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「サーラ!」

突然腕を掴まれ、ビクリとカラダが揺れる。

「ずいぶん上の空だな」

不機嫌そうに眉をしかめる夫に、「申し訳ございません」と答えると、夫はますます不機嫌そうな顔になった。

「…おまえは」

しかし、その後に言葉は続かず、フイッとそっぽを向くと、

「今夜はブリジットに会える」

と呟いた。

いったい、どういうことなのだろう。私を上の空だと詰りながら、自分は愛しいブリジットへ心を飛ばし、あろうことかそれをわざわざ口に出すなんて。あまりにも惨めで手がカタカタ震え出す。

ライアンが結婚すると言い出したが、それは両家の親が止めてくれた。不満そうなライアンを宥めたのも他ならぬブリジットだ。早く結婚して、私に何をさせるつもりだったのか。聞く気もないし、聞きたくもないし、未だにあの時の真意は聞いていない。

サーラが卒業すると同時に結婚し、そのままエインズワース侯爵家に入ることになった。ブリジットはまだ結婚しておらず、同じ屋根の下で暮らすことになる。

そして、式当夜。

「ブリジットが結婚するまでは初夜は待って欲しい」

一言だけ告げたライアンは、緊張で固まっていたサーラを見ることもなく出て行った。式から一年、未だに部屋への訪れはない。ブリジットも、つい2週間前に結婚したというのに。

いったいこの人は、何がしたかったのだろう。早く結婚したいとむくれてみたと思えば、いざ結婚したら夫婦の営みは拒絶する。式での誓いの口づけのみで、その後は触れようとすらしない。ブリジットとは何かにつけて触れあっていたくせに。

義理の両親は優しいが、式から一年経った最近、跡継ぎについてそれとなく話題にのぼらせるようになってきた。あなた方のご子息は私を抱いていないと、声を大にして言いたかった。あなた方のご子息は、義妹のブリジットが好きなのだと。

こんな惨めな想いをしながら、この先もこうして生きていかなければならないのだろうか。俯き、胃の痛みを堪えるうちに王宮に着いた。

馬車を降りると、雨は上がっていた。ライアンに手を出されそっと乗せたが、その時「お義兄様!」と声がして、…手を、振り払われた。

「ブリジット!」

嬉しそうに破顔したライアンは、サーラを振り向くことなく足早にブリジットへと歩を進める。サーラに気がついたブリジットは、ニッコリと微笑み、目の前のライアンに抱き付いた。

「ブリジット、今日は一段と美しいな」

「ありがとう、お義兄様も素敵よ!サーラ様、2週間ぶりね、こんばんは!」

ライアンの腕に手を添えたブリジットは、

「ねぇ、お義兄様、私今夜一人なの。ご一緒してもいい?」

「カールはどうしたんだ?」

「急な仕事で、どうしても抜けられないんですって」

「あいつの部署は、いま忙しいからな。わかった、一緒に来い。いつものようにダンスを楽しもう」

それを聞いたブリジットは、サーラを振り返り、

「でもサーラ様に悪いわ」

と言った。

「問題ないよな、サーラ」

有無を言わせない口調に、それ以上何が言えるだろう。

「はい、旦那様」

ライアンはブリジットをエスコートし会場へと入って行く。ブリジットは、もう人妻だと言うのに、さも当然のようにエスコートする、そしてダンスを踊る、という夫の気持ちがわからなかった。そんなにも私を蔑ろにしたいのだろうか。

案の定、周囲の視線が突き刺さる。居たたまれないまま壁の花となり、ファーストダンスを踊る二人を見るとはなしに見ていると、「サーラ」と声をかけられた。

「…お兄様」

あれ以来、疎遠になっていた兄に声を掛けられ、突然の再開に驚いていると、

「サーラ、おまえ、大丈夫なのか」

と言われた。兄の視線はフロアで踊る二人に向いている。

「大丈夫かと、言われても、」

兄は小さくため息をつくと、

「…あの時から変わっていないのだな」

と呟いた。

「いくら兄妹だからと、妻を後回しに妹と踊るなど、」

「仕方のないことです。あの人の目に、私は映っていないのですから」

そう言いながら、その言葉に更に惨めになった時、いままでにないほど、胃が締め付けられるような痛みに襲われ、目の前が暗くなる。

「サーラ!」

もう、イヤだ。もう、こんな惨めな想いをするのはイヤ。

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