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第三章『叡智を求める者』

第百二十八話『刻まれた証』

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「……やっぱり私の腕にも刻まれてるわね。もっとも、あまりセンスがいいとは言えないけれど」

 子供でももう少ししゃれた配置の仕方をするわよ――と。

 左腕に刻まれた青色の呪印を見つめながら、リリスは苦々しい表情を浮かべる。俺たちに刻まれたものと同じ配置で刻まれた線たちは、妖しく明滅を繰り返していた。

 もちろんツバキの左腕にも同じ文様が刻まれていて、リリスの辛辣な意見に苦笑いを浮かべている。しかし、その何かを考えこむような黒い瞳は呪印だけを中心に捉えていた。

「センスがないってところはボクも同意見だね。でも、これがボクたちを縛り付けるものであることには間違いないみたいだ。……そうなんでしょ、ノア?」

「……うん。ごめんね、説明が遅れちゃって。こればかりは言葉で聞くより自分で体験してもらった方が手っ取り早いと思ってさ。……それに、分かってたところで対策しようもないし」

 そもそも呪印術式なんてもの自体が傍から見ればうさんくさい物だしね、とノアは眉をひそめる。新しい情報を一度に出しても混乱を招く可能性がある以上、ノアの行動はある程度理解できた。

 俺は一度ならず二度も受けたから信じられるが、リリスとツバキからしたらまだ名前しか知らない術式だしな……。視覚的には分かりやすい術式だし、こうして実際に見てもらった方が話が早いのかもしれない。

 それは二人も何となく理解しているのか、二人の態度にノアを責めるような色は見られない。謝罪の時間はここで終わりだと言わんばかりに、リリスは大きな咳ばらいを一つ挟んだ。

「……まあいいわ、説明は今からでも遅くないし。その代わり、隠し事は一切なしで頼むわよ?」

「うん、ここに居る以上もう隠し事をする理由はないからね。……だからまず、この術式が何なのかって話をしようか」

「まずはそこだよな。わざわざダンジョンの入口で刻まれるような術式なんて、ロクなものじゃねえことだけは分かるけど」

 誰か一人ではなく、俺たち全員に。まるで入場の証であるかのようなそれは、このダンジョンが一つの意志を持っているような錯覚に襲われる。……あんまり、呪印を直視しない方がよさそうだ。

「うん、それが一番大事なことだからね。と言っても、さっきうちが言った以上の情報は少ないんだけど」

「さっき言った……というと、これが起動したときにボクたちの命はないってやつかい?」

 ノアの前置きに応えるかのように、ツバキは物騒なことをさらりと持ち出す。今さっきかいくぐったばかりの死がまた背後に忍び寄っていることに背筋が冷えたが、しかしノアは大きな頷きでその言葉を肯定した。

「うん。この術式が起動したら、ウチらは死ぬ。……仮に死ななかったとしても、致命的な何かがウチらの身に起こることは間違いない。……それまではただの呪印なのが、せめてもの救いだと思いたいけどね」

「発動したら死ぬ……ってのは、また厄介な話ね。それを止める手立てはないの?」

「食い止める手段はあるよ。それに、この術式が適用されるのはダンジョンの中に居る時だけ。中に踏み込んだ存在にこのダンジョンは厳しいけど、去る人間には意外と優しいの」

 そう言いながら、ノアは俺たちをかき分けてダンジョンの入口の方へと歩いていく。その体が完全にダンジョンの向こうに抜けた後、ノアは俺たちに左腕を見せた。

「――ね? 消えてるでしょ?」

「……本当だ、跡形もないね。この呪印『魔喰の回廊』に踏み込んでいる事の証ってわけか」

「そういうこと。それに、術式が起動するまでこの呪印は無害なの。そう思うと、余裕があってもこのダンジョンに長居することには気が引けちゃってね」

「それで探索が滞ってた、と。……確かに、筋が通る話だな」

 そういう理屈ならば、無傷なのにダンジョン探索が滞ってるという話にも納得がいく。制限時間という絶対的な縛りが、ノアの足を鈍らせていたってわけだ。

 たとえどれだけ魔物を倒すことが出来ても、それで時間を無駄に食わされてしまえば調査を続けることは不可能だからな。……制限時間というルールを忠実に守ってこのダンジョンを踏破しようと思うなら、それ相応の突破力が必要になるのだろう。

「……でもお前、呪印を消すこともできてただろ? それがこの呪印にもできるなら、少しは――」

「……いいや、ダメだったね。村の連中たちの呪印に比べて、このダンジョンが刻んでくる呪印は複雑すぎるの。解除されることを想定してるのか、術式本体に全く関係ないカムフラージュの部分もたくさんあるみたいで……。そうだね、大体五時間くらいくれれば少しは理解も深まるのかもしれないけど」

