上 下
67 / 100
期待と不安

4 デザートは甘く

しおりを挟む

「アーロン先生には、結婚に当たっての注意事項をお伝えしておかなければいけませんね」
 ランチの最中、ベルトホールド伯爵はそんな事を云った。
「結婚式の事ですか?」
 アーロンは聞き返す。───ハリー抜きで?
「いえ。結婚後の、心構えのようなものです」
「まさか、ハリー殿下より先に寝たり後に起きたりしちゃいけない、とか?」
 摂政なのに、まさかの関○宣言?
「家庭の事はおふたりの間で決めて下さい。私が今から云うのは、まあ、貴族の心得でしょうか」
「守秘義務、とか?」
 ちょっと考えてから、答えるアーロン。ヴァルターは笑って、
「先生なら、その辺は大丈夫でしょう」
「ま、こう見えて医者ですから」
 どや顔で、アーロンはポークステーキを頬張る。
「先生は頭もいいし、いい人です。他人とも壁を作らず、誰とでも気さくに付き合う事ができる」
 アーロンはヴァルターの云う事を察して、
「そういう事なら、ハリー殿下からも云われました、この間」
「殿下は、何と?」
「知り合い全員を助けられると思ってる、と」
 ヴァルターはクスッと笑う。
「そうですね。でもあなたはハリー殿下と結婚すれば、たとえ殿下が摂政を退いても、高級貴族には違いありません。殿下は王族の血を引いてますから」
 腐っても鯛、か。ハリーは腐らないけどね。
「真面目に聞いて下さい、先生。守秘義務の中には、あなたが一方的に知っている事実も漏らさない、という事も含まれます」
「分かってますよ」
 そこまではアーロンも分かっている。まあ、分かっていても手を出すのがアーロンだ。
「ヘタに手を貸すとプライドを傷つけられる人もいます。あなたは厄介な事に、嫌われる事も厭わない人だ」
「結果重視です」
「そーゆーとこです!」
 無意味にヴァルターを怒らせそうになるアーロン。仲がいいからできるおふざけ。
 アーロンはニヤニヤしながら、またナイフとフォークを持ち直した。
「今回の事で、少しは解りました。リヒター家には過度に期待をさせてしまったし、ハリー殿下にもご心配をかけてしまった。伯爵にも余計な手間をかけさせてしまいました」
「分かって頂けますか?」
「はい。次はもう少し上手くやれるようにします」
 全然分かってない!
「もっと自覚を持って行動して下さい、先生。もしカミル陛下が先生みたいだったらどう思いますか?」
「なるほど。それは少し厄介ですね」
「かなり厄介です!」
 アーロンのペースにちょっとイライラして、ヴァルターは力任せにポークステーキを切る。アーロンは付け合せの野菜を一口。
「云いたい事は分かっていますよ、伯爵。私も、家族ができますからね、自制を心がけます。しかし、二度目の世界大戦が避けられなかったように、分かっていても自分の意思だけではどうにもならないものもあります。それでも、約束して、ヴァルター」
 ファーストネームで呼ばれて、戸惑う伯爵。
「なんでしょう」
「どんな事があっても、生き抜いて欲しい。死を憧れる事になっても」
 突然のシリアスなアーロンの言葉に、しかしフッと笑うヴァルター。
「私は両親を亡くした後、いろんな所をたらい回しにされました。酷い扱いで、きっと地を這い他人の靴を舐めるような人生を送るんだと、覚悟を決めた頃に、王宮に拾われました。カミル陛下と王宮の為に生き、そして死ぬ覚悟です」
 ヴァルターの真っ直ぐなブルーの瞳を受け止めるアーロンは、まるでポートレートのように、とらえどころのない表情だった。
 それを見てヴァルターは思う。
───この人は気付いている。
 カミルの理想の高さと、彼の中にある危うさに。そしてヴァルターがその為に捧げる全てを。
───最後通告かな...。
 つまりアーロンは、何が起きても最優先は家族だから、カミルにもヴァルターにも手は貸せない、という事か。
 運ばれたデザートを、ソースと混ぜるように掬っては返し、分けては掬う。
「先生はどうぞ、ご家族を大切に」
「もちろんです」
 ふんわりとした生地と甘酸っぱいソースのデザートは、ノスタルジックで、ちょっと切ない。華やかで楽しいひとときの終わりを告げるスイーツは、名残惜しくて、ちょっとずつ大切に味わう。そして苦いコーヒーが、決別をたたみ掛ける。
「こんなに充実した会食は、久々です」
「私もです、伯爵。誘って頂いて、感謝します」
 食事が終わった後、教会の建設現場から、担当秘書のピルッカ=ヴァリヤッカがタイミングよく来た。教会の事はもとより、婚約や結婚の儀式、ゲルステンビュッテル子爵家の相続問題、などなど、事務的な話をした。
「教会の事だけでも大変なのに、子爵家の事まで引き受けてくれるなんて、ちょっと申し訳ないな」
 少し疲れた表情のピルッカを見て、アーロンはそう云ったが、
「いえ、担当業務を増やして頂いたんです、伯爵に。疲れてないと眠れなくて」
 ピルッカはアーロンや伯爵と一緒に、ロミルダ=コールの遺体を発見した。ディルク=フランケにも襲われたし、眠れなくなるのも無理はない。いつも、落ちるように眠るのだと云う。
「ディルクとは親しく話せるようになったので、そっちは心配いりません」
「ヴェンデリンは元気にしてるかな?」
 たったひとりの遺族となった少年を心配するアーロンに、ピルッカは頼もしく笑う。
「ディルクに懐いているので、元気そうにはしています。そうだ、犬を飼いたいと云ってます」
「犬か。12歳で審査が通るかな」
 ペットを飼うには、飼い主としての申請が必要で、それに基づいた審査がある。
「資料を取り寄せているところです。アーロン先生のサインも必要かもしれませんよ」
 森の城を出る頃には、すっかり暗くなっていた。
「そろそろ身辺整理もしておいた方がいいですよ、先生」
「身辺整理?」
 見送りに出てくれた伯爵の言葉に、アーロンは眉をしかめる。
「マスコミに嗅ぎつけられると困る事もあるでしょう? 傭兵とか」
 アーロンは大丈夫、と云おうとしてちょっと考える。
「ダメですか?」
「何人かクッションを入れるか、地味めに控えめにしてもらうか、対策を練った方がよろしいと思います」
 ヴァルターは笑って答えた。



