26 / 59
「スターリングラード」攻防戦
23 潜入
しおりを挟む陽が沈んだ。だが、まだ上弦の月がある。
ヤヨイとハンナは準備を終えた。
他の6名プラス1名は不測の事態に備えて待機。ヤヨイたちに事あらばすぐに駆けつけて強襲。ふたりの脱出を援護する手配も整えた。
あとは待つだけだ。出来れば月明かりがない方が、目立たない。
「あの、ヤヨイ少尉? 訊いてもいいですか? 少尉はどうして軍隊に入ったんですか? 」
月が沈むまでにはまだ間がある。
ヴォルゴグラの港町を望む湖水の縁。夜は、さすがに冷えた。その岩陰にシュラフをふたつ並べ、半身を出して双眼鏡で街の灯りを遠望した。
「帝国には徴兵というのがあるのよ。二十歳になれば誰でも軍隊に入るの」
「ええ、知ってます! 」
ハンナは言った。
「前進基地の友達のヘルマンは今年徴兵明けだと。でも、少尉は士官じゃないですか! 」
よく知っている。面倒だから「徴兵」と言ったのだが。
「うん。でもね、話すと長くてつまらない話なのよ」
背はヤヨイよりも10センチは高い。ヤーノフさんに似たからか女の子にしてはガタイも大きい。これも父親似だけれどまだ幼さの残る可愛い顔が無ければヤヨイのほうが年下に見えるだろう。
「聞きたいなあ、少尉の話! やっぱり、強かったからですよね。だから士官になったんですよね! 」
同じ帝国人にさえヤヨイの任務の話は秘密にせねばならない部分が多い。ましてや、同盟したとはいえハンナは外国人だ。
こういう時は、実技に限る。
ヤヨイも、座学よりは実験や実技の方が好きだった。それに、すこしウォームアップしておいた方がいい。
「ちょっと、試してみる? 」
ヤヨイはシュラフを出た。
「どこからでもいい。なんなら、棒きれ持ってもいい。全力でわたしに襲い掛かって来てみて」
「ええっ?! 」
月明りの下、湖水が打ち寄せる浜辺の砂の上で、ふたりは向かい合った。
ハンナよりはずっと小さい人なのに、ヤヨイ少尉の姿はなぜかとても大きく見える。
「いいわよ、いつでも。ただし、大声は出さないでね」
そうは言ってもなんの構えも取っていない、ただ立ってるだけの人にはなかなか飛び掛かったりはできないものだ。それでも構えて、一気に飛び掛かった。
「むんっ! 」
でも、少尉の肩に手をかける寸前、簡単に躱されて砂地に転がされた。
「あ痛たた・・・」
「大丈夫? 」
「ヘーキですっ! 」
すぐに立ち上がり、再び構えた。そして、飛び掛かった。
「ふんっ! 」
今度は下半身を狙ってタックル、押し倒そうとしたが、少尉はハンナを軽々とジャンプ! 彼女の背中に回り、逆に羽交い絞めにされた。
「え、なんで? 」
「ふふっ! ハンナ、あのね、こういう風に抱き着かれた時はむしろ相手の腕を掴んで急にしゃがむといいわ」
「え、こうですか? 」
言われた通り、ハンナは少尉の腕を掴んで急に膝を折ってしゃがんだ。すると、少尉の体が再びハンナの上を飛んで、というよりは、ハンナが少尉を背負って前に投げるように。少尉がドサっとハンナの前に、伸びた。
「え、ложь?! (ウソ?!)す、すいません! 」
「わかった? 」
ヤヨイ少尉が笑って起きてくれたからホッとした。
「じゃ、今度はハンナが仕掛けてみて」
さっきの逆、ハンナは少尉の華奢な体を後ろから抱え込んだ。すると。
「あ・・・」
少尉よりもはるかに重いはずなのに、ハンナは空中でクルっと一回転して砂地にドサっと落ちた。そして、間髪入れずに少尉の膝がハンナの胸に乗った。
「わかった? 相手が伸びちゃったらこういう風に全体重を膝にして乗せる。今は胸だけど、これを首に落とせば確実に相手を窒息させるか、首の骨を折ることができる。女の子でも、大男を仕留めることができるの。ぜひ、覚えておいてね! 」
ハンナは、改めて畏敬の眼差しでヤヨイ少尉を見上げた。
「はい!・・・」
「おい、そろそろ時間だぞ」
シェンカー大尉の肩越し、ヴォルゴグラの向こう、西の空に月が落ちかけていた。
「くれぐれもヤヨイにメイワク掛けないようにね」
「気をつけてね、ハンナ」
リーズルさまとビアンカさま。ふたりの先輩に見送られ、馬で出た。
少尉もハンナもヘルメットは着けていなかった。二人とも迷彩を施した顔に軍服と同じカーキ色のバンダナを巻いていた。
もっとも近い雑木林の中で馬を降りた。
装具とロープを馬から降ろし、手綱をシェンカー大尉に預けた。
身を低くして、ふたりは真っ黒な水の向こうにおぼろげながら浮かぶ島を見た。
「2、30mほどはあるか」
隣に大尉が腹這った。
「そのようですね」
「うむ。間違いないな。あの島の館が一番大きそうだ。それに、もっとも防衛に優れた拠点だ。生存者が囚われているなら、あそこが一番可能性が高い。それだけに、警備も厳重だろう。油断するなよ」
「わかりました! 」
少尉が小型のグラナトヴェルファーを取り出し、弾頭を取り外した飛翔体をセットした。次いで銀色の鉄の矢のようなものを取り出す。
なんだかわからないが、ハンナは初めて見る。
すると、ヤヨイ少尉が鉄の矢の先を転がっていた石にコン、突いた。
ジャキーンッ!
