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第七章
狩猟大会・一日目、のそのとき(三)
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同じ白い騎士服を着た者たちに牡鹿を任せると、ルシアナはヘレナと共にレオンハルトたちの元にやって来た。
放心していたレオンハルトは、視界の端でテオバルドが動いたのを見て我に返り、急いで立ち上がる。
それぞれ向かい合うと、ルシアナはテオバルドに、レオンハルトはヘレナに頭を下げた。
「王太子殿下にご挨拶申し上げます」
「王太子妃殿下にご挨拶申し上げます」
それにテオバルドは手を挙げて応え、ヘレナは頭を下げようとして、少し腰を落としただけにとどめた。
頭の片隅にわずかに残った冷静な思考が、やっと立ち居振る舞いに慣れたのだろうか、とヘレナの成長を喜んだが、正直それどころではなかった。しっかりしろ、と理性が声を上げるが、レオンハルトの意識も視線も、囚われたようにルシアナから逸らすことができない。
「驚いた。あの見事な矢はルシアナ殿が?」
「はい。幸運にも狙いが当たってよかったですわ。けれど、もしやわたくしが獲物を横取りしてしまったのでは……」
わずかに眉尻を下げたルシアナに、テオバルドは「いやいや」と笑う。
「あまりにも立派な牡鹿だから眺めていただけさ。俺もレオンハルトも弓を持って来てはいないからな。この距離じゃ捕らえようもない。しかし、なるほど。ルシアナ殿は剣だけでなく弓にも才能があったか。トゥルエノの王配殿下が弓の名手であることを考えれば、当然と言えば当然だな。なぁ、シルバキエ公爵」
「……そうですね」
どこか遠くに聞こえるテオバルドの声にぼんやりと返答すると、テオバルドへ向いていたロイヤルパープルの瞳がこちらに向く。長い睫毛を揺らし瞬きをしたルシアナは、少しして、わずかに頬を染め視線を逸らした。
(ぐ……)
何かに心臓を鷲掴みにされたような感覚になり、思わず眉間に皺が寄る。
「おい、レオ――公爵。公……レオンハルト!」
思い切り肩を引かれ、体の向きを変えられる。ルシアナたちに背を向ける形になったかと思うと、テオバルドが顔を寄せ、声を潜めた。
「お前、今自分がどんな顔してるかわかってるか!? 獲物を狙う肉食獣みたいだぞ!?」
「……人間は雑食性の動物だし、俺も野菜を食べる」
「そういうことじゃねぇんだけどなぁ!?」
耳元で大声を出され、レオンハルトは無言のまま頭を離す。その過程で、無意識の内に視線が後ろに向いた。
窺うようにこちらを見ていたルシアナと、目が合う。
(……くそ)
狂ったように脈打つ心臓に、さらに眉間の皺が深くなる。かすかに瞳を揺らした彼女が、そのふっくらとした小さな唇を薄く開く。
(だめだ、やめてくれ)
今名前を呼ばれたら、きっと耐えられない。
心臓も、理性も。破裂して、なくなってしまう。
(頼む……)
手袋が嫌な音を立てるほど強く手を握り込み、思い切り歯噛みした瞬間、後頭部を掴まれ、強制的に視線を外される。抑え込むように頭を下げられ、風に揺れる草が視界に入った。
「ルシアナ殿。とりあえず、捕らえた鹿を運ぶよう指示をしてきたらどうだ?」
「……はい。では、少々御前を失礼いたします」
少しの間があって、二人分の足音が遠ざかっていく。
気配が完全に離れてから、はあっ、と大きく息を吐き出した。このとき初めて、呼吸が止まっていたことに気付き、レオンハルトは肺の奥深くまで空気を取り込むと、片手で顔を覆った。
「……テオ、今すぐその短剣で俺を刺してくれ」
「嫌に決まってるだろ!」
テオバルドは呆れたように溜息をつくと、レオンハルトの頭を抑えた手で、そのままくしゃりと後頭部を撫でた。
「しっかりしろ。慣れないことで気持ちを持て余してるんだろうが、伝え方を誤るな。言葉を尽くせ」
「……」
閉じる口に力を入れると、頭から離れた手が、軽く背中を叩いた。テオバルドはそのまま無言で立ち去り、レオンハルトのみその場に残される。
(くそ……)
まとまらない感情が、焦りを生む。しっかりしなくては、と思うものの、何をどうすれば今の気持ちが落ち着くのか、まるでわからない。
どうすることもできず立ち竦んでいると、音の軽い静かな足音が近づいて来て、背後で止まった。
振り返るまでもなく、その音の主が誰だかわかる。
振り向けずにいると、とん、という軽やかな音が隣から聞こえた。顔を覆っていた手を外し、そっと隣を見れば、覗くように顔を傾かせながら、あどけなく笑う彼女と視線がぶつかった。
「レオンハルト様」
(ああ……)
レオンハルトは、名前を呼ばれるや否やルシアナの手を引き、腕の中に彼女を閉じ込めた。
「……レオンハルト様?」
抱き締めたまま何も言わないレオンハルトに、腕の中のルシアナが身じろぐ。無言のまま腕に力を込めれば、彼女は動きを止め、遠慮がちにレオンハルトの腰に腕を回した。
「――ふ」
背中に当たる小さな手に思わず笑みを漏らすと、体を離しルシアナの顔を見下ろす。
頬を薄桃色に染めながら、不思議そうに目を瞬かせるルシアナに、レオンハルトは目を細めると、今度は優しくその体を抱き締めた。
ふわりと香る花のような匂いを肺いっぱいに取り込みながら、彼女の頭に顔を寄せる。
(……彼女が好きだ)
見たことのない姿を見て想いが膨れたのか。目を惹かれる矢を彼女が放ったことに心奪われたのか。今この気持ちが芽生えた理由は、レオンハルト自身にもわからない。
本当は、もうずっと前から心が決まっていて、久しぶりに会ったことでただ自覚しただけかもしれない。
(……どうでもいい。そんなこと。俺は彼女を好きで、彼女を愛してる。大事なのは、ただそれだけだ)
レオンハルトは、ふわふわと揺れるルシアナの髪に指を通すと、彼女の耳元にそっと唇を寄せた。
「……ルシアナ」
囁くように名を呼べば、彼女は、びくり、と小さく体を震わせた。覗くうなじが赤く染まるのを見ながら、レオンハルトは言葉を続ける。
「貴女さえよければ、今夜、少し時間をもらえないだろうか」
「……こ、んや、ですか?」
かすかに瞳を潤ませ、震える声で訪ねるルシアナに、レオンハルトはただ小さな笑みを返した。
放心していたレオンハルトは、視界の端でテオバルドが動いたのを見て我に返り、急いで立ち上がる。
それぞれ向かい合うと、ルシアナはテオバルドに、レオンハルトはヘレナに頭を下げた。
「王太子殿下にご挨拶申し上げます」
「王太子妃殿下にご挨拶申し上げます」
それにテオバルドは手を挙げて応え、ヘレナは頭を下げようとして、少し腰を落としただけにとどめた。
頭の片隅にわずかに残った冷静な思考が、やっと立ち居振る舞いに慣れたのだろうか、とヘレナの成長を喜んだが、正直それどころではなかった。しっかりしろ、と理性が声を上げるが、レオンハルトの意識も視線も、囚われたようにルシアナから逸らすことができない。
「驚いた。あの見事な矢はルシアナ殿が?」
「はい。幸運にも狙いが当たってよかったですわ。けれど、もしやわたくしが獲物を横取りしてしまったのでは……」
わずかに眉尻を下げたルシアナに、テオバルドは「いやいや」と笑う。
「あまりにも立派な牡鹿だから眺めていただけさ。俺もレオンハルトも弓を持って来てはいないからな。この距離じゃ捕らえようもない。しかし、なるほど。ルシアナ殿は剣だけでなく弓にも才能があったか。トゥルエノの王配殿下が弓の名手であることを考えれば、当然と言えば当然だな。なぁ、シルバキエ公爵」
「……そうですね」
どこか遠くに聞こえるテオバルドの声にぼんやりと返答すると、テオバルドへ向いていたロイヤルパープルの瞳がこちらに向く。長い睫毛を揺らし瞬きをしたルシアナは、少しして、わずかに頬を染め視線を逸らした。
(ぐ……)
何かに心臓を鷲掴みにされたような感覚になり、思わず眉間に皺が寄る。
「おい、レオ――公爵。公……レオンハルト!」
思い切り肩を引かれ、体の向きを変えられる。ルシアナたちに背を向ける形になったかと思うと、テオバルドが顔を寄せ、声を潜めた。
「お前、今自分がどんな顔してるかわかってるか!? 獲物を狙う肉食獣みたいだぞ!?」
「……人間は雑食性の動物だし、俺も野菜を食べる」
「そういうことじゃねぇんだけどなぁ!?」
耳元で大声を出され、レオンハルトは無言のまま頭を離す。その過程で、無意識の内に視線が後ろに向いた。
窺うようにこちらを見ていたルシアナと、目が合う。
(……くそ)
狂ったように脈打つ心臓に、さらに眉間の皺が深くなる。かすかに瞳を揺らした彼女が、そのふっくらとした小さな唇を薄く開く。
(だめだ、やめてくれ)
今名前を呼ばれたら、きっと耐えられない。
心臓も、理性も。破裂して、なくなってしまう。
(頼む……)
手袋が嫌な音を立てるほど強く手を握り込み、思い切り歯噛みした瞬間、後頭部を掴まれ、強制的に視線を外される。抑え込むように頭を下げられ、風に揺れる草が視界に入った。
「ルシアナ殿。とりあえず、捕らえた鹿を運ぶよう指示をしてきたらどうだ?」
「……はい。では、少々御前を失礼いたします」
少しの間があって、二人分の足音が遠ざかっていく。
気配が完全に離れてから、はあっ、と大きく息を吐き出した。このとき初めて、呼吸が止まっていたことに気付き、レオンハルトは肺の奥深くまで空気を取り込むと、片手で顔を覆った。
「……テオ、今すぐその短剣で俺を刺してくれ」
「嫌に決まってるだろ!」
テオバルドは呆れたように溜息をつくと、レオンハルトの頭を抑えた手で、そのままくしゃりと後頭部を撫でた。
「しっかりしろ。慣れないことで気持ちを持て余してるんだろうが、伝え方を誤るな。言葉を尽くせ」
「……」
閉じる口に力を入れると、頭から離れた手が、軽く背中を叩いた。テオバルドはそのまま無言で立ち去り、レオンハルトのみその場に残される。
(くそ……)
まとまらない感情が、焦りを生む。しっかりしなくては、と思うものの、何をどうすれば今の気持ちが落ち着くのか、まるでわからない。
どうすることもできず立ち竦んでいると、音の軽い静かな足音が近づいて来て、背後で止まった。
振り返るまでもなく、その音の主が誰だかわかる。
振り向けずにいると、とん、という軽やかな音が隣から聞こえた。顔を覆っていた手を外し、そっと隣を見れば、覗くように顔を傾かせながら、あどけなく笑う彼女と視線がぶつかった。
「レオンハルト様」
(ああ……)
レオンハルトは、名前を呼ばれるや否やルシアナの手を引き、腕の中に彼女を閉じ込めた。
「……レオンハルト様?」
抱き締めたまま何も言わないレオンハルトに、腕の中のルシアナが身じろぐ。無言のまま腕に力を込めれば、彼女は動きを止め、遠慮がちにレオンハルトの腰に腕を回した。
「――ふ」
背中に当たる小さな手に思わず笑みを漏らすと、体を離しルシアナの顔を見下ろす。
頬を薄桃色に染めながら、不思議そうに目を瞬かせるルシアナに、レオンハルトは目を細めると、今度は優しくその体を抱き締めた。
ふわりと香る花のような匂いを肺いっぱいに取り込みながら、彼女の頭に顔を寄せる。
(……彼女が好きだ)
見たことのない姿を見て想いが膨れたのか。目を惹かれる矢を彼女が放ったことに心奪われたのか。今この気持ちが芽生えた理由は、レオンハルト自身にもわからない。
本当は、もうずっと前から心が決まっていて、久しぶりに会ったことでただ自覚しただけかもしれない。
(……どうでもいい。そんなこと。俺は彼女を好きで、彼女を愛してる。大事なのは、ただそれだけだ)
レオンハルトは、ふわふわと揺れるルシアナの髪に指を通すと、彼女の耳元にそっと唇を寄せた。
「……ルシアナ」
囁くように名を呼べば、彼女は、びくり、と小さく体を震わせた。覗くうなじが赤く染まるのを見ながら、レオンハルトは言葉を続ける。
「貴女さえよければ、今夜、少し時間をもらえないだろうか」
「……こ、んや、ですか?」
かすかに瞳を潤ませ、震える声で訪ねるルシアナに、レオンハルトはただ小さな笑みを返した。
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