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しおりを挟むその日は、雨が降っていた。
サーラは大粒の雨を落とす空を見上げながら、泣けない私の代わりに空が泣いてくれているのだろうと馬車に揺られながら思った。
夜会に出るための支度ができたと、声をかけようと扉をノックしようとした時、中から夫の声が聞こえてきた。
「サーラとブリジットは同い年だが、見た目がまったく違うだろう?そのままでいいブリジットと、装飾品でなんとか侯爵夫人だとわかるあいつと…あいつを妻だと紹介せねばならない俺の気持ちがおまえにわかるか?」
ノックしようとした手が、そのまま固まる。夫に愛されていないことは良くわかっていた。わかっていたが、まさかそこまで酷く蔑まれていたとは思わず、ここ最近不調を訴える胃がキリキリと痛む。
ブリジット。夫の義妹の名前だ。
婚約中から、夫は義妹に夢中だった。父の再婚でできた義妹をことのほか可愛がった。
夜会にエスコートしてくれても、ファーストダンスは常にブリジットを優先した。
「ブリジットは貴族社会に慣れていないから、俺が守ってやらなくてはならない」
それが彼の口ぐせになり、たまに会っても話は常にブリジットのことばかり。可愛い、キレイだ、話題が豊富で一緒にいると楽しい。
極めつけは、学園在学中に彼が親友…ブリジットの婚約者にこぼした言葉だ。
「ブリジットと結婚できるおまえが羨ましい」
その親友は気を悪くした素振りを見せず、「そうだな」とだけ言って大声で笑った。
それならば婚約を解消してくれたらいい。その晩は、カラダの震えが止まらず、動悸の激しさに寝つくことができなかった。
その日から、もし婚約を解消されても一人で生きていけるようにと、サーラは学園外の勉強に力を入れた。サーラの兄は隣国に留学していたが、月に二、三度送られてくる手紙には、女性の進出が進み生き生きと働く女性姿が描かれていた。両親には言えず、兄に相談してきた婚約者の不誠実さを、兄は言葉にはしなかったが手紙で後押ししてくれたのだと思う。
隣国の言葉で手紙のやり取りができるようになり、もし働けるなら教師がいいと、隣国で使われている学校の教科書を送ってもらって勉強していたある日、婚約者のライアンが突然やって来た。
「婚約者だから、君の部屋が見たい」
強引に押し入られ、隠す間もなかったそれらを、ライアンは無表情で見下ろした。
「サーラ、これは?隣国で使われている教科書だろう?君に何か関係するのか?」
突然やって来て、突然部屋に押し入って、人の持ち物に文句をつけるのは何故なのか。
「兄が留学しているので、勉強しているだけです」
「君は留学しないんだから勉強の必要などないだろう。侯爵家に嫁いでくるのだから他にもっと勉強することがあるんじゃないのか?こんなくだらないことに時間をかけるなんて、君は俺の…エインズワース侯爵家嫡男の婚約者だという自覚が足りないんじゃないのか?」
一方的にまくしたてた後、ライアンはサーラの教科書を持ち帰ってしまった。返してくれと頼んだが一向に戻してもらえず、それと同時に兄からの手紙が極端に減った。今まで隣国のことを、隣国の言葉でやり取りしてくれていたのに、「勉強が忙しくなってきて採点してあげられないから」と自国語に戻ってしまった。女性の職業についても、とんと話題にのぼらなくなり、サーラは兄に何か失礼なことをしてしまったのだろうかと思い悩んだ。
ひとつ年上のライアンとは、学園に入学してからもほとんど交流がなかったのに、その乱入事件を境に毎日迎えに来るようになった。ブリジットと一緒に。帰りも必ず一緒で、何の真似なのかと思っていたある日、ブリジットが馬車の中で大きなため息をついた。
「お義兄様、サーラ様の家に寄るのは遠回りだし時間もかかるわ。こんな時間、無駄だと思う。二人で学園に通う方が効率がいいわよ。ねぇ、サーラ様もそう思うでしょ?」
真っ直ぐな瞳にはなんの悪意も感じられなかったが、サーラはその言葉に傷付いた。
「しかし、」
「そうですね、わたくしもそう思います。明日からはそう致しましょう」
ライアンの言葉に被せるように答えたサーラを、ブリジットは嬉しそうに見たあと、ライアンに視線を向けてウインクした。
そんなに見せつけなくても、彼の心は私にはないのに。
次の日サーラは、二人に会わないように今までより一時間早く家を出ることにした。図書室で勉強をし、予鈴が鳴ったので足早に教室に向かうと、不機嫌な顔のライアンが立っていた。
「おはようございます、ライアン様」
挨拶をし、顔を上げてもライアンからは一向に挨拶が返ってこない。
「どこにいたんだ?」
「…図書室ですが」
サーラの言葉を聞いたライアンは、「勝手にしろ!」と怒鳴って身を翻した。なぜ怒鳴られなくてはならないのかわからず、悔しくて涙が出そうになるのを慌てて堪える。
教室に入ると、ブリジットと目が合った。ブリジットの朗らかな笑顔に、サーラは胸がチクリとした。確実にライアンの声が聞こえただろうに、なぜ笑うのか。ぎこちなく微笑み返してみたものの、授業はまったく頭に入ってこなかった。