鉄の矢の中から羽が4枚飛び出して十文字を作った。
「ああ、なんるほど! 先っぽが物に当たると開くんですね」
「そういうことよ、ハンナ」
少尉はふたたび羽をしまい、鉄の矢を飛翔体に取り付けた。
そして。
水の向こうの島に生えている黒々した木々に向かって、
ボスッ!
発射した。
わずかに星明かりが照らす湖面をシューンっ、と飛んでゆく飛翔体。手元に巻いたロープがシュルシュルと曳かれてゆき、木々の中に落ちた。ロープを引き絞って何度かグイグイ引く。うまい具合にかかったようだ。
大尉がロープの端を近くの木に掛けこれもグイグイ引く。ロープがぴん、と張った。
少尉がロープに滑車をひっかける。ロープに足を掛け、取りつく。滑車に腰のベルトのカラビナをひっかける。
「では、何かあったら信号弾を。神々の御加護を、な」
シェンカー大尉の言葉に少尉はロープにぶら下がったまま右手を額に翳した。
「ふっ・・・」
月明かりに大尉の微笑が浮かんだ。少尉が呟いた。
「こっちの敬礼の方が、ラクね」
「それ、なんですか? 」
「海軍式の敬礼なのよ」
「カイグン? 」
「帝国の、海の軍隊よ」
「ウミ? ヤヨイ少尉って、いろんなところにもいたんですね」
「合図したら来て」
少尉が言う。
「はい!」
少尉はピンと張られたロープを手繰ってするすると湖面の上に進みだした。
やがて。
「ほほーう、ほほーう」
湖畔にいるのかどうか知らないが、フクロウの声が聞こえた。
「合図だ。行け、ハンナ! 」
「わかりました! 」
ヤヨイ少尉がやったのを真似て、ハンナもロープを掴んで足を掛け、滑車にカラビナをひっかけた。
シェンカー大尉は口の前で両手を袋にし、
「ぐわっぐ、ぐわっぐ」
カエルの物真似をした。冬にカエルはいるかしら?
すると。
滑車に結んでいた細めのロープが引かれ、ハンナの体は動き出した。
「がんばれよ、お前の初陣だ、ハンナ! 」
シェンカー大尉がハンナの大きなお尻をひっぱたいた。
ハンナが文句を言う前に、すでに彼女の体は湖面の上を渡っていた。
あっという間に島に着く。
「あなた重いのね。息が切れちゃったわ」
ハンナのカラビナを外しながら、ロープを曳いてくれたヤヨイ少尉が耳元で笑いながら囁く。
「あなたはここで待っていて。怪しいヤツが近づいてきたら笛を鳴らして。それ以外は岩のようにじっとしているのよ。わかった? 」
「わかりました! 」
「いい子ね」
そう言って、少尉は闇の中に、向こうに見える微かな灯りに向かって消えた。
静かだ。
気温は氷点下に近いが、ハンナは北の土地の生まれで寒いのには慣れている。冬でも川氷を割って水を汲んだり体を洗ったりするぐらいだ。むしろ湖面を伝ってくる冷たい風が心地いいぐらい。
この辺りでは氷は張らないんだろうな。
緊張したせいか、汗をかいていた。
背負った二式アサルトライフルを降ろし、胸元のショールを寛げてジャンパーのジッパーを下げ、シャツの襟もとを開いた時だった。
「誰だ! そこで何をしている! 」
太い、北の言葉に振り向くと、父の背丈に迫るほどの大男の姿がぼんやりと浮かんでいた。
0
お気に入りに追加
5
あなたにおすすめの小説
Millennium226 【軍神マルスの娘と呼ばれた女 6】 ― 皇帝のいない如月 ―
kei
歴史・時代
周囲の外敵をことごとく鎮定し、向かうところ敵なし! 盤石に見えた帝国の政(まつりごと)。
しかし、その政体を覆す計画が密かに進行していた。
帝国の生きた守り神「軍神マルスの娘」に厳命が下る。
帝都を襲うクーデター計画を粉砕せよ!
