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「スターリングラード」攻防戦

23 潜入

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 陽が沈んだ。だが、まだ上弦の月がある。
 ヤヨイとハンナは準備を終えた。
 他の6名プラス1名は不測の事態に備えて待機。ヤヨイたちに事あらばすぐに駆けつけて強襲。ふたりの脱出を援護する手配も整えた。
 あとは待つだけだ。出来れば月明かりがない方が、目立たない。

「あの、ヤヨイ少尉? 訊いてもいいですか? 少尉はどうして軍隊に入ったんですか? 」
 月が沈むまでにはまだ間がある。
 ヴォルゴグラの港町を望む湖水の縁。夜は、さすがに冷えた。その岩陰にシュラフをふたつ並べ、半身を出して双眼鏡で街の灯りを遠望した。
「帝国には徴兵というのがあるのよ。二十歳になれば誰でも軍隊に入るの」
「ええ、知ってます! 」
 ハンナは言った。
「前進基地の友達のヘルマンは今年徴兵明けだと。でも、少尉は士官じゃないですか! 」
 よく知っている。面倒だから「徴兵」と言ったのだが。
「うん。でもね、話すと長くてつまらない話なのよ」
 背はヤヨイよりも10センチは高い。ヤーノフさんに似たからか女の子にしてはガタイも大きい。これも父親似だけれどまだ幼さの残る可愛い顔が無ければヤヨイのほうが年下に見えるだろう。
「聞きたいなあ、少尉の話! やっぱり、強かったからですよね。だから士官になったんですよね! 」
 同じ帝国人にさえヤヨイの任務の話は秘密にせねばならない部分が多い。ましてや、同盟したとはいえハンナは外国人だ。
 こういう時は、実技に限る。
 ヤヨイも、座学よりは実験や実技の方が好きだった。それに、すこしウォームアップしておいた方がいい。
「ちょっと、試してみる? 」
 ヤヨイはシュラフを出た。
「どこからでもいい。なんなら、棒きれ持ってもいい。全力でわたしに襲い掛かって来てみて」
「ええっ?! 」


 月明りの下、湖水が打ち寄せる浜辺の砂の上で、ふたりは向かい合った。
 ハンナよりはずっと小さい人なのに、ヤヨイ少尉の姿はなぜかとても大きく見える。
「いいわよ、いつでも。ただし、大声は出さないでね」
 そうは言ってもなんの構えも取っていない、ただ立ってるだけの人にはなかなか飛び掛かったりはできないものだ。それでも構えて、一気に飛び掛かった。
「むんっ! 」
 でも、少尉の肩に手をかける寸前、簡単に躱されて砂地に転がされた。
「あ痛たた・・・」
「大丈夫? 」
「ヘーキですっ! 」
 すぐに立ち上がり、再び構えた。そして、飛び掛かった。
「ふんっ! 」
 今度は下半身を狙ってタックル、押し倒そうとしたが、少尉はハンナを軽々とジャンプ! 彼女の背中に回り、逆に羽交い絞めにされた。
「え、なんで? 」
「ふふっ! ハンナ、あのね、こういう風に抱き着かれた時はむしろ相手の腕を掴んで急にしゃがむといいわ」
「え、こうですか? 」
 言われた通り、ハンナは少尉の腕を掴んで急に膝を折ってしゃがんだ。すると、少尉の体が再びハンナの上を飛んで、というよりは、ハンナが少尉を背負って前に投げるように。少尉がドサっとハンナの前に、伸びた。
「え、ложь?! (ウソ?!)す、すいません! 」
「わかった? 」
 ヤヨイ少尉が笑って起きてくれたからホッとした。
「じゃ、今度はハンナが仕掛けてみて」
 さっきの逆、ハンナは少尉の華奢な体を後ろから抱え込んだ。すると。
「あ・・・」
 少尉よりもはるかに重いはずなのに、ハンナは空中でクルっと一回転して砂地にドサっと落ちた。そして、間髪入れずに少尉の膝がハンナの胸に乗った。
「わかった? 相手が伸びちゃったらこういう風に全体重を膝にして乗せる。今は胸だけど、これを首に落とせば確実に相手を窒息させるか、首の骨を折ることができる。女の子でも、大男を仕留めることができるの。ぜひ、覚えておいてね! 」
 ハンナは、改めて畏敬の眼差しでヤヨイ少尉を見上げた。
「はい!・・・」
「おい、そろそろ時間だぞ」
 シェンカー大尉の肩越し、ヴォルゴグラの向こう、西の空に月が落ちかけていた。


