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第二十七話 憂鬱

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 どうしてサマーホリデーってこんなに長いんだろうね。2カ月弱も要らないと思うんだけど。

 レナンドルの厚意でブランシュ家に避難させてもらう日も増えたが、それ以外はあの変態のいる無駄に広い屋敷で暇さえあればネチネチネチネチいびられる日々だ。

 つくづく、女としてシルヴェスタのポジションにおさまってしまったことが間違いだったと実感するに余りある、惨めな有様だった。

 ノースでの私は、髪を背中まで伸ばし、夜会巻きのようにしてまとめている。ノースでは、未だに、女が髪を短く刈り上げることも許されない。あろうことかこの私に、女らしくあることを強制するのである。

 もう、悪役令嬢ムーブを続ける意味もなくなり、いったいどんな振る舞いがシルヴェーヌとして相応しいのか、全く分からなくなってしまった。

 だから、こんなにも、弱気になってしまうのだ。そのくせ、変に向こう見ずにもなってしまって。ああ、私って本当に不器用な甘ったれ。

 だから、ブランシュ家から、星空のように美しい銀の刺繍が施された、私の理想をそのまま反映したような、黒のスレンダーラインドレスが届いても、心から喜ぶことが出来なかった。

 折角レナンドルが私のために手配してくれたのに。こんなに綺麗なドレスは、私には勿体ない気がしてならなかったのだ。

「うわ、ナニコレ。センス悪いね。こんなケッタイなデザインのドレス着て来いだなんて、辱めもいいところじゃない? かわいそうなシル」

「いいえ、私が強請ったのです。レナンドル様のセンスではございませんわ、兄上」

「へえ、すっかり染まっちゃってもう……兄様は妹の将来が心配だよ」

 興ざめと言ったように踵を返したクソ野郎。ナンセンスなのはお前の頭だよと吐き捨ててやりたかったが、せっかくのドレスを燃やされてはたまったものじゃないので、グッと堪えた。いつか今まで受けた侮辱全部一気に返してやるからな。

 私はあの男に意趣返しするため、燃え上がった。その日の夜から丹念に全身を磨き上げ、翌日の体臭を変える魔法薬を飲み、着圧ストッキングを履いて寝た。

 バッチリベストコンディションを手に入れた私は、夕方まで、屋敷に努める女性にも意見を求めつつ、出来るだけ強く美しい女に見えるよう、細心の注意を払いながら支度した。

 髪を巻いてアップスタイルに。リップも爪も鮮やかな赤色。普段は少し垂れさせるアイラインも躊躇なく跳ね上げ、黒のアイシャドーに銀のハイライトで、ドレスとの一体感を演出。

 ドレスを着用し、あとはアクセサリーを付けるだけ、と言う時、私はジュエリーボックスの中に、心当たりのないネックレスがあることに気付いた。

 禍々しいほど赤い石がふんだんにちりばめられた、銀の意匠。

 息を飲んで見入っていると、ポン、と肩に手が置かれる。私は反射的に振り返った。

「や、シル。気付いたね。兄様からの贈り物。美しいだろう」

 ああ、なんて、呪わしい。こうまでして、この男は。

 男は、項垂れて震える私の首に、手ずから、そのネックレスを付け、満悦そうにドレッサーの鏡を覗き込んで、ニタリと笑った。途端、ズシリと肩が重くなり、私は震える手でチークを塗り直したのだった。

 支度をすべて終えて間もなく、レナンドルが私を迎えに来てくれた。ブランシュ家の夜会なのだから待っていてくれたらよかったのに。

「君の今日の姿を見る最初の人間になりたかったんだ。シルヴィ、夢みたいに綺麗だよ」

 そう言って屈託なく笑うレナンドル。かく言う彼も、黒いシックな燕尾服にクロスタイで、袷から覗くカマーバンドは私のドレスと同じような銀刺繍が施され、息を飲むほど洒脱だった。

