上 下
53 / 86
1章

49,傲慢な人間

しおりを挟む

「鈴乃ちゃーん!」

 小春は老人とにこやかに話をしていた鈴乃に遠慮なく声をかけた。
 鈴乃は小春に気づくと穏やかに笑みを浮かべる。

「こ、小春さん、どう、しました?」
「いやぁ、鈴乃ちゃんと一緒にいたいなと思ってさ」
「そ、そうですか……」

 ヘラヘラとしながら言うと、鈴乃は僅かに目を見開き、顔を赤らめた。美少女の照れ顔で助かる命もあるものだ。

「そちらの方は……、」

 先程まで鈴乃と話していた老人は、和やかなまま小春を見た。

「申し遅れました、私は小春といいます。鈴乃さんのお手伝いをしております!」
「ほほう。……それはそれは有り難いことですな」
「それで、どうですかね。うちの鈴乃さんは」
「ちょ、小春さん……!」

 小春が関心している老人にしたり顔で尋ねると、鈴乃は顔をさらに赤くしながらあたふたする。
 その様子を老人と二人で温かい目で見つめた。

「スズノ様はとても心優しく、一人一人に親身になってくださっております。私共にとっては聖女様のような方でございます」
「い、いえ!そ、んな……こと!」
「ほうほう、それはそれは。貴方は素晴らしい審美眼をお持ちのようだ」
「こ、小春さんまで……もうっ!」

 老人と通じ合ったものを感じ、少々悪ノリをすると、とうとう鈴乃がへそを曲げた。そのへその曲げ方も可愛らしいのだが。
 ご老人とそんな鈴乃をにこやかに眺めると同時に安堵する。

 鈴乃は力を使わずとも精神面で彼らを支えている。鈴乃は彼らにとってそれほど大きな存在になっているようにみえた。
 よかった。他人のためになにかしたいという鈴乃の思いは、力を使わずとも報われている。小春が心配するまでもなかった。

 ──小春がそうほどに。



「いやぁぁぁぁ!!!!」



 けたたましい悲鳴が隣の部屋から聞こえてきた。
 穏やかではないその声にその場の人間はみな驚き固まった。
 小春も同様に声のした方向を見つめ、息を呑んでいた。

「あれは、サラさんでしょうな」
「えっ!?!」

 静かに、そして少し固くなった声色で老人は呟いた。
 聞き覚えのない名前に小春は眉をひそめたが、隣の鈴乃は分かったらしく、ひどく動揺したように声を上げた。

「実は、サラさんの父親のヨシュアというものが昨夜ぐらいから体調が優れないようで。………もしかすると」

 眉尻を下げ、目を伏せながら静かに話す老人。
 それ以上言葉が続くことはなかったが、状況を鑑みるにおそらくは──。

 小春の隣にしゃがんでいた鈴乃が無言で立ち上がった。

「鈴乃ちゃん……?」

 いつもと雰囲気が違う鈴乃に違和感を覚え、声をかけた。
 しかし、彼女がその声に返答することはなかった。
 顔を伏せたまま何も喋らない鈴乃を見上げるが、長い前髪のせいで表情までは見えない。その代わり見えたのは、ぎりぎりと震えるほどに握りしめた右手だった。

 まずいと咄嗟に思い、再び鈴乃に声をかけるためと口を開こうとした。

 と、同時。
 
 鈴乃は踵を返し、迷うことなく講堂を飛び出していった。
 
 小春は、躊躇することなくその頼りない背中を追いかけた。
 ただ。止めねば、そう思ったからだ。

「鈴乃ちゃん!待って!」

 追いかける背中に向かって声を張り上げるが、止まる気配はない。

 運動神経は思った通り、小春のほうが良いらしい。
 少し出遅れた小春はそうこうしているうちに、隣の部屋に辿り着く前の鈴乃に追いつき、無我夢中でその手をつかんだ。
 体力のない小春は息を整えつつ、掴んだ相手を見る。
 一方、腕を掴まれた鈴乃は、そのまま前方を向いて小春の方を見ない。

 お互い無言の時間が続いていた。その沈黙を破ったのは鈴乃だった。

「………離してください」

 今までの鈴乃なら言わなそうな言葉に思わず目を見張るが、小春はその手を離さず口を開いた。

「鈴乃ちゃん、あの力を使おうとしてるよね」
「………」
「なら行かせてあげられない。言ったよね、使ったら鈴乃ちゃんは……、」

 利用され、壊れるまで使い潰される。

 その言葉を直接言うことに躊躇い、結局それ以上言葉が続くことはなかった。
 言われずとも鈴乃は理解しているはずだ。だからだろう、小春の言葉に顔を伏せるような素振りがあった。

「……利用されるかも、ですよね。わかって、ます。小春さんが、いう……ことですから、根拠もあるんでしょう……?」
「なら」
「でも、わ、私は。助けたい、と思うんです」