「くれぐれもヤヨイにメイワク掛けないようにね」
「気をつけてね、ハンナ」
 リーズルさまとビアンカさま。ふたりの先輩に見送られ、馬で出た。
 少尉もハンナもヘルメットは着けていなかった。二人とも迷彩を施した顔に軍服と同じカーキ色のバンダナを巻いていた。
 もっとも近い雑木林の中で馬を降りた。
 装具とロープを馬から降ろし、手綱をシェンカー大尉に預けた。
 身を低くして、ふたりは真っ黒な水の向こうにおぼろげながら浮かぶ島を見た。
「2、30mほどはあるか」
 隣に大尉が腹這った。
「そのようですね」
「うむ。間違いないな。あの島の館が一番大きそうだ。それに、もっとも防衛に優れた拠点だ。生存者が囚われているなら、あそこが一番可能性が高い。それだけに、警備も厳重だろう。油断するなよ」
「わかりました! 」
 少尉が小型のグラナトヴェルファーを取り出し、弾頭を取り外した飛翔体をセットした。次いで銀色の鉄の矢のようなものを取り出す。
 なんだかわからないが、ハンナは初めて見る。
 すると、ヤヨイ少尉が鉄の矢の先を転がっていた石にコン、突いた。
 ジャキーンッ!
 鉄の矢の中から羽が4枚飛び出して十文字を作った。
「ああ、なんるほど! 先っぽが物に当たると開くんですね」
「そういうことよ、ハンナ」
 少尉はふたたび羽をしまい、鉄の矢を飛翔体に取り付けた。
 そして。
 水の向こうの島に生えている黒々した木々に向かって、
 ボスッ!
 発射した。
 わずかに星明かりが照らす湖面をシューンっ、と飛んでゆく飛翔体。手元に巻いたロープがシュルシュルと曳かれてゆき、木々の中に落ちた。ロープを引き絞って何度かグイグイ引く。うまい具合にかかったようだ。
 大尉がロープの端を近くの木に掛けこれもグイグイ引く。ロープがぴん、と張った。
 少尉がロープに滑車をひっかける。ロープに足を掛け、取りつく。滑車に腰のベルトのカラビナをひっかける。
「では、何かあったら信号弾を。神々の御加護を、な」
 シェンカー大尉の言葉に少尉はロープにぶら下がったまま右手を額に翳した。
「ふっ・・・」
 月明かりに大尉の微笑が浮かんだ。少尉が呟いた。
「こっちの敬礼の方が、ラクね」
「それ、なんですか? 」
「海軍式の敬礼なのよ」
「カイグン? 」
「帝国の、海の軍隊よ」
「ウミ? ヤヨイ少尉って、いろんなところにもいたんですね」
「合図したら来て」
 少尉が言う。
「はい!」
 少尉はピンと張られたロープを手繰ってするすると湖面の上に進みだした。
 やがて。
「ほほーう、ほほーう」
 湖畔にいるのかどうか知らないが、フクロウの声が聞こえた。
「合図だ。行け、ハンナ! 」
「わかりました! 」
 ヤヨイ少尉がやったのを真似て、ハンナもロープを掴んで足を掛け、滑車にカラビナをひっかけた。
 シェンカー大尉は口の前で両手を袋にし、
「ぐわっぐ、ぐわっぐ」
 カエルの物真似をした。冬にカエルはいるかしら?
 すると。
 滑車に結んでいた細めのロープが引かれ、ハンナの体は動き出した。
「がんばれよ、お前の初陣だ、ハンナ! 」
 シェンカー大尉がハンナの大きなお尻をひっぱたいた。
 ハンナが文句を言う前に、すでに彼女の体は湖面の上を渡っていた。
 あっという間に島に着く。
「あなた重いのね。息が切れちゃったわ」
 ハンナのカラビナを外しながら、ロープを曳いてくれたヤヨイ少尉が耳元で笑いながら囁く。
「あなたはここで待っていて。怪しいヤツが近づいてきたら笛を鳴らして。それ以外は岩のようにじっとしているのよ。わかった? 」
「わかりました! 」
「いい子ね」
 そう言って、少尉は闇の中に、向こうに見える微かな灯りに向かって消えた。
 静かだ。
 気温は氷点下に近いが、ハンナは北の土地の生まれで寒いのには慣れている。冬でも川氷を割って水を汲んだり体を洗ったりするぐらいだ。むしろ湖面を伝ってくる冷たい風が心地いいぐらい。
 この辺りでは氷は張らないんだろうな。
 緊張したせいか、汗をかいていた。
 背負った二式アサルトライフルを降ろし、胸元のショールを寛げてジャンパーのジッパーを下げ、シャツの襟もとを開いた時だった。
「誰だ! そこで何をしている! 」
 太い、北の言葉に振り向くと、父の背丈に迫るほどの大男の姿がぼんやりと浮かんでいた。


 
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