは「ジー」と音を鳴らしながら、一枚の写真をプリントする。
そこには、緑などない丸裸に枯れた巨木が写っていた。
それが、私の撮った被写体であることには違いない。だが、間違っている。私が撮ったのは緑が生い茂る立派な木であったはずだ。はず、なのだが……。
私は被写体であったはずの木に、もう一度目を向ける。
そこには、写った通りの取るに足らない枯れた木があった。
「なるほど……アナタは豊かな思考をお持ちのようですね」
うんうんと頷く古物商。
その冷静っぷりから、こうなることは分かっていたという風だ。
私はこんなにも唖然としているというのに……待てよ、さっきの言葉。望んだ景色を写し出すって……。
「そう。やっと理解してくださったみたいですね。やはり、百聞は一見にしかずだ」
顎に手を当て古物商は満足気だ。
「い、いや。理解はしましたが、納得はできませんよ!こんなの!」
震える足を片手で押さえて、私は吠えた。
「納得はしていただかなくても構いません。理解さえしていただけましたら問題ありませんから」
この人、めちゃくちゃだ。
あ、あぁ。そうだ、なるほど。私はきっと夢でも見ているのだろう。
じゃなきゃ、こんな道具を手にすることなんてあり得ない。
そうだ、きっとそうなんだ。
だったら……。
邪なことを考えてハッとする。いやいや、いけない。それはあまりにも倫理に反する。
でも、このカメラがあれば。
これが夢なら。
気づけば、私はそのインスタントカメラを大事に握りしめていた。
古物商はそんな私の様子から、これをもらう決心がついたと納得したようだった。
そうして、古物商は口を開いた。
「最初の質問に、答えてもらっていませんでしたね。もう一度、聞きましょう」
私の目を見て問いかける。
「貴方は、そのカメラで何を写したいと考えてますか?」
◇
私はあの古物商から受け取ったカメラを持て余していた。
「結局、夢じゃなかったみたいだしな……」
そう。一度家に帰って、眠りについてもこのカメラは私の手元にあった。
どうしよう。夢だと思って、金も払わずにそのまま受け取ってしまった。
また、あの場所へ行けば会えるだろうか。いや、出店を離れる時に古物商は何も言わなかった。それに、あの人は私を客にしたい…みたいなことを言っていた気がする。
つまり、古物商は最初から、私にタダでこのインスタントカメラを渡したかったのではないだろうか。
このカメラについて、私はそう結論付けた。
しかし、金を払っていないことに納得が出来たところで、私はこのカメラを使いたくはなかった。
「私の願望を写すカメラなんて……」
よくない。絶対にいいわけがない。
しかし、売るわけにもいかないし手元に置いておけば、いつか願望に負けてしまう気もする。壊して捨てるか?いや、それは流石に勿体無い。
「う、うーん……」
私がこのカメラの扱いについて悩んでいると、「ピロン」とスマートフォンが鳴った。
私は片手にインスタントカメラを抱えたまま、スマートフォンを覗き込む。
『再来月の末、楽しみにしてるね』
そこには、遠くに住んでいる恋人からのメッセージが写っていた。
再来月、彼女が私の家に遊びに来る。そういう約束を最近彼女と交わしていた。
だというのに、なんだこの部屋の有り様は。床には食べ終わったカップ麺の容器や飲み終わった酒の缶、その他ゴミと呼ばれるものが散らかっていた。
男性の一人暮らしというのは、基本的にそのようなものだろう。だが、まだ時間があるとはいえ、恋人が来るのに部屋をこのままにしておくのは、良くない。
片付けなくては……!
