2 / 2
後編
しおりを挟む
「……はぁ」
窓から差し込む朝日に、ミューランは深く息を吐き出した。
涙が枯れるまで泣いたのは初めてだった。
幼い頃から誰かに選ばれるなんてあり得ないと理解していたのに、こんなに泣きじゃくるなんて自分でも意外だった。
ローブのフードをすっぽりと被り、顔を隠してコソコソと受付へと向かう。
お湯を桶二杯分購入し、部屋へと戻ってタオルを浸す。絞ったタオルを顔に押しつけ、そのまましばらく押さえ続ける。本当は蒸しタオルがいいのだろうが、そんなものを用意出来る状況ではない。少しでも腫れが引いてくれればと願いながら、一度離してお湯に漬けてを繰り返す。何往復もすれば心なしか目元からは腫れと熱が引いたように思えた。顔全体の温度が上昇したからそんな気がするのかもしれないが、ミューランにとっては少しでも良くなったという事実が大切だった。
どうせ村に着く頃には引いているのだ。
ならば外に出ても不審に思われない程度でいい。とはいえ、完全に泣いた跡が消えた訳ではない。まぶたは腫れたままで何かあったのは歴然だ。けれど幸運にも今回の旅はミューラン一人。俯きがちに馬車に乗り込み、背中を丸めながら身体の前で膨れたバッグを抱え込んでしまえば声をかけられることもない。ミューランはその体勢を維持したままほぼ丸一日馬車に揺られ続けた。途中で宿でも取ろうかと考えたが、長い間留守にしては娘が可哀想だ。眠い目をこすりながら馬車を降り、バッグを背負ったまま村長の家へと向かった。
「ミューランです。ただいま帰りました」
入室許可を得たミューランは深く頭を下げて、村長室へと入った。
けれど出迎えてくれたのは皺の増えてきた村長ではなく、壊れてしまいそうなほど繊細な人形のように美しい女性だった。腰まで伸びた髪は絹のよう。ふわりと揺れればオメガ特有の香りが部屋中に舞う。すでに番を見つけた彼女の香りがあふれ出るはずがないと知りながら、甘美な香りに思わず勘違いをしてしまいそうになる。
「おかえりなさい、ミューラン。ひさしぶりねぇ」
艶のある声に魅了される男性やアルファは多いのだろう。実際、オメガであるはずのミューランも惚けそうになってしまうほどに美しい。けれどミューランが彼女に恋慕することはない。あるのは尊敬だけ。
「レイチェル姉さん。帰ってきてたんですか?」
「ミューランと少しお話がしたくて、旦那様に連れてきてもらったのよぉ」
「俺と?」
レイチェルは村長の娘だ。
年がかなり離れており、ミューランが物心をついた時にはすでに村の掟に従って村の外へと出ていた。
『優れた種』を孕むために。
10年間の猶予を持ちながら、彼女はたった一年と経たずに村へと戻った。
彼女の話によれば100人の男に抱かれたらしかった。そして2年後に3人の子どもを産んだ。今は全員、レイチェルの番であるとある公爵の子どもとして村の外で育てられている。公爵は猫獣人の風習に非常に理解がある方らしく、こうしてレイチェルが村へと帰ることを許している。村長とは手紙のやりとりをする仲でもあり、ミューランが手紙の仕分け作業をしている時に度々公爵家の封蝋を目にしている。
非常に気の良い方であるということは村長からも聞かされており、レイチェルとは彼女が帰省した際に何度か会話をかわしている。けれどレイチェルとミューランと会話をするために帰省するような仲ではないし、そんな理由で公爵が帰省を許可するとも考えづらかった。となれば、公爵が許可をするような『何か』があるということ。そもそも村長室なのに村長が不在で、レイチェルが椅子に腰をかけているのも妙だ。まるで何か人に聞かれたくない話をするためにミューランを待機していたかのようだ。
「そう。ねぇミューラン、いい話と悪い話どっちが聞きたぁい?」
赤く熟れた唇に指を這わせながら、レイチェルは微笑む。
普通の男なら興奮しそうな仕草に、ミューランの背中には冷たい汗が伝う。目の前の美しい女性が、レイチェルの姿を借りた地獄からの使いにしか見えなかった。逃げ出せるのならば、とっくに逃げ出している。けれど足が床に固定されてしまったように動かないのだ。
いつの間にか村長室は処刑台にでも変わってしまったのだろうか?
せめてもの抵抗として目線を逸らしつつ、早く解放されることを願いながら言葉を返す。
「急ですね……なら、いい話を」
「あなたを抱いた人物が見つかったわ」
「そう、ですか」
見つかった、なんてずっと探していたみたいじゃないか。
ミューランは王都でジャスティンと再会するまで終わったことにしていたのに、なぜ探すなんて余計なことをしていたのだろうか。それも村を出たレイチェルが。ただでさえあの期間の城は普段よりもずっと多くの人で溢れていた。相手を特定するなんて手間でしかないだろう。
なのになぜ?
疑問を抱きつつも、その一件が数日前に完全に蹴りがついたことに変わりはない。『いい話』でもなんでもない。掘り返さないで欲しい。つっと視線を右下に下げれば意外な反応だったのか、レイチェルは小さく首を傾げた。
「あら、意外な反応ね。もしかして王都で何かあったのかしらん?」
「ええ、まぁ……」
首を掻けば、爪の間にじっとりとした汗が入り込む。
気持ちが悪い。その手を服の裾へと伸ばしてぐしゃりと掴んだ。
「な~んだ、つまんないの。でもきっと、悪い話の方は知らないはずよぉ。私と旦那様が何年もかけてやっと見つけ出したんだから」
それが今後自分の身に降りかかる可能性があるなら、聞かない訳にはいかなかった。
嫌だと、逃げろと危険信号を出してくる頭を無視して、小さく「教えてください」と言葉を絞り出す。すると彼女は目を細め、口角を少しだけ上げた。化け猫のような、気味の悪い笑みだ。悪い話にぴったりな仮面のような表情に、身体中の毛が逆立った。
「ジャスティン様があなたを抱いたのはね、媚薬を盛られたからよ。いえ、彼だけではなくあなたも。あの日あなたたちが呑んだ酒の中に大量の、それこそ常人なら気が狂うほどの薬を盛られていたの」
「……っ」
ミューランにとって、自分に媚薬を盛られていたという事実はさほど重要ではなかった。
それよりもジャスティンが、ミューランを欲してくれたからではなく薬に犯されていたから手を出した、という事実こそが鋭いナイフのように突き刺さる。深く突き刺されたそれは、ドアハンドルを回すようにぐるりと回転しながら、ミューランの胸をえぐっていく。
「もう何年も前からそれらしい被害者がいたの。オメガとアルファが数組。それが今回、ミューランのおかげで捕まえられた」
ミューランは抱かれただけ。
それこそ性欲発散に使われただけだ。
こんなでもオメガで、欲情すれば自然と尻が濡れる。媚薬を盛られていたのにぐっすりと寝こけて、ろくに抵抗もしない。楽に挿入出来ただろう。これ以上ない絶好の穴だったに違いない。
そうだ。ジャスティンは強姦を犯したのではない。ただ目の前の穴で竿を擦っただけ。彼が罪悪感を抱くことなんてないのだ。
何も出来なかった自分に苛立ちを覚え、爪をたてて拳を固める。
「なんで? 俺、何もしてないじゃん」
「王都から帰ってきてしばらくして、体調を崩したでしょう。先生からその話を聞いて、ミューランの血液を送ってもらったの。通常、被害者の多くは数日と経たずに体内から形跡を消すわ。だからミューランは特例中の特例」
「俺が、オメガとして劣っているから?」
「たまたま体質的に合わなかったんじゃないかしら? 理由はなんにせよ、私達には幸運以外の何者でもないわ。これで人間と猫獣人の間に狭間が出来ようとも……ね」
「どういうこと?」
「人族と猫獣人のどちらもがこの件に関与していたの。ディーバルドってベータの猫獣人知っているかしらん?」
『ディーバルド』ーーこの数年で何度も耳にした名前だ。
「数年前のパーティーで姿を消したベータ」
彼さえ運営仕事を続けていれば、ミューランがジャスティンの子を孕むことはなかった。
顔も声も知らない。出身の村さえも知らない。
ミューランが知っているのは彼の名前と、猫獣人のベータだということだけ。
ある意味、この一件で一番のお騒がせ者だ。
まさかここでも関わってくるのか。
ミューランは眉間に皺がぎゅっと寄るのを感じた。目の前の人物に不快な思いをさせてしまうかもしれないが、すぐに指で伸ばすようなことはしない。
「ディーバルドは、何したの?」
声には隠すことが出来なかった怒りが乗り、ミューランの声はいつもよりも2段階ほど下がっている。
けれどレイチェルはそれも仕方ないことだと受け入れ、そして窓の外を眺めた。
「彼ねぇ『ミューラン』って名前で組織に所属していたの」
「え?」
「優秀な種を注がれ続ければオメガになれると信じていたらしくてねぇ。種を注いで貰う交換条件として、パーティー期間を中心に様々なものに薬を盛っていた。なんて言えば聞こえはいいけれど、所詮は昼も夜もよく働く穴程度にしか思われていなかったみたいよぉ」
「そう……」
『ミューラン』の名前を使ったのはただ都合が良かっただけか、それともオメガになりたいという願望こそがオメガであるミューランの名前を名乗らせたのか。
どちらにしてもミューランとしては複雑だ。
ミューランは子どもの頃から度々ベータなら良かったと思ってしまっていたのだから。
ズンと気を落としたミューランは名前を使われていたことを不快に思ったと勘違いしたらしいレイチェルは、目尻を下げ「ごめんなさいね」と呟いた。彼女も本当はこんなことを告げるつもりはなかったのかもしれない。美しいだけではなく、ミューランよりもずっと賢い彼女のことだ。おそらく、告げなければならない理由があるのだろう。ミューランは顔を上げ、話を進めてくれという気持ちを込めてレイチェルを見つめる。
「中にはジャスティン様のように狙って、定期的に盛られていた人もいるみたいだけど、あの人の精神力の強さは群を抜いているわ。誰かに手を出したのはたったの一度だけ。それ以外は睡眠を取らないことで、欲に支配されるのを押さえ続けていたんだから。一日1時間にも満たない睡眠で激務をこなし続けるなんて普通なら出来るはずもないわ。まぁこの前ついに倒れたらしいけど。今、人族の方には旦那様が報告に向かっているわ。時期に猫獣人と人族の関係について話し合いがなされることでしょう。良かったわね、子どもが出来て」
「え?」
「人族との関係が断絶されれば、以前よりもずっと猫獣人族は子孫繁栄への固執を強くするはずよ」
レオンさんが縁を取り持つまで、猫獣人とってオメガは子を産むための母胎であった。
優れた種をもらえたオメガは優遇され、そうでなければ人として見られることすらない。
ミューランが幼い頃にはすでにその風習がなくなりかけていたため詳しくは知らないが、話で聞いた限り、劣ったオメガの行く末は地獄だった。村中のアルファに頭を下げて種を注いでもらう。罵られても、傷つけられても種を貰うまで頭を下げ続けなければならない。ようやく子を孕んだ所で、そこから辿る道さえも分岐が存在して、最悪、道具に成り下がる。迷惑料として村に金を入れるために人に売られていくのだ。
けれど今のミューランにその心配はない。
少しやんちゃな娘だが、相手がジャスティンならば種は一流なのだから。
だが人族と縁を結ぼうとしている兄達はどうなるのだろうか?