「そんな悠長なことをしていれば術式が起動して命を落としかねない、と。……さすがはダンジョン、そう簡単にはいかせてくれないってことね」

 深くため息をついて、リリスはノアが下した結論を先取りする。俺が考えついた結論は、すでにノアがたどり着いて諦めたものだったらしい。……ま、俺が思いつくようなところにはすでに行きついてて当たり前か。

「結局のところ、与えられた制限時間の中でダンジョンの中を踏破する以外の選択肢はないってことか。確かに腕利きの戦力を求めたくもなるね」

「研究者が何人そろったところでこのダンジョンは攻略できないからね……。そう言う意味では、マルクたちが来てくれたことは大きな転機なんだよ」

 俺たち三人をそれぞれに見つめて、ノアは爽やかな笑みを浮かべる。俺たちの存在の位置づけは、やむを得ない理由でこのダンジョンに踏み込み切れなかったノアにとってよほど大きな存在だったらしい。再び俺たちの先頭に戻ったノアの左腕には、青い文様がはっきりと浮かび上がっていた。

「出来る限りスピーディに、そして安全に敵を殲滅する――確かに俺たちの得意分野だな。あいや、正確にはリリスとツバキが得意なんだけど」

「そこは俺たちって言いきればいいのよ。そんな細かい事で訂正を求めたりしないんだから」

 とっさに言葉を改めた俺に、リリスのどこか呆れたような突っ込みが飛んでくる。ふとツバキに視線を向けるとそっちも同じような表情をしていて、俺は思わず苦笑を浮かべた。

 リリスの圧倒的な物量にツバキの搦め手が加われば、どれだけ力のある魔獣にでも確実に先手が取れるからな。実力が申し分ないのは間違いないが、二人の強さは初見殺しの要素をも多分に含んでいるのだ。それに関して俺が胸を張っていいのかは……まあ、後で考えるとして。

「ま、踏破だけを目的にするなら全部足止めだけにとどめておくのも手でしょうけどね。その辺りは制限時間がどれくらいになるかにもよるんじゃない?」

 右手の当たりにうっすらと霜を作り出しながら、リリスはノアに向かって首をかしげて見せる。その実力の全てを足止めに回した時どうなるのか、俺にも想像がつかなかった。

 それにしても、制限時間というのが大切な要素なのは確かだ。体内時計にしか頼れないのだとしたら売り難題と言わざるを得ないのだが、幸いにもノアはリリスに向かって胸を張っていた。

「ああ、それに関しては大丈夫。ウチがカウントする方法を知ってるからね。そこら辺についても詳しく説明したいところだけど、そうしてる時間も惜しいし」

「そうだな。こっからは探索ついでに、ってところか?」

 奥に続く暗闇に目を向けながら、俺はそう問いかける。まだまだ謎が多くはあるが、最も大きかったひっかかりは無くなった。これでもうノアを疑う必要はないし、やるべきことをしっかり見据えていける。このダンジョンを攻略するための必須ピースの一人として、気張っていかないとな。

「だね。……二人も、それで大丈夫?」

「ええ、カウントする方法があるっていうならそれで十分だわ。ダンジョンの中がどうであろうと、私に求められてる物ってそう変わらないし」

「ボクもリリスと同意見だね。ボクたちの力で先を切り開く分、頭脳労働は二人に任せるとするよ」

 少し不安気なノアの問いに、二人はいつも通りのリラックスした表情で頷く。呪印が刻まれた時は少しばかり焦りや戸惑いが見えていたが、切り替えの早い二人はその段階をとっくに通り過ぎていたようだ。

 制限時間付きってのは異質ではあるにしても、ここまでの話を聞く限りそれ以外は普段のダンジョンと変わらないだろうしな。得体の知れなかったものに対して納得できる答えが出たのなら、それ以上焦る必要も確かにないか。

「ありがとうね、みんな。今まで一人ですっごく心細かったけど、今はもう負ける気がしないや」

「負ける気なんて最初からないもの。……私たちに喧嘩を売ったこと、骨の髄まで後悔させてやらないとね」

 ノアの感謝の言葉と、意欲を全身にみなぎらせたリリスの決意表明がダンジョンの狭い入口に共鳴する。『魔喰の回廊』を攻略するための歩みが、今幕を開けようとしていた。

――制限時間以外の大した障害なんてないと、決して疑わないまま。
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