 王宮に帰るとまず、アーロンはハリーに報告に行く。
「結構時間かかったな」
 そういえば、早く帰れと云われていた。
「結婚を前にして、暇そうなのは私だけのようで」
 暇そう、という理由で、森の城で長く拘束された訳ではないだろう。
「何か頼まれたのか?」
「いいえ。昼食を摂りながら貴族の心得を聞いて、あとは事務的な報告を受けたくらいです」
 簡潔に云うと、全然時間かからなそう。
「事務的な? 子爵家の相続の件か?」
「ええ。それと、教会の建設の進捗や結婚の儀式の事などです」
 ハリーの興味は前半。
「相続はどうなるんだ?」
「12歳のヴェンデリン少年が認知されて、私の弟になります。相続はそれからです。正式には、子爵が保釈された時に手続きをするので、もう少し先ですが」
 するとハリーはクスッと笑った。
「アーロンに弟か」
「おかしいですか? めちゃくちゃキレイな子ですから、殿下には目の毒ですね」
 云ってから後悔するアーロン。ちゃんと食いつくハリー。
「親戚筋に当たるな。挨拶しないと」
「無用です。殿下はお忙しい身ですから」
「婚約の儀式にも招待しないとな」
「まだ未成年ですから、弟の出席は辞退します」
「貴族名鑑にはいつ載る?」
「デビューはずっと先です。マナーを身につけるのはこれからですから」
 アーロンのガードは硬い。
「...妬いてるのか?」
「弟を護るのは兄として当然です」
 ハリーはもうひと言云おうとしてやめた。
 12歳ならもうそろそろ第二次性徴が始まる。美しい姿をとどめておく事は出来ない。社交界デビューをする頃には男らしくなっている筈だ。
───写真撮っておくなら今のうちなんだけどな。
 今アーロンに云っても、素直に従うだろうか。ハリー自身が嫌がって残さなかった写真を...。
「意外に元気なんですね、アーロン先生」
 書類の束をどっさり置いて、ニコルが云った。あ、まだ仕事中でした?
 アーロンはニコニコ元気に、
「意外ですか?」
「ええ。人のいないところでヘタってたの?」
 アーロンの周囲にはもう、人のいないところなどない。
「私には、婚約者がいますから」
「あら、ごちそうさま」
 ちょっと、お嬢様のご機嫌を損ねたかも知れない。
 そう思いながら、アーロンはなんとなくハリーを見た。それがちょうどニコルとシンクロして、二人に注目されて戸惑う摂政殿下。
「もう自分の部屋に戻りなさい、ニコル」
 目を伏せて咳払いするハリーの様子に、ニコルは何故か機嫌よく返事して、「ごきげんよう」とか云いながら出て行った。
 政治秘書のヴァイグルさんは?
「彼には首相の事務所に行ってもらってる。直帰するようにさっき電話した」
「じゃあ、殿下もフリーですね」
 アーロンはハリーの手を引いて、プライベートルームまで下がった。
「ああ、そうだ」
 私服に着替えながら、ハリーは思い出す。が、躊躇うのか、次の言葉を云わない。アーロンはスーツのジャケットをハンガーに掛けながら、
「なに?」
 と促す。ハリーは「詳しい事は知らないが」と前置きして、
「ヴェルナー=ゲーゲンバウアーは国連派遣軍に組み込まれるらしい」
「ぇ...!?」
 アーロンは殆ど声にならない声を上げ、絶句。息を呑んで、そのまま声が出なかった。頭に浮かんだのは『左遷』。
───四男の事を知ったから...、いや、まさか誰かに話した...?
 もしも、誰かに話したのでなければ、ヴェルナーの異動は見せしめかも知れない。もちろん、アーロンに対して、だ。
『人に話せば、どうなるか分からないぞ』
 カミルのあの目を思い出す。ヴェルナーならまだ、戻って来る余地もあるが、アーロンなど、どんな処遇になるか分かったものではない。摂政の婚約者? そんなもの、地位でも実績でもない。行方不明にしてしまえば、存在は消せる。
───こえぇ...っ!