いくらベータとはいえ、ディーバルドのようなベータがいないとは限らない。
むしろ今回ベータが加わっていたことにより、元々猫獣人と人族が恐れていた『発情したオメガが誰彼構わず襲うこと』よりもずっと悪い事態になったと言えるだろう。猫獣人全体を敵視されては以前のように村を出て種を貰うことすら困難になるはずだ。
「でねぇ、ミューラン。お願いなんだけどぉ、今から私と一緒に王都に行ってくれないかしら?」
「え?」
「猫獣人としても、人族としても、せっかく結ばれた縁をなかったことにするのはもったいないと思うの」
その言葉で、ようやくレイチェルが村にやってきた理由に合点がいった。
彼女は『薬を盛られたオメガ』に用事があったのだ。
ミューランの証言が必要だというのなら、猫獣人として参加せざるを得ない。
「俺でよければ」
にこりと笑えば、レイチェルはほっとしたように胸をなで下ろした。
レイチェルの馬車に乗り、王都へと向かう。
ミューランが乗っていたような乗り合い馬車とはまるで乗り心地が違う。さすがは公爵家。椅子はふかふかのソファで、窓にはカーテンがついている。物の価値、特に高級品についてはトンと教養のないミューランには分からないのだが、キラキラとした窓ガラスだけでもそこそこのお値段がするのだろう。そう思うと窓枠や、馬車に乗り込むための台すらも目が飛び出るほどの価格がするのではないか? と思えてならない。広い馬車で、なるべく物に触れないよう、真ん中でちょこんと縮こまって座る。車体はカタカタと小さく揺れるが、ミューランは極力動かないように心掛けていた。まるで置物にでもなってしまったかのよう。一方で、一緒に馬車に乗るレイチェルは堂々としたたたずまいだ。
「もっと楽にしても大丈夫よぉ」
レイチェルの言葉にミューランは小さく左右に首を振った。
レイチェルからすれば何度も乗っている馬車で、怯えるなんて馬鹿らしいかもしれない。けれどミューランは本気で馬車に傷をつけることを恐れていた。
「困ったわねぇ。王都までは休憩をほとんど挟むつもりはないのだけど、この様子じゃあ王都に着いた頃にはヘロヘロになってしまうわぁ」
「大丈夫です! 頑張りますので!」
「でもミューラン。到着して、すぐにあなたにはディーバルドに会ってもらう予定なの」
「ディーバルドに?」
「あの子、ミューランにならすんなり口を割ると思うのよねぇ」
「ということは俺は証言者としてではなく、ディーバルドに詳しいことを語らせるために呼ばれたんですか!?」
「そうよぉ。ミューランには申し訳ないけれど、しばらく汚い言葉を浴びせられると思うわ。だから少しでもそれまでの負担は軽減させてあげないと……」
ミューランとディーバルドは今まで一度も顔を合わせていない。
ミューラン側は『ディーバルド』と間違われていたから名前を知っているのであって、彼がどこで『ミューラン』の名前を知ったのかさえも不明のまま。
なのに『汚い言葉を浴びせられると思う』とは……嫌な予感しかしない。
ミューランが顔を歪めれば、レイチェルもこうなることが初めから分かっていたようで「後出しでごめんなさいねぇ。でも言ったらミューランは馬車に乗ってくれなかったでしょう?」といたずらを責められる子どものように上目遣いで許しを乞うた。ミューランが同じことをしても怒られるだけなのだろうが、レイチェルがすれば庇護欲がそそられる。村に返してくれ! との言葉はすっぽりと胸から転げ落ちてしまう。どう頑張った所で、ミューランはレイチェルに逆らえないのだ。
ディーバルドになぜか敵視? されているミューランが出来る事と言えば、王都に行く前に少しだけ心の準備をしておくことだけ。
「なぜディーバルドは俺のことを嫌っているのか教えて貰ってもいいですか?」
「ただの八つ当たりよ」
「え?」
「オメガになれなかった彼が当たる相手はオメガなら誰でもいいの。ただその矛先が、たまたま王都で出会ったミューランに向いただけ」
「それはなんとも……」
「勝手な話よね。まぁ完全に同情の余地がないかと言われれば困っちゃうんだけど」
「何かあるんですか?」
困ったように目線を下げるレイチェルに、ミューランは首を傾げた。
彼女は少し迷ったように頬を撫で、天井を見つめた。けれど「ミューランには協力して貰うんだから、話さないのは卑怯よね……」と小さく呟いてからディーバルドの過去を語ってくれた。
ディーバルドは凄く顔がいいらしい。
すれ違った人はほとんど振り返るほどの美人だとレイチェルさんは彼の容姿を絶賛した。
そして、初め見た時は本当にオメガだと思ったのだとも。
実際、彼の村の誰もが彼をオメガと信じて疑わなかったらしい。
子どもの頃から蝶よ花よと育てられ、将来は番になろうと約束していたアルファもいたそうだ。けれどバース性の診断は残酷にも彼が『ベータ』であると示した。認められなかったディーバルド達はその後、何度も検査を繰り返したらしい。けれど診断が変わることはなかった。彼はベータだったのだ。そんなことがあるのだろうか? と疑わないのは、地味顔で香りの薄いミューランがオメガであるという例があるから。いわばミューランとディーバルドは真逆の状況にあったのだ。
けれど真逆だったのは性別や顔だけではない。
ディーバルドの村はアルファとオメガが優遇される場所といえば聞こえはいいが、ベータには住みにくい場所らしい。一生村に縛られ、酷使される。彼らの村は人族とのお見合いパーティーに参加しているものの、開催される前と今とであまり状況が変わらないどころか、バース性格差が以前にもましてひどくなったのだという。道具のように、たまにでも手入れされるだけでもいい方なのだと。ミューランが出来損ないでも普通に接してくれた村人達とは大違いだ。一生が約束されたと思った場所から一気に転げ落ちたディーバルドはオメガという性に執着するようになった。
「だからあの子はオメガが憎くて憎くてたまらないの」
レイチェルはそう締めくくった。
自分とディーバルドが出会うのは運命だったのではないだろうか?
ミューランは膝の上で拳を固めながら、ディーバルドとの出逢いに向けて精神を統一する。
たくさんの罵声を浴びせられることだろう。
おそらくレイチェルが想像しているよりもずっと多くの汚い言葉の数々を、ディーバルドは迷いなくミューランの首筋に突きつける。
けれどミューランはそれを抵抗せずに受け入れなければならない。
神のいたずらに巻き込まれてしまった相棒に、ミューランがしてやれることなんてこれくらいしかないのだから。
ほぼ2日かけて王都に到着し、すぐに拘束されたディーバルドと対面した。
レイチェルが言っていた通り、美しい男だ。
レイチェルが妖艶な人形ならば、彼は愛らしい天使のようだ。
ふわっとした金色の髪も、くりっとした透き通った青の瞳も。傷一つない手足でさえも、神の加護を一心に受けているようにしか見えない。レイチェルがオメガと間違えたのも無理はないだろう。ミューランだって事前に話を聞かされていなければオメガだと信じて疑わなかったことだろう。けれど彼はまさしくベータなのだ。
ディーバルドはミューランをキッと睨み付け、小さな口から暴言を吐き付ける。
この部屋に入る直前、彼から何を言われても言い返さないで聞いて欲しいとレイチェルから頭を下げられている。
何が証拠に繋がるかは分からないから、と。
だがミューランは頼まれずとも全て聞いてやるつもりで、汚い言葉を紡ぎ続ける彼の前に用意されていた椅子に腰を降ろした。
そして何刻も、ろくに水も飲まず、表情も動かさずに聞き続けた。
ーーけれど一つだけ、どうしても我慢が出来なかった。
「お前みたいな出来損ないがオメガになったせいで、僕はベータなんかに! お前さえいなければ僕がオメガになれたんだ!! 顔だけの、出来損ないディーベルドなんて言われずに済んだ!」
「なら、あなたがいなければ俺はベータになってましたよ。あなたさえベータにならなければ、俺は今頃自分を出来損ないなんて思っていない」
「……っ」
「オメガに憧れ続けたあなたなら分かるでしょう? 俺がオメガであり続けていることがいかに惨めか」
ミューランの言葉にディーバルドは声を失い、肩を落とした。
「ごめん」
そして初めて謝罪の言葉を口にした。
ミューランは、ディーバルドがジャスティンに媚薬を盛ったから子を成すことが出来た。
けれど言い換えれば、この一件がなければミューランは子をなすことはなかった。いくら村人達が優しく、平等に扱ってくれているとはいえ、自分を惨めに感じない訳ではない。劣等感はもうずっと昔から、ミューランの中でくすぶり続けていたのだ。
『オメガになれれば幸せになれる』と信じてきたディーバルドにとって、ミューランという存在は非常にイレギュラーで。憎しみを向ける相手であると同時に畏怖する相手でもあったのだろう。
ディーバルドは『ミューラン』と名乗り続け、オメガになることで神の間違いを正そうとしたのかもしれない。けれどディーバルドもミューランもただの猫獣人だ。神の選択を正せる訳がない。
「ディーバルド、君はオメガにはなれない」
これからも、ディーバルドのバース性が変わる可能性が消えた訳ではない。けれどミューランはあえてそう断言した。相棒が二度と間違いを犯さないようにではない。オメガではない自分を否定しないように。真っ直ぐとディーバルドの目を見つめれば、彼もゆっくりと似たような言葉を発する。
「ミューラン、君もベータにはなれない。これから先、ずっとね」
「知ってる」
声に出すことで、二人は互いの存在を受け入れる。
憎むべき相手としてではなく、同じような数奇な運命を辿ってしまった仲間として。
