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第十二章
発熱・二(四)
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あれは、塔に入って五年ほど経った日のことだった。
塔には、外部の者と面会するための、一方の壁一面がガラス張りになった、特別な面会室があった。塔は男子禁制だったため、そこは主に塔に入ることができない父と会うために使われていた。
父と面会できる日はあらかじめ決められており、だいたい月に一回や二回の頻度で、それぞれ父と交流する時間が設けられていた。ただ、当時のルシアナはひと月のほとんどをベッドの上で過ごすことも多く、予定していた面会日に父に会えないことも多々あった。
だから、熱が下がり、部屋を出ることが許可されたあの日、父が面会に来ていると言われたときは、とても嬉しかった。
姉たちとは違い、塔の外で三年ほど過ごしたルシアナには、父と共に過ごした記憶があった。大きな手で頭を撫で、逞しい腕で宝物のように抱き締めてくれた、温かな思い出。
それを覚えているからこそ、ルシアナは誰よりも面会日を楽しみにしていた。
すでにその月の面会日を飛ばしていたこともあり、ルシアナは予定外の面会を小躍りしたいくらいに喜んだ。
今日は何の話をしよう。
姉の寝物語が面白かった話でもしようか。
流浪の精霊だったベルがしてくれた異国についての話も捨てがたい。
いや、やっぱり、何よりも先に、前に会ったときよりも素振りがたくさんできるようになった話を聞いてほしい。
父は、ルシアナが新しいことを覚えるたび、新しいことができるようになるたびに自分のことのように喜び、褒め称えてくれた。たいしたことではなくても、大層なことのように賛辞し、歓喜する父に、ルシアナはいつも嬉々として会えない間の成果を報告した。
父の賛美は、思うように体を動かせないルシアナにとって、心の支えのようなものでもあったのだ。
だから、余計にショックだったのかもしれない。
いつも応援し背中を押してくれていた父に、「剣ではなく弓を使ってはどうか」と言われたことが。
「お父様の提案は、何もおかしなものではありませんでした……トゥルエノの王族にとって何よりも大事なのは、精霊の加護を受け、精霊具の使い手となること……扱う武器が剣でなければいけないという決まりはないのですから……」
当時のルシアナは、少し体を動かしただけで熱を出し、激しく動けば何日も寝込むほどの虚弱体質だった。体を動かすことが負担になるのなら、とあまり体を動かさない武器を勧められるのは当然と言えば当然だ。
「っ……けれど、わたくしは勝手に裏切られたような気持ちになって……っ何故そのようなことをおっしゃるのかと……! お父様を責めてしまったのです……っ」
自分は騎士の一族に生まれたのに、何故剣を諦めねばならないのだと。
自分は母や姉のような騎士になりたいのに、何故弓を勧めるのかと。
「そのようなことっ……言ってはいけなかったのに……!」
ルシアナの父であり、トゥルエノ王国の王配であるコンラッドは、国内外で名の知れた弓の名手だった。
そんな父に対して、弓を、射手を、貶めるような発言をしてしまった。
自分の失言に気付いたのは、「どうして」と泣くルシアナに、父が申し訳なさそうに謝ったときだ。どこか寂しさの滲む眼差しを向けられ、ルシアナは自分が取り返しのつかないことを言ってしまったことに気付いた。
父を傷付けてしまったことに、ルシアナはさらに大泣きした。「ごめんなさい」と繰り返し謝るルシアナに、父は「自分が欲張ったのだ」と言った。
『ルシーが弓を習えば、教えるという口実でもっと会えると思ったのだ。父が浅はかだった。すまないな、ルシー』
その発言に、ルシアナは頭を強く殴られたような衝撃を受けた。
父は、“元はただの自分のわがままだから、ルシアナは気にしなくていい”という意味でああいう発言をしたのだろう。その意図はわかっていたが、ルシアナはそう受け取ることができなかった。
少しでも多くの時間を娘と過ごしたいという父の想いを、踏みにじってしまったと思ったのだ。父の気持ちを蔑ろにしてしまったのだと。
「それで……わたくしは自分がとても酷い人間のように思えて……」
「……それで、自分が悪いと思うようになったのか?」
優しく問うレオンハルトに、ルシアナは首を横に振る。
「そのあと、わたくしは気を失い、倒れて……気が付いたときにはベッドの上でした。熱がぶり返して……お父様にきちんと謝罪できないまま、寝込むことになってしまったのです」
それは、息苦しさに目を覚ましたときだった。
高熱で意識が朦朧とするなか、母の「すまない」という声が聞こえたのだ。
「……っじぶんの、せいだと……丈夫に産めなかった、小さく産んでしまった自分のせいだと……お母様がおっしゃっているのを、聞いてしまったのです……」
父に対する罪悪感でいっぱいだったルシアナは、母のその言葉を聞いて絶望した。
愛情深く優しい両親を、自分が悲しませてしまっている。