「恐悦至極にございます、殿下。貴方様も、いつにも増して、天下を揺るがすほど麗しくていらっしゃいます……!」

 うっとりと、心底感じ入りながら、私はありのままの賛辞を捧げた。言葉で言い表すには、この世界すべての言語をかき集めても足しにならないくらい素敵だった。

 レナンドルは照れくさそうにはにかみながら、私の手を取ったのだった。

 結論から述べると、今宵のパーティーの主役は、間違いなくレナンドルだった。

 会場にいた誰よりも落ち着いた装いであったにもかかわらず、誰よりも注目と賛美の眼差しを一身に浴びていた。隣にいた私は誇らしくてならなかった。

 付け加えて嬉しいことに、この絵に描いたようなヴィラン女の恰好は、レナンドルの婚約者であるにもかかわらずウザったく付き纏ってきた不躾な男たちを遠ざける、いい魔除けになってくれた。まあそれは、私の首元で光る禍々しい赤のせいかもしれないけれど。

 ああ、お洒落は武装だ。この戦闘服のおかげで、会場中から聞こえてくる陰口や、妬み嫉みの視線が、まるでそよ風のようだった。面と向かって文句をつける勇気もない連中のことをまともに取り合う必要なんて一切感じない。快適だ。

 私はその日、そのままブランシュ家でお世話になり、プリエンの屋敷に戻ることなく、いい気分のままレナンドルと共に学園へと向かい、待望の新年度を迎えたのだった。

 +++

「紹介しよう! 僕の弟! 以上!」

 新入生歓迎セレモニーが終わり、例の如く運営や裏方で駆けまわって疲れ果て、植物園で各々デロデロにくつろいでいたところ、スッカラカンな頭を叩いた音みたいなジェルヴェの声がこだました。

 アトラム3年一同は、そのあっけらかんとしすぎた紹介に揃ってズッコケて、信じられないものを見るように、ニッコニコ顔のジェルヴェと、彼に背中を押されてつんのめったピカピカの新入生に注目した。

「ごっ、ご紹介に、あずかりました……? 弟のベランジェ=アベラールです」

「みんな!! 拍手!!」

 ペカーッ! といちいちキラキラしくてこ憎たらしい笑顔で、ジェルヴェが自らも小刻みに拍手しながら叫ぶ。とりあえず私たちはその圧に押されて、パチパチと拍手を返した。

 満悦そうに頷くジェルヴェ。その隣で心細げに兄を見上げるベランジェは見てるだけでいたたまれない。

 私は息を飲み、無意識にスカートのプリーツをグシャリと握った。

 第二王子ベランジェ=アベラール……後のニンフィールド連邦王国の君主となる、原作のメインキャラだ。

 そうだ、ベランジェ王は、ジェルヴェの2歳下の弟だった。そして、王太子夫妻暗殺事件と、そう間を置かぬうちの国王の崩御に伴い、即位することとなったのだ。

 原作では、英傑王と呼ばれ、民衆からの支持も厚い、名君として登場した。何せ、彼は、分断していたニンフィールド南北統一の偉業を果たしたとされる人物だったから。

 隣にいたレナンドルがおもむろに立ち上がり、親友とその弟へと駆け寄っていく。私は反射的に彼の背中に手を伸ばした。

「シルヴィ?」

「あ……」

 レナンドルは振り返り、首を傾げながら微笑んだ。私は何も言えず、ただ、彼のグリーンアイを見つめる事しか出来なかった。まだ、彼を留める口実を持っていないから。ああ、でも、あの男は……ベランジェは。

 縋るような顔をしていたからだろうか。レナンドルは伸ばした私の手を取り、引っ張って立ち上がらせた。やはり、大丈夫だと、私を勇気づけるような顔で。

 まるで先陣を切るかのように王子二人へと歩み寄るレナンドルの姿を視認し、ベランジェは大きく目を見開いたように見えた。私の思い込みからくる錯覚かもしれないが。

 そして、私とも、目が合った。喉が引き攣るようだった。

 原作におけるベランジェ=アベラールは、裏切者だ。

 ノースと結託し、王太子夫妻を殺害……その罪をレナンドルに被せた。そして、彼を処刑したと見せかけ、秘密裡に飼い殺していた、原作主人公に最初に立ちはだかる敵サイドのキャラクターなのである。
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