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第四章『因縁、交錯して』

第二百八十六話『許せないけど』

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「死ぬ、って」

 そのあまりにも感情を殺した物言いに、マルクが愕然とした様子でこぼす。……しかし、それに対してもツバキはあくまで淡々とした態度を崩さなかった。

「言葉通りの意味だよ、マルク。影はメリアの衝動だけを写し取って、際限なく影を生み出し続ける。あの子も魔力量が決して少ないわけじゃないし、しばらくそれが止まることはないだろう。……そうなった時、先に限界を迎えるのは魔術神経だ。それに関しては、マルクが一番よく分かっていることなんじゃないのかい?」

「……ああ、よく分かってる。だからお前にこうやって聞いてるんだよ」

 ツバキの言葉にうなずいて、しかしマルクは言葉を続けざまに紡ぐ。……気が付けば、マルクはツバキにぐっと詰め寄っていた。

「あのままだとメリアの魔術神経は取り返しもつかないぐらいに傷ついて、果ては命まで落とすことになる。……メリアが――血の繋がった弟が迎える結末が本当にそれでいいのかって、俺は聞いてるんだ」

「……っ」

 ツバキの眼をまっすぐ見つめて放たれたその問いに、初めてツバキが動揺を顔に出す。……握りしめた手のひらに閉じ込めていた思いが、初めて少し浮かび上がってきた。

「……あの子は、ボクの大切な仲間を殺そうとした。ボクが拒むのも聞かずに、リリスとマルクに剣を向けた。……ボクは、そのことを許せない」

 マルクの視線から逃れるように目を瞑って首を横に振りながら、ツバキはたどたどしく言葉を発する。それもきっとツバキの中にある本心で、嘘は何も言っていないのだろう。……だけど、それで気持ちの全部がさらけ出されたかと言えば答えはノーだ。

 小刻みに震えるぐらいに強く握りしめられているその拳の中には、まだツバキが言っていない――言ってはいけないと思っているであろう感情が押し込められている。ツバキは隠しているつもりなのだろうが、十年の付き合いを持つリリスからしてみれば筒抜けだった。

「その果てにあの子は自らの制御を失って、その報いをこの身で受けようとしている。……こういうのを自業自得って言うんだと、ボクはそう思うけどね」

 しかし、ツバキは気丈に言葉を並べてこの会話を打ち切ろうとする。自分の心の奥底にある本当の思いを、握りつぶそうとしている。――その姿は痛々しくて、とてもその主張を通してやる気にはなれなかった。

「ボクたちがここで手間取っている間にも、アグニの計画は進行しているだろう。バルエリスの護衛として、ここで戦うよりも優先してするべきことが他にあるよ」

「ええ、状況だけを見るなら間違いなく正論ね。……だけど、それを聞いたバルエリスはどう思うかしら?」

 結論を急ぐかのようにきびすを返したツバキの肩を掴んで、リリスは強引に議論を継続する。……振り向いたツバキの眼は、見たことがないような感情を含んでいた。

「メリアがツバキの弟だってことは、バルエリスも薄々察しがついてるはずよ。……実の弟を見捨ててバルエリスを守りに来たことを、あの子は笑顔で感謝してくれると思うの?」

「……それ、は」

「それにねツバキ、今の貴女を城に行かせることはできないわ。……今までに見たことがないぐらい、ひどい顔をしてるもの」

 ツバキの答えを待たずに、リリスは矢継ぎ早に話しかける。リリスの目に映るツバキはまるで泣くのをこらえている子供の様で、普段の飄々としたあり方は見る影もなかった。

――思えば、最初からツバキは限界に近かったのだろう。あんなにも淡々と言葉を紡いだのも、そうしなければ決壊してしまうからだ。……目の前で起きている出来事を事務的に見つめなければ、『弟が死にかけている』という事実を受け止めきることができなかったからだ。

「貴女はうまく隠せてると思ってるのかもしれないけれど、私の眼から見たらへたくそな演技もいいところだわ。……十年貴女の隣にいた私の観察眼、あまり舐めちゃいけないわよ?」

 リリスの方を向いたまま固まっているツバキの頬を両手で挟んで、リリスは念を押すようにそう付け加える。……そのまましばらくして、リリスは頬に当てていた手を背中に回した。

 冒険者とは思えないぐらい薄いその体を引き寄せて、リリスはツバキを抱きしめる。……小さな体が、すっぽりとリリスの腕の中に収まった。

「……確かに、メリアは私たちを殺そうとした。それは許されることじゃないし、私もあの子を許すつもりはないわ。……だけど、それは貴女が本音を押し殺す理由にはならないわよ」

「……うっ、あああああっ……」

 背中を優しくさすりながら諭すように言葉をかけると、今まで気丈に振る舞ってきたツバキが涙に濡れた声を上げる。背中を震わせて涙するツバキは、まだ二十歳にも満たない等身大の少女だった。

 それもきっと、ツバキ・グローザという少女の本当の姿の一つなのだろう。……ツバキは賢いし才能にも恵まれていたから、そういう弱い部分を上手く押し殺していただけで。

「貴女は昔からいろいろと背負いすぎなのよ。自分の望みがあったらもっと言っていいし、それを実現するために私たちの力を頼りにしていいの。……貴女を連れ戻すために『双頭の獅子』にまで加入しちゃった、貴女の馬鹿な弟みたいにね」