自分の存在が、彼らに気を遣わせてしまっている。
「すべて、わたくしのせいだと……思いました……。わたくしが、足りないから……トゥルエノの王族として、欠陥しているから……だから、お父様を傷付け、お母様に罪悪感を抱かせて……お姉様や、周りの方々に……気を揉ませてしまうのだと……」
この日から、ルシアナは「自分が悪い」と考えるようになった。
すべては自分が悪いのだから、周りに気を遣わせるのは言語道断だと、「大丈夫」と言うようになった。
出来損ないの自分が選り好みなどできないと、熱が下がったあとは父に頭を下げ、弓の扱い方を教えてほしいと頼んだ。
ルシアナに弓の才能があったのは、せめてもの救いだった。
周りに褒めそやされ、父と同じ才能があったことを喜ぶ一方で、やはり自分は母や姉たちのようにはなれないのだと思った。
その後、自分なりに工夫を重ね、自分専用に打たれた剣であれば問題なく振るえるようにはなったが、極限まで重さをなくした細身の剣を見ると、結局自分は騎士には向いていないのだと言われているようだった。
「レオンハルト様は、先ほどわたくしの弓の腕を褒めてくださいましたが……剣に、騎士に固執しているわたくしが、いい射手なわけがないのです。やりたくてやっていた剣の鍛錬とは違い……弓は、やるしかなくて……結局、剣を諦めきれず、中途半端なことをしてしまって……そんなわたくしが、射手として胸を張ることなんて……本気で弓に向き合っている方々に……とても失礼で――」
言葉の途中で、レオンハルトに思い切り抱き締められる。
顔を彼の胸板に押し付ける形になり、自然と閉口した。
レオンハルトは、ルシアナを包み込むように抱き締めながら、あやすように優しく背中を撫でる。
「ルシアナ。優しく真面目な貴女を愛してはいるが、そうやって自分を追い込むようなことはやめてくれ。そんな風に自分を追い込んで、傷付けないでくれ。ルシアナ。貴女はとても素晴らしい人だ。俺の愛する、俺にとって唯一無二の、かけがえのない存在だ。だから、改めて言わせてくれ」
ルシアナの頬に手を添え、上を向かせたレオンハルトは、額を合わせながら慈しむように微笑んだ。
「貴女は何も悪くない。貴女に悪いところなど何もない。ルシアナ、俺は貴女を愛してる。他の誰でもない、貴女を。今の、貴女を。ルシアナ・ベリト・トゥルエノ。ルシアナ・ヴァステンブルク。俺の唯一。俺の最愛。俺は、今、目の前にいる貴女を、心の底から愛してる」
「――……」
穏やかに、けれど確たる芯を持って紡がれた彼の言葉は、頑ななルシアナの心を解すように、するりと心の内に入り込んでいった。
塔には、外部の者と面会するための、一方の壁一面がガラス張りになった、特別な面会室があった。塔は男子禁制だったため、そこは主に塔に入ることができない父と会うために使われていた。
父と面会できる日はあらかじめ決められており、だいたい月に一回や二回の頻度で、それぞれ父と交流する時間が設けられていた。ただ、当時のルシアナはひと月のほとんどをベッドの上で過ごすことも多く、予定していた面会日に父に会えないことも多々あった。
だから、熱が下がり、部屋を出ることが許可されたあの日、父が面会に来ていると言われたときは、とても嬉しかった。
姉たちとは違い、塔の外で三年ほど過ごしたルシアナには、父と共に過ごした記憶があった。大きな手で頭を撫で、逞しい腕で宝物のように抱き締めてくれた、温かな思い出。
それを覚えているからこそ、ルシアナは誰よりも面会日を楽しみにしていた。
すでにその月の面会日を飛ばしていたこともあり、ルシアナは予定外の面会を小躍りしたいくらいに喜んだ。
今日は何の話をしよう。
姉の寝物語が面白かった話でもしようか。
流浪の精霊だったベルがしてくれた異国についての話も捨てがたい。
いや、やっぱり、何よりも先に、前に会ったときよりも素振りがたくさんできるようになった話を聞いてほしい。
父は、ルシアナが新しいことを覚えるたび、新しいことができるようになるたびに自分のことのように喜び、褒め称えてくれた。たいしたことではなくても、大層なことのように賛辞し、歓喜する父に、ルシアナはいつも嬉々として会えない間の成果を報告した。
父の賛美は、思うように体を動かせないルシアナにとって、心の支えのようなものでもあったのだ。
だから、余計にショックだったのかもしれない。
いつも応援し背中を押してくれていた父に、「剣ではなく弓を使ってはどうか」と言われたことが。
「お父様の提案は、何もおかしなものではありませんでした……トゥルエノの王族にとって何よりも大事なのは、精霊の加護を受け、精霊具の使い手となること……扱う武器が剣でなければいけないという決まりはないのですから……」
当時のルシアナは、少し体を動かしただけで熱を出し、激しく動けば何日も寝込むほどの虚弱体質だった。体を動かすことが負担になるのなら、とあまり体を動かさない武器を勧められるのは当然と言えば当然だ。
