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超夢の三団体対抗戦

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 夢の三団体対抗戦-おてんばプロレス正規軍 vs バンコクおてんばプロレス vs ヤンゴンおてんばプロレス。日奈子社長やイフュー社長にとって、どの国で開催するかは大きな問題であったが、選手の交通費やら滞在費やら、その他いろいろなことを考えた結果、タイのバンコクで開催するのが一番いいだろうということになった。世界に打って出ようともくろんでいた日奈子としては、話題性を最優先して、ヤンゴンのシュエダゴン・パゴダ(世界的に有名な金ぴかの寺院である)の前でプロレスを披露したいと思っていたが、イフュー社長の猛反対に加え、ミャンマーを代表する敬虔なスポットという特性をかんがみ、プロレスの許可なんておりるはずがないという理由から断念せざるを得なかった。
 「だったら、バンコク一の高層ビルの最上階でやりましょう」とか「BTS(スカイトレイン)の車内でやるのも楽しそうなんだけど、どうかしらねぇ」と提案する日奈子だったが、まともにとり合ってくれる者は誰もいなかった。‥‥てん、てん、てん。まる。みたいな。
 最終的にはバンコクを代表する繁華街のナナにある広場を借りて、世紀の三国対抗戦がとり行われることになったのである。
 ルールとしては、次のようなとり決めがなされた。
〇各国の団体ごとに代表選をくり広げ、上位二名のレスラーが三国対抗戦に出場
〇計六名の選手によるリーグ戦の結果、上位三名が決勝戦へ進出
〇二位と三位の勝者と一位の選手が闘い、その勝者が優勝
 ちなみにバンコク駐在中のジュリーは、バンコクおてんばプロレス所属の選手とみなされた。
 現状のルールでいうと、日本のプロ野球のクライマックスシリーズみたいなものだろう。予選の結果、各団体からは以下のような選手が選出された。
<日本・おてんばプロレス正規軍>
 事実上、本家本元のおてんば女子大学プロレスごっこ団体・おてんばプロレスの学生らと、日奈子社長率いるおてんば企画の社員らによる闘いとなった。おてんば女子大学からは稲辺容子、ファイヤー松本、稲辺容子の妹の隆子(晴れてめでたく大学生に)の三名が参戦し、おてんば企画のプレジデント日奈子、ジャッキー美央という強者レスラーと相まみえたが、激闘の末、稲辺隆子とジャッキー美央が晴れの決勝へ。稲辺隆子は、最後の最後でお姉さんの容子を撃破し、決勝戦へと駒を進めた。
<タイ・バンコクおてんばプロレス>
 バンコク東光大学のおてんばプロレスから参戦した三名の中に、とびっきりの天才少女がいた。その名をナツといい、小説『バンコクおてんばプロレスの女神たち ~バーニングスピリット・イン・タイ~』の中で大活躍したプレティーコングsの美人姉妹・アナとカラをも押しのけたというのだから驚きであった。結果的にタイブロックの決勝へ進んだのはジュリーとナツのふたりだったが、なんと予選ではジュリーがナツに手痛い一敗を食わされていた。未知なる天才レスラー・ナツへの期待は、否が応でも高まった。
<ミャンマー・ヤンゴンおてんばプロレス>
 十二人の女子レスラーによる大混戦状態を制したのは、桃子とマユというふたりの有望株であった。どこでどう覚えたのか、桃子のスープレックスや、マユの飛び道具は他を寄せつけなかった。このふたりの他に、ジュリーに憧れているという男の娘(こ)レスラー・ヤムの善戦も目立ったが、なんとも残念なことに大会の途中で、故郷にいる祖母が亡くなってしまい、涙の里帰りを余儀なくされていた。
 さぁ、日本-タイ-ミャンマーという三つの国から集まった精鋭女子(いや、一部は男子か)による夢の対抗戦。SNSによる一位予想では、ジュリーが四割、ナツが三割と票が分かれた。桃子やマユの優勝を予想する者も多かった。
 ちょうど水かけ祭りのシーズンを迎え、街中が大賑わいのバンコクで、まずは六人によるリーグ戦がくり広げられた。国境を超えた女たちの熱き闘いをひと目でいいから見ようという想いからか、会場は人、人、人に埋め尽くされた。お金の雨が降るかどうかはわからないが、景気づけのひとつとして、会場には「縁起よし」とされる水が派手にぶちまかれた。キャーキャーという大歓声。各国代表の女子選手も、このときばかりは普通の女子に戻っていた。
 この大会の主催者である日奈子社長とイフュー社長も、お互いに水をかけ合っていた。ていうか、日奈子のテーブルの上には、早くもタイビールのカップが置かれているではないか。今日は水かけ祭り。ビール飲み祭りじゃないんだからさ。
 まぁ、そんな堅苦しいことをいったところで、日奈子の暴走だけは止められない。話題づくりなのかどうかはわからないが、大会前のデモンストレーションとして、韓国のアイドルグループがリング上に現れたのには度肝を抜かれた。
