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第五章 破滅を招くもの
417 ッエッチの迷い
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アンリカ・デベッセという名前は「アンリカの住まい」みたいな意味らしい。
この国の思考は基本的に女王中心となっているというわかりやすい話だ。
女王との謁見から二日ぐらいは特に何をするでもなく滞在することになった。
女王が言った通り生活で困ることは何もないという厚遇ぶりで、うっかりすると堕落してしまいそうな環境だ。
そんななか、俺たちは鍛錬のために人の手が入っていない適度に開けた場所を利用させてもらった。
もともと湿地帯だけあって、自然な環境の足場は苔や泥となっていて、踏ん張ると水が滲み出て来るという軟弱な土地だ。
滑ったり嵌ったりで足が取られるので鍛錬にはいい環境ではあった。
あと、ヒルや虫が多くて、何度かヒルに噛まれたと言って泣きが入ったりもした。
というか、モンクが本気で泣き出したので、泥のなかでの鍛錬はやめて足場が苔のところで行うということに落ち着いた。
ほんと、モンクは普段は強くて泣き言を言わないのに、虫とかヒルとかはてんで苦手なんだよな。
聖女やメルリルはわりと平気なのに。
それと鍛錬が終わったあとに勇者たちと俺は泥のなかで魚とりを楽しんだ。
意外と大きな魚が潜んでいるので、面白かったのだ。
モンクからは。
「だから男は!」
などと理不尽な非難を浴びたが、確かに下着一枚になって泥だらけで遊んでいるようにしか見えなかったかもしれない。フォルテも泥だらけになって、鳥だかネズミだかわからない姿になったしな。
「この辺は湧き水があって水の流れがあるからヒルもいないぞ」
と、勇者が水遊びに誘ったが、モンクは断固として泥がある場所には近づかなかった。
その代わり聖女とメルリルは素足を出して楽しげに遊んでいたが、ちょっと無防備すぎたので後から身内以外の人がいる場所ではやらないようにと注意した。
「ダスターは言っていることが矛盾していると思う」
などとモンクに突っ込まれたが、大事なことだぞ。
ときどきは研究所にいた子どもたちも合流して遊んだが、子どもたちには水棲人の大人が付き添って、危険がないように注意してくれていた。
みんなだいぶ顔色もよくなって、少し太ったようだ。
ときどき双子が寄って来ては、「ありがとう」「ありがとう」と言って離れて行く。
新しい遊びだろうか?
キメラにされていた双子も、ネスさんが我が子のように接するようになってから少しずつ年相応の振る舞いを取り戻しているようだ。
ネスさんは双子以外の小さな子たちにもお母さんのように思われているようで、一気に子沢山になって大変だと笑っていた。
笑えるようになったのはいいことだ。
我が子のことを忘れた訳ではないのだろうけど。
「アルフ、私は一軍を任されることになったよ」
三日目に久々にッエッチがやって来たと思ったら、勇者に向かってそう言った。
「お前本来は身分的には低いんだよな。それに戦いの実績もない。兵士が従ってくれるのか?」
勇者が心配して言う。
というか痛いところをズバズバ指摘しているが、ッエッチは笑顔だ。
この二人、本当に仲がいいな。
「そうなんだけど、もともと私は二つの国の友好の象徴としてアンリカ・デベッセの王宮に南海側の外交官として就任する予定だったんだ。そのための教育も受けているし、顔や姿は全ての国民に知られている。私が攫われたこと、攫われた先で人体実験を受ける予定だったことは、両国の民の戦意を急激に高めた。ある意味今回の戦争に一番責任があるのは私だ」
本来の身分が低くても生まれが高貴なんで国の仕事をする予定だったのか。
だから所作が貴族っぽかったんだな。
ああいや、貴族は貴族なのか。
「それに……母は二人目の子を身ごもっていたので家にいたのだけど、父は私と一緒に祭りに参加していてね。あの日、親友と父は私を庇って死んでしまったのだよ」
友人がいたと聞いていたが、父親も一緒だったのか。
ッエッチも自分の辛いことを他人に話せないタイプなんだろうな。心配だ。
「復讐がしたいのか?」
勇者はほんと、ズバズバ聞くな。
ッエッチは曖昧に微笑んでみせる。
「どう、なんだろう。怒りは確実にある。でもね、大勢の人の命を預かっているんだと思うと、身がすくむ思いもあるんだ。そういう自分の気持ちが情けないとも思うし、ね」
そう言って、ふと顔を上げた。
「でもね。もしあの海賊と、研究所にいた奴らを見つけたら、刻んで海の魔物の餌にしてやろうとも思ってしまってもいるんだ。結局は私怨なんだろうな。そんな私が指揮を執るのはよくない気もしている」
「なら大丈夫じゃないか?」
重い告白に軽く答えた勇者に、ッエッチが不思議そうな顔を向けた。
「身内が殺されたら怒るのも他人の命を預かってビビるのも、当たり前のことだろ。当たり前のことが当たり前に出来てるんだからお前は正しいよ。人が死んでもなんとも思わなくなったり、他人を殺すのにためらいがなくなったらヤバイと思って少し休んだほうがいいぞ」
「っ、ありがとう」
ッエッチがククッと喉を震わせて笑う。
「少し、気が楽になったよ。勇者様のお墨付きもいただいたし、とりあえずは自分を信じてみることにする」
「おうよ! 俺なんか迷ったときには師匠に聞けばいいから気楽なもんだし、お前も信頼出来る人間を早く見つけるといいぞ」
「そうだね。そうする」
二人は親友同士の楽しい語らいを終えた。
いや、それはいいんだが、勇者よお前何言ってんだ?
