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第七章
約束の夜(一)
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用意された幕舎内の一角に設けられた湯浴み用の場所で、人ひとり入れる大きさの円形の木製バスタブに身を沈めたルシアナは、はぁ、と深く息を吐き出す。
あれからもう何時間も経っているというのに、レオンハルトの体温も、吐息の熱さも忘れられず、一度冷静になろうとしてもすぐ体温が上がり、恥ずかしさに心がくすぐられた。
「奥様、御髪を失礼いたします」
「ありがとう。お願い、イェニー」
メイドの呼びかけに我に返ったルシアナは、バスタブの外に頭が出るよう、折りたたまれたタオルが置かれた場所に首を置く。天井を見上げるような形になると、肩の上で赤橙色の髪を切り揃えた別のメイドが顔を覗かせた。
「このままパックをさせていただきますね」
「……そこまでする必要あるかしら、カーヤ」
眉尻を下げ問えば、赤橙色の髪のメイド――カーヤが握りこぶしを作った。
「当然必要です、奥様! 初めてのデートのお誘いではありませんか!」
それに続くように、髪を洗っていたイェニーが、くるくるとした金茶色の髪を揺らしながら顔を出す。
「そうです、奥様! 奥様のお綺麗な姿を見せつけなければ!」
爛々と目を輝かせる二人に圧され、「ではお願いね」と微笑を返す。
イェニーとカーヤは、結婚式当日も身の回りのことをしてくれたシルバキエ公爵家のメイドだ。輿入れする際、メイドも何人か連れて来ているが、エステルをそのまま専属侍女として重用したため、専属メイドはシルバキエ公爵家に仕えていた者たちから選出した。
シルバキエ公爵家のタウンハウスにはもともと女性使用人が少なく、ルシアナが来るのに合わせ新たに雇い入れたようだが、この二人はそれ以前から公爵家に勤めているメイドだった。
二人は仕事が早く優秀で、普段は決して自らの感情をわかりやすく表すことはない。しかし、今回はレオンハルトがルシアナに何も言わず邸を空けたことに思うところがあったようで、三週間離れていたことを後悔させてやる、という意気込みが行動から溢れ出ていた。
あまり気合いを入れて準備するのも場違いではないか、とは思うものの、ドレスは派手なものでもないし中身くらいは、という気持ちも確かにあった。
(浮かれているのよね。おそらく……絶対……)
レオンハルトのことを考えると自然と口元に力が入り、湯のせいではない熱が、じわり、じわり、と体の内側から広がっていくようだった。
『……ルシアナ』
「――っ!」
囁くように名前を呼ばれたことを思い出し、思わず顔を覆いそうになるのを我慢する。
ただ囁かれたのではない。あのとき、わずかにレオンハルトの唇がルシアナの耳に当たっていたのだ。
あのあと再びヘレナたちと合流し、レオンハルトは何食わぬ顔でテオバルドとまたどこかへ向かったが、正直ルシアナはその後の記憶が曖昧だった。何が起きたのか理解できず、脳内では延々とレオンハルトの一連の行動が流れ続け、気を抜くと場所も構わず蹲ってしまいそうになった。
(こ、この状態でレオンハルト様とお会いして大丈夫かしら……お話ししたいこともたくさんあったのに……)
むずむずとして、それでいて強く胸を締め付けられるような感覚に、ルシアナはただ深呼吸を繰り返すしかなかった。
丁寧に全身お手入れされたルシアナは、夜ということもあり化粧は控えめに、髪は肩より下に垂れないようまとめたものの、紐を引けば簡単に解けるようにしてもらった。
ドレスは移動のしやすさを考え、スカートがあまり広がっていない、フリルの少ないものを選んだ。真正面から見れば非常にシンプルな新緑のドレスだが、スカートの後ろが大きく割れており、そこから白いフリルが覗いている。色合いは少々地味だが、上から白い毛皮のケープを羽織ることを考えれば悪くないだろう、とルシアナは小さく頷く。
「……」
ルシアナの希望でこの装いにしてもらったが、鏡の中の自分を見ていると、やはりもうちょっと着飾ったほうがいいのでは、という気もしてきた。
(レオンハルト様はきっといつも通りの騎士服だろうし、それを考えればこれでいいとは思うのだけれど……)
鏡の前で体を動かしながら確認していると、幕舎の外にいる護衛から声が掛けられる。
「ルシアナ様、閣下がいらっしゃいました」
「! すぐに出るわ」
ルシアナが動きを止めると、すぐにエステルがケープをかけてくれる。
「エステル、イェニー、カーヤ、ありがとう。いってくるわ」
「いってらっしゃいませ」
深く頭を下げた三人にもう一度お礼を伝えると、ルシアナは幕舎の入り口まで行く。入口の横には、他者の侵入を防ぐ、鍵の役割を持つ魔法石が飾ってあり、一つ深呼吸をすると、それを一撫でする。
途端にふわりと隙間のできた幕を押すと、少し冷たい夜気が幕舎に流れ込む。
(あ……)
入口の少し先に立っていたレオンハルトは、幕が動いたことに気付いたのか、横に向けていた視線をルシアナへと向けた。一瞬、眩しそうに目を細めたと思ったのもの束の間、すぐに相好を崩すとルシアナに近付いた。
「約束の時間より少し早く来てしまったが大丈夫だったか?」
ルシアナの手を引き、外へと連れ出してくれたレオンハルトを、ルシアナは返答も忘れ、食い入るように見つめる。
(レオンハルト様は、このような表情をされる方だったかしら)
