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新たに覚える事
光輝君は魔法使い
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次の朝、梨花は普通に通勤路を歩いていた。
昨日のようにぶどうパンを加えながら走るような事はない。アンパンをしっかりと平らげて出発する事ができた。
「慢性硬膜下血腫についてはスマホで簡単に調べられたし、たぶん大丈夫よね」
梨花は歩きながらスマホのブックマークを見直した。
慢性硬膜下血腫とは、一、二か月くらい掛けて硬膜と脳の隙間に血が溜まる病気と記されていた。血腫が脳を圧迫した結果、頭痛や認知症症状や麻痺などが起こる事があるらしい。
「梨花、歩きスマホは危ないよ」
曲がり角に差し掛かった所で肩をポンッと軽く叩かれる。
光輝だ。思いのほか近くにいた。今日は青いTシャツにGパンを身に着けている。
梨花は頬を赤らめてスマホをかばんにしまった。
「ごめん、気を付けるね」
「謝らなくて大丈夫だよ。一緒に職場まで行こうか」
嬉しい提案に、梨花は何度も頷いた。
さすがに手をつなぐような事はなかったが、隣を歩けて幸せである。
「血管の名前は覚えられた?」
光輝に尋ねられて、梨花はうっと言葉を詰まらせた。
疲れとめまいのあまり、寝てしまったのだ。
冷や汗が浮かぶ。
自然と視線がそれる。
「全然ダメだった……」
「そういえば教えてほしいと言っていたね」
光輝は穏やかに微笑む。湿った風が吹いたが、爽やかな匂いがして、とても心地よく感じられた。
「意外と簡単だよ。大動脈弓があるのは知っている?」
「そこはなんとか」
梨花は曖昧に頷いた。
心臓から上に伸びた動脈は、大きな弧を描く。そして頭や腕、上半身、下半身にだんだんと枝分かれしていく。
この大きな弧が大動脈弓と呼ばれる。
光輝はパンっと手を叩いた。
「分かっているのなら話が早い! 大動脈弓からは腕頭動脈、左総頚動脈、左鎖骨下動脈が分岐しているね。腕頭動脈からは右総頚動脈と右鎖骨下動脈が分岐する。左右の鎖骨下動脈からはそれぞれ椎骨動脈が枝分かれする」
「う、うん……」
梨花は冷や汗をダラダラ流していた。光輝が特殊な呪文を唱える魔法使いに思える。
学生の頃に理解に苦しんだ部分だ。
光輝は自分の頭を軽く叩いた。
「ちょっと語りすぎたかな。話を単純化しよう。首から頭に行く動脈は大きく二つに分けられる。総頚動脈と椎骨動脈だ。ここまでは覚えられそう?」
「その二つだけなら……」
梨花は顔面を蒼白させていた。
血管のプリントにはもっといっぱい描いてあるからだ。
「……まだ覚える事はあるよね?」
「そうだね。でも、もう少しだよ! 総頚動脈は外頚動脈と内頚動脈に枝分かれする。左右の椎骨動脈は合流して脳底動脈となる」
「血管は分かれたり合流したりするのね」
「そうそう!」
光輝は人差し指を梨花に向けながら、明るい声を発していた。
「やっぱり梨花は理解が早い! あとは内頚動脈は前大脳動脈という枝を出して中大脳動脈に名前が変わる。脳底動脈は左右に分かれて後大脳動脈になる。早足で説明したから理解は難しいかもしれないけど、少しずつ分かると思う」
「あ、ありがとう」
梨花の目は泳いでいた。理解できる日が来るとは到底思えないからだ。
「光輝君はすごいね」
「いやいや、まだまだだよ。勉強しなきゃいけない事だらけだ」
光輝は握りこぶしを作って胸に当てていた。その目はキラキラと輝いていた。
梨花にとって、太陽より眩しい。
「未来の患者さんを救うために、もっともっと勉強しないと。梨花にも付き合ってほしいな」
「わ、私でいいの!?」
梨花は耳まで赤くなった。
光輝は力強く頷く。
「梨花の優しさと気持ちが必要なんだ」
梨花は飛び上がりそうになった。
嘘でも嬉しいとはこの事だ。
光輝君は人を喜ばせる魔法まで使えるのね。
しかし、今のままでは足を引っ張るだけだろう。