 いや、まさか。
 まさかまさか。
 いくらなんでも。
 韓国を発火点に、今や東南アジアで大人気を誇る五人組男子の登場に、黄色い声援がはじけ飛んだ。
 「日奈子社長、今日はお招きいただき、ありがとうございます。僕らも一生懸命歌いますから、選手の皆さんも頑張ってください」だなんて、グループのリーダーがマイクを手に日本語であいさつをしてきた。サングラスをかけ直しながら、笑顔で手を振る日奈子。
 二十分ほどのステージではあったが、嬉しい不意討ちに、もちろん観客は狂喜乱舞であった。名(迷?)プロデューサーの日奈子も大々々熱狂。「んもう、きっと自分が会いたいから呼んだんだわ」と大会運営の助っ人も兼ねる美央は、あきれ返ることしきりであった。「いつの日か、韓国や中国にも進出するので、そのときはよろしくね」なんて、日奈子社長は口にしていたようだが、美央をはじめとする社員の間からは「やめてやめて」という悲鳴が聞かれていたのである。
 やがて――。
 稲辺隆子、ジャッキー美央、ジュリー、ナツ、桃子、マユ。軽快な音楽に乗り、ひとりずつコールを受けながら、六人の女戦士がリングに居並んだ。場内はワーッという大歓声。広場自体がギューギュー詰めになり、急きょ近隣の商業ビルのテラスも開放された。まるで日本の縁日を思わせるように、広場の隅っこではビールやお寿司が売られていた。お寿司はサーモンとエビの二種類のみだったが、太陽光線が直撃する中、天干し状態で小ぶりのお寿司が並べられている光景は、まさにバンコクならではのことであった。ちなみに会場では「おてんばせんべい」なる怪しげなせんべいも売られていたが、これって誰も許可していないから(苦笑)。ジュリーの似顔絵を描いたせんべいも出まわっていたが、著作権の問題では、相変わらず難のあるバンコクなのであった。
 この日、場内アナウンスを務めたのは、日奈子のお姉さんの旦那の武雄さんであった。一丁前に蝶ネクタイなんかして、プロ気どりの武雄さんの凛々しい姿は、そのまま世界中にネットで配信されていた。
 レフェリーを買って出てくれたのは、地元のナナでゴーゴーバーを経営する社長さんで、その名をネームという。ネームがネームというのもおかしな話だが、バンコクを舞台にした著者の前作『バンコクおてんばプロレスの女神たち ~バーニングスピリット・イン・タイ~』でレフェリーを務めてからというもの、すっかり女子プロレスの魅力にハマっていたのである。
 しかしながら、今回は六人によるリーグ戦。試合数も多いことから、「できればもうひとり」と思っていたところに、なんとルークが手をあげたのには度肝を抜かれた。
 「僕がやります。うんと勉強しますから、レフェリングに関するノウハウを教えてください」といい、ルークがネーム社長にタイ語で語りかけると、ネーム社長は「うんうん」と頷き返し、ネーム&ルークというレフェリングチームが誕生したのであった。
 考えてみると、ふたりとも地元でちょっとはその名が知られた実業家同士。レフェリングだけでなく、スポンサー探しの面でも最強のタッグを組んでくれたおかげで、それなりに潤沢な資金を集めることができたのは、かなりありがたかった。
 ちょっと差し出がましいと思いながら、有料の中継サイトも開設したところ、これがまた大受け。タイはもちろん、日本やミャンマーから数えきれないほどの申し込みがあり、裏方で事務をこなしていたおてんば企画本体の居残りスタッフも嬉しい悲鳴をあげているのであった。
 こうして見ると、リングに勢揃いした六人は、全員がアイドル並みの美女であった。強くて、かっこよくて、美しすぎる――そんな女子のフェロモン出しまくりで、国際色豊かな観客らのハートを鷲づかみにしたのはいうまでもなかった。
 「皆さんの活躍に、わくわくしています」というイフュー社長の開会宣言を皮切りに、国境を超えた六人の女たちによる闘いの火ぶたが切っておろされた。
 二週間にわたる長期のリーグ戦。ちょうどタイのバンコクは乾季を迎えていて、気温が三十七、八度は当たり前。四十度を超える日も多く、日本代表の稲辺隆子やジャッキー美央にとっては、暑さとの闘いでもあった。
 ていうか、これは長期滞在したことのある者にしかわからないと思うが、あつあつのご飯やら味噌汁やら漬け物やら納豆やら焼き魚やら煮物やら(う~ん、あげたらきりがない‥‥苦笑)、とにかく日本食が食べたいという飢餓状態にも苦しめられていた。だからというわけではないだろうが、残念ながら隆子も美央もリーグ戦の後半で大失速をしてしまい、優勝戦線からは離脱せざるを得ない結果となった。どちらかというと美央なんかは、海外慣れしていた方だと思うが、タイミングが悪いことに、日本での大特急の仕事(地元の大学の入学案内パンフレットのデザインである)が重なり、滞在先のバンコクのホテルでは徹夜を強いられる始末。プロレスどころではないというのが正直な想いであった。まぁ、プロレスといいながら、プロではないのは辛いところだろうか。
 ミャンマーの第一代表で、優勝候補のひとりにあげられていた桃子にもアンラッキーなできごとが襲いかかった。ヤンゴン大学で講師をしているというご主人が、突然教壇で倒れてしまい、急きょミャンマーへ帰国するしかない状況になってしまったのである。リーグ戦では三連勝を果たし、上位進出が確実視されていた中での無念の棄権。プロレスのセンスのよさは抜群で、大会を制したあとは、日本の老舗女子プロレス団体からのスカウトもあり得るのでは?という噂が現実味を帯びてきていただけに、なんとも残念な結果になってしまった。
 結果的に上位への進出を果たしたのは、ジュリー、ナツ(ともにタイ代表)、マユ(ミャンマー代表)の三人であった。顔ぶれを考えると、もはや経験豊富なジュリーの圧勝とも思われたが、予選リーグ戦の優勝を飾ったのは、新進気鋭のナツだ。強いというよりも巧い。スピード感があり、次から次へと機転を利かせながら、ジュリーをはじめとする先輩レスラーをことごとく打ち負かしていったのである。
 そうはさせまいと思いながら、決勝進出を賭けて相まみえることになったのは、二位のジュリーと三位のマユだった。今やベテランの域に達しているジュリーとしては、自分こそがこの大会をリードしなければ――という強い想いに駆られていたが、一方で若手らの台頭を頼もしく感じていた。
 マユとの一戦を控えた前日のこと。日奈子やジュリー、美央、隆子らは、ルークが経営しているという中華レストランを訪れていた。バンコクのチャイナタウンにあるヤワラー通りに面し、本格的な中華料理を満喫できると評判のお店であった。
 経営者のルークが顔を見せると、タイ人スタッフらの間に緊張が走った。お店の運営自体は中国人マネージャーにまかせているらしく、孫(ソン)と名乗るマネージャーが「一番奥の個室へどうぞ」と日奈子らを招き入れてくれた。
 「せっかくだから私は青島(チンタオ)ビールをいただくわ。チン〇〇じゃなくて、チンタオだから。やーね、美央ちゃんったら、色気づいちゃって。さぁ、遠慮せずに今日は食べましょ。ジュリー優勝の前祝いよ」なんて、相変わらずの調子で日奈子はいっているが、今回もし桃子の欠場がなければ、私自身、上位に勝ち残ることはできなかったかもしれない――とジュリーは思っていた。美央ちゃんや隆子ちゃんたちに追いあげられるならまだしも、タイやミャンマーのニューフェイスらにしてやられるなんて、ふふ、それだけおもしろくなってきたってことかなとジュリーは考えていた。
 大学の講義の関係から、今夜(深夜)のフライトで日本へ帰国する予定の隆子が、どうやら同じことを想い描いていたらしい。
 「タイのナッちゃんやミャンマーの桃ちゃん、マユちゃんたちって、本気で強いと感じました。特にボディーコントロールがすごいというか、ひとつひとつの動きに無駄がなくて、技の連携もよく考えられているんです。あれっ、こんなはずじゃないと思っていたら、それが焦りにつながり、どつぼにハマってしまいました」。
 「あっ、それって私も感じたわ」と共鳴したのは美央であった。
 「やっぱりモチベーションが違うんでしょうね。私たちは、あくまでも学生プロレスや社会人プロレスの域でしかないのに、ミャンマー代表の桃子やマユなんかは、明らかに国を背負っている気がする」。
 「そういえばイフュー社長から、試合前は国歌斉唱をしてほしいという要望があったわね」と日奈子。
 「ジュリーのプレッシャーにつながらないように、これは内緒にしようと思っていたんだけど、明日はタイとミャンマー両方のテレビ局が取材に入るの。イベントうんぬんじゃなくて、国家的な威信がかかっているのよね、きっと」というと、「あら、ここの上海ガニおいしい」とかなんとか口にしながら、次から次へと運ばれてくる料理に目の色を変えていた。世界中の“おいしい”が集まる、東南アジアのハブ都市・バンコク。おいしさは、まさに世界共通の味覚。国境を超えて、多くの人を幸せにする力を秘めていた。
 うーん、なるほど。国としての威信か。きっとそれってタイのバンコク出身で、ジュリーの盟友でもあるレディーコングSAKIの強さの秘密にもつながっているのかもしれないとジュリーは思うのであった。
 「なんにせよ、明日は誇りを持って闘いましょう。私たちには、もっと大きなポテンシャルがあると思うの。国境なんて関係ないから、全員がOTENBA-PROとしての誇りを胸に、全力で闘ってほしいわ」。
 ひとりひとりの顔を見渡しながら、いつになく神妙な顔つきで日奈子が語りかけてきた。とはいうものの、あれがおいしいとか、これがおいしいとか、盛んにまくし立てているあたりは、誰がどう見てもいつもの日奈子であった。
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