「お前、困ったときの判断を俺に丸投げするなよ」
俺は勇者に釘を刺しておく。
「大丈夫だ。一応考えてわからなかったときだけ師匠に頼っているから」
「いやいや、自分で結論を出せよ」
俺がそう言うと、勇者がやたら真剣な顔で俺を見た。
「じゃあ聞くけどさ。師匠は俺が絶対に間違わないって言えるか?」
「む、それは……」
まぁ人間だから間違いはするだろうな。
「言えないだろ? だから俺は師匠に頼る。正しい選択だと思わないか?」
「ぐっ、……いや、ごまかされないぞ。俺だって間違うんだからな!」
「俺よりたくさんのことを経験しているんだよな」
「いや、貴族関係とかはさっぱりだからな」
「そこらは俺が考えるから大丈夫。もっと肝心なところだよ。なんていうか、生きるための術みたいな」
「やたら話がデカくなったな。だが、ときにはお前の判断のほうが正しいことだってあるぞ、きっと」
「そのときは俺が正しいって言ってくれるだろ?」
「そりゃあそうだろ」
俺がそう言うと、勇者はうんうんうなずきながら、聖女に顔を向ける。
「な?」
「はい! わたくしもお師匠様を信頼しております」
……きみたち、ちょっと。
ふと見ると、聖騎士とモンクは少し離れたところであさってのほうを見ながら笑いを噛み殺していた。
メルリルは、と、見ると、すごく感動したようなうるうるとした瞳で、「私もそう思います!」などと言っている。
「ピャッ!」
頭上でフォルテが諦めろと囁いた。
いやいや、ちょっと待てや、俺が最初に想定したサポート役とだいぶ違うんだが?
責任がだな、なんで勇者の師匠みたいになってるんだよ。
あ、そう言えば師匠であることをいつの間にか受け入れたんだったな。
あれ、これ、俺が悪いの?
何か腑に落ちない気持ちになりながらも、俺たちは作戦が開始する初冬の頃までをアンリカ・デベッセと南海の間を行き来しながら準備しつつ過ごすこととなるのだった。
この国の思考は基本的に女王中心となっているというわかりやすい話だ。
女王との謁見から二日ぐらいは特に何をするでもなく滞在することになった。
女王が言った通り生活で困ることは何もないという厚遇ぶりで、うっかりすると堕落してしまいそうな環境だ。
そんななか、俺たちは鍛錬のために人の手が入っていない適度に開けた場所を利用させてもらった。
もともと湿地帯だけあって、自然な環境の足場は苔や泥となっていて、踏ん張ると水が滲み出て来るという軟弱な土地だ。
滑ったり嵌ったりで足が取られるので鍛錬にはいい環境ではあった。
あと、ヒルや虫が多くて、何度かヒルに噛まれたと言って泣きが入ったりもした。
というか、モンクが本気で泣き出したので、泥のなかでの鍛錬はやめて足場が苔のところで行うということに落ち着いた。
ほんと、モンクは普段は強くて泣き言を言わないのに、虫とかヒルとかはてんで苦手なんだよな。
聖女やメルリルはわりと平気なのに。
それと鍛錬が終わったあとに勇者たちと俺は泥のなかで魚とりを楽しんだ。
意外と大きな魚が潜んでいるので、面白かったのだ。
モンクからは。
「だから男は!」
などと理不尽な非難を浴びたが、確かに下着一枚になって泥だらけで遊んでいるようにしか見えなかったかもしれない。フォルテも泥だらけになって、鳥だかネズミだかわからない姿になったしな。
「この辺は湧き水があって水の流れがあるからヒルもいないぞ」
と、勇者が水遊びに誘ったが、モンクは断固として泥がある場所には近づかなかった。
その代わり聖女とメルリルは素足を出して楽しげに遊んでいたが、ちょっと無防備すぎたので後から身内以外の人がいる場所ではやらないようにと注意した。
「ダスターは言っていることが矛盾していると思う」
などとモンクに突っ込まれたが、大事なことだぞ。
ときどきは研究所にいた子どもたちも合流して遊んだが、子どもたちには水棲人の大人が付き添って、危険がないように注意してくれていた。
みんなだいぶ顔色もよくなって、少し太ったようだ。
ときどき双子が寄って来ては、「ありがとう」「ありがとう」と言って離れて行く。
新しい遊びだろうか?
