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第十二章
発熱・二(一)
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熱を出してから二日。
いまだ熱は下がりきらないものの、ついに入浴の許可が下りた。と言っても、長湯は禁止だと医師のタビタに言われたため、領地までついて来てくれた専属メイドのイェニーとカーヤだけでなく、普段城に滞在しているメイドたちも多数動員しての慌ただしい入浴となった。
ただ、それでも、ルシアナは十分満足だった。
(エステルがトゥルエノから清浄魔法が付与された魔法石を持って来てくれていたから、清潔は清潔だったのでしょうけど……やっぱりお風呂には入りたいわ)
ドレッサーの前で複数人に髪を乾かしてもらいながら、ルシアナはほっと息をつく。
暖かで、時に暑いトゥルエノ王国は、身分問わず入浴文化が根付いており、ルシアナもできる限りお風呂で身を清めたいと思っていた。過去の経験から、入浴できない状況というものには慣れているものの、やはり魔法で身綺麗にするのと入浴で身綺麗にするのとでは、気持ちに大きな差がある。
(魔法自体にあまり縁がないのも理由かしら……とは言え、きちんと挨拶もできていないのにみんなには迷惑をかけてしまったわ)
領地の城で働いているメイドたちも、とても丁寧に、甲斐甲斐しく世話をしてくれたが、そもそも入浴したいというのはルシアナのわがままだ。公爵夫人として正式な挨拶すらしていないのに、自らの要求に付き合わせるのは気が引けた。
そんな思いが顔に出ていたのだろう。
ピンと背筋の伸びた、初老の歳のころといった女性が気遣わしげに声を掛けた。
「何か気がかりでもございましたか? 奥様」
「ああ、いえ……みんなの手を煩わせてしまったわ、と思って」
眉尻を下げながら答えれば、初老の女性――バルバラが「まあ!」と少々大袈裟に声を上げた。
「そのようなこと! 領地にて勤務しております私ども全員、奥様にお仕えすることを心より楽しみにしていたのですよ! 本当は奥様の看病もさせていただきたいのに、お坊ちゃまが頑として譲られないから……!」
「……“お坊ちゃま”はやめてくれ、バルバラ」
ルシアナの後ろでずっとそわそわとしていたレオンハルトは、バルバラに鏡越しに睨まれ、気まずげに視線を落とした。
その様子に、思わず頬が緩む。
(ふふ、まるで叱られた子どものようだわ)
バルバラはシルバキエ公爵家の家政婦長で、元はレオンハルトの乳母――つまり、家令であるギュンターの妻であり、執事であるヴァルターの母となる人物だった。
ルシアナの入浴に人手がいると聞いて、人を派遣するだけでなく彼女自身も手伝いに来てくれたのだ。
最初はレオンハルトの献身に感動していた様子だったが、浴室内までついて来ようとするのを見て、度が過ぎていると思ったようだ。バルバラはまるで門番のように扉の前に立ち、数分言い合う言葉が扉越しに聞こえた。
結局折れたのはレオンハルトのようで、今も一定の距離を空けながら、メイドたちにお世話をされるルシアナを見ている。
(誰かに叱られるレオンハルト様のお姿というのは、普段絶対に見られないものだからなんだか新鮮だわ)
「っこほ」
「! ルシアナ!」
笑みを漏らしたついでに、咳が一つこぼれた。
レオンハルトはすかさずルシアナの傍まで来ると、グラスに水を注ぎ、ルシアナの口元に当てる。自分で持とうと両手を上げたものの、こぼれてもいいよう顎にタオルまで当てられてしまったため、結局そのまま喉を潤した。
レオンハルトもすっかり慣れたもので、少し顔を下げるとすぐにグラスをどかし、濡れた口元をタオルで拭った。
「ありがとうございます、レオンハルト様」
「いいんだ。必要なものがあったらいつでも、いくらでも言ってくれ。湯冷めはしてないか? 気持ち悪かったり、熱が上がった感覚は? 少しでも不調を感じたり、おかしなところがあったら、遠慮せずに言ってほしい」
ルシアの足元に膝をついたレオンハルトは、今まで我慢をしていたのか、堰を切ったように話し出した。
「大丈夫ですわ、レオンハルト様。むしろ気分はいいくらいです」
笑みを浮かべつつそう返したものの、レオンハルトの相貌には不安が滲んでいた。
どうすればレオンハルトを安心させることができるのだろうか、とここ数日考えていたこを再び考え始めていると、「申し訳ありません」というバルバラの声が聞こえた。
「旦那様は幼少のころからお体が丈夫で、医者いらずで育ってこられたので、一般より過保護になってしまっているのだと思います。大旦那様と大奥様もあまり体調を崩されたことがなかったので、余計かと」
「まあ。健康なのは素敵なことだわ」
「俺のこの想いは過剰なのか?」
ルシアナの声とレオンハルトの声が見事に重なった。顔を見合わせる二人に、バルバラは咳払いをする。
「人の感じ方はそれぞれですから、旦那様が過保護で過干渉なのかどうかは、奥様のご意見をお聞きください」
それから、とバルバラはルシアナに頼もしい笑みを向ける。
「奥様、もしご不満やご不便がございましたら、遠慮せずおっしゃってくださいね。どのようなことでも、承りますので」
(……もしレオンハルト様に不満があれば言ってくれ、ということかしら)
意味深長な視線をレオンハルトに向けるバルバラに、ルシアナは少し考え込むと、穏やかな笑みを浮かべた。
「ありがとう、バルバラ。けれど、大丈夫よ。わたくしは嫌だと思うことはきちんと嫌だとお伝えするもの。それに、レオンハルト様はきちんとわたくしの気持ちを尊重してくださる方よ。もちろん、付き合いの長いバルバラのほうがよく知っているでしょうけど」
「……ええ。奥様のおっしゃる通りでございます。老婆心から差し出がましいことを申しました。お許しください」
バルバラは、どこか安堵を滲ませながら頭を下げた。その表情から、先ほどの発言はレオンハルトのことも考えたうえでのものだったのだろう、ということが察せられた。
ルシアナとレオンハルトの関係が良好なまま続いていくよう、潤滑油の役割をしようとしてくれたのではないだろうか。
(レオンハルト様が愛されていると、何故だかわたくしまで嬉しくなってしまうわ)
ルシアナは笑みを深めると、「頭を上げて」と声を掛ける。
「どうか気にしないで。あなたの気遣いが嬉しかったから。それに……」
自分を真っ直ぐ見続けるレオンハルトに一度目を向けると、ルシアナは再びバルバラへ視線を移した。
「わたくしの体調の良し悪しに関わらず、レオンハルト様は普段から過保護なの。だからきっと、性格なのだと思うわ。バルバラたちもそのうち慣れるでしょうから、あまり気にしないでね」
一瞬の沈黙のあと、バルバラは領地からついて来た面々を見る。
彼女たちが深く頷いたのを見て、バルバラは少し心配そうにルシアナを見つめた。
「……もし相談事などあれば、いつでもおっしゃってくださいね」
「ええ。ありがとう、バルバラ」
満面の笑みを返すルシアナに反して、室内には何とも言えない空気が漂っていた。
いまだ熱は下がりきらないものの、ついに入浴の許可が下りた。と言っても、長湯は禁止だと医師のタビタに言われたため、領地までついて来てくれた専属メイドのイェニーとカーヤだけでなく、普段城に滞在しているメイドたちも多数動員しての慌ただしい入浴となった。
ただ、それでも、ルシアナは十分満足だった。
(エステルがトゥルエノから清浄魔法が付与された魔法石を持って来てくれていたから、清潔は清潔だったのでしょうけど……やっぱりお風呂には入りたいわ)
ドレッサーの前で複数人に髪を乾かしてもらいながら、ルシアナはほっと息をつく。
暖かで、時に暑いトゥルエノ王国は、身分問わず入浴文化が根付いており、ルシアナもできる限りお風呂で身を清めたいと思っていた。過去の経験から、入浴できない状況というものには慣れているものの、やはり魔法で身綺麗にするのと入浴で身綺麗にするのとでは、気持ちに大きな差がある。
(魔法自体にあまり縁がないのも理由かしら……とは言え、きちんと挨拶もできていないのにみんなには迷惑をかけてしまったわ)
領地の城で働いているメイドたちも、とても丁寧に、甲斐甲斐しく世話をしてくれたが、そもそも入浴したいというのはルシアナのわがままだ。公爵夫人として正式な挨拶すらしていないのに、自らの要求に付き合わせるのは気が引けた。
そんな思いが顔に出ていたのだろう。
ピンと背筋の伸びた、初老の歳のころといった女性が気遣わしげに声を掛けた。
「何か気がかりでもございましたか? 奥様」
「ああ、いえ……みんなの手を煩わせてしまったわ、と思って」
眉尻を下げながら答えれば、初老の女性――バルバラが「まあ!」と少々大袈裟に声を上げた。
「そのようなこと! 領地にて勤務しております私ども全員、奥様にお仕えすることを心より楽しみにしていたのですよ! 本当は奥様の看病もさせていただきたいのに、お坊ちゃまが頑として譲られないから……!」
「……“お坊ちゃま”はやめてくれ、バルバラ」
ルシアナの後ろでずっとそわそわとしていたレオンハルトは、バルバラに鏡越しに睨まれ、気まずげに視線を落とした。
その様子に、思わず頬が緩む。
(ふふ、まるで叱られた子どものようだわ)