先ほどまでの緊張や心配はどこか彼方に消え、今目の前にいる人物にしか意識がいかない。
まるで大切なものでも見つめるかのようなシアンの瞳に、胸の奥が小さく、熱く、脈打った。
あれからもう何時間も経っているというのに、レオンハルトの体温も、吐息の熱さも忘れられず、一度冷静になろうとしてもすぐ体温が上がり、恥ずかしさに心がくすぐられた。
「奥様、御髪を失礼いたします」
「ありがとう。お願い、イェニー」
メイドの呼びかけに我に返ったルシアナは、バスタブの外に頭が出るよう、折りたたまれたタオルが置かれた場所に首を置く。天井を見上げるような形になると、肩の上で赤橙色の髪を切り揃えた別のメイドが顔を覗かせた。
「このままパックをさせていただきますね」
「……そこまでする必要あるかしら、カーヤ」
眉尻を下げ問えば、赤橙色の髪のメイド――カーヤが握りこぶしを作った。
「当然必要です、奥様! 初めてのデートのお誘いではありませんか!」
それに続くように、髪を洗っていたイェニーが、くるくるとした金茶色の髪を揺らしながら顔を出す。
「そうです、奥様! 奥様のお綺麗な姿を見せつけなければ!」
爛々と目を輝かせる二人に圧され、「ではお願いね」と微笑を返す。
イェニーとカーヤは、結婚式当日も身の回りのことをしてくれたシルバキエ公爵家のメイドだ。輿入れする際、メイドも何人か連れて来ているが、エステルをそのまま専属侍女として重用したため、専属メイドはシルバキエ公爵家に仕えていた者たちから選出した。
シルバキエ公爵家のタウンハウスにはもともと女性使用人が少なく、ルシアナが来るのに合わせ新たに雇い入れたようだが、この二人はそれ以前から公爵家に勤めているメイドだった。
二人は仕事が早く優秀で、普段は決して自らの感情をわかりやすく表すことはない。しかし、今回はレオンハルトがルシアナに何も言わず邸を空けたことに思うところがあったようで、三週間離れていたことを後悔させてやる、という意気込みが行動から溢れ出ていた。
あまり気合いを入れて準備するのも場違いではないか、とは思うものの、ドレスは派手なものでもないし中身くらいは、という気持ちも確かにあった。
(浮かれているのよね。おそらく……絶対……)
レオンハルトのことを考えると自然と口元に力が入り、湯のせいではない熱が、じわり、じわり、と体の内側から広がっていくようだった。
『……ルシアナ』
「――っ!」
囁くように名前を呼ばれたことを思い出し、思わず顔を覆いそうになるのを我慢する。
ただ囁かれたのではない。あのとき、わずかにレオンハルトの唇がルシアナの耳に当たっていたのだ。
あのあと再びヘレナたちと合流し、レオンハルトは何食わぬ顔でテオバルドとまたどこかへ向かったが、正直ルシアナはその後の記憶が曖昧だった。何が起きたのか理解できず、脳内では延々とレオンハルトの一連の行動が流れ続け、気を抜くと場所も構わず蹲ってしまいそうになった。
(こ、この状態でレオンハルト様とお会いして大丈夫かしら……お話ししたいこともたくさんあったのに……)
むずむずとして、それでいて強く胸を締め付けられるような感覚に、ルシアナはただ深呼吸を繰り返すしかなかった。
丁寧に全身お手入れされたルシアナは、夜ということもあり化粧は控えめに、髪は肩より下に垂れないようまとめたものの、紐を引けば簡単に解けるようにしてもらった。
ドレスは移動のしやすさを考え、スカートがあまり広がっていない、フリルの少ないものを選んだ。真正面から見れば非常にシンプルな新緑のドレスだが、スカートの後ろが大きく割れており、そこから白いフリルが覗いている。色合いは少々地味だが、上から白い毛皮のケープを羽織ることを考えれば悪くないだろう、とルシアナは小さく頷く。
「……」
ルシアナの希望でこの装いにしてもらったが、鏡の中の自分を見ていると、やはりもうちょっと着飾ったほうがいいのでは、という気もしてきた。
(レオンハルト様はきっといつも通りの騎士服だろうし、それを考えればこれでいいとは思うのだけれど……)
鏡の前で体を動かしながら確認していると、幕舎の外にいる護衛から声が掛けられる。
「ルシアナ様、閣下がいらっしゃいました」
「! すぐに出るわ」
ルシアナが動きを止めると、すぐにエステルがケープをかけてくれる。
「エステル、イェニー、カーヤ、ありがとう。いってくるわ」
「いってらっしゃいませ」
深く頭を下げた三人にもう一度お礼を伝えると、ルシアナは幕舎の入り口まで行く。入口の横には、他者の侵入を防ぐ、鍵の役割を持つ魔法石が飾ってあり、一つ深呼吸をすると、それを一撫でする。
途端にふわりと隙間のできた幕を押すと、少し冷たい夜気が幕舎に流れ込む。
(あ……)
入口の少し先に立っていたレオンハルトは、幕が動いたことに気付いたのか、横に向けていた視線をルシアナへと向けた。一瞬、眩しそうに目を細めたと思ったのもの束の間、すぐに相好を崩すとルシアナに近付いた。
「約束の時間より少し早く来てしまったが大丈夫だったか?」
ルシアナの手を引き、外へと連れ出してくれたレオンハルトを、ルシアナは返答も忘れ、食い入るように見つめる。
(レオンハルト様は、このような表情をされる方だったかしら)
先ほどまでの緊張や心配はどこか彼方に消え、今目の前にいる人物にしか意識がいかない。
まるで大切なものでも見つめるかのようなシアンの瞳に、胸の奥が小さく、熱く、脈打った。
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