「やっぱりいろいろな事をちゃんと覚えるべきよね……」
「そうだね、お互いに頑張ろう!」
光輝の笑顔が輝いた。
昨日のようにぶどうパンを加えながら走るような事はない。アンパンをしっかりと平らげて出発する事ができた。
「慢性硬膜下血腫についてはスマホで簡単に調べられたし、たぶん大丈夫よね」
梨花は歩きながらスマホのブックマークを見直した。
慢性硬膜下血腫とは、一、二か月くらい掛けて硬膜と脳の隙間に血が溜まる病気と記されていた。血腫が脳を圧迫した結果、頭痛や認知症症状や麻痺などが起こる事があるらしい。
「梨花、歩きスマホは危ないよ」
曲がり角に差し掛かった所で肩をポンッと軽く叩かれる。
光輝だ。思いのほか近くにいた。今日は青いTシャツにGパンを身に着けている。
梨花は頬を赤らめてスマホをかばんにしまった。
「ごめん、気を付けるね」
「謝らなくて大丈夫だよ。一緒に職場まで行こうか」
嬉しい提案に、梨花は何度も頷いた。
さすがに手をつなぐような事はなかったが、隣を歩けて幸せである。
「血管の名前は覚えられた?」
光輝に尋ねられて、梨花はうっと言葉を詰まらせた。
疲れとめまいのあまり、寝てしまったのだ。
冷や汗が浮かぶ。
自然と視線がそれる。
「全然ダメだった……」
「そういえば教えてほしいと言っていたね」
光輝は穏やかに微笑む。湿った風が吹いたが、爽やかな匂いがして、とても心地よく感じられた。
「意外と簡単だよ。大動脈弓があるのは知っている?」
「そこはなんとか」
梨花は曖昧に頷いた。
心臓から上に伸びた動脈は、大きな弧を描く。そして頭や腕、上半身、下半身にだんだんと枝分かれしていく。
この大きな弧が大動脈弓と呼ばれる。
光輝はパンっと手を叩いた。
「分かっているのなら話が早い! 大動脈弓からは腕頭動脈、左総頚動脈、左鎖骨下動脈が分岐しているね。腕頭動脈からは右総頚動脈と右鎖骨下動脈が分岐する。左右の鎖骨下動脈からはそれぞれ椎骨動脈が枝分かれする」
「う、うん……」
梨花は冷や汗をダラダラ流していた。光輝が特殊な呪文を唱える魔法使いに思える。
学生の頃に理解に苦しんだ部分だ。
光輝は自分の頭を軽く叩いた。
「ちょっと語りすぎたかな。話を単純化しよう。首から頭に行く動脈は大きく二つに分けられる。総頚動脈と椎骨動脈だ。ここまでは覚えられそう?」
「その二つだけなら……」
梨花は顔面を蒼白させていた。
血管のプリントにはもっといっぱい描いてあるからだ。
「……まだ覚える事はあるよね?」
「そうだね。でも、もう少しだよ! 総頚動脈は外頚動脈と内頚動脈に枝分かれする。左右の椎骨動脈は合流して脳底動脈となる」
「血管は分かれたり合流したりするのね」
「そうそう!」
光輝は人差し指を梨花に向けながら、明るい声を発していた。
「やっぱり梨花は理解が早い! あとは内頚動脈は前大脳動脈という枝を出して中大脳動脈に名前が変わる。脳底動脈は左右に分かれて後大脳動脈になる。早足で説明したから理解は難しいかもしれないけど、少しずつ分かると思う」
「あ、ありがとう」
梨花の目は泳いでいた。理解できる日が来るとは到底思えないからだ。
「光輝君はすごいね」
「いやいや、まだまだだよ。勉強しなきゃいけない事だらけだ」
光輝は握りこぶしを作って胸に当てていた。その目はキラキラと輝いていた。
梨花にとって、太陽より眩しい。
「未来の患者さんを救うために、もっともっと勉強しないと。梨花にも付き合ってほしいな」
「わ、私でいいの!?」
梨花は耳まで赤くなった。
光輝は力強く頷く。
「梨花の優しさと気持ちが必要なんだ」
梨花は飛び上がりそうになった。
嘘でも嬉しいとはこの事だ。
光輝君は人を喜ばせる魔法まで使えるのね。
しかし、今のままでは足を引っ張るだけだろう。
「やっぱりいろいろな事をちゃんと覚えるべきよね……」
「そうだね、お互いに頑張ろう!」
光輝の笑顔が輝いた。
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