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第三章『叡智を求める者』

第百二十九話『物騒な平等』

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 入場券代わりの呪印を刻み込まれ、ダンジョンに足を踏み入れた俺たち。照明に乏しい入口を抜けた先に広がっていたのは、左右にまっすぐ伸びる幅の広い通路だった。

「……これなら、四人横並びでも歩けそうかしら」

「そうだね。このまま縦で進んでもいいけど、場合によっては横並びでもいいかも」

 何か手掛かりになるものを探して視線を左右に向けながら、リリスとノアは言葉を交わす。通路も決して明るいという訳ではなかったが、俺たちの手首で淡い光を放つ呪印術式が少しばかり足りない明るさを補ってくれていた。

 俺たちを死に至らしめるかもしれない呪印が探索の手助けになってくれるとは何とも皮肉な話だが、どんなものでも使いようだ。起動するまで無害っていうなら、とことん使い倒していかないとな。

「それで、どっちから探索する? 二手に分かれるなんて選択肢は最初からないも同然だし、どっちの方向にも最終的には探索することになるだろうけどさ」

 直感的に決めていいよ、とツバキは俺の方に視線を向けてくる。口ぶりは他の三人に向けたもののように思えたが、どうやら問いかけは俺に向けられたものだったらしい。

 それを受けて、俺は改めて右と左の通路を観察する。その両者に大きな違いは見えず、突き当りに部屋が見えているなんて言う親切設計でもない。ツバキの言う通り、本当に勘で決めてしまってもよさそうだ。

「……それじゃ、右から行くかな。ここでうだうだ迷ってるのが一番無駄な時間だし」

「そうね。……ノアも、それで大丈夫?」

「……あ、大丈夫だよ。このダンジョンのことを深く理解するためにも、いろんなところを探索して手掛かりになるものを探さないといけないし」

 リリスの確認に、ノアはワンテンポ遅れて承諾を返す。その声は明るいものだったが、それだけにその前の間が不自然だった。

 というか、少しばかり探索を進めているならこのダンジョンのマッピングもある程度は済んでいるはずだ。それなのに、なんでその正解のルートに向かって案内をしなかったんだ……?

 ぬぐわれたはずのノアへの疑問が、五分と経たずしてまた浮上してくる。『ぼーっとしてた』とか言われたらそれまでだし実際言いそうだが、何かあるんじゃないかという不安だけはぼんやりと俺の中でこびりついている。……何せ、ここまで俺たちに伏せられてきた情報が多すぎるのだ。

「……マルク、どうしたの? 表情がやけに硬いけど」

 新しい疑念が生まれたことを確認していると、いつの間にか俺の隣に立っていたリリスが指先で俺の肩口をつつく。それにつられて視線をリリスに向けると、そこにはリラックスした様子の青い瞳があった。

「貴方が私たちのことを思って色々と考えてくれてることは分かるけど、もう少し肩の力を抜いたって良いと思うわよ? ……貴方を守っているのは、王都最強の魔術師なんですもの」

「……そうだな。ちょっとやそっとの事じゃ、お前たちは崩れやしないか」

 胸に手を当てて誇らしげに語るリリスに、俺の表情がほころぶ。そうして初めて、俺の表情がこわばっていたことに気が付いた。

「そうよ。どれだけ危険な場所にあっても、私たちは貴方を守る。見捨てたりなんかしないから、肩の力抜いて楽にしてなさい」

「見捨てられるとか微塵も思ってねえよ。……ただ、少しばかり分からないことが多すぎてな」

 この村のことも、ダンジョンのことも、そしてノアのことも。この村に来てから俺たちはいろんな情報が足りない中で過ごし、それなりの危機にも見舞われてきた。分からないというのは、それだけで致命的な何かに繋がることになりかねないのだ。

 だがしかし、リリスはそんなこと微塵も思っていないらしい。ただ自分の力への絶対的な自信だけを纏って、リリスは俺の隣に立っていた。

「分からないことがあるから、そのベールを剥いでやるためにここに来たんでしょう? 大丈夫、あなたの疑問への答えもいずれちゃんと見つかるわ」

「……だな。見つけ出すところまでは、お前とツバキに任せるよ」

 リリスの自信に感化されたのか、俺も小さな笑みを浮かべてそう返す。リリスの言葉には何の根拠もないが、だが信じようと思えるのが彼女の不思議なところだった。

 これと同じことを俺が言っても不安がぬぐえる訳がないのに、リリスが言うとどうにかなった先が想像できるもんな……。リリスが積み重ねて来た戦いの数々が、その言葉に重みを増させてくれているのだろう。