そんなこともあったのに、結局彼は私と結婚した。しかも自分が卒業したら、サーラは学生なのにすぐに結婚すると言い出した。
サーラは大粒の雨を落とす空を見上げながら、泣けない私の代わりに空が泣いてくれているのだろうと馬車に揺られながら思った。
夜会に出るための支度ができたと、声をかけようと扉をノックしようとした時、中から夫の声が聞こえてきた。
「サーラとブリジットは同い年だが、見た目がまったく違うだろう?そのままでいいブリジットと、装飾品でなんとか侯爵夫人だとわかるあいつと…あいつを妻だと紹介せねばならない俺の気持ちがおまえにわかるか?」
ノックしようとした手が、そのまま固まる。夫に愛されていないことは良くわかっていた。わかっていたが、まさかそこまで酷く蔑まれていたとは思わず、ここ最近不調を訴える胃がキリキリと痛む。
ブリジット。夫の義妹の名前だ。
婚約中から、夫は義妹に夢中だった。父の再婚でできた義妹をことのほか可愛がった。
夜会にエスコートしてくれても、ファーストダンスは常にブリジットを優先した。
「ブリジットは貴族社会に慣れていないから、俺が守ってやらなくてはならない」
それが彼の口ぐせになり、たまに会っても話は常にブリジットのことばかり。可愛い、キレイだ、話題が豊富で一緒にいると楽しい。
極めつけは、学園在学中に彼が親友…ブリジットの婚約者にこぼした言葉だ。
「ブリジットと結婚できるおまえが羨ましい」
その親友は気を悪くした素振りを見せず、「そうだな」とだけ言って大声で笑った。
それならば婚約を解消してくれたらいい。その晩は、カラダの震えが止まらず、動悸の激しさに寝つくことができなかった。
その日から、もし婚約を解消されても一人で生きていけるようにと、サーラは学園外の勉強に力を入れた。サーラの兄は隣国に留学していたが、月に二、三度送られてくる手紙には、女性の進出が進み生き生きと働く女性姿が描かれていた。両親には言えず、兄に相談してきた婚約者の不誠実さを、兄は言葉にはしなかったが手紙で後押ししてくれたのだと思う。
隣国の言葉で手紙のやり取りができるようになり、もし働けるなら教師がいいと、隣国で使われている学校の教科書を送ってもらって勉強していたある日、婚約者のライアンが突然やって来た。
「婚約者だから、君の部屋が見たい」
強引に押し入られ、隠す間もなかったそれらを、ライアンは無表情で見下ろした。
「サーラ、これは?隣国で使われている教科書だろう?君に何か関係するのか?」
突然やって来て、突然部屋に押し入って、人の持ち物に文句をつけるのは何故なのか。
「兄が留学しているので、勉強しているだけです」
「君は留学しないんだから勉強の必要などないだろう。侯爵家に嫁いでくるのだから他にもっと勉強することがあるんじゃないのか?こんなくだらないことに時間をかけるなんて、君は俺の…エインズワース侯爵家嫡男の婚約者だという自覚が足りないんじゃないのか?」
一方的にまくしたてた後、ライアンはサーラの教科書を持ち帰ってしまった。返してくれと頼んだが一向に戻してもらえず、それと同時に兄からの手紙が極端に減った。今まで隣国のことを、隣国の言葉でやり取りしてくれていたのに、「勉強が忙しくなってきて採点してあげられないから」と自国語に戻ってしまった。女性の職業についても、とんと話題にのぼらなくなり、サーラは兄に何か失礼なことをしてしまったのだろうかと思い悩んだ。
ひとつ年上のライアンとは、学園に入学してからもほとんど交流がなかったのに、その乱入事件を境に毎日迎えに来るようになった。ブリジットと一緒に。帰りも必ず一緒で、何の真似なのかと思っていたある日、ブリジットが馬車の中で大きなため息をついた。
「お義兄様、サーラ様の家に寄るのは遠回りだし時間もかかるわ。こんな時間、無駄だと思う。二人で学園に通う方が効率がいいわよ。ねぇ、サーラ様もそう思うでしょ?」
真っ直ぐな瞳にはなんの悪意も感じられなかったが、サーラはその言葉に傷付いた。
「しかし、」
「そうですね、わたくしもそう思います。明日からはそう致しましょう」
ライアンの言葉に被せるように答えたサーラを、ブリジットは嬉しそうに見たあと、ライアンに視線を向けてウインクした。
そんなに見せつけなくても、彼の心は私にはないのに。
次の日サーラは、二人に会わないように今までより一時間早く家を出ることにした。図書室で勉強をし、予鈴が鳴ったので足早に教室に向かうと、不機嫌な顔のライアンが立っていた。
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挨拶をし、顔を上げてもライアンからは一向に挨拶が返ってこない。
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教室に入ると、ブリジットと目が合った。ブリジットの朗らかな笑顔に、サーラは胸がチクリとした。確実にライアンの声が聞こえただろうに、なぜ笑うのか。ぎこちなく微笑み返してみたものの、授業はまったく頭に入ってこなかった。
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