「っ……けれど、わたくしは勝手に裏切られたような気持ちになって……っ何故そのようなことをおっしゃるのかと……! お父様を責めてしまったのです……っ」
自分は騎士の一族に生まれたのに、何故剣を諦めねばならないのだと。
自分は母や姉のような騎士になりたいのに、何故弓を勧めるのかと。
「そのようなことっ……言ってはいけなかったのに……!」
ルシアナの父であり、トゥルエノ王国の王配であるコンラッドは、国内外で名の知れた弓の名手だった。
そんな父に対して、弓を、射手を、貶めるような発言をしてしまった。
自分の失言に気付いたのは、「どうして」と泣くルシアナに、父が申し訳なさそうに謝ったときだ。どこか寂しさの滲む眼差しを向けられ、ルシアナは自分が取り返しのつかないことを言ってしまったことに気付いた。
父を傷付けてしまったことに、ルシアナはさらに大泣きした。「ごめんなさい」と繰り返し謝るルシアナに、父は「自分が欲張ったのだ」と言った。
『ルシーが弓を習えば、教えるという口実でもっと会えると思ったのだ。父が浅はかだった。すまないな、ルシー』
その発言に、ルシアナは頭を強く殴られたような衝撃を受けた。
父は、“元はただの自分のわがままだから、ルシアナは気にしなくていい”という意味でああいう発言をしたのだろう。その意図はわかっていたが、ルシアナはそう受け取ることができなかった。
少しでも多くの時間を娘と過ごしたいという父の想いを、踏みにじってしまったと思ったのだ。父の気持ちを蔑ろにしてしまったのだと。
「それで……わたくしは自分がとても酷い人間のように思えて……」
「……それで、自分が悪いと思うようになったのか?」
優しく問うレオンハルトに、ルシアナは首を横に振る。
「そのあと、わたくしは気を失い、倒れて……気が付いたときにはベッドの上でした。熱がぶり返して……お父様にきちんと謝罪できないまま、寝込むことになってしまったのです」
それは、息苦しさに目を覚ましたときだった。
高熱で意識が朦朧とするなか、母の「すまない」という声が聞こえたのだ。
「……っじぶんの、せいだと……丈夫に産めなかった、小さく産んでしまった自分のせいだと……お母様がおっしゃっているのを、聞いてしまったのです……」
父に対する罪悪感でいっぱいだったルシアナは、母のその言葉を聞いて絶望した。
愛情深く優しい両親を、自分が悲しませてしまっている。
自分の存在が、彼らに気を遣わせてしまっている。
「すべて、わたくしのせいだと……思いました……。わたくしが、足りないから……トゥルエノの王族として、欠陥しているから……だから、お父様を傷付け、お母様に罪悪感を抱かせて……お姉様や、周りの方々に……気を揉ませてしまうのだと……」
この日から、ルシアナは「自分が悪い」と考えるようになった。
すべては自分が悪いのだから、周りに気を遣わせるのは言語道断だと、「大丈夫」と言うようになった。
出来損ないの自分が選り好みなどできないと、熱が下がったあとは父に頭を下げ、弓の扱い方を教えてほしいと頼んだ。
ルシアナに弓の才能があったのは、せめてもの救いだった。
周りに褒めそやされ、父と同じ才能があったことを喜ぶ一方で、やはり自分は母や姉たちのようにはなれないのだと思った。
その後、自分なりに工夫を重ね、自分専用に打たれた剣であれば問題なく振るえるようにはなったが、極限まで重さをなくした細身の剣を見ると、結局自分は騎士には向いていないのだと言われているようだった。
「レオンハルト様は、先ほどわたくしの弓の腕を褒めてくださいましたが……剣に、騎士に固執しているわたくしが、いい射手なわけがないのです。やりたくてやっていた剣の鍛錬とは違い……弓は、やるしかなくて……結局、剣を諦めきれず、中途半端なことをしてしまって……そんなわたくしが、射手として胸を張ることなんて……本気で弓に向き合っている方々に……とても失礼で――」
言葉の途中で、レオンハルトに思い切り抱き締められる。
顔を彼の胸板に押し付ける形になり、自然と閉口した。
レオンハルトは、ルシアナを包み込むように抱き締めながら、あやすように優しく背中を撫でる。
「ルシアナ。優しく真面目な貴女を愛してはいるが、そうやって自分を追い込むようなことはやめてくれ。そんな風に自分を追い込んで、傷付けないでくれ。ルシアナ。貴女はとても素晴らしい人だ。俺の愛する、俺にとって唯一無二の、かけがえのない存在だ。だから、改めて言わせてくれ」
ルシアナの頬に手を添え、上を向かせたレオンハルトは、額を合わせながら慈しむように微笑んだ。
「貴女は何も悪くない。貴女に悪いところなど何もない。ルシアナ、俺は貴女を愛してる。他の誰でもない、貴女を。今の、貴女を。ルシアナ・ベリト・トゥルエノ。ルシアナ・ヴァステンブルク。俺の唯一。俺の最愛。俺は、今、目の前にいる貴女を、心の底から愛してる」
「――……」
穏やかに、けれど確たる芯を持って紡がれた彼の言葉は、頑ななルシアナの心を解すように、するりと心の内に入り込んでいった。
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