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祖父母の形見

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ヒャクが生まれ育ち、彼女の祖父母が切り盛りしていた<ヒャクリ亭>も、まったく見る影もない有様だった。

中も徹底的に荒らされ、竈のある土間にも食べられそうなものは何一つ残されていなかった。

店の奥の、家族が暮らしたであろう部屋も、石壁の一部が崩れ落ちて埋もれ、それこそ『見るも無残』だ。

ヒャクがここで生きた<思い出>も、この分じゃ失われてるだろうな。

「…む……?」

だけど僕の鼻は、この光景には似つかわしくないものを捉えていた。芳ばしい、味噌の匂いだ。それも、<残り香>なんかじゃない、この場にそれなりの塊として残されている。

とは言え、人間の鼻では<残り香>程度には感じられないだろう。匂いに気付いた者がいても、期待はしなかっただろうな。

その匂いを嗅いで、どこから漂ってくるのかを探る。

僕は、石壁が崩れ落ちて埋もれた辺りに鼻を寄せた。

間違いない。この下だ。石壁が崩れたことで埋もれ、掠奪を免れたということか。

壁を作るために組まれていた石はどれも人間の頭くらいの大きさがあり、それが山のように積もっていたのでは、目先のものしか気を向ける余裕のなかった者達には気付けるはずもない。

けれど僕にとってはそんなもの、綿の山と変わらない。

力のままに手を押し込んで、積もった石を払い除ける。するとそこには、石の枠に収められた二つのかめがあった。それが見えた途端に、味噌の香りも強くなる。

味噌を入れておく瓶だ。石の枠に囲まれていたおかげで潰されるのを免れたか。

僕は残った石くれも払い除けて瓶を取り出し、蓋を開けた。

中は、いい感じに熟した味噌で満たされていた。

おそらく、<ヒャクリ亭>で出すための味噌を仕込んでいたんだろう。まさしく、ヒャクの祖父母の形見とも言えるものだな。

他のめぼしいものは一切合財持ち去られているようだから、これが残されていただけでも僥倖というものか。

僕は、踏み荒らされて擦り切れた床敷きを引き剥がしてそれで瓶を包み、瓶と同じように石に埋もれていた縄で縛った。その上で、背負えるように細工する。

人間では一つ抱えるのも大儀そうなそれを僕は軽々と背負い、<ヒャクリ亭>を出た。

すると、それまで辛うじて持ち堪えていたらしいたなが、力尽きるように崩れ落ちる。僕が崩れた石壁を無造作に払い除けたから、堪え切れなくなったんだろう。

周りを歩いていた人間達も、それほど驚いた様子もなかった。よくあることなんだろうな。

僕は瓶を背負って早々にその場を去る。

思いがけぬ収穫に、なんだか気分がいい。

祖父母らが仕込んだ味噌だ。ヒャクもきっと喜ぶだろうな。

そう思うと、頬が緩んでしまうのだった。

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