「どうせ外で聞いているんでしょう? 入って来なよ。僕が知っていること、全部話してあげるからさ」
「ディーバルド」
「あ、でも最後に言っておきたいことがある」
「なに?」
「耳貸して」
ミューランの耳に唇を近づけ、秘密の話をするようにディーバルドはふふふと笑いながら爆弾を投下した。
「君と会ってからジャスティン様のおかずは君だけさ」
「な、なんでそんなこと、ディーバルドが……」
ミューランは赤くなった耳を押さえて、恥ずかしさのあまり目には涙を浮かべる。
初心な反応を見せるミューランに、ディーバルドはあっさりと「何度も行ったからね」と伝える。
これが経験の差なのだろう。
先ほどまでの暴言よりも、なんでこんなことで恥ずかしがってるのさ、とどこか呆れた視線がミューランに重くのしかかる。
ディーバルドはそんなミューランに聞こえるようにため息を吐いてから、パンパンと手を叩いた。
「さあてと、僕はこれから忙しくなるんだ。ミューラン、君は早く帰りなよ。村でも男の元でも好きな所にさ」
「いいのか?」
「なにが?」
「俺だけ、その……」
幸せになって、とストレートに言っていいのか言葉に迷ったミューランは視線を彷徨わせる。
けれどディーバルドはこれでもかというほど端正な顔を歪ませて、ヒステリックな声を上げた。
「地味で無害そうな顔して、何勝手に自分だけ幸せになろうとしてんのさ! 僕だって罪を償ったらいい男見つけるし! ジャスティン様なんて年いったおっさんよりもずっと魅力的な相手見つけて自慢してやるんだから幸せそうに子どもでも抱いて待ってなよ!!」
けれど乱暴に吐き出される言葉はミューランの未来を祝うものだった。
「まぁ、君の子なんてどうせ地味でかわいげがないんだろうけどさ!」と付け足したのは彼なりの照れ隠しなのだろう。だがミューランはすでにジャスティンと別の未来を歩き始めている。家族がいるからこれ以上関わらないでくれと伝えた手前、好きだと告白することも出来やしない。
「その時まで娘抱っこ出来るように鍛えておかなきゃ……」
「馬鹿なの!? 僕のスケジュールに合わせて新しい子どもでも産めばいいだろ!!」
「そんな簡単に言うなよ」
「僕に逆らう気!?」
なんて傲慢なのだろう。
天使だなんて思ったが、これではとんだワガママ姫だ。
はめられた手錠さえも自分を飾るための品にしてしまう、とても美しいお姫様。
「……相手次第だから」
「はっ、純情ぶっちゃって。出来損ないはこれだからやだなぁ」
「出来損ないはディーバルドもだろ!」
「僕はこれから頑張るもん!」
「なら俺も頑張る」
にんまりと笑ったディーバルドに、これは言わされてしまったなと後悔する。
けれど「君の出来ることなんてたかが知れていると思うけど、せいぜい頑張れば?」なんて言われてしまえば訂正することすら出来やしない。
今日初めて会ったばかりなのに、ディーバルドは誰よりもミューランのことを理解しているようだ。
「今度こそ、行きなよ」
クイッと顎でドアを指すディーバルドに「また会いに来る」と告げれば「今度は手土産くらい持ってきてよね!」なんて憎たらし言葉で返された。
今度来る時は村長が毎朝飲んでいる凄く苦くて匂いの強い健康茶と、彼の好きそうなマカロンでも差し入れてやろうと決めて、ミューランは部屋を出た。
「ミューラン、あなた凄いのねぇ。まさかこんなにすんなりいくなんて思わなかったわ~」
「相手がディーバルドだったからだよ」
「ありがとう、ミューラン。彼の証言は人族と猫獣人の未来に大きく関わるはずよぉ」
「良い方向に進むといいね」
「ええ、本当に……」
「レイチェル姉さん、俺これから行く所があるんだ」
「場所分かるの?」
「あ……」
「今回のお礼に送っていってあげるわん」
「ありがとう!」
ジャスティンの元に、なんて一言も言っていないのに、レイチェルは迷うことなく城を歩いて行く。
ドアの前へとさしかかると、レイチェルは「もちろんお礼は他にも用意しているから期待していていいわよぉ」とだけ残して手をひらひらと振って来た道を戻っていった。
コンコンコンと三度ノックをすれば「誰だ?」と彼の声が耳に届く。
少し悩んでから「……ミューランです」と自分の名前を告げた。
「入れ」
「失礼します」
部屋へと入り、深く頭を下げる。
するとすぐに頭に向けてジャスティンの声が飛んできた。
「俺の出来ることならどんな要求でも飲もう」
なぜミューランがこの場にいるのかを問うことすらない。
ミューランが何かを要求するために来たと疑っていないようであった。
ジャスティンの目に、自分はそんな意地汚い猫獣人に映っていたのかと胸がズキリと痛む。
けれど今からミューランが口にしようとしていることはジャスティンにとっては『要求』に当てはまってしまうかもしれない。責任感を感じて、なんてことになれば悲劇でしかない。
これからしようとしているのは、水に流して、終わりにしたものを掘り返すことだ。
彼が長年悩み続けていた強姦だって、媚薬に犯されてしかたなく手を出しただけのこと。
ディーバルド相手に頑張ると宣言したミューランだが、ジャスティンをこれ以上苦しめるつもりはない。
ここに来て怖じ気づいてしまう。
いっそ適当な『要求』でもして、村に帰った方が彼のためになるのではないか?
自分の気持ちなんて小さなものはくず入れにでも捨てて、娘が大きくなっても抱きかかえることが出来るように鍛え始めるべきではないか。
答えを自分で出さなければ前に進むことは出来ないと分かっていながらも、ミューランは答えを探して視線を彷徨わせる。するとジャスティンはおもむろに一本の指を立てた。
「1億だ」
「へ?」
「1億なら1年以内にどうにか出来る。それ以上は少し時間はかかるが……用意できなくはない」
「馬鹿にしないでください!」
「ミューラン?」
番になってくれませんか? と伺いをたてに来たのだ。
けれどそんなこと伝えた所で金で解決されるだけ。
ミューランをおかずにしているなんて聞いたから、期待してしまったのかもしれない。
馬鹿みたい。
ここで金を受け取れば、ミューランだけではなく、大事な娘までも汚いもので汚れてしまうことになる。
だからミューランは別の言葉を一気に吐き出した。
「俺は、今日、あなたに伝えにきたんです! あなたにとって俺を抱いたのは人生の汚点でも俺にとっては幸せな出来事だったって! 出来損ないオメガに子どもを授けてくださってありがとうございます! では失礼します!」
一方的に告げて、頭を下げる。
これで本当に最後。
もう二度と王都になんて来ないし、ジャスティンの顔を拝むことだってない。
苛立ったミューランは乱暴にドアを開く。けれど外に出ることは叶わなかった。
「俺たちの、子どもがいるのか?」
ドアに寄りかかるようにしてジャスティンが逃げ場を塞いでしまったからだ。
だが今さら子どもがいるかと聞いて何になる。
せめて金を払うなんて言われるのも嫌で、ミューランは床に向かって嘘の言葉を吐いた。
「いますけど、あなたの子かは分かりかねます」
「他の男にも抱かれたのか」
「猫獣人は優秀な種を欲する種族ですので」
YESともNoとも言わず、けれど事実を告げる。
「俺は、お前の望む優秀な種馬になれねぇのか?」
「それは……」
「お前が認めてくれるなら、もう一度だけお前を抱くチャンスが欲しい」
チャンス、か。
誰かに咎められずに猫獣人を抱く機会など早々巡り会えないからだろう。
だからミューランを隠すように覆い被さり、退路を塞ぐのだ。
愛されているからではない。
期待しても後で痛い思いをするだけ。
平凡な自分が頑張った所で騎士様なんてやってきてはくれない。それでも、ミューランをミューランとして抱いてくれるというのなら。頑張ったご褒美として受けれてもいいのではないか? と悪魔が囁いた。
「分かりました」
ミューランはコクリと頷いて、シャツのボタンを外していく。
3つ目に手をかけた所でミューランの手に、大きな手が重なった。
「ベッドでしねぇか?」
「この部屋にないでしょう?」
「俺の部屋ならスキンもある」
「中に出してくれないんですか?」
「今日は……いい」
少し詰まって告げられた言葉は『また子どもが出来たら厄介だからだろう』という意味を孕んでいるようだった。それでは種馬になれるか確かめるためだという言い訳すらも通らなくなる。一度目で失敗したからこそ、慎重に進みたいという気持ちが理解出来ない訳ではない。
他の猫獣人が満足出来るだけの技術があるかを確かめたいだけなのか。
ミューランは胸に重たい岩が落ちてきたような気がしてならなかった。けれどこれはただ『褒美』なのだと、彼からの餞別のようなものなのだと。これ以上、欲しがるなと自分に言い聞かせる。
返事も待たずにジャスティンはミューランを抱えて部屋を出る。
ご丁寧にミューランの上にジャケットを被せて。
猫獣人の思い人でもいるのだろうか?
だとすればずっと彼が我慢し続けていたのにも合点がいく。
おかずにしていたというディーバルドの情報は間違っていたか、愛おしい相手を穢したくはなかったから適当な名前を口に出しただけなのだろう。
最低限の物しか置かれていない部屋で、異色を放つキングサイズベッドに降ろされたミューランは彼の技術がどうあれ『合格』を告げてあげようと心に決める。
ベッドの上で横たわりながら、天井を見上げる。
視界が闇に遮られずに行為に及ぶのは初めてだ。夢の中でもミューランはろくに相手の顔を見ていなかったのだから。
普通、こういう時視線はどこにおいておくべきなのだろう。
他の相手がいるのなら、ミューランの地味顔なんて見ても気がそがれるだけだろう。
あの夜、彼はどうしていたのだろうか?
