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第五話 王太子の最期
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侯爵家の跡取りとして夫を迎えたベーゼだが、なかなか家を継がせるための子どもは出来なかった。
一方王太子のほうは、魔獣との戦いが元で婚約者を喪った隣国の王女を妃に迎えて、それなりに上手く過ごしていた。
王女との子どもも生まれて、もうベーゼのことは忘れたほうが良いのではないかと思い始めたころ、彼女から連絡があった。ずっと夫とともに侯爵家の領地に引き籠っていたが久しぶりに王都へ行くので会えないか、というものだった。
ふたりは王都のだれの持ち物とも知れない館で開催されていた仮面舞踏会で再会し、初めて体を交わした。
そして──ベーゼは死に、王太子は病に倒れた。
ベーゼは子どもが出来ないのは夫のせいだと決めつけ、お忍びで侯爵領の町へ出て行きずりの男と関係していたのだ。
そのせいでさまざまな性病に罹患していたのである。ひとつひとつは痒みをもたらす程度の軽い病でも交じり合うことで症状は重くなり、死病と化すほどとなったものがベーゼから王太子に注ぎ込まれていた。
死病が移らぬように妃と子どもからは離された王太子の最期には、母である女王だけが訪れた。
王太子に王家に伝わる護符を握らせながら、女王は言った。
「あの娘がおかしくなったのは貴方のせいよ。初めて会ったときから愛し合っている運命の相手だったのなら、どうして不貞の関係を続けたの? 愛しているのなら相手を貶めたいとは思わないはずよ。身を引くことも愛ではないの?……なんて、愛する人と結ばれた私が言っても聞く耳はないでしょうね。この護符には時間を戻す魔術が込められていると聞きます。もしも時間が戻ったならば、今回のことを教訓にして、正しい道を選びなさい」
死の瞬間、護符を握り締めて王太子は思った。
もしも本当に時間が戻ったならばベーゼとは別れよう、と。
自分の愛妾になるためとはいえ、性病となるまでだれかれなく体を任せていた彼女のことが、今の王太子には恐ろしい存在にしか感じられなかったのだ。今にして考えてみれば、ソフィーに虐められていると言っていたのも直接なにかあったわけではなく、単にソフィーが王太子の婚約者であることを指しての言葉だったのかもしれない。彼女の愛はたぶん、王太子の思う愛とは違う。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
王太子の死とともに、時間は戻った。
戻ったその日は婚約者ソフィーの親友テッサがスズメバチに襲われて命を落とした日だった。
今回はテッサが命を落とすことはなかった。ソフィーが庇ったからだ。
しかし、その代わりソフィーの顔と身体にスズメバチの刺し痕が残ることとなり、彼女と王太子の婚約は白紙撤回された。小さな傷ではあったが、ソフィー本人が王太子の婚約者でありながら自身を大切にしなかったことを悔い、婚約者を辞退したいと望んだのだ。
今になって王太子は思い出したことがある。
学園に入学したばかりのときの話だ。
公爵令嬢テッサと友達になったソフィーの雰囲気が変わった。婚約者である自分にも見せたことのない柔らかな微笑みに、王太子はなぜか苛立つのを感じていた。
いつもソフィーのことを怒りとも悲しみともつかない複雑な表情で見つめているけれど、絶対に近づこうとはしなかった彼女の父親に、ソフィーの変化の理由について聞かれたのはそのころだ。
友達が出来たからではないかと答えると、侯爵はうっすらと笑みを浮かべて、そうか、友達が出来たのか……と呟いた。
思いのほか嬉しそうな声に、侯爵は本当にソフィーを嫌っているのだろうかと疑念を覚えた。覚えたものの、ベーゼに夢中だった王太子は、侯爵にもソフィーにもわざわざ確認するほどの関心は持ち合わせていなかった。
「回復魔術で治せないのですか?」
王太子の質問に、女王は意外そうな表情を浮かべる。
「あら、ソフィーとの婚約がなくなったことを喜ぶのかと思っていたわ。貴方には運命の相手がいるのではなかったの?」
「……ベーゼと結婚する気はありません」
「随分と酷い言い草ね。貴方との不貞の関係が知れ渡っているせいで、侯爵家の次期当主になる予定のあの娘には未だに婚約者がいないのよ?」
「……」
王太子は時間が戻る前のことを覚えていた。
ベーゼの夫となったのは、侯爵家からの支援金目当ての商人だった。