「あ、そうだ」
そこで、片手に握りしめられたカメラを思い出し、フィルム越しに部屋を見る。そうして、シャッターボタンに指を押し当てた。
「カチッ」
その音と共に、部屋が一変する。
カメラは埃一つ落ちていない綺麗な部屋をプリントし、私の部屋はカメラの写した景色のままになった。
「はは。便利だ」
思わず笑みを浮かべてしまう。この道具の有用性に私は心躍っていた。危険なものである予感はあるが、それがどんどんと薄れていくのを自覚しながら。
それから、時計を眺めてハッとする。
「おっと、いけない。そろそろ、行こうか」
私は2つのカメラを持ち、会社へと向かった。
◇
通勤中の出来事だ。
私は駅までの道を歩いていた。普段と違うことは、通い路の横にあるビルで工事が行われていたことと、奇妙なカメラを持っている事くらいだ。
何ら変わらない1日が始まるはずだった。
一瞬、暗闇に包まれて「がしゃん」という耳の裂けるような音を聞くまで私はそう思っていた。
音と共に視界がぶれる。気づけば空を見上げていた。
一体、何が起こったのか。この音はなんだ。そんな思考に至ろうとした頭が警鐘を鳴らした。それは痛みによるものだった。
足が……足が痛い。
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い。
何が起こった。痛い。意味がわからない。
私はゆっくりと、自分の足を確認しようと下を見る。
「ぐっ……べっ?」
そこには、私の足はなかった。私の足は、潰れて切り落とされ、断面から血液が飛沫をあげて地面に流れていた。
分かった。上から鉄骨が落ちてきたのだ。
「ぎっ、がああああああああああ!!!!!」
私の足は鉄骨に押し潰されたのだ。
「あああああっ!あああああっ!!!」
視界がチカチカする。寒気も止まらない。
「うぎいぃ!うぎぎぎ!!!」
そう。このままでは死ぬ。い、嫌だ。このまま死にたくはない。痛みが意識をはっきりとさせる。
「ふーっ!ふーっ!」
私は震える右手であのカメラを構える。
そうして、シャッターを切る。
「カチッ」
カメラは写真をプリントした。
痛みはない。足も元通り。血痕も鉄骨さえも世界にはない。
私はゆっくりと立ち上がる。やはり痛みはない。そうして、周囲の視線に気づいた。
叫び声を聞いて集まってきた人から見ると、私は転んで絶叫した狂人であっただろう。もしかしたら、カメラで撮った途端に体が元に戻ったのを目撃してしまった人物もいたかもしれない。
これは非常にまずい。
私は必死で駅の方へと逃げて行った。
そうして、改札を通り電車へと乗り込む。周りを見ても、あの場の視線を送っていた人物はいなかったはずだ。
「ふぅ……」
一息ついて、座席に座る。
電車が発車し、過ぎていく景色を眺めながら、私は先程のことを思い出す。
どうやら、このカメラがなければ私は死んでいたに違いない。
「命の恩人、か」
ぼそりと呟かれた独り言。
「命の恩人?何言ってんだ、アンタ?」
私の前に立っていた人物がこれに反応した。
スーツを着た会社員風の男だった。彼は私の一言を耳にして聞き流すこともせず、問いかけてきた。
「アンタ、そのカメラを見ながら命の恩人って言ったんか?」
私は手元にある特異的なカメラの存在に気づかれまいと、だんまりを決め込む。
そんな私を、彼は笑った。
「はっ。急に声かけてすまねぇな。いや、ビビらすつもりはなかったんだけどさ、大事そうにそのカメラ抱えて命の恩人なんていうもんだからさ…気になっちまって」
「まぁ、無理に聞き出すつもりもないから安心してくれよ」
彼は続ける。
「ただ、物ってのは使いようだよなって思ってさ。アンタ、カメラマンかなんかだろ?だったら色々撮ってきたと思うんだけどさ」
「カメラって、使い方次第じゃ、趣味にも仕事にもなるだろ?そんな道具をアンタは命の恩人なんて言うからさ。やっぱ、人の使い方次第じゃ何にでもなるんだなって」
