希うは夜明けの道~幕末妖怪奇譚~

ぬく

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第1章 土佐の以蔵

2-6

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 暑さもいささかおさまった、夏の夕暮れ。
 出仕を終えた武士達は灯りの灯った店に集まり、野菜を抱えた農民達は疲れた顔で家へと向かう。空は赤紫からやがて藍色に変わり、一番星が天の端で輝き始めた。
 ころころと虫の声が聞こえる道を、以蔵は一人駆け抜ける。
 すっかり遅くなってしまった。
 これは帰ったら絶対里江に怒られる。鬼のような彼女の顔を想像し、その恐ろしさに身震いした。
 日が暮れるのはあっという間で、家の近くまで帰って来た時には月が頭上で輝いていた。
 誰もいない真っ暗な夜道。妖怪の血のお陰か昔から夜目が効く方だったが、それがなければ本当になにも見えないほどだ。
 ぽつぽつ灯る明かりの間を以蔵はそろそろ歩いて行く。その道の先、微かな、けれど暖かな、一際大きく見える明かりがひとつ、以蔵を優しく待っていた。
 もうすぐだ。
 安堵と喜びで、以蔵の胸が高鳴った。さっきまで頭の中にあった般若のような里江の顔も、この一瞬で消えてしまった。
 早く、家に帰りたい。
 はやる気持ちを押さえ切れず、以蔵は駆け出そうとした、その時だった。
 ざわり。
 風が、騒いだ。
 異様な気配を感じ、以蔵は出しかけた足をぴたりと止める。
 ざぁ、と月が雲に隠れた。
 周りの明かりもいつの間にか消えている。
 まるでさっきまでいた場所とは、まるで違う場所にいるような。現実とは、すべてが逆の世界に落とされたような。
 得体の知れない恐怖を感じ、全身の血が一気に冷えきっていく。
「こんばんは」
 突如背後に気配が現れ、以蔵はばっと振り向いた。
「誰じゃ……?」
 以蔵は警戒しながらその声の主を見る。
 背丈は、ちょうど以蔵と同じくらい。頭を覆う布と暗闇のせいではっきり顔を見ることができないが、その隙間から覗く口元はまだ幼さを残していた。
「おまえ、僕と同じ匂いがするね」
 高い、声変わりをする前の、少年の声。口にそっと笑みを乗せ、彼は一歩、以蔵の方に歩み寄る。
「名前、何て言うの?」
 綺麗な言葉だが、微かに聞いたことのない訛りを感じた。
 以蔵はごくりと唾を飲む。
 この少年、明らかに土佐のものではない。おそらく旅人でもない。では、一体何なのか。
 
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