魔術学園在学中の王太子とベーゼの振る舞いが知れ渡っている貴族社会に属するものは、だれもベーゼの夫になろうとはしなかったのだ。
一方王太子のほうは、魔獣との戦いが元で婚約者を喪った隣国の王女を妃に迎えて、それなりに上手く過ごしていた。
王女との子どもも生まれて、もうベーゼのことは忘れたほうが良いのではないかと思い始めたころ、彼女から連絡があった。ずっと夫とともに侯爵家の領地に引き籠っていたが久しぶりに王都へ行くので会えないか、というものだった。
ふたりは王都のだれの持ち物とも知れない館で開催されていた仮面舞踏会で再会し、初めて体を交わした。
そして──ベーゼは死に、王太子は病に倒れた。
ベーゼは子どもが出来ないのは夫のせいだと決めつけ、お忍びで侯爵領の町へ出て行きずりの男と関係していたのだ。
そのせいでさまざまな性病に罹患していたのである。ひとつひとつは痒みをもたらす程度の軽い病でも交じり合うことで症状は重くなり、死病と化すほどとなったものがベーゼから王太子に注ぎ込まれていた。
死病が移らぬように妃と子どもからは離された王太子の最期には、母である女王だけが訪れた。
王太子に王家に伝わる護符を握らせながら、女王は言った。
「あの娘がおかしくなったのは貴方のせいよ。初めて会ったときから愛し合っている運命の相手だったのなら、どうして不貞の関係を続けたの? 愛しているのなら相手を貶めたいとは思わないはずよ。身を引くことも愛ではないの?……なんて、愛する人と結ばれた私が言っても聞く耳はないでしょうね。この護符には時間を戻す魔術が込められていると聞きます。もしも時間が戻ったならば、今回のことを教訓にして、正しい道を選びなさい」
死の瞬間、護符を握り締めて王太子は思った。
もしも本当に時間が戻ったならばベーゼとは別れよう、と。
自分の愛妾になるためとはいえ、性病となるまでだれかれなく体を任せていた彼女のことが、今の王太子には恐ろしい存在にしか感じられなかったのだ。今にして考えてみれば、ソフィーに虐められていると言っていたのも直接なにかあったわけではなく、単にソフィーが王太子の婚約者であることを指しての言葉だったのかもしれない。彼女の愛はたぶん、王太子の思う愛とは違う。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
王太子の死とともに、時間は戻った。
戻ったその日は婚約者ソフィーの親友テッサがスズメバチに襲われて命を落とした日だった。
今回はテッサが命を落とすことはなかった。ソフィーが庇ったからだ。
しかし、その代わりソフィーの顔と身体にスズメバチの刺し痕が残ることとなり、彼女と王太子の婚約は白紙撤回された。小さな傷ではあったが、ソフィー本人が王太子の婚約者でありながら自身を大切にしなかったことを悔い、婚約者を辞退したいと望んだのだ。
今になって王太子は思い出したことがある。
学園に入学したばかりのときの話だ。
公爵令嬢テッサと友達になったソフィーの雰囲気が変わった。婚約者である自分にも見せたことのない柔らかな微笑みに、王太子はなぜか苛立つのを感じていた。
いつもソフィーのことを怒りとも悲しみともつかない複雑な表情で見つめているけれど、絶対に近づこうとはしなかった彼女の父親に、ソフィーの変化の理由について聞かれたのはそのころだ。
友達が出来たからではないかと答えると、侯爵はうっすらと笑みを浮かべて、そうか、友達が出来たのか……と呟いた。
思いのほか嬉しそうな声に、侯爵は本当にソフィーを嫌っているのだろうかと疑念を覚えた。覚えたものの、ベーゼに夢中だった王太子は、侯爵にもソフィーにもわざわざ確認するほどの関心は持ち合わせていなかった。
「回復魔術で治せないのですか?」
王太子の質問に、女王は意外そうな表情を浮かべる。
「あら、ソフィーとの婚約がなくなったことを喜ぶのかと思っていたわ。貴方には運命の相手がいるのではなかったの?」
「……ベーゼと結婚する気はありません」
「随分と酷い言い草ね。貴方との不貞の関係が知れ渡っているせいで、侯爵家の次期当主になる予定のあの娘には未だに婚約者がいないのよ?」
「……」
王太子は時間が戻る前のことを覚えていた。
ベーゼの夫となったのは、侯爵家からの支援金目当ての商人だった。
魔術学園在学中の王太子とベーゼの振る舞いが知れ渡っている貴族社会に属するものは、だれもベーゼの夫になろうとはしなかったのだ。
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