「ええ、任されたわ。大丈夫、私も貴方も、ここに居る誰のことも死なせないから」

 俺の方に更に身を寄せながら、リリスは真剣な目つきで宣言する。最早誓いだと言ってもいいそれには、思わず息を呑んでしまうほどの重みがあった。

「さて、それじゃあそろそろ動こうか。マルクの不安にもある程度折り合いがついたみたいだしね」

 俺の中にあった妙な不安が薄れていくのを感じていると、俺たちのやり取りを遠巻きに見つめていたツバキがこちらに歩み寄って来る。ツバキについて一緒に離れていたノアも、いつも通りの表情でその後ろをついて歩いていた。

「ほんと、何から何まで理想的なチームの在り方って感じだねえ……同じこと何回も言っちゃってる気がするけど、ことあるごとにそう思っちゃうんだから仕方ないよ」

「研究者の世界に身を置いてちゃそうでしょうね。誰かのために動いてみるってのも案外悪くないものだと思うわよ?」

 眩しそうにこちらを見つめるノアに対して、リリスはそっけなく返す。その口調は冷たいものだったが、僅かならず紅潮している頬を見ればその態度が強がりや照れ隠しの類であることは一目で分かる事だ。ここまで表情に出るとなると、交渉とかもそんな得意じゃなかったような気がしてくるな……。

「経験者は語る、ってやつだね。ボクたちも仲間と手を取り合うことの大切さに気付いたのはつい最近のことだし」

「そういうこと。……それじゃあ、行きましょうか」

 茶化すようなツバキの言葉に応えつつ、リリスはまっすぐ伸びる通路を見やる。その先はやはり暗闇に包まれていて、前に進まない限りその全貌を確認することは難しそうだった。

「……そういえば、呪印が起動するまでの時間を確認する方法があるって言ってたわよね。その話、今のうちに聞かせてくれる?」

 横並びで歩き始めてから少しして、リリスが話を切り出す。唐突なタイミングではあったが、殺風景な壁に囲まれた通路ばかりが続く中でそれを聞くのは効率のいい時間の使い方な気がした。

「うん、そうだね。……分かりやすく言うなら、呪印の色が変わるんだよ。青色から赤色へ、起動への時間が迫るにつれて変化していく。今はまだ青色だから、ある程度余裕を持って動けるね」

 呪印を俺たちに見せつつ、ノアは俺たちにそう解説してみせる。起動したら死ぬ術式という物騒な響きに反して、その時間表示は随分と親切なものに思えた。

 本当に俺たちの存在を拒みたいのなら、起動時間なんて知らせないような作りにすればいいはずだ。というか、刻印と起動に時間差がある術式を使う必要すらない。極論ではあるが、アゼルが使ったものと同じ術式をカムフラージュ付きで刻み込むだけで俺たちはあっけなく行動不能になってしまうのだから。

 考えてみれば見るほど、このダンジョンの仕組みは謎に満ちている。制限時間付きの呪印は確かに探索者の足を鈍らせるだろうが、踏破させないための作りとしてはまだまだ不十分だ。なら、得体の知れないダンジョン制作者の狙いはどこにあるのか――

「……というか、一つ疑問なんだけどさ」

 俺の思考に割り込むように、ツバキが手を上げながらノアの方をのぞき込む。ついさっき頭脳労働は任せると言ったばかりのその瞳が、理知的な光を帯びていた。

「赤色になると術式起動寸前って話だったけど、どうしてそれを知れたんだい? まさか君自身がギリギリまでいることで観察を行ったんじゃないだろうに」

「……ああ、確かにそこは気になっちゃうか。そう言えば、説明が足りてなかったよね」

 ツバキがして見せた指摘は、確かに芯を食った指摘だ。今まで余裕を持って引き返してきたという発言と、術式の変化のギリギリまでを知っているというのは明らかに矛盾している。それにどう返すか次第では、またノアのことを疑わなくなってしまうだろう。

 しかし、その指摘を受けたノア自身の態度は堂々としたものだ。狼狽える様子もなく、ただ自身の説明不足を笑っている。焦りとは無縁のその様子に、俺が内心首をかしげていると――

「……ああ、ちょうどいいタイミングで来てくれた。さっき私が言いそびれてたこと、ここで説明しちゃうね」

 ノアが指さした方向から、四足歩行の魔獣がかなりのスピードでこちらに迫って来る。その体躯は俺たちより二回りほど大きく、リリスとツバキは瞬時に戦闘態勢へと切り替えた。

「……ん?」

 そのシルエットが近づいてくるにつれ、その額に何かが刻まれているのがはっきりと見えてくる。不規則な線がいくつも交錯する決してセンスのいいとは言えない図形が、何かに急き立てられるように走る魔物の額で赤い光を放っていて。

「……ああ、なるほどね」

 俺と同じものを目にしたツバキが、ノアの説明よりも早く自分の中で疑問への答えを出す。……俺も、それに続くようにして一つの結論を手にしていた。

「……呪印は、このダンジョンに存在する生命全てに刻まれる。魔物だって、例外じゃないんだよ」

――このダンジョンは、物騒であると同時に平等なのだということを。
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