 考え過ぎ、と云えない事が怖い。
 カミルを思い出す時、アーロンはヴァルターをセットで思い出す。
───必要がなければ漏らさないよ。
 いつでも自分は冷静でいるよう、アーロンは心がけるつもりだ。
 ヴァルターにはああ云ったが、彼にカミルの暴走を止められないなら、代わりを果たすのは自分だ、とアーロンは自負している。
 もちろん、ハリーと家族の安全が最優先だが、ハリーには彼らを止める事は出来ないだろうから。
「貴族の心得、てどんな事だった?」
 ハリーはもう、次の話題を口にした。ヴェルナーや彼の左遷の事など、大した事ではないようだ。
「この間、ハリーに云われたような事。出しゃばるな、てさ」
「いい子にします、て答えたか?」
 ハリーはアーロンのネクタイを外そうとして、引き寄せた。
「ん...」
 お互いの唇を触れ合わせ、甘く噛み合う。しかしアーロンは堪らずにクスクス笑ってしまう。
「ニコルちゃんに怒られたな」
「彼女はオレのファンだからな」
 珍しく、ハリーが人気を鼻にかけた発言。
「ハリー。───」
 笑ってアーロンは抱きしめる。「ハリーと家族の為なら、オレ、ちゃんと云う事聞くよ。いい子にだってなる」
「問題児のくせに」
 かつての問題児はクスクス笑って、婚約者の背中に回した腕に力を込めた。
 その後、夕食を挟んで、新しい『家』の事を話し合った。
「独立しても、フリートウッドは名乗らないんだろ?」
「ああ。家系としてはフリートウッド家に入ってないからな」
「ブルーンスは名乗れないだろ?」
 ブルーンスとは王家のラストネーム。王とその家族しか名乗れない。ハリーはカミル国王の叔父であって家族ではないのでNG。
「その辺はヴァルターが仕切ってると思うよ。失くなった名家の名前を復活させるか、新しく決めるか」
「復活とかあるのか?」
 名家の名前なら他の貴族にも馴染みのある名前だけに、成金ぽさがなくて親しまれ易い。
「爵位もどうなるか分からないからな。ゲルステンビュッテルは、名家だけど位としては低すぎて名乗れない。オレは王家じゃないけど王族だからな」
 高貴な出自を鼻にかけている訳ではない。
「王族じゃなかったら、海外に住む事もありかも知れないけどな」
 『ハリー』が海外に出て行く、て、彼の国の話みたいじゃん。勘弁して下さい。
「念の為に訊くんだけど、分かってるよな、オレのフルネーム」
 ハリーの唐突な質問に、逆にアーロンは切り込んだ。
「なんで誰も本名で呼ばないの?」
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

【完結】横暴領主に捕まった、とある狩人の話

BL / 完結 24h.ポイント:49pt お気に入り:254

その杯に葡萄酒を

BL / 連載中 24h.ポイント:28pt お気に入り:6

待ち合わせなんかしない【BL】

BL / 連載中 24h.ポイント:49pt お気に入り:12

異世界に飛ばされたおっさんは何処へ行く?

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:27,150pt お気に入り:17,823

短編BL

BL / 連載中 24h.ポイント:2,201pt お気に入り:69

身分違いの恋

BL / 連載中 24h.ポイント:7pt お気に入り:14

異世界美貌の騎士様は、キスで魔力をもっていく

BL / 完結 24h.ポイント:35pt お気に入り:274

ヴァールス家 嫡男の憂鬱

BL / 完結 24h.ポイント:7pt お気に入り:45

魔族の寵愛2

BL / 完結 24h.ポイント:21pt お気に入り:69

没落貴族の愛され方

BL / 完結 24h.ポイント:42pt お気に入り:454

処理中です...