 鈴乃の声は震えているが、確実に芯を持っている。

 やはり予想通りだった。鈴乃は心優しく、人に感化されやすいように思っていた。だからこそ、このような環境下にいればいずれ、貧民街の人々に感情移入し、助けてあげたいと思うだろうと。
 助けられる力があるからこそ余計、助けないことに罪悪感は募っていく。この心優しい子はその罪悪感に耐えられることはできないだろうと。

 鈴乃は今まで出会ってきた人のなかでも、純粋で優しく、そして人を惹きつけるオーラを持つ特別な子だ。彼女は聖女の力がなくとも、貧民街の人々の心境に変化をもたらした。それができる人間に出会えることなんて果たして何回あるだろうか。

 そんな高尚な子が利用され、使い潰されるなんてことはあってはならない。
 だからこそ、人のためになにかしようと行動するきっかけになってしまった小春自身が止めなければ。

「じゃあ、助けるために自分はどうなってもいいってこと?」
「……そ、れは……」
「私も彼らには同情するし、できれば助かってほしいと思うよ。だから、私も自分にできることならやりたいと思う。けどそれは自分を無下に扱うのとは違う。誰かの犠牲の上で成り立つ救済なんて、救済なんて陳腐な言葉で呼ぶのもおこがましい」
「………」
「だから、鈴乃ちゃん。できる範囲内で自分にできることをやろう?」

 黙り込む鈴乃。
 少し言い過ぎたと反省しつつ、最後は優しいトーンで諭す。

「………そう、ですね。そう、かも……しれません」

 ようやくぎりぎり聞き取れるほどの声が聞こえてきて一度安堵するが、小春が掴んでいた腕の力は一向に抜けない。

「鈴乃ちゃ、」
「でも!……私にはそれができるでしょう???私なら助けられる、この状況を一瞬で変えられる!!」

 呼びかけを遮った鈴乃は吐き出すようにそう訴えた。
 その気迫に思わず息を呑む。それでも止めなければと言葉を続ける。

「それで、鈴乃ちゃんが傷つくことになったらどうしようも、」
「小春さんは仔犬を助けていたじゃないですか!!」
「!!」

 見ていたのか。
 予想外なことで腕を掴んでいた手の力が緩んだ。
 その機に鈴乃は小春の手を振り払った。そして、振り返り、小春を見返した。

「小春さんは、自分の危険を顧みず、見ず知らずの人を助けてました。初めて会ったときも、自分だって訳が分からない状況だったのに真っ先に私の身を案じてくれて、2回目に会ったときもまた助けられて!」

「……それは」

「ちがうっていうんですか??何が??………私、何かの役に立ちたいと思ってここに来たのに、足がすくんで何もできなくなってしまって。そんな私に初めて声をかけてくれたのがサラさんとヨシュアさんです」

 サラとヨシュアという名前を聞いて、鈴乃が動揺していたのは知り合いだったからだったのか。

「知っている、人なんです。2人がルイストンに来た理由も知っているんです。知っているんですよ!………見知らぬ人にすら手を差しのべる小春さんに、変わりたいと願った私を肯定してくれたあなたに、憧れているんです。………あなただけは見捨てろだなんて言わないでください!」

 目にかかった長い前髪の隙間から見えるくりっとした目元は、強い意志を孕んで、小春を見据えた。

 ただただ、圧倒された。純粋な信念に。信念のない小春にはそれはあまりに眩しかった。

 目を見開いたまま何も言わない小春に、鈴乃は小さく頭をさげ、迷うことなく隣の部屋に入っていく。
 頼りなかったはずの背中にはもう迷いは消えていて。小春はそれを呆然と見つめ、諦観する。

 あぁ、だめだ。

 止めるべきだ。止めないと後悔する。頭ではそう分かっていたのに、脳内に小縁つくあの目が忘れられない。振り払われた手はそのまま動くことはなかった。
 
 きっと小春には、鈴乃は止められない。そのことをようやく理解した。

 何を、何を思い上がっていたのだろうか。
 鈴乃を変えたのは自分などと。自分なら鈴乃を止められるなどと。なぜそう思えたのだろうか。

 小春は、うなだれるように横にあった壁にもたれかかった。

 きっかけは小春だったのかもしれない。けれど、引きこもり続けていた自室から足を踏み出したのは紛れもなく彼女の意志だ。変わりたいとそう願ったのも彼女だ。初めから知っていたではないか。

