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6.到着

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「こ、この先ですか……?」

 アグリッパの言葉を疑うわけではないが、サリサは戸惑いを隠せずにいた。
 何故なら前方には二人の行く手を阻むかのように、巨木がずらりと立ち並んでいたからだ。
 木々の間隔はとても狭く、アグリッパどころか細身のサリサですら通ることが難しいだろう。
『お前にはこの向こうへ行く資格などない』と言われているようで、サリサの心に翳りが差した。ぎゅ、と胸の前で手を握り締める。

「テレーゼ様?」

 少女の異変に気づいたアグリッパが案じるような声音で呼びかけた。

「驚かせてしまって申し訳ありません。ただいま『入口とびら』を開きますので」

 そう告げてから執事は指を鳴らした。
 ぱちん、と乾いた音が森の中に響き渡る。
 異変が起こったのはその直後。
 目の前の空間が音もなく歪み始めた。
 空の青が、木の葉の緑が、幹の茶色が、世界を構築する色がゆっくりと混ざり合い、最後には白が生まれる。
 白は目映い光を放ち、サリサに瞼を下ろさせた。

 数秒後、恐る恐る目を開いたサリサは言葉を失う。
 木々は姿を消し、代わりに現れたのは赤、青、黄、橙、紫、白……と彩り豊かな花に囲まれた小路こみちだった。
 その先に聳えていたのは、美しい白亜の豪邸と広大な庭園。
 純白の外装と青空が織り成す爽やかなコントラスト。
 当初サリサは森の中にある屋敷と聞いて鬱蒼なイメージを抱いていたが、むしろその逆だ。
 王家、又は高位貴族の所有する離宮に匹敵する豪奢さ。
 サリサの生家であるエリグラ邸とは、比べ物にならない。

「わ、私、今日からここに……?」
「はい。既にテレーゼ様のお部屋もご用意して……テレーゼ様?」

 その場に座り込んでしまったサリサに、アグリッパが心配そうに手を差し伸べる。

「申し訳ありません……その、こんなに綺麗で大きなお屋敷で暮らすことを想像したら、体から力が抜けてしまって」
「なるほど、そういうことでしたか。少しずつでいいので、慣れてくださいね」
「はい! 頑張ります……!」

 何度も頷きながら返事をすると、アグリッパはまた空を仰ぎ見た。サリサも無意識に空を見上げようとした時、

「遅いぞ、アグリッパ。一体何をしていた」

 感情のこもっていない、平坦な低音の声がアグリッパを咎める。
 数メートル先に若い男の姿があった。
 やや暗めの金髪と、深い海色の双眸。
 晴れ晴れとした青空に似つかわしくない夜色のローブ。同色のレザーグローブをはめた手が握っているのは、紫水晶をあしらった木の杖。
 何よりサリサの目を引いたのは、人形めいた冷涼なる顔立ち。

 全てが美しいこの空間の中で、彼の存在だけが異質だった。

「いやぁ、すみませんね。休憩のついでにパンを食べてました」

 軽薄な口調での弁解に男は声を荒らげることはしないものの、深く溜め息をつく。
 サリサはその様を眺めながら「この方も使用人なのだろうか?」と首を傾げていたが、すぐに我に返る。
  まずは挨拶だ。慌てて金髪の男に頭を下げる。

「わ、私はエリグラ伯爵家の長女テレーゼと申します。本日からこちらでお世話になります……!」
「……お前がテレーゼだと?」

 威圧感のある声にびくりと肩が跳ねる。
 姉のような堂々とした立ち振る舞いができなかったのだろうか。
 だがここで男の問いかけに正直に答えるわけにはいかない。サリサはどうにか絞り出した声で「はい」と返事をした。
 男は厳しい眼差しをサリサではなくアグリッパに向けた。

「……おい」
「そんな目で私を見ないでくださいよ。まあ、細かい話は置いといて、まずは屋敷に入りましょう。テレーゼ様もお疲れですし」

 男からの追及を逃れるように、アグリッパはサリサに笑いかけながら言った。
 こちらとしてもこれ以上の詮索は避けたいところだったので、彼の提案はありがたい。
 サリサは礼を告げようと口を開きかけて、

「ではヴィクター様と共に屋敷に入りましょうか」
「…………え?」

 アグリッパのその言葉に思考が止まった。
 今、この場に自分の夫となるゴブリンがいるというのか。しかしいくら辺りを見回しても、自分とアグリッパ、それと目の前の男以外は誰もいない。
 困惑していると、男の碧眼と視線が合わさった。

 まさか。

「あ、あのアグリッパ様。こちらの方は……」
「ヴィクター・フォールハウト。この屋敷の主であり、あなたの伴侶となるエルフです」
「エル……!?」

 驚愕のあまり、サリサの声は裏返った。
 エルフとゴブリン。どちらも妖精と人間との間に生まれた混血だが、彼らにはいくつかの違いがある。
 最大の相違点はエルフは光妖精の子であり、ゴブリンは闇精霊の子である点。
 また容姿の美醜にも差がある他、エルフは妖精国レイティスの住人で基本的に自国から出ることはない。非常に自尊心が高い性格で、故に人間たちに混じって暮らすことを忌避しているためだ。

 なので、この国にエルフがいるはずがなかった。
 しかも姉、いや自分と結婚するなんて。
 サリサは目眩を起こしてしまって上手く歩くことができず、アグリッパに支えられながら屋敷を目指した。
 その間も、ヴィクターが探るような視線を自分に向け続けているとは気づきもせずに。
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