キメラにされていた双子も、ネスさんが我が子のように接するようになってから少しずつ年相応の振る舞いを取り戻しているようだ。
ネスさんは双子以外の小さな子たちにもお母さんのように思われているようで、一気に子沢山になって大変だと笑っていた。
笑えるようになったのはいいことだ。
我が子のことを忘れた訳ではないのだろうけど。
「アルフ、私は一軍を任されることになったよ」
三日目に久々にッエッチがやって来たと思ったら、勇者に向かってそう言った。
「お前本来は身分的には低いんだよな。それに戦いの実績もない。兵士が従ってくれるのか?」
勇者が心配して言う。
というか痛いところをズバズバ指摘しているが、ッエッチは笑顔だ。
この二人、本当に仲がいいな。
「そうなんだけど、もともと私は二つの国の友好の象徴としてアンリカ・デベッセの王宮に南海側の外交官として就任する予定だったんだ。そのための教育も受けているし、顔や姿は全ての国民に知られている。私が攫われたこと、攫われた先で人体実験を受ける予定だったことは、両国の民の戦意を急激に高めた。ある意味今回の戦争に一番責任があるのは私だ」
本来の身分が低くても生まれが高貴なんで国の仕事をする予定だったのか。
だから所作が貴族っぽかったんだな。
ああいや、貴族は貴族なのか。
「それに……母は二人目の子を身ごもっていたので家にいたのだけど、父は私と一緒に祭りに参加していてね。あの日、親友と父は私を庇って死んでしまったのだよ」
友人がいたと聞いていたが、父親も一緒だったのか。
ッエッチも自分の辛いことを他人に話せないタイプなんだろうな。心配だ。
「復讐がしたいのか?」
勇者はほんと、ズバズバ聞くな。
ッエッチは曖昧に微笑んでみせる。
「どう、なんだろう。怒りは確実にある。でもね、大勢の人の命を預かっているんだと思うと、身がすくむ思いもあるんだ。そういう自分の気持ちが情けないとも思うし、ね」
そう言って、ふと顔を上げた。
「でもね。もしあの海賊と、研究所にいた奴らを見つけたら、刻んで海の魔物の餌にしてやろうとも思ってしまってもいるんだ。結局は私怨なんだろうな。そんな私が指揮を執るのはよくない気もしている」
「なら大丈夫じゃないか?」
重い告白に軽く答えた勇者に、ッエッチが不思議そうな顔を向けた。
「身内が殺されたら怒るのも他人の命を預かってビビるのも、当たり前のことだろ。当たり前のことが当たり前に出来てるんだからお前は正しいよ。人が死んでもなんとも思わなくなったり、他人を殺すのにためらいがなくなったらヤバイと思って少し休んだほうがいいぞ」
「っ、ありがとう」
ッエッチがククッと喉を震わせて笑う。
「少し、気が楽になったよ。勇者様のお墨付きもいただいたし、とりあえずは自分を信じてみることにする」
「おうよ! 俺なんか迷ったときには師匠に聞けばいいから気楽なもんだし、お前も信頼出来る人間を早く見つけるといいぞ」
「そうだね。そうする」
二人は親友同士の楽しい語らいを終えた。
いや、それはいいんだが、勇者よお前何言ってんだ?
「お前、困ったときの判断を俺に丸投げするなよ」
俺は勇者に釘を刺しておく。
「大丈夫だ。一応考えてわからなかったときだけ師匠に頼っているから」
「いやいや、自分で結論を出せよ」
俺がそう言うと、勇者がやたら真剣な顔で俺を見た。
「じゃあ聞くけどさ。師匠は俺が絶対に間違わないって言えるか?」
「む、それは……」
まぁ人間だから間違いはするだろうな。
「言えないだろ? だから俺は師匠に頼る。正しい選択だと思わないか?」
「ぐっ、……いや、ごまかされないぞ。俺だって間違うんだからな!」
「俺よりたくさんのことを経験しているんだよな」
「いや、貴族関係とかはさっぱりだからな」
「そこらは俺が考えるから大丈夫。もっと肝心なところだよ。なんていうか、生きるための術みたいな」
「やたら話がデカくなったな。だが、ときにはお前の判断のほうが正しいことだってあるぞ、きっと」
「そのときは俺が正しいって言ってくれるだろ?」
「そりゃあそうだろ」
俺がそう言うと、勇者はうんうんうなずきながら、聖女に顔を向ける。
「な?」
「はい! わたくしもお師匠様を信頼しております」
……きみたち、ちょっと。
ふと見ると、聖騎士とモンクは少し離れたところであさってのほうを見ながら笑いを噛み殺していた。
メルリルは、と、見ると、すごく感動したようなうるうるとした瞳で、「私もそう思います!」などと言っている。
「ピャッ!」
頭上でフォルテが諦めろと囁いた。
いやいや、ちょっと待てや、俺が最初に想定したサポート役とだいぶ違うんだが?
責任がだな、なんで勇者の師匠みたいになってるんだよ。
あ、そう言えば師匠であることをいつの間にか受け入れたんだったな。
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