欲を発散するので必死になっていて、顔なんて気にならなかったのかもしれない。
ミューランは顔だけではなく、声もベータのようだ。ディーバルドのように可愛らしい声でも、レイチェルのように艶のある声でもない。野太いとまではいかずとも、ベータ男性のような声を聞けば途端に萎えてしまうかもしれない。ただでさえミューランにはオメガの武器であるフェロモンは使えないのだ。その上、初めて行為に及ぶきっかけ、いや原因となった媚薬もない。体型だって……と次第にネガティブな考えに支配されていく。
ジャスティンがいろいろと用意してくれているうちに、ミューランはスラックスと下着を脱ぎ、尻を弄った後で顔を隠すようにうずくまった。ようは尻さえ使えればいいのだ。天井を見なければ、暗闇がないのなら自分で作れば良い。両方の腕で頭を抱えてしまえばいつも通り。何も見えやしない。
「ミューラン……」
ジャスティンがその名前を呼んでくれただけでもう満足なのだ。
片方の腕を外し、早く犯してくれ、と2本の指で穴をぱっくりと開く。
ジャスティンの物を見たことはないが、一度は入ったのだ。媚薬の効果もあって穴がほぐれていたのかもしれないが、若干痛みを感じた所で受け入れるミューランが我慢すれば大丈夫だろう。
けれどクパクパと卑猥に動く下の口には一向に肉棒が挿入されることはない。狭すぎるのだろうか? ミューランはもう片方の腕も外し、両手で尻たぶを左右に引っ張った。今度はもう少し大きく開けたはずだ。今度は少し尻を高く上げてみる。するとようやく何かがミューランの肉壁を開拓するように犯していく。けれどそれは、ミューランの望むものではなかった。彼の竿でもなければ指でさえない。それ以外の何か。ミューランはわざわざ目で確認せずともソレが無機物の、男性の雄を模したものだと理解した。見たのはたった一度。10歳になった年に村のオメガは全員ソレの存在を教えてもらう。過去、オメガは村を出る前に尻を拡張していたのだという。オメガである以上、昂ぶった物をいきなり尻に入れることも可能だが、怪我の可能性もあると数十年前からミューラン達の村では拡張してから村を出ることが決まりとなっていた。だから使用したのは今回が初めてでも、存在と用途は知っているのだ。
場所を移動したことによって、勢いがそがれたのだろう。
勢いがなければミューランなんて抱けるはずがない。
だが自分から言い出した以上、抱けないなんて言い出すことが出来ずにこうして適当な張り型で代用しているのだろう。
所詮、ミューランは出来損ないなのだ。
媚薬で熱に犯されているような特殊な状況下でさえなければ抱くに値しない。
熱を感じないそれがミューランの中で動かされる度に刺激が快楽へと変わり、ミューランの尻は濡れていく。そしてミューランの目は涙で濡れていく。水音を発しながら張り型が抜かれた時にはベッドシーツはミューランの顔の部分だけじっとりと湿っていた。
「もう、いい」
これ以上待った所で何をされる訳でもない。
ミューランは上体を上げ、近くに畳んでおいた下着とスラックスに手を伸ばす。尻を拭うものを用意していないため、尻から愛液を垂れ流したまま着用することになるが、フェロモンを垂れ流していた所で発情してくれる相手などいないのだ。下着に足を滑らせ、スラックスを履き、立ち上がった。
「待ってくれ」
背後から悲しげな声が耳に届く。
振り返ってやるつもりはない。けれどせめて、餞別の言葉くらいは贈ってもいいだろう。
「本番は勃つといいですね」
嫌みにも取れる言葉を投げて、ミューランはドアノブに手をかける。背後からはジャスティンの悔しげな声が聞こえた。
「本番も何も、もうチャンスなんてあるわけねぇだろ……」
そんなに猫獣人を抱いてみたかったのだろうか。
だが勃たないものはどうしようもない。もしも相手がディーバルドならどうにかしたのかもしれないが。悔やんだ所でミューランはミューラン。そう、思うのに頭の中のディーバルドが騒ぐのだ。
「出来損ないは勃たせることも出来ない訳!?」と甲高い声で馬鹿にしてくる。
今の出来事を話せば、きっと彼ならこんなことを言うだろうと予想が出来てしまうから余計にうるさくてたまらない。そのくせ相手を勃起させる方法を教えてくれないんだからなんともずるい想像だ。
けれどミューランはオメガであると同時に男性でもある。フェロモン以外で相手のペニスを勃ちあがらせる方法を一つも知らないという訳ではない。
「……はぁ。少し手伝って駄目だったら諦めてくださいね」
わざとらしいため息を吐いてベッドへと戻ると、ジャスティンの下穿きへと手を伸ばす。
強引に外に晒せば、完全に萎えているという訳ではないようだった。緩くは勃起している。指先でツンツンと突けば、ぶるりと震わせるだけの元気はある。これくらいだったら中に入れるまで成長するのもすぐだろう。
手でしごいてやろうかと思っていたミューランだが、想像していたよりもずっと立派な雄に気が変わった。
「一体何をするつもりだ?」
亀頭を指で擦りながら舌で竿を撫でる。
もちろん根元からゆっくりと。
オメガとしては出来損ないでも、猫獣人としての特性はしっかりと受け継いでいる。
時折、ざらっとした舌でペニスの先端の穴をチロチロ弄ってやれば身体を大きく震わせながら、ミューランの顔面めがけて白濁を吐き出した。
大事な種だ。手で拭き取ってからベロベロとそれを舐める。けれどまだまだ足りない。まだまだ中に残っているのだろう。ミューランは我慢出来ずに大きく口を開け、思い切り飲み込んだ。手でしごくのは少し違った要領で、喉でペニスをしごく。奥まで突っ込むとえづいてしまいそうな圧迫がミューランを襲う。けれどその感覚さえもミューランには気持ちが良くてたまらない。キュンキュンと尻を締めては、下には何も咥えるものがない寂しさによだれをダラダラと垂らす。目を逸らした先には、先ほどまでミューランの尻に入れられていたと思われる張り型が投げ捨てられている。ジャスティンの物を見た後では、どうしても比較してしまって満足出来るか悩んでしまうが、今は穴を塞いでくれるなら、奥を突いてくれるなら何でも良い。手を伸ばし、臨戦態勢を模ったソレを躊躇することなく一気に奥まで差し込む。
「ごぶおおおお」
ジャスティンのペニスで塞がれた口からはくぐもった声が漏れる。
押さえられたことでぎゅっと喉が締まったのか、その衝撃で口内に大量の精子がなだれ込んだ。苦いばかり苦くて、ツンと青臭い匂いが鼻をくすぐる。けれどそれこそがオメガが喉から手が出るほど欲する子種で。
「っ、悪ぃ」
急いでミューランからペニスが抜き出されたことで、溢れ出しそうになったものを口元に手を添えてこらえると、ゴクリと大きく喉を動かしながら飲み干した。
「大丈夫か?」
心配そうに問いかけられる声に、ミューランは少し口を開いたが、声に出さずに閉じた。
さっきは塞がれていたから良かっただけのこと。せっかく勃たせたのに、声を聞いて萎えられたら全てが無駄になってしまう。種が欲しいのは喉ではなく、尻の穴の奥底にある子宮で。尻を使って吸い尽くすまではなんとか昂ぶり続けて貰わねば困るのだ。顔を俯けながら、身体を反転させる。背中を向けられたジャスティンは「おいっ、待て! 今、スキンの用意を!」と戸惑った声を上げるが無視をして、ミューランは広げた後孔に棒を突き刺す。ミューランが一気に体重をかけたからか、すぐに一番奥までミューランのナカを押し上げた。
「っっっっっっっっ」
ジャスティンの昂ぶりを飲み込んだ瞬間、達してしまった。
けれどそれはジャスティンも同じこと。二度ほど吐き出したことなどなかったかのように、大量に発射させたのだ。オメガの胎内でも吸い尽くすには少し時間がかかるほど。ミューランのナカにはまだ大量の液がたゆたっていた。
声さえも出ない口をパクパクと開いて、頬にはつうっと涙を伝わせる。
張り型で少しは慣れていたはずだが、ジャスティンのソレは別格だった。
痛みはなく、幸福感が胸を占める。
身体の中にあっても凄い量の種を、スキンなんて無機物に分けてやらなくて良かった、とミューランは小さく笑った。例えジャスティンに他に思い人がいようとも、今日だけはミューランのものなのだから。いわばこれはお勉強代のようなもの。そう、ミューランが貰ってしかるべきものなのだ。
その瞬間、胸の奥底に眠らせていた、オメガとしての、猫獣人としての性欲が解き放たれるのを感じた。
まだまだ足りない。
もっと搾り取れ。
頭の中でオメガとしての本性がサイレンをならす。
じゅぶじゅぶと卑猥な水音をBGMに、ミューランはパンパンと音をならして腰を打ち付ける。
自らの嬌声など気にならなかった。ただ快楽さえそこにあれば、それで十分だった。
「クソっ」
尻でペニスをしごいて快楽を得続けるミューランの一人遊びが気に入らなかったのか、ジャスティンはチッと舌打ちをしてからミューランを持ち上げた。吸収が間に合わなかった種液は、太ももを伝いダラダラとこぼれていく。
ああ、もったいない。
ミューランは股を手で撫で、尻から漏れたソレを掬い取るとペロリと舐めた。
何度も出したはずなのに、まだどろりとしており、薄まる様子はない。
股の下にはまだまだ臨戦態勢を維持したままの雄が見える。きっとまだ、出るはずだ。隠さないで、全部出し切ってくれればいいのに。ミューランは首を少し捻り、ジャスティンに恨めしげな視線を投げた。顔からなぞるように下がり、そして最後は昂ぶったペニスへ。舌を唇に這わせ、声も出さずにおねだりをする。
するとミューランの思いが伝わったのだろう。
ミューランの身体を反転させ、ベッドへと寝転ばせた。
「満足するまで逃がさねえからな!」
怒ったような声をあげながらも、服を脱ぎ捨てる彼の顔は蒸気しており、発情した雄のようだ。
顔なんてどうでもいいから、主導権を譲れということだろう。
ミューランはにっこりと笑って、身を委ねるように両腕を伸ばした。
首をホールドすれば、ジャスティンは一夜の相手にむさぼるようなキスを与えてくれる。
息継ぎの合間に『愛してる』と告げられる度にミューランは涙を零しそうになる。けれど綺麗でも可愛くもない顔をこれ以上不細工にする訳にはいかないと、涙をこらえて無理に笑顔を作り続けた。
そうすれば、ジャスティンは淫乱なオメガを遠慮なく貫いてくれる。
種をもらうため。
気持ちよくさせてもらうため。
寂しさよりも、オメガとしての性と猫獣人の欲が勝った。
キスさえも面倒になったのか、頭を抱えるようにしてミューランのナカに雄を擦りつける。
それでも『愛している』と言い続けてくれるのは、きっと彼なりのサービスなのだろう。
快楽の連続で馬鹿になる頭でミューランは「俺も」と呟いた。
性欲のぶつけ合いは、ジャスティンが眠りにつくまで続いた。
すやすやと眠るジャスティンに抱きかかえられながらミューランは天井を仰いだ。
ミューランの穴にはまだジャスティンが刺さったまま。
性の限界よりも先に耐えきれない睡魔がやってきたらしい。
一度も休憩を挟まずにやり続けてまだ硬度を保ったままとは……想像以上の絶倫だ。
アルファとはみんなこうなのだろうか?
蓋をされているおかげで流れ出すことはないが、抜けば栓をなくした液体はたちどころに流れ出すことだろう。それでも垂れたら拭けばいいだけのこと。ヤることは済んだし、ミューランとしては早く抜いてしまいたいのだが、抜く・抜かない以前に身動きが上手く取れないのだ。前回と同様に寝ているはずなのに、拘束する力が以前よりもずっと強い。頭をホールドされて、ジャスティンの胸に顔を埋めている状態だ。それでも首を少し捻るくらいは動けるので、息苦しさを感じることはない。チラリと視線を上げれば、すうすうと気持ちよさそうな寝息を吐くジャスティンが見える。数日前にぐっすり寝たばかりだからか、目のクマは真っ黒黒というほどではない。それでも初見なら確実にドン引くほどではあるのだが。
ミューランが見るジャスティンはいつだってよく寝ている。
フェロモンでリラックス出来るなんて話聞いたことがないのだが、ジャスティンがミューランの香りに安心感を抱いているのは確かだ。
だがレイチェルの話によれば、ジャスティンの気が緩められなかったのは媚薬があったから。
ディーバルドの証言により、状況は好転することだろう。この一件が完全に綺麗になるには時間がかかるかもしれないが、ジャスティンが眠れるようになる日も遠くはないはずだ。
それまでの間、どうにかしてあげれれば。
ミューランは頭に過った馬鹿みたいな考えをすぐに打ち消した。
どうにかするなんておこがましい話だ。
ミューランの役目は、ジャスティンに猫獣人を抱かせるまで。
その後のことは関与しない。する権利がない。
本当は、彼が寝ている間にお暇するべきなのだろう。
ジャスティンが結果を気にすることのないように『相手がどんな猫獣人でも問題ないでしょう』とだけ診断を残しておけばそれでいい。ホールドする力が強くとも、身体の柔らかい猫獣人なら少しの隙間さえあれば身体を捻って抜け出すことが出来る。だから言い訳にしか過ぎない。ミューランは言い訳をしてまで、少しの間でもジャスティンの元に残りたいと思ってしまっているのだ。ずるい奴だ、と自分をさげすみながらぬくもりを感じていると足音が近づいてくるのが聞こえた。部屋へと向かう道中は視界が奪われていたため、この部屋の他にも目的地となり得る場所があるのか分からないミューランは他の場所に行ってくれと、狸寝入りを決め込んだ。目を閉じながらも外の音に意識を張り巡らせる。けれど不運にも、音の主の目的地はミューラン達のいる部屋だったらしく、目と鼻の先で歩みを止めるとコンコンコンとリズムよくドアをノックした。
「アイザックです。お話があります」
聞き心地の良い低い声の主はアイザックと言うらしい。
寝ているジャスティンは一向に訪問者に気づくことはない。どこかに行ってくれと、顔の知らない相手がこのまま遠ざかることを強く願った。けれどアイザックは何度か「ジャスティン様」と部屋の主の名前を呼びかけても返事がないと分かるや否や「入りますよ」と前置きして部屋へと踏み込んできたのだ。突然の訪問者に、ミューランの心拍数は急上昇する。
「花の香り……? 探していた香りが見つかったのか?」
スンスンと鼻をならしながらも、香りの元がオメガだとまでは気づかなかったようで「寝てるならメモ残しとけばいいだろ」と呟いて、何かを置いて部屋を去った。解放されなければ机を確認することは叶わないが、仕事関係の物を置いていったのだろう。どうやら恋仲ではないようだ。オメガのフェロモンにすら気づいてもらえないくせに、ホッと胸をなで下ろす自分が嫌になる。
「帰ろう」
どうせ待った所でジャスティンが起きるのは後数時間は先のこと。
起きた彼になんでまだいるのか? なんて聞かれては一夜の思い出すらもくすんでしまう。
身をよじりながらジャスティンの拘束を抜けだし、床に落ちた服を拾う。若干皺になってしまっているが、気にしたら負けだ。部屋をぐるりと見回し、メモ紙の束と思わしきものの一番上に「合格」とだけ残した。なんて上から目線なのか。書いているミューランですら呆れてしまう。けれどジャスティンとの間に、長い言葉など無用な気がしたのだ。
「さようなら」
全く起きる様子のないジャスティンに別れの挨拶を告げ、部屋を出る。
帰り道も分からないので適当に城を歩き回って、ようやく大事なことに気づいた。
「村までどうやって帰ろう……」
レイチェルはまだ城に残っているのだろうか?
すでに帰ってしまっているのなら乗り合い馬車で帰るしかないのだが、金がない。
兄達に借りるか?
だが宿泊は飛ばすにしても、王都から田舎の村まで帰るにはそこそこの金額を必要とする。
それに帰ったはずのミューランが王都にいるとすれば余計な心配をかけてしまうかもしれない。ただでさえ兄達には子どもとのことで心配をかけてしまっているのだ。それに新たな種を腹に抱えたまま、フェロモンを垂れ流していれば、他の相手ならいざ知らず兄達が気づかないはずがない。兄達の顔の焦った顔を想像して、背筋がゾッとした。
駄目だ。
兄達には事後報告する方向でいこう。
なぜまた隠していたのか! と怒られるだろうが、真っ青な顔で心配されるよりはマシだ。
以前の体調不良は妊娠ではなく薬の副作用だったようだし、つわりが来るまではまだまだ余裕があるーーよし、野生の食料を確保しながら徒歩で帰る方向で行こう。
少し時間はかかるが、野宿をすれば宿賃もかからない。フェロモンも顔も身体もパッとしない上、金目のものすら持っていないため、夜盗に狙われる心配もない。あるとすればストレス発散に暴力を振るわれるくらい。それくらいなら、木の上で寝ていれば回避出来ることだろう。
そうと決まれば目指すべきは門。
窓から見下ろして、高さを確認する。3階だ。近くの木に飛び移って下がればすぐに下に降りられるだろう。階段を探して歩き回るよりもずっと楽だ。窓から身を乗り出して木へ移り、スススッと地上に降りる。そしてそこから塀に沿って門を目指すつもりだった。
「ミューラン!?」
ーー兄達に発見されるまでは。
お日様はそろそろ真上に上がる時刻。
適当に降りた場所で二番目に会いたくない人物に遭遇するとは、どれだけ運がないのだろう。
頬を引きつらせながら、二人の兄と対峙する。
「に、兄さん……」
「なんでミューランがこんな所にいるんだ」
「ええっと……」
「何かあったのか!? まさかジャ「しいっ!」
兄の口をふさいで、ミューランは左右前後を確認する。
人の気配はない。だがこんな誰が聞いているか分からない所でジャスティンの名前を出すのは危険だ。
彼の思い人に昨晩の出来事が知られ、ぶつかる前から砕け散ったなんてことになったら目も当てられない。
これでミューランがジャスティンとの間で何かあったことは兄達にバレてしまったが、仕方ない。
「その名前は駄目だから」
ゆっくりと告げれば、兄はコクコクと首を小さく振ってくれる。
もう一人の兄にも視線を向ければ「分かった」と言葉を返してくれた。ようやくミューランは兄の口から手を離す。けれど兄達が了承してくれたのは『ジャスティンの名前を出さないことだけ』だった。
「俺達今日は昼で上がりだから。ミューランは先に部屋行ってて」
「……はい」
子どもを産んだことを隠していたためか、簡単に逃がしてくれるつもりはないらしい。
部屋への道順を丁寧に説明されたミューランはとぼとぼと兄達の部屋を目指した。昼間までに腹を括らねばならないと思うと、胃がキリキリと痛んだ。
宣言通り、正午を少し過ぎた辺りに二人は部屋へと戻ってきた。
荷物を起き、冷蔵庫からお茶を取り出してミューランの前に置いた。
わざわざ氷まで入れてくれるとはなんとも好待遇だ。カランと鳴った涼しげな音は長期戦になることを見越した開始のコングではないと思いたい。ゆらゆらとお茶の水面でたゆたう氷をじいっと見つめた。
覚悟を決めるようにすうっと息を吸い込んで、兄はミューランへと斬りかかる。
「それで、なんで村に帰ったはずのミューランが城にいるの?」
初めの一撃はミューランの想定通り。
だから二人が働いている間に唸りながら決めていた答えを口にする。
「レイチェル姉さんに誘われて……」
「レイチェル姉さんに?」
「帰ってからすぐに村長の所に行ったらレイチェル姉さんに会って、一緒に王都に行って欲しいって」
「理由は?」
「話して良いのか、レイチェル姉さんに確認を取らないと……」
レイチェルはオメガではない二人にとっても、偉大な存在だ。
彼女が関わっていると聞けば、うかつに踏み込んではこないだろうと踏んだのだ。実際、二人は「姉さんか……」と呟いてうんと頷いてくれた。
「なるほど。隠し事じゃなくて姉さんとの秘密なら仕方ない」
計画通り。
この先、突っ込まれたことを聞かれても『レイチェル姉さん』の名前を出して避け続ければ良い。
兄達に嘘を吐くのは心が痛むが、ミューランとてディーバルドの件はどこまで話して良いものなのか把握していない。どこかから漏れて~なんてことになったら大変だ。大事になる可能性があるから、兄達に言えないのも仕方のないこと。我ながら良い逃げ道を思いついたものだと、ミューランは心の中でにやりと笑った。けれど兄達はそんなミューランが進む道をいとも簡単に塞いで見せた。
「けど、なんでその姉さんと一緒じゃないのかは秘密じゃないよな?」
「それは……今、別行動をしていて」
言葉に詰まったが、なんとか兄の目を見つめて言葉を紡ぐ。
レイチェルがミューランを王都に連れてきたこととなんの関係もないが、嘘ではない。
けれど言い訳のように聞こえてしまったのか、兄達は「ふうん」と声を揃えて机に肘をつく。じっとりとした4つの瞳に、ミューランは思わず目を逸らしそうになってしまう。
「ミューランが言えないって言うんだったら、レイチェル姉さんに聞きに行ってもいいんだぞ」
「姉さん、まだ城にいるの?」
「ああ。さっき入浴セット運んでったばっかりだからな。今から姉さんの所行くか?」
まさか接触済みだったとは……。
レイチェル姉さんを盾に切り抜けようとしたのは間違いだったらしい。かといって他にジャスティンとの出来事を隠せそうなミノはなかったのだ。このまま押し通すしか方法はない。
背中に冷や汗を垂らしつつ、なんとか兄達とレイチェルがこれ以上接触をするのを避けられないかと頭をフル回転させる。
「……お風呂入っているとこを邪魔したら悪いだろ」
「フェロモンまき散らしながら歩いている弟の事情聞き出す以上に大事な風呂の時間なんてない」
「うっ」
だが兄達はミューランよりも1枚も2枚も上手だった。
ミューランと兄達の仲が良いことはレイチェルだってよく知っている。何があったと詰め寄られれば口を割ってしまう可能性が高い。それに兄達はミューランとジャスティンの間にあったことをざっくりではあるが把握している。必要とあればレイチェル相手にも打ち明け、だから情報が必要だと深く切り込むだろう。
唇を噛みながら、必死で打開策を考える。けれど何も浮かばない。フェロモンさえ消せていればまだごまかせただろうに……と悔やんだ所でもう遅い。
「あの人と何かあったってことはもう分かってるんだ。なるべく怒らないように気をつけるから話せる範囲で話してくれ」
優しく語りかける兄達はすでにミューランを丸め込みに入っている。
もうミューランに勝ち目などないのだ。それでも簡単に口を割る訳にはいかない。頬を膨らまし、最後の抵抗とばかりにふいっと顔を背ける。
「怒られるのが嫌なんじゃない」
「なら何が嫌なんだ?」
「兄さん達にこれ以上、心配をかけたくない」
「つまりミューランの隠し事は俺たちに心配をかけるような内容だ、と。今以上に心配になる内容なんて早々ある訳ないだろ」
すでに沢山の心配をかけてしまっていることくらい、ミューランだって理解している。
現在進行中でも心配をかけていることを分からないほど幼くはない。
負けを認めたミューランは肩を落として、少し迷ったように視線を彷徨わせてからようやく口を割った。
「……あの人とセックスした」
「……っそうか」
「今回は生まれる前に教えてくれてありがとうな」
「うん」
心配にならないと言った手前、衝撃的な事実を受け止めてくれた。そして悲しげに微笑みながら、ミューランの頭を優しく撫でてくれた。けれどもう一人の兄はそれだけで納得してはくれなかった。
「で、なんでミューランはあの場にいたんだ?」
初めからそんなことは分かりきっている。
知りたいのはそこじゃないとばかりに追求の手を緩めることはせず、早く口を割れと急かす。
「だからそれはレイチェル姉さんに連れてこられたから」
「俺が聞きたいのはそこじゃない。なんであの人と一緒にいないんだ。いや、忙しい人だから本人が連れ添えないのは仕方ないかもしれない。だが城に慣れないミューランを一人放り出すのはおかしいだろ」
「それは……」
「隠し事、まだあるんだな。ミューラン、ちゃんと話なさい」
受け止めてくれるのも、こうして深く追求してくるのも、どちらも兄達がミューランを思ってくれているからこそ。
腕組みをしてじいっと見つめる兄に、ミューランは短いため息を吐いた。
「あの人が寝ている所を抜け出してきた」
「なんで?」
「残る理由がなかったから」
ついっと目を逸らしてから、居心地悪い言葉を紡ぐ。
『ジャスティンの種馬診断のため』と告げなかったのは、ミューランがそれを口にしたくはなかったからというのもあるが、同時に彼の名誉を守るためでもあった。兄達が言いふらすとは思っていないが、それでもジャスティンがミューランを実験台のように扱ったと聞けば憤ることだろう。そんなことになれば、どこからかジャスティンの不名誉な噂が立ってしまうかもしれない。そこから本命の相手の耳に届いたら申し訳が立たない。だから詳しくは踏み込まなかった。
「理由がないから抜けてきたってそれはいくらなんでも酷すぎるだろ……」
「いくら可愛い弟でも擁護のしようがない……。もう目を覚ましているかもしれないが、今からでも帰ろう。風呂に入りたかったでも飲み物が欲しかったでも適当に理由でもつけて、さ」
「そうだな。俺らへの事情説明よりも相手の機嫌のが大事だ。相手があの人なら特に」
「別にいいよ」
「よかない!」
ミューランがちゃんと話さないせいで、兄達は不躾な行動を取っているのだと勘違いしたらしい。
一度目は強姦。二度目は未遂。そして三度目の正直で……とでも思っているのだろう。
だがミューランは三度目ですらちゃんとした方法で手を出して貰うことのない出来損ないなのだ。
どんなに残念でも、これが出来損ないが全力で頑張った結果なのだ。声を荒げる兄にふるふると首を振り「いいんだ」と繰り返す。
「俺の役目は済んだんだから。もう村に帰るんだ」
「役目って、レイチェル姉さんに連れてこられたことと関係あるのか?」
「それもある」
「そうか。ならやっぱり今から姉さんの元に行こう」
「なんでそうなるの!?」
ミューランは驚いて、勢いよく顔をあげた。
もういいって言ったのに!? これ以上掘り下げる所なんてないでしょう?
声に出さず、表情で必死に訴える。けれど兄達は二人揃って汗をかき始めたコップを放置して立ち上がった。
「姉さんと来たっていうなら足はあるから、金もろくに持ってきてないんだろ?」
「それはそうだけど……」
「ならどっちにせよ、姉さんの元に行かなきゃ帰りの手段がない。それに姉さんの元に行けば詳しい話が聞けるかもしれないし」
だな、と顔を合わせ、行くぞ~と声をかけながらドアへと向かっていく。
どうやら二人の中ではレイチェルの元に行くことは確定しているらしい。けれどミューランの中ではすでに帰りの方法は決まっているのだ。
「歩いて帰れる!」
時間はかかるけれど、誰にも迷惑をかけない最良の方法だ。
胸を張って主張すれば、ギロリと冷たい視線が突き刺さる。
「身ごもった弟を長距離歩かせろと?」
「身ごもったってまだ一日も経ってない!」
「日数は関係ないだろ。さぁ行くぞ」
「ううっ」
ミューランの主張も虚しく兄達に両側を挟まれ、腕を組まれた状態で連行されていく。
とてもよく似た三人が横に並んで、それも腕を組んだ状態で城を練り歩けば道行く人達が振り返る。けれどそんな視線にも慣れているのか、兄達が気にした様子もない。二人が気にすることはミューランが抵抗しないか・逃げ出さないかということだけ。曲がり角や階段にさしかかると二人揃って脇をキュッと締める。
「今さら逃げないよ」
呆れたミューランがそうこぼした所で「信用ならない」の一点張り。
逃げ出した先で出会ったから余計信用がないのだろう。しゅんと耳を垂らしながら、ミューランは兄達に挟まれながら足を進めるのだった。
三人で部屋のドアを叩けば、お風呂タイムが終わっていたらしいレイチェルはすぐに部屋の中へと案内してくれた。ソファでも仲良く三人で並んで座る姿が微笑ましいとばかりにふふふとおしとやかな笑みを浮かべる。けれど本当にレイチェルがおしとやかなだけの猫獣人ならばいきなり核心を突いてくることはないだろう。
「あら、今度はミューランも一緒なのねぇ。上手くいった?」
レイチェルだって意地悪で聞いている訳ではないのだろう。
どちらかといえば興味本位。お節介といった方がいいのかもしれない。
結果を聞かせてくれと微笑む彼女は妖艶なオメガではなく、近所のお姉さんの顔だった。
「うん、まぁ……」
視線を逸らしながら濁した返事をすれば、兄達は本題に踏み込んだ。
「レイチェル姉さん。ミューランは村に帰りたいんだって」
「上手くいったのにぃ?」
「上手くいったのに、逃げ出してきたんだと」
「逃げ出したんじゃない! ちゃんと終わったから帰るんだ!」
「だとさ。レイチェル姉さん、ミューランを送ってってくれない?」
兄達はミューランから真相を聞き出すために、レイチェルの元に連れてきたのではなかったのか?
両サイドの兄達の表情を伺ったが、どちらも至極真面目な表情をしていた。
本当にミューランを村に帰すことを望んでいるかのよう。二人の考えていることが分からずに首を捻る。
ミューランでは話にならないから、帰した後でゆっくりと聞けば良いと思っているのだろうか?
中途半端な情報が伝わることになるが、核心が知られなければいい。帰してくれるというのならば、話に乗っておくべきだろうと頭の中でそろばんを弾いた。けれどにっこりと笑ったレイチェルから返ってきたのはまさかのすげない言葉だった。
「無理」
「え?」
「私、ジャスティン様には恩を売りたくても、喧嘩を売りたくはないの。だからごめんなさいねぇ」
ミューランはジャスティンに協力したのであって、彼の機嫌を損ねるようなことはしていない……つもりだ。なのになぜ、ミューランを馬車に乗せることがジャスティンに喧嘩を売ることになるのだろうか?
レイチェルの言葉の真意をつかみ取ることが出来ないミューランは「そっか。姉さん、無理言ってごめんね」と席を立ち上がった。けれどすぐに両サイドから腕を引っ張られ、ストンとソファに尻を落とす。
「じゃあ姉さん、どんな方法がいいと思う?」
「そうねぇ、ジャスティン様に聞けばいいんじゃないかしら? あの人なら良い方法を教えてくれるはずよぉ」
「そうだよね!」
レイチェルの答えに、兄が勢いよく食いつく。
どうやら初めからこの選択に持ち込みたかったらしい。兄達は少し遠回りをしてでも、ミューランをジャスティンの元に向かわせたいらしい。
事情が分からない兄達としては、重要なポストに就いているジャスティンの機嫌を損ねたくないのだろう。
弟思いの彼らだが、城勤めで、恋人だっている。今後の未来に障害となり得る可能性は排除しておきたいのだろう。逃げ出すことばかり考えていたミューランだったが、必死な二人を前にして心を決めた。
「分かった、ジャスティン様に聞きに行ってみるよ」
三人は「それがいい!」と口を揃えた。
多数決になってもやはりミューランの負けだった。
レイチェルも加わった所で両サイドどころか背後まで包囲され、今度はジャスティンの部屋へと向かう。
どうやら仕事部屋ではなく、彼の自室の方に向かっているらしい。行きは視界を遮られていても、帰り道を探してふらふら彷徨っていたミューランは後少しという所まで来てやっと気づいた。仕事を運び込まれていたようだが、元々休暇を取っていたのだろうか? 休みの日なのに、仕事をするなんてよほどのワーカーホリックなのだろう。寝ていられるなら寝かせておいてやりたいと思うのは、ジャスティンの目のクマを思い出したから。薄くなったとはいえ、クマはクマ。兄達の手を引いて「やっぱり帰ろうよ」と提案したが、二人から応答はなし。唯一返ってきたのは背後から。
「逃げちゃ駄目よぉ」
耳元で囁かれた言葉は悪魔のよう。絵本に載っているような凶悪な面構えの悪魔ではなく、淫魔ーーサキュバスの方ではあるのだが。ベッドで同じことをされたら、きっと精魂果てるまで解放してもらうことは出来ないのだろう。変にレイチェル耐性なんてなければ、ベッドの外だろうが足腰に力が入らなくなっていただろうに……。性欲が急上昇することのないミューランは背中を押されて前へ前へと進むだけ。最後の抵抗すらもあえなく却下され、いよいよドアの前へと立った。
「ジャスティン様、今よろしいでしょうか?」
コンコンコンとドアを叩き、兄が部屋の主へと伺いを立てる。
どうせ返事なんて返ってこないだろう、とドアを見つめていたミューランだが、予想を裏切るように向こう側から声が返される。
「忙しい。後にしろ」
低く、地を這うような不機嫌な声だ。兄達は恐怖でビクッと身体を震わせる。
ちょうど眠りが浅くなっていたタイミングでドアが叩かれたのだろう。突然の訪問者にジャスティンがお怒りなのは想像にたやすい。だから帰ろうと言ったのに。ミューランにとってのジャスティンは数年前少しの間だけ仕事を手伝った間柄で、二度ほど身体を重ねた仲ではある。だが兄達とっての彼は重役の怖い人。機嫌を損ねたくないから連れてきたのに、それが仇となったのだ。けれどまだ名前が知られた訳ではない。このまま撤退すれば事なきを得ることが出来るかもしれない。小さく震える二つの手をぎゅっと握りしめて身体を反転させようとした時だった。レイチェルがすうっと息を吸い込んだ。
「ジャスティンさまぁ。お忙しいところ申し訳ないのですが、このままだとミューラン、村に帰っちゃいますよぉ?」
よりによってミューランの名前を出すなんて!
それもかなり大きな声で。詳しい事情を知らないとはいえ、なんてことをするんだ!
ミューランは「レイチェル姉さん!!」と背後の人物に怒りを向ける。
けれど当のレイチェルは一仕事終えたとばかりにいい顔をしている。
それどころか兄達二人の肩をトンと叩き「さぁ邪魔者は帰るわよぉ~、美味しいケーキでも食べましょ~」とさっさとこの場を後にしようとする。
「ミューランだと?」
その名前に反応して、部屋の主はゆっくりとドアを開く。
ドアに背を向けているミューランには彼がどんな表情をしているかは見えないが、地獄の主が這い上がってきたようなおどろおどろしい感覚は肌で感じている。さながら生け贄といったところなのだろう。首筋に鼻を当てられ、腹に手を回らされる。目に涙を溜めて兄達に救いを求めても、目を逸らされるだけ。ミューランは声をあげることもことも叶わぬまま、部屋へと引きずりこまれた。
落ちて、落ちて、落ちて。
どこか異世界に辿り着く童話があったなぁと記憶を辿る。
けれどミューランの辿り着く先は異なる世界でも、地獄。
断頭台に立たされ、首を切られる。最後に娘の顔を見たかったな……とゆっくりとまぶたを閉じた。
部屋の主から罪状を告げられる時を待つが、一向にそれがミューランに降り注ぐことはない。
未だに腹に手を回され、抱えられている。右側の肩には頭が乗せられ、見方によっては抱きしめられているように見えなくもない。けれど部屋には緊迫とした空気が張り詰めている。決して甘いものではない。地獄に来たのだから当たり前だ。腹を括ったミューランはゆっくりと目を開き、そしてジャスティンへ謝罪の言葉を告げる。
「すみませんでした」
「それは、何に対しての謝罪だ?」
「帰ってきてしまったこと。それとあの三人にあなたと俺が関わりがあると知られてしまったことに対するものです」
「……っ」
身を震わせるジャスティンに、ミューランは言葉を続ける。
「去り際すらもちゃんと出来なくて、出来損ないですみません」
「ミューランは出来損ないなんかじゃない」
「言い訳して、すみません。でも今度こそ、ちゃんと誰にもバレないように帰るので」
そう、所詮は出来損ないなんて言い訳にしかならない。
依頼を請け負ったのならば、しっかりと最後まで遂行する義務があった。報酬はすでにこの腹で受け取っているのだから。
今度は夜まで待って。人に見られないようにひっそりと城を、王都を出るから。
上手くやるから、どうか許してくれ。もう一度チャンスをくれと背を向けたまま懇願する。けれど背後の彼は許すも許さないも告げず、代わりにミューランに問いかけの言葉を投げた。
「お前は俺のことを優秀な種馬として認めてくれたんだよな?」
「はい。あなたは優秀な種の持ち主です。きっとどんな猫獣人でもあなたの種を欲することでしょう」
「他の奴らはどう思おうと関係ない。俺が聞きたいのはミューラン個人の意見だ。お前を孕ませる種の持ち主として、俺は合格したのか?」
ジャスティンという人は、全体どうこうよりもまずは一個人の意見を大事にするらしい。
大きな枠を見据えたことで、後々小さなほころびが生まれることを恐れているのだろう。城で重要な役職についている彼らしい慎重な判断だ。
だがミューランの意見など、所詮一人のオメガの感想でしかない。それもジャスティン以外の雄を知らない、残念なオメガの意見だ。何の参考にもならないだろう。どう伝えたものかと悩むミューランにジャスティンは「どうなんだ?」と答えを急かす。背後から圧を感じたミューランは仕方なく、感想を述べることにした。
「俺みたいなのにはもったいないほどの種でした」
だからきっとお相手も満足してくれることだろう、と。
まさかジャスティンはそれを聞くためにミューランを部屋へと引きずりこんだのだろうか?
ミューランには些細なことだが、彼にとっては重要事項らしい。
「とりあえず満足はしてもらえたんだな……」
ホッとした声を漏らし、ミューランの腹に回した腕に力がこもるのを感じた。
相手がどんな猫獣人なのか、些細な情報すらも持たないミューランだが、ジャスティンが臆病になるほど相手を大事にしているらしいということは嫌というほどに伝わってくる。
「番になってくれとは言わない。種馬としてで構わない。種馬として……次いつ会える?」
そんなにナカの具合が良かったのだろうか。
遠慮せずに出せる上に体温が感じることの出来る手軽な穴と思われたのかもしれない。
種さえ与えれば簡単に股を開く、馬鹿で貞操観念の低いオメガ。さらに見合いの参加者でないため、問題にもならない。こんなでも抱けると分かったので、顔やフェロモン・声を気にする必要もなくなったのだろう。
どこで選択肢を間違えたんだろう?
ディーバルドとだけ会ってさっさと帰れば良かったのに。
欲なんて出さねば、こんな惨めな思いをすることはなかったのに。
ああ、馬鹿だなぁ。
黒い渦が発生した胸をぎゅっと押さえて、ミューランは答えた。
「もう、あなたの種はいりません」
そう告げればミューランを押さえ込んでいた腕は力を失ったように緩んでいった。
「満足、させられてねぇじゃねえか」
ぼそりと呟かれた言葉にミューランは心が痛んだ。
ミューランが都合良く抱かれれば彼は自信を持つことが出来るかもしれない。
けれどミューランは愛した男よりも自分の心の安全を取ったーー壊れたくはなかった。
今度こそ別れを告げるためにゆっくりと立ち上がり、振り返る。
『さようなら』の5文字を発すればいいだけなのに、目が合ったジャスティンは捨てられた犬のようにミューランに救いを乞うているから。最後の最後でミューランの心は揺れ動く。そして迷った末、ミューランは絶対に聞いてはいけない質問を投げかけた。
「あなたの思い人ってどなたなんですか?」
「は?」
やっぱり聞かずに去るべきだった。
自分でもやってはいけない間違えを犯したことくらい分かってる。けれどそんな目で見るから、口が勝手に動いてしまったのだ。
「折角練習台になったんだから聞いておこうと思って。ああ、別に答えたくないならそれでも構いませんが」
ミューランはまくし立てるように話して「やっぱりいいです。誰でも俺には関係ないんで」と締めくくると、ドアノブへと手をかけた。
「ちょっと待て。俺は何度も愛していると言ったはずだが」
「予行練習かリップサービスですよね。わざわざ言われなくても分かってます。ただ興味本位で聞いただけなんでお気になさらず」
「なんでお前相手に予行練習しなきゃならねえんだよ!」
「あなたの思い人が猫獣人だからでしょう?」
「その思い人相手に予行練習なんてする馬鹿がいるか!」
「へ?」
「俺が好きなのはお前だ、ミューラン。金づるでも種馬でも、何でもいい。唯一でなくとも構わない。それでも俺はお前に必要とされたい」
それはまるでジャスティンの思い人はミューランのようではないか。
いや、そんなはずがない。期待をするなと脳内に速報を出しつつ、目の前の相手が嘘だと、冗談だと言ってくれることを願う。
「冗談、ですよね?」
「冗談言うような場面じゃねえだろ」
「だってあなたが俺を好きなんて……信じられない」
「それは俺が了承なく抱いて、子どもを産ませたことすら最近知ったようなクズだからか?」
「それは薬のせいです! 仕方のない、ことだったんです……。俺がベータならあなたの汚点にはならなかった」
「ベータでも、俺が無理矢理抱いた事実は変わらない」
「責任感で思われた所で嬉しくありません」
「責任感なんかじゃねえ!」
声を荒げるジャスティンだが、それが責任感でなければなんだと言うのだ。
薬に負けてミューランを抱いてしまった後悔が長くとどまり続けた結果、責任感と恋情を勘違いしてしまっているのだろう。そう思えば少しは楽になれるから。自分なりの逃げ道を作ることは否定しない。けれどそれに、すでに心の処理はついているミューランを巻き込まないで欲しい。いや、ミューランが余計なことを言わなければそこで終わりで済んだのだ。ああ、なんて厄介なことを言ってしまったのだろう。ミューランは頭を抱えながら、早く切り上げようとタイミングを探る。
「嘘なんて、気を遣って貰わなくても結構です。俺は身の程をわきまえてますし、昨日はその……ちょっと欲が溢れてしまっただけで……」
「その欲のはけ口が俺じゃ駄目なのか?」
「昨日なかなか勃たなかった人が何を……」
男性の尊厳を傷つけると分かっていても、話を切り上げられるのならそれでいい。
プライドをへし折りにかかったミューランに、想像通り、ジャスティンは顔を赤くした。
「何言ってるんだ。俺は初めからずっと我慢してた!」
「だから嘘はいいですって。媚薬がなかったんだから仕方のないことです」
「俺は薬がなければ勃たないようなインポじゃない」
そう、こうなることは計算済み。
「相手が俺だったから時間がかかっただけだって、俺だって分かってます」
相手が悪かっただけ。
仕方のないことなのだ。
ジャスティンは不能なんかではない、と宥めにかかる。
「何も分かってない! 俺が移動したのは少しでもお前に負担をかけないためで」
「おかげ様で足腰は随分と楽です。お心遣い感謝します」
「尻は?」
「そっちは少しアレですけど……」
「やっぱりもっと解すべきだったか。張り型を後数本用意しておくべきだったかもしれん。いや、そもそも途中理性を手放して尽くしきれなかったのが……」
このタイミングで反省会を開催するとはよほどの真面目らしい。
真の思い人には勃起しない男だと勘違いをされないよう、是非とも今回の経験を活かして欲しいところだ。
「反省点があるなら次に活かしてください」
「またチャンスをくれるのか!?」
「縁があればまた他の方とされることがあるでしょうね。クマがなくなって、少し話かけづらさがなくなれば、きっと声をかけてくる女性やオメガは多いでしょう」
「お前とでないならどうでもいい」
「そんなに俺のナカ、気持ち良かったんですか?」
「ナカだけじゃなく、ミューランは理性を飛ばすほど綺麗で、淫乱だった」
「それは……あ、ありがとうございます」
ベッド以外でもリップサービスをしてくれるとは、よほど昨晩の行為はためになったようだ。
ベッドの中での姿を褒められた所で今後誰かに疲労する機会はないのだが、今後は褒められる機会すらない。リップサービスだ、これも報酬の一部に過ぎないのだと自分に言い聞かせながらも、ミューランの頬はピンク色に染まっていく。
けれどすぐにジャスティンの言葉によって現実へと引き戻される。
「それで、お前はこれから家族の元に、男の元に帰るのか?」
長く続いた夢の時間ももう終わり。
これからレイチェルに馬車に乗せてもらうなり、歩いて帰るなりして村へと帰る。
兄達はジャスティンに相談しろと言っていたが、ミューランとて目の前に馬車代を借りるほど馬鹿ではない。
「女の子ですけどね」
「そうか、女と一緒になったのか」
「はい、本当に元気な女の子でいつも走り回ってますよ」
「快活な女なんだな」
「いつも男の子達の輪に入って、ズボンを汚して帰ってきます」
いつだって元気がありあまっている。
帰ったらどろんこの服が山積みになっているだろう。多めに着替えは用意してきたつもりだが、早く帰らなければ着替えがなくなってしまう。膝小僧の所がすり切れてしまっているだろうから、繕い物は夜の睡眠時間を削って。でもずっと洗濯と繕いものばかりしていたら、へそを曲げてしまうことだろう。ただでさえ予定よりも長い間家を開けてしまっているのだ。遊ぼうって背中にくっつかれたらちゃんと答えてあげなければーー。
『ミューラン!』と駆け寄ってくる娘を想像して、ふふふと声が漏れる。
夢の時間が終わってもミューランには楽しいことが沢山あるのだ。それに2年経てばお腹の子どもも生まれる。失恋ごときでくよくよしてはいられない。
ミューランが娘との生活に思いを馳せれば、ジャスティンは疑問をねじ込んでくる。
「……ん? ちょっと待て。妻の話だよな?」
「娘の話ですが?」
どうやらジャスティンとミューランの中では考えていることが違っていたらしい。
だが必ずしも『家族=夫・妻』と限定される訳でもないだろう。妻がいなくてもミューランはしっかりと彼女と家族になれているはずだ。
「ミューランの配偶者は」
「いません」
「だが俺の他に種を注いだ奴が……逃げたのか!?」
「そんな人、いませんよ」
「は?」
「今まで俺のナカに注いでくれたのはあなた一人です」
確かに猫獣人は複数の男性の種を同時に孕むことが出来る。
けれど複数の精を取り込むことが可能かどうかの話であって、一人の精さえあれば子を産むことは可能なのだ。
「それはつまり、俺には子どもの父親として入り込む隙があるということか?」
「村の子どもとして育てていますので、心配は不要です」
「くっ」
ジャスティンは悔しそうに奥歯を噛みしめる。
けれどミューランには、なぜ彼が何か理由をつけてでも責任を取ろうとするのか理解が出来ない。
いささか真面目という範疇を越えてしまっているようにも思えた。
「ですから責任感を感じていただかなくてもいいのです。何もなかったことにしていただければそれで、十分なのです」
「お前は俺に、この感情さえもなくせというのか……」
「はい」
ミューランはゆっくりと首を縦に振った。
足かせにしかならないのだったら早く捨ててくれ、と。
「それでは俺はこれで」
うなだれるジャスティンに今度こそ別れを告げ、ドアへと手をかけた。
けれどミューランが開けるよりも先にドンドンドンドンドンドンドンとリズムよくドアが叩かれた。よほど強い力なのだろう。ドアノブを伝って、ミューランにも衝撃が伝わってくる。ビクッと驚き、瞬時にその場から飛び退いた。けれど向こう側の人物はノックを止めようとはしない。
「ジャスティン、起きてるか~。後10秒で返事がなければ入るぞ~。駄目な時のみ返事しろ」
10・9・8・7とカウントが始まるが、ジャスティンがそれに答える様子はない。
話す内容から察するに、親しい仲なのだろう。そんな人に自分の姿を見られていいものだろうか? とミューランはキョロキョロと隠れ場所を探す。家具すらろくにないこの部屋に瞬時に隠れられるスペースなど、布団の中以外どこにもない。けれど布団の中に入れば、膨れた布団が何か誤解を生んでしまうかもしれない……と考えているうちにカウントダウンの終了を迎え、バンっと勢いよくドアが開かれる。
「おめでとう、ジャスティン!」
声の主は部屋へと入るやいなやジャスティンに祝いの言葉をかけ、ガラガラと何かをカートに乗せて進んでくる。
あれはケーキか? それも3段ケーキ。一番上に鎮座しているプレートには『祝・番』とチョコの文字で書かれている。どうやら深紅色の髪をした彼はジャスティンの番契約を祝いにやってきたらしい。
なんだ、番がいるんじゃないか。
部屋に一夜の相手がいるとは知らずに祝いにきたのだろう。
訪問者は真っ直ぐにジャスティンの方へと向かっているため、ミューランに気づく様子はない。
ドアは開いたまま。チャンスが出来たらそこからお暇することにしよう。ちらりと二人の様子を確認してから、ミューランは足音を立てずに二人の死角へと移動した。
「寝てんのか? 起きろ、ジャスティン。ケーキ持ってきたぞ!」
「いらん」
「なんでだよ。朝、お前の部屋で花の香りがしたって聞いたから、急いでお前の番祝いケーキ作って貰ったんだぞ?」
「いらん! 子どもらにでも食わせとけ」
「今日は妙に機嫌悪いな」
「放っておいてくれ」
「普段、お前には散々迷惑かけてんだ。そうはいかねえだろ」
「その俺がいいって言ってんだ!」
言い合いをする二人に、今がチャンスだと一歩踏み出した。
「そんなに怒ったら相手も怖がるだろ、なぁ、ミューラン」
「え?」
まるで初めから気づいていたかのようにミューランの位置を的確に捕らえて、視線を投げた。髪と同じ色の瞳と視線が交わり、ミューランは蛇に睨まれたカエルのように動けなくなる。
「ん、ミューランじゃなかったか?」
「いえ、ミューランですけど。なんでその名前……」
「こいつから聞き出したからな。それに俺、これでもパーティーの責任者なんだ。問題になった名前くらい把握している」
パーティーの責任者といえばレオンだ。
あの、人族と猫獣人の縁を結んだオメガ。猫獣人にとっての英雄だ。
兵士をしているとは聞いていたが、屈強な身体からアルファのような雄々しさを醸し出している。
まさか彼に名前を知られているとは……。
レオンに名前を知られるまで迷惑をかけてしまっていたとわかり、ミューランは血の気を失っていく。
「その節はご迷惑を……」
パーティーに参加させてもらいながら自衛を怠ったのはミューランの罪だ。
彼の功績を無に返してしまう可能性があったことに今になって気づいた。
部屋へ引きずり込まれた時の恐怖など小指の爪ほどしかなかったのだ、と身を震わせながら深く頭を下げる。
「いや、迷惑かけたのはジャスティンの方だ。俺にも大量に仕事投げた責任がある。悪かったな」
「いえ、そんな……」
「こんなんだけど、ジャスティンは良い奴だし、俺たちの子育てを手伝ってくれたことも一度や二度ではない。独り者歴も長いから、辛かったら家事や子育てを丸投げしても問題ない! もちろん俺達も先輩番として手伝うし」
レオンはミューランの手を包み込み「子育て頑張ろうな!」と笑いかけてくれる。
けれど彼は大きな勘違いをしているのだ。
かのレオンに意見するなんて、と迷ったがこのまま話を進める訳にもいかない。ミューランは視線を彷徨わせてから、腹を決めて彼へと事実を告げた。
「お言葉ですがレオン様。俺は彼の番ではありません」
「は?」
「俺は、その……村へ帰るための相談をしてこいと兄達に言われて、たまたまこの部屋にいただけで」
「そうか……。大事な所を邪魔したな」
「邪魔なんてそんな! ちょうど帰る所でしたので、俺のことは気にせずにどうぞお祝いをなさってください」
レオンを前にすれば、ミューランの帰りなんて些細な問題だ。
猫獣人は人族ほど柔な身体はしていない。馬車なんてなくとも、歩いて帰ればいいだけだ。
「では失礼しました」と今度こそ堂々と部屋から出ようとすると「待て待て待て待て」と何やら焦った様子のレオンに肩を掴まれる。
「どうなさいましたか?」
「確認しておきたいことがあるんだが」
「なんでしょう?」
「今朝、というか昨晩の相手はミューランだったんだよな?」
「……はい」
少し迷って、こくりと頷いた。
本当は隠すべきなのかもしれないが、猫獣人のオメガである以上、レオンに嘘を吐くことは出来なかったのだ。レオンはまるで後方確認でも済ませるかのように「よし」と頷くと、今度はジャスティンへと確認作業を移す。
「ジャスティン、お前、他に番がいる訳じゃないんだよな」
「当たり前だろ! 俺が惚れたのは後にも先にもミューランだけだ! レオンさんも知ってるだろ」
「ああ。俺はな」
そして先ほどと同じように「よし」と小さく頷くと、再び視線をミューランへと戻した。
「強制するつもりはないし、最後は当人同士の問題なんだが、ミューランさえよければジャスティンとのこと、本気で考えてはくれないか?」
「でも……」
「あいつはもう数年単位で片思いを拗らせてるし、今までの経験上他に目を向けることもない。安心してじっくり考えてくれ。じゃあ、このケーキは子ども達と一緒に食うか。番記念でも失恋記念でも必要になったらその時はまた用意するから」
悩むミューランの肩をぽんと叩き、良い笑顔でそう告げる。
そしてケーキを乗せたカートをガラガラと音を立てながら回収していった。
ジャスティンと二人で残されたミューランの頭は混乱していた。
なにせジャスティンはレオンにも「ミューランだけだ」と言ってのけたのだ。
ミューランを宥めるために言うのとでは重みが全く違う。なのに迷わず告げたということはつまり自分は盛大な勘違いをしていたということになる。
恥ずかしさで顔が赤く染まったミューランだったが、自分の失態に血の気が抜けていくのを感じた。
あわあわと混乱し、百面相を繰り広げる顔を両手で押さえる。
「ミューラン?」
そんな姿を不思議に思ったのか、ジャスティンが心配そうに声をかけてくれる。けれど今のミューランはまともに彼と顔を合わせられそうもない。恥ずかしくて、顔を隠すようにその場にしゃがみこんだ。それを体調不良と勘違いしたジャスティンはミューランの元へと駆け寄り、背中をさする。
「大丈夫か!? 待ってろ! 今、医者を呼ぶ!」
急いで部屋を出ようとするジャスティンの裾を押さえて「大丈夫ですから!」と叫ぶ。
こんなことで医者を呼ばれては末代までの恥だ。
「だが……」
赤いのか白いのか分からぬ顔を俯けながら、戸惑うジャスティンに大丈夫ですと繰り返す。
「ただ、ちょっと頭が混乱してるだけで」
「レオンさんの仕業か!」
「違う! とも言い切れないんですが……」
「はっきりしないな」
「その……確認なんですけど」
「なんだ?」
「俺のこと好きって本当ですか?」
言ってから、ぶわっと顔面に熱が集まるのを感じた。
まさか自分がこんな台詞を吐く日がこようとは想像もしていなかったのだから。
俯いていたため、ジャスティンに顔を見られていない分まだマシだ。彼の裾から手を離した。
けれど聞かれた方は恥ずかしいこととは思っていないようで「そうだが、それが何か関係あるのか?」と不思議そうな声を返す。だから余計に恥ずかしくなる。穴があったら入りたいミューランは両手で顔を覆った。
「本当に大丈夫か!?」
「大丈夫、大丈夫なので少し放っておいてください」
「出来る訳ないだろ。医者を呼ぶなと言うなら、医者の元へ運ぶのはいいんだな」
「え?」
ミューランの返答も聞かずに、ジャスティンはひょいっと横抱きにして城内を闊歩する。
降ろしてくれと訴えた所で、いいや医者に見せると言