「ただのカメラが命の恩人にもな」
彼はそう言って再度、元気に笑う。
彼の言葉には間違いがあった。これはただのカメラではない。でも、私は彼にそれを話せない。
しかし、何か言葉を返したかった。でも、思いつかない。
そうして私が口籠もっていると、車内アナウンスが鳴る。
「まもなく、乾広ー、乾広ー。下り口は左側ですー」
それを聞いた目の前の彼は強く握りしめていた吊り革を手放した。
「おっと、俺はここで降りるんだ。気分悪くさせたってんならごめんな。話聞いてくれてありがとうよ」
電車が止まり、彼はそのまま駅へと去っていった。
「物は使いよう……か」
名前も知らぬ彼の言葉。何ら難しい言葉ではない。使い方一つで道具は利にも不利にもなるというだけの言葉だ。
それが私の頭の中でずっと響いていた。
そして、あぁ、そうかと納得した。
このインスタントカメラ、自分の欲の為に使えばいくらでも悪い道具になるだろう。しかし、私の命を助けたように、誰かを助ける為に使えば、ただの危険な道具ではなくなる。
それは史上最高にクズな私でも、人のためになれるということではないか。
趣味に罪悪感を持つ私は、常に贖罪の機会のようなものを求めていた。このカメラがあれば、それができる。
そうして、私はこのカメラで人を助けると心の中で誓いを立てた。
◇
それから、私はインスタントカメラを使いバレないように奉仕活動を行った。
街に落ちているゴミを撮り、それをなかったことにした。
転んで膝を擦りむき泣きじゃくる少女の傷を撮り、それをなかったことにした。
別れ話をする夫婦を撮り、それをなかったことにした。
そんな調子で、私は何人もの人を助けた…はずだ。中には、私は命の恩人になったと言える奉仕活動もあったように思える。
沢山、良いことをした。このカメラで。
しかし、贖罪を果たしていったところで、私の心が満たされることはなかった。
善行を積むたび、免罪符が増えていく気がした。本当にしたいことを渇望していた。
「これだけいい事をしたんだ、少しくらい……」
気づけば、こんな事を思っていた。自制心は善行が殺した。
そして、その時は来た。
真夏のある日、私はある学校の前に立っていた。時刻は昼前、学生たちは今頃、勉学に勤しんでいる事だろう。
私は木陰に隠れて、校門を眺める。誰も出てくる気配はない。その後、道路を見渡す。1台の車も通っていない。
そして、カメラを構える。
さて、何を写そうか。
「ふーっ。ふーっ」
息が荒くなるのを感じながら、シャッターボタンに指を当てる。
視たい。視たい視たい。
「視て、みたい」
この日、史上最高のクズは一線を超えた。
「カチッ」
その音と共に聞こえたのは、「ばちんっ!」という、人間が車に打ち付けられる音だった。
少年が轢かれた。
学校から、水着姿の少年が飛び出して、突然現れたトラックに跳ね飛ばされた。
カメラが写真をプリントする。
そこには、人が死ぬ瞬間が写っていた。
「ははっ」
やった。やってしまった。
そこには、罪悪感と後悔があった。ただ、それだけではない。いや、むしろそれ以上に。私は興奮していた。
絶対にバレることなく、人の死ぬ現場に立ち会えたのだ。こんなに最高なことはないだろう。
もう、この先も我慢なんてできない。
その後、私はその場を去った。
それからは早かった。このカメラで、沢山の写真を撮った。プリントされた写真はどれも凄惨で私の宝物だ。
何人も、殺した。
◇
9月の末。心がおかしくなってしまったのか、会社にも行かず、ただ大事な写真を眺めるだけの寂しい日々を過ごしていた。
しかし、今日は恋人が家に来る日。久しぶりに彼女に会える、楽しみだ。
部屋はカメラのおかげで綺麗だし、大事な宝物も隠してある。万全の状態だ。
ふと、こんなにイカれた思想を持つ私が幸せだなんて、不思議だと思った。それがおかしくて笑ってしまう。
私はこんなに化け物なのに。
「ピンポーン」
チャイムがなる。
「あいてるよ」
私がそう玄関の方へと声をかけると、ゆっくりと扉が開き、彼女が顔を覗かせる。
「お邪魔します。あれ、意外と綺麗だね」
そう言って笑う彼女はとても愛らしかった。
それから、私達は他愛のない話をして、ご飯を食べて、テレビを見て、2人で過ごした。
こんなに幸せなのに、私は殺人鬼だ。人を何人も殺した。でも、それでいいと思う。どうしようもない趣味を抱え、罪悪感とともに生きてきた私だからこそ、幸せになるべきだろう。そう、思えるはずなのに、なにか、引っかかるような感覚を覚える。
なんで、なのだろうか。
トイレに入って、彼女を部屋に1人にした時、ずっとそんなことを考えていた。
その時だった。
「きゃあ!」
叫び声を聞いた。彼女の声だった。
私は慌てて、トイレから出る。
「大丈夫!?何かあった!?」
彼女はクローゼットの前でへたり込んでいた。
もしかして、虫でも出たのだろうかと一瞬頭をよぎったが、クローゼットが開いてるのを見て、彼女がなぜ叫んだのか一瞬で理解した。
「いや、あまりにも部屋が綺麗だったから、ここに無理やり詰めたんじゃないかと思って、開けちゃったんだけど……ねぇ、この写真の束……なに?」
怯えた顔で彼女は問いかける。そんな彼女を愛らしいな、と思った。
「ねぇ、もしかして、何かに巻き込まれていたりしない?大丈夫?警察に、連絡しない?」
彼女は腰を抜かしたのか、立ち上がりもせず、私に心配の目を向ける。
そんな彼女を見ていると、私は視てみたくなってしまった。
最愛の人の死に様を写したいと思った。
この部屋は6階だ。あぁ、転落死なんて素敵じゃないだろうか。
ただ、笑う私に彼女は怯えた様子だ。
「どうしたの?ねぇ、何か言ってよ……」
不安が最高潮に達した彼女を見下し、そのままベランダの扉を開ける。
夏はほとんど終わりを迎えて、夜の風は寒い。それを浴びながら、大事に抱えていたインスタントカメラを外に向ける。
「なに、してるの?」
彼女の問いに、私は答える。
「君を撮るんだよ」
彼女からしたら、訳の分からない言葉であったはずだ。でも、理解されるかされないかなんて、どうでもよかった。
彼女は今から死ぬのだ。
しかし、常軌を逸した私をみた彼女は何かを察したようで「や、やめて!」と叫んでいる。
やかましいな。そう思いながら、シャッターボタンを軽く撫でる。
「さようなら、私の最愛の人」
そんなことを呟きながら、指を強く押し込んだ。
「カチッ」
その音と共に景色が一変する。
「……え?」
私は外から6階にある私の部屋を覗き込んでいた。
どうやら、ベランダの外に放り出されていた。
何故?
考える。
私はこのカメラで人を助ける。
あの時の誓いはこのカメラを手放さないための言い訳に過ぎなかった。
しかし、贖罪の機会を求めていたというのは嘘ではない。
あぁ、なるほど。
この落下は、私が望んだものなのか。
下へと、落ちる。ゆっくりと、落ちていく。
やけに長く感じる落下の中、インスタントカメラを自分に向けてシャッターを切る。
「カチッ」
その時の私ははたして、どんな顔をしていたのだろうか。
鈍い音を最後に、私は何も分からなくなった。
◇◇◇
「古来より、写真を撮られると魂を抜かれる、なんて言いますが実際のところはどうなんでしょうね」
もう動かなくなった写真家に古物商は問いかける。
「このカメラには貴方の魂が宿っているのでしょうか」
地面に強く打ち付けられ、彼と共に壊れてしまったカメラ。それを拾い上げる。
「さて、アナタは何故死んでしまったのでしょうね?」
「物に殺された?それとも、ただの自殺ですか?」
彼が答えることはない。
「まぁ、どちらでも構いません。アナタも違うみたいでしたから」
そう言って、古物商は壊れたカメラを片手に、事故現場から姿を消した。
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