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
GAME CHANGER 日本帝国1945からの逆襲
俊也
歴史・時代
時は1945年3月、敗色濃厚の日本軍。
今まさに沖縄に侵攻せんとする圧倒的戦力のアメリカ陸海軍を前に、日本の指導者達は若者達による航空機の自爆攻撃…特攻 で事態を打開しようとしていた。
「バカかお前ら、本当に戦争に勝つ気があるのか!?」
その男はただの学徒兵にも関わらず、平然とそう言い放ち特攻出撃を拒否した。
当初は困惑し怒り狂う日本海軍上層部であったが…!?
姉妹作「新訳 零戦戦記」共々宜しくお願い致します。
共に
第8回歴史時代小説参加しました!
幕府海軍戦艦大和
みらいつりびと
歴史・時代
IF歴史SF短編です。全3話。
ときに西暦1853年、江戸湾にぽんぽんぽんと蒸気機関を響かせて黒船が来航したが、徳川幕府はそんなものへっちゃらだった。征夷大将軍徳川家定は余裕綽々としていた。
「大和に迎撃させよ!」と命令した。
戦艦大和が横須賀基地から出撃し、46センチ三連装砲を黒船に向けた……。
呪法奇伝ZERO~蘆屋道満と夢幻の化生~
武無由乃
歴史・時代
さあさあ―――、物語を語り聞かせよう―――。
それは、いまだ大半の民にとって”歴”などどうでもよい―――、知らない者の多かった時代―――。
それゆえに、もはや”かの者”がいつ生まれたのかもわからぬ時代―――。
”その者”は下級の民の内に生まれながら、恐ろしいまでの才をなした少年―――。
少年”蘆屋道満”のある戦いの物語―――。
※ 続編である『呪法奇伝ZERO~平安京異聞録~』はノベルアップ+で連載中です。
札束艦隊
蒼 飛雲
歴史・時代
生まれついての勝負師。
あるいは、根っからのギャンブラー。
札田場敏太(さつたば・びんた)はそんな自身の本能に引きずられるようにして魑魅魍魎が跋扈する、世界のマーケットにその身を投じる。
時は流れ、世界はその混沌の度を増していく。
そのような中、敏太は将来の日米関係に危惧を抱くようになる。
亡国を回避すべく、彼は金の力で帝国海軍の強化に乗り出す。
戦艦の高速化、ついでに出来の悪い四姉妹は四一センチ砲搭載戦艦に改装。
マル三計画で「翔鶴」型空母三番艦それに四番艦の追加建造。
マル四計画では戦時急造型空母を三隻新造。
高オクタン価ガソリン製造プラントもまるごと買い取り。
科学技術の低さもそれに工業力の貧弱さも、金さえあればどうにか出来る!
華闘記 ー かとうき ー
早川隆
歴史・時代
小牧・長久手の戦いのさなか、最前線の犬山城で、のちの天下人羽柴秀吉は二人の織田家旧臣と再会し、昔語りを行う。秀吉も知らぬ、かつての巨大な主家のまとう綺羅びやかな光と、あまりにも深い闇。近習・馬廻・母衣衆など、旧主・織田信長の側近たちが辿った過酷な、しかし極彩色の彩りを帯びた華やかなる戦いと征旅、そして破滅の物語。
ー 織田家を語る際に必ず参照される「信長公記」の記述をふたたび見直し、織田軍事政権の真実に新たな光を当てる野心的な挑戦作です。ゴリゴリ絢爛戦国ビューティバトル、全四部構成の予定。まだ第一部が終わりかけている段階ですが、2021年は本作に全力投入します! (早川隆)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる