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第十章

報告(三)

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 舌を吸われ、口が離れていく。乱れた呼吸を整えながら瞼を上げれば、不機嫌そうに眉を寄せたレオンハルトが視界に入った。
 レオンハルトはきつくルシアナを抱き締めると、その肩口に顔を埋める。

「くそ……あのころの俺はどうかしてたんだ。貴女の不名誉になるような噂を立てるなど……」
「あの作戦はトゥルエノ側こちらが立てたものです。レオンハルト様はそれに賛同しただけですわ」

 当時のことを思い出しながら、ルシアナは慰めるようにレオンハルトの頭を撫でた。
 ありもしない不貞の噂を作り、それに嬉々として食いついた者たちに処罰を与えるという、「レオンハルトに想いを寄せる女性たちに何かされる前に一網打尽にしてしまおう」と姉たちが立てた作戦。

(一連のことを思い返してみると、驚くくらいお姉様たちの想定通りに物事が進んだわね)

 どこか懐かしい気持ちになりながら、最初にあの作戦を言い出したアレクサンドラには先見の明でもあるのだろう、と考えていると、レオンハルトの腕の力がさらに強まった。
 苦しいくらいに抱き締められながらも、ルシアナはその腕から逃れようとせず、さらりとした髪に頬をすり寄せた。

「あの作戦に付随して起きたすべてのことを、わたくしは一切気にしておりません。周りの方々がわたくしに対してどのような反応を見せ、行動を起こすのか、それを早い段階で確認できたことは、わたくし自身よかったと思っておりますわ」
「……結果論だ、そんなこと。それに……」

 レオンハルトは一度言葉を区切ると、重い息を吐き出した。

「義理の兄とはいえ、貴女と他の男が恋仲などと噂されるなど……そんな噂を流すことを自分で勧めるなど……」

 苦々しく呟いたレオンハルトは、それ以上言葉にできないのか、ただ強くルシアナを抱き締めた。
 痛いくらいの抱擁にルシアナは一瞬息を詰めたものの、それに関しては何も言わず、レオンハルトの頭に口付ける。

「現在と当時では状況が違いますわ。同じような作戦を行えと言われても、今なら決してなさらないでしょう?」
「当然だ……! 貴女が俺以外の男の隣に立つなどっ……」

 勢いよく体を離しルシアナを見つめたレオンハルトだったが、少ししてきつく口を閉じると、頭を下げた。

「……すまない、俺の醜い独占欲で貴女の行動を制限するつもりはない。貴女は、貴女のやりたいことを自由にやっていいんだ」

 本当はそんなことを微塵も思っていないのだと、妙に強張った彼の体から伝わって来る。

(愛しい方……もっとわがままになってもいいのに)

 レオンハルトの愛はどれほど深いのだろう、と感じ入りながら、ルシアナは目の前に差し出された頭に何度も口付ける。

「そのように寂しいことをおっしゃらないで。わたくしは自分のものなのだともっと傲慢になってくださいまし。たくさん嫉妬して独占してくださらなければ寂しいですわ」

 前髪をかき分け生え際に口付ければ、レオンハルトがそろそろと頭を上げた。
 彼の瞳は複雑そうに揺れ、どんな感情を抱いているのか察することは難しい。しかし、その瞳の中には確かな歓喜が滲んでいるようで、ルシアナは笑みを深めた。

「愛していますわ、レオンハルト様。あなた様のすべてを、愛させてください」

 ちゅっと軽く触れるだけの口付けをすれば、彼も同じような口付けを返し、今度は優しくルシアナを抱き締めた。

「俺も貴女のすべてを愛してる。貴女が愛おしすぎて気が狂いそうなくらいに」
「ふふ、すべてを受け止めますから、たくさん愛してくださいね」

 甘えるように髪を梳けば、レオンハルトは小さく笑いルシアナの頬に口付けた。

「……本当に、すべてを許してくれるんだな」
「まあ。わたくし、嘘は申しませんわ」
「いや、貴女が嘘をつくとは思っていないが……その、雰囲気とか……」
「思ってもいないこと口にするようなこともしませんわ。わたくしがレオンハルト様にお伝えすることはすべて本心です。心配でしたらもう一度申し上げましょうか?」
「それはいい」

 少々食い気味にそう言ったレオンハルトは、ルシアナの腹に手を当てた。
 室内着のワンピースを着ているため、中に着用しているコルセットも柔らかい素材になっており、レオンハルトの指が皮膚に沈む感覚が服越しに伝わって来た。

(あ……)

 指が沈んだ場所のその奥にある部分が甘く疼き、頬がわずかな熱を持つ。
 淡く頬を染めるルシアナに、レオンハルトは目を細めると、臍の下に当てた指を上下させた。

「もう一度言われたら……いや、何度言われても、同じように堪らない気持ちになる。だから言わなくていい。目覚めたばかりで、また抱き潰されたくはないだろう?」

 夜の色香を纏う甘い囁きに、ルシアナは頬を赤くすると視線を下げる。

「……別に……嫌ではありませんわ」

 もごもごと小さな声で呟けば、レオンハルトはおかしそうに短く笑った。

「それなら、領地に帰ったら嫌というほど相手をしてもらおう。領地の冬は引きこもる以外やることがないからな」
「えっ……そう、なのですか……?」
「ああ。寒さが厳しいし、日中に雪が止んでるほうが珍しいからな。冬期休暇という制度も、雪ばかりで何もできない……何かしようとすれば遭難や凍死が相次ぐルドルティだから生まれたものなんだ」
「まあ……そうだったのですね」

 旧ルドルティ王国の制度が、現在のシュネーヴェ王国にもそのまま残っているのだな、と思いながら、ルシアナは以前レオンハルトから言われた言葉を思い出していた。

『朝も夜も、場所も関係なく貴女を抱きたいと言ったら、貴女はどう思う?』

(あれはただの比喩だと思っていたけれど、もしかしたら本当に――)

「だから、領地に持っていく荷物の中に暇をつぶせるものも入れておくといい。貴女はよく書庫にいると聞くし、本を持っていくのもいいだろう。領地の城にも書庫はあるが、ここほど充実はしていないからな」

 穏やかな微笑を浮かべ、澄んだ眼差しを真っ直ぐ向けるレオンハルトに、ルシアナの体温が一気に上昇する。

(わ、わたくしはなんて不埒なことを……! 肉欲ばかり抱いているのはわたくしのほうだわ……!)

 羞恥に汗が滲むのを感じながら、邪な考えを必死に振り払っていると、レオンハルトの少し硬い指先が頬に触れた。

「それから、領地に行く前にやっておきたいことがあるんだが……それに貴女の許可がほしい」
「ま、まあ、わたくしの許可ですか? なんでしょう?」

 平静を装いながらにこりと笑みを向ければ、レオンハルトは指先でルシアナの頬をくすぐり、ふわりと柔らかな髪を耳にかけた。

「使っていなかった三階を開放しようと思う。それで……三階に夫婦の寝室とそれぞれの私室を作ろうかと思うんだが、許可してくれるか?」

 髪の毛に口付けながら、微笑を浮かべて見つめてくるレオンハルトに、ルシアナは目を瞬かせる。言われたことをすぐには理解できず、脳内で何度も何度も反芻したのち、ルシアナはぱっと顔を輝かせた。

「はい! もちろんですわ!」

 先ほどまで感じていた羞恥や、不健全な想像は彼方へと飛んでいき、レオンハルトと共用の部屋ができる喜びだけが心に広がっていった。
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