 彼女は勝手に、自らの意志で変わった。
 その意志を折るような権利なんて小春には初めからなかった。そのことにすら気付けなかった。

 ──なんて、

「………傲慢なんだろうか」

 自嘲するように笑い、消えるように呟いた言葉は、誰もいない広い廊下に静かに消えていった。
    
しおりを挟む
感想 25

あなたにおすすめの小説

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

完結 「愛が重い」と言われたので尽くすのを全部止めたところ

音爽(ネソウ)
恋愛
アルミロ・ルファーノ伯爵令息は身体が弱くいつも臥せっていた。財があっても自由がないと嘆く。 だが、そんな彼を幼少期から知る婚約者ニーナ・ガーナインは献身的につくした。 相思相愛で結ばれたはずが健気に尽くす彼女を疎ましく感じる相手。 どんな無茶な要望にも応えていたはずが裏切られることになる。

絶対に間違えないから

mahiro
恋愛
あれは事故だった。 けれど、その場には彼女と仲の悪かった私がおり、日頃の行いの悪さのせいで彼女を階段から突き落とした犯人は私だと誰もが思ったーーー私の初恋であった貴方さえも。 だから、貴方は彼女を失うことになった私を許さず、私を死へ追いやった………はずだった。 何故か私はあのときの記憶を持ったまま6歳の頃の私に戻ってきたのだ。 どうして戻ってこれたのか分からないが、このチャンスを逃すわけにはいかない。 私はもう彼らとは出会わず、日頃の行いの悪さを見直し、平穏な生活を目指す!そう決めたはずなのに...……。

お嬢様はお亡くなりになりました。

豆狸
恋愛
「お嬢様は……十日前にお亡くなりになりました」 「な……なにを言っている?」

番から逃げる事にしました

みん
恋愛
リュシエンヌには前世の記憶がある。 前世で人間だった彼女は、結婚を目前に控えたある日、熊族の獣人の番だと判明し、そのまま熊族の領地へ連れ去られてしまった。それからの彼女の人生は大変なもので、最期は番だった自分を恨むように生涯を閉じた。 彼女は200年後、今度は自分が豹の獣人として生まれ変わっていた。そして、そんな記憶を持ったリュシエンヌが番と出会ってしまい、そこから、色んな事に巻き込まれる事になる─と、言うお話です。 ❋相変わらずのゆるふわ設定で、メンタルも豆腐並なので、軽い気持ちで読んで下さい。 ❋独自設定有りです。 ❋他視点の話もあります。 ❋誤字脱字は気を付けていますが、あると思います。すみません。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

溺愛されている妹がお父様の子ではないと密告したら立場が逆転しました。ただお父様の溺愛なんて私には必要ありません。

木山楽斗
恋愛
伯爵令嬢であるレフティアの日常は、父親の再婚によって大きく変わることになった。 妾だった継母やその娘である妹は、レフティアのことを疎んでおり、父親はそんな二人を贔屓していた。故にレフティアは、苦しい生活を送ることになったのである。 しかし彼女は、ある時とある事実を知ることになった。 父親が溺愛している妹が、彼と血が繋がっていなかったのである。 レフティアは、その事実を父親に密告した。すると調査が行われて、それが事実であることが判明したのである。 その結果、父親は継母と妹を排斥して、レフティアに愛情を注ぐようになった。 だが、レフティアにとってそんなものは必要なかった。継母や妹ともに自分を虐げていた父親も、彼女にとっては排除するべき対象だったのである。

【完結】『飯炊き女』と呼ばれている騎士団の寮母ですが、実は最高位の聖女です

葉桜鹿乃
恋愛
ルーシーが『飯炊き女』と、呼ばれてそろそろ3年が経とうとしている。 王宮内に兵舎がある王立騎士団【鷹の爪】の寮母を担っているルーシー。 孤児院の出で、働き口を探してここに配置された事になっているが、実はこの国の最も高貴な存在とされる『金剛の聖女』である。 王宮という国で一番安全な場所で、更には周囲に常に複数人の騎士が控えている場所に、本人と王族、宰相が話し合って所属することになったものの、存在を秘する為に扱いは『飯炊き女』である。 働くのは苦では無いし、顔を隠すための不細工な丸眼鏡にソバカスと眉を太くする化粧、粗末な服。これを襲いに来るような輩は男所帯の騎士団にも居ないし、聖女の力で存在感を常に薄めるようにしている。 何故このような擬態をしているかというと、隣国から聖女を狙って何者かが間者として侵入していると言われているためだ。 隣国は既に瘴気で汚れた土地が多くなり、作物もまともに育たないと聞いて、ルーシーはしばらく隣国に行ってもいいと思っているのだが、長く冷戦状態にある隣国に行かせるのは命が危ないのでは、と躊躇いを見せる国王たちをルーシーは説得する教養もなく……。 そんな折、ある日の月夜に、明日の雨を予見して変装をせずに水汲みをしている時に「見つけた」と言われて振り向いたそこにいたのは、騎士団の中でもルーシーに優しい一人の騎士だった。 ※感想の取り扱いは近況ボードを参照してください。 ※小説家になろう様でも掲載予定です。

処理中です...