バルバラはシルバキエ公爵家の家政婦長で、元はレオンハルトの乳母――つまり、家令であるギュンターの妻であり、執事であるヴァルターの母となる人物だった。
ルシアナの入浴に人手がいると聞いて、人を派遣するだけでなく彼女自身も手伝いに来てくれたのだ。
最初はレオンハルトの献身に感動していた様子だったが、浴室内までついて来ようとするのを見て、度が過ぎていると思ったようだ。バルバラはまるで門番のように扉の前に立ち、数分言い合う言葉が扉越しに聞こえた。
結局折れたのはレオンハルトのようで、今も一定の距離を空けながら、メイドたちにお世話をされるルシアナを見ている。
(誰かに叱られるレオンハルト様のお姿というのは、普段絶対に見られないものだからなんだか新鮮だわ)
「っこほ」
「! ルシアナ!」
笑みを漏らしたついでに、咳が一つこぼれた。
レオンハルトはすかさずルシアナの傍まで来ると、グラスに水を注ぎ、ルシアナの口元に当てる。自分で持とうと両手を上げたものの、こぼれてもいいよう顎にタオルまで当てられてしまったため、結局そのまま喉を潤した。
レオンハルトもすっかり慣れたもので、少し顔を下げるとすぐにグラスをどかし、濡れた口元をタオルで拭った。
「ありがとうございます、レオンハルト様」
「いいんだ。必要なものがあったらいつでも、いくらでも言ってくれ。湯冷めはしてないか? 気持ち悪かったり、熱が上がった感覚は? 少しでも不調を感じたり、おかしなところがあったら、遠慮せずに言ってほしい」
ルシアの足元に膝をついたレオンハルトは、今まで我慢をしていたのか、堰を切ったように話し出した。
「大丈夫ですわ、レオンハルト様。むしろ気分はいいくらいです」
笑みを浮かべつつそう返したものの、レオンハルトの相貌には不安が滲んでいた。
どうすればレオンハルトを安心させることができるのだろうか、とここ数日考えていたこを再び考え始めていると、「申し訳ありません」というバルバラの声が聞こえた。
「旦那様は幼少のころからお体が丈夫で、医者いらずで育ってこられたので、一般より過保護になってしまっているのだと思います。大旦那様と大奥様もあまり体調を崩されたことがなかったので、余計かと」
「まあ。健康なのは素敵なことだわ」
「俺のこの想いは過剰なのか?」
ルシアナの声とレオンハルトの声が見事に重なった。顔を見合わせる二人に、バルバラは咳払いをする。
「人の感じ方はそれぞれですから、旦那様が過保護で過干渉なのかどうかは、奥様のご意見をお聞きください」
それから、とバルバラはルシアナに頼もしい笑みを向ける。
「奥様、もしご不満やご不便がございましたら、遠慮せずおっしゃってくださいね。どのようなことでも、承りますので」
(……もしレオンハルト様に不満があれば言ってくれ、ということかしら)
意味深長な視線をレオンハルトに向けるバルバラに、ルシアナは少し考え込むと、穏やかな笑みを浮かべた。
「ありがとう、バルバラ。けれど、大丈夫よ。わたくしは嫌だと思うことはきちんと嫌だとお伝えするもの。それに、レオンハルト様はきちんとわたくしの気持ちを尊重してくださる方よ。もちろん、付き合いの長いバルバラのほうがよく知っているでしょうけど」
「……ええ。奥様のおっしゃる通りでございます。老婆心から差し出がましいことを申しました。お許しください」
バルバラは、どこか安堵を滲ませながら頭を下げた。その表情から、先ほどの発言はレオンハルトのことも考えたうえでのものだったのだろう、ということが察せられた。
ルシアナとレオンハルトの関係が良好なまま続いていくよう、潤滑油の役割をしようとしてくれたのではないだろうか。
(レオンハルト様が愛されていると、何故だかわたくしまで嬉しくなってしまうわ)
ルシアナは笑みを深めると、「頭を上げて」と声を掛ける。
「どうか気にしないで。あなたの気遣いが嬉しかったから。それに……」
自分を真っ直ぐ見続けるレオンハルトに一度目を向けると、ルシアナは再びバルバラへ視線を移した。
「わたくしの体調の良し悪しに関わらず、レオンハルト様は普段から過保護なの。だからきっと、性格なのだと思うわ。バルバラたちもそのうち慣れるでしょうから、あまり気にしないでね」
一瞬の沈黙のあと、バルバラは領地からついて来た面々を見る。
彼女たちが深く頷いたのを見て、バルバラは少し心配そうにルシアナを見つめた。
「……もし相談事などあれば、いつでもおっしゃってくださいね」
「ええ。ありがとう、バルバラ」
満面の笑みを返すルシアナに反して、室内には何とも言えない空気が漂っていた。
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