「……ダメだよ……ボクの願いは、きっと間違ってるんだ……」

「ええ、もしかしたらそうかもしれないわね。……それじゃあ聞くけど、正しい願いしかこの世界では叶えちゃダメなの?」

 震える声で反論するツバキに、リリスはさらに問いを重ねる。……大切な相棒のためだからなのか、普段よりも自然に言葉が出てくるような気がした。

 ある一つの議題をめぐって議論をするとき、大体の場合リリスはツバキの言論に丸め込まれる側だ。議論をすること自体が楽しかったから今まではそれでよかったが、今この時だけは違う。……なんとしてでも、ツバキに丸め込まれるわけにはいかない。

「ツバキの意見に則るなら、弟が『返してくれ』って言ってる姉を強引に返さないでいる私たちの行動も『間違ってる』ことになるわね。……それじゃあ、私たちが一緒にいるのは叶っちゃいけないことだったのかしら?」

「違う……それは、ボクたちが自分の意志で選んで決めたことだ……」

 リリスの胸の中でもぞもぞと首を横に振り、ツバキはリリスのたとえ話を否定する。……期待していた通りの答えが返ってきて、リリスは安堵の息を吐いた。

「そうね。私たちは自分の意志でマルクと一緒に行くことを選んで、メリアから伸ばされた手を拒んだ。……それを間違ってるなんて、誰にもそんなことは言えないし言わせないわよ」

 自分たちが正しい道を歩んでいると思えるのなら、それはきっと正しい道なのだ。この世界に絶対的な採点者なんていなくて、最後に答えを決めるのは自分自身でしかない。……それが大きな分岐点でのことならば、なおのこと。

「……ここまで言えばもうわかったでしょ? 今この場所での正しい選択肢は、ツバキが心からの本音で決めた道を行くことだわ」

「そうよね?」という意思を込めてマルクにも視線を飛ばすと、力強い頷きが返ってくる。……これによって、決定権は本当にツバキ一人へと委ねられた。

「大丈夫、貴女の本心を否定したりなんかしないわよ。……まあ、ここまで来てまだ本音を隠すのならさっきと同じ議論を繰り返すことになるけれど」

「ああ、ツバキが決めてくれ。……今ここで我儘を言ってもおつりがくるぐらい、お前は俺たちの無茶な願いにこたえてきてくれたんだからな」

 リリスの言葉に続いて、マルクもまたツバキの背中を押す。……それを聞き届けたツバキは、しゃくりあげるように一度息を吸って――

「……ひどい我儘だって、とんでもない身勝手だって。……そう、思ったりしないかい?」

「思わないわよ。だって私たち、今までも数えきれないぐらい身勝手を押し通してきたじゃない」

「……リスクに見合うリターンがなくても、許してくれるかい?」

「ああ、それがツバキの本音ならな。……俺たちは、他の誰でもないお前の願いを叶えてえんだ」

 震える声で投げかけられた二つの質問を、リリスとマルクがそれぞれ即座に回答する。たとえそれが客観的に見てどれだけ不条理な願いであろうとも、ツバキが願ったことだけがこの場におけるたった一つの正解だった。

 効率も正しさも、そんなものは全て無視すればいい。今ここで最も優先されるのは、ツバキが今心から願っていることだ。……その思いが伝わるように、リリスはツバキを抱きしめる力を強くする。……すると、何かをせき止めるように強張っていたツバキの身体からふっと力が抜けて――

「……ボクは、やっぱりあの子を許せない。リリスにもマルクにも剣を向けて、ボクの愛しい日常をぶち壊しにしようとした。そのことを一生許す気はないし、ずっと反省しててほしい」

「……うん」

 少し前にも話した思いを、しかし今度は感情的にツバキは語る。そこには明らかな怒り、あるいは憎しみともいえるようなものがある。……だがしかし、今度の言葉には続きがあった。

 それが本音だと確信できるから、リリスはただ小さく相槌を打つだけにとどめる。……それから十秒ぐらいの間をおいて、ツバキはリリスをぐっと抱き返した。

 ずっと固く握られていた手を開いて、リリスのことを包み込む。……リリスの方を見上げるツバキの眼には、さっきよりもずっと生き生きとした光が取り戻されていて――

「……だからこそ、ここでこのまま見殺しにするのは間違ってる。……影魔術をコントロールできてないことも含めて、たくさんたくさん説教しなくちゃいけないからさ」

――メリア・グローザの姉として、ね。

 よどみなくはっきりと、ツバキは自分の願いを口にする。それはメリアの命をどうしても諦めきれない姉としての思いが、はっきりと前に出たもので。

「だから、ボクはメリアを助けたい。……二人とも、手伝ってくれるかい?」

「ええ、分かったわ。……私たちからも、メリアにはガツンと言ってやらなきゃいけないことがたくさんあるしね」

 その願いを笑顔で受諾し、リリスは背後にある影の球体を見やる。……初めてそれを目にしたときに感じた恐怖心は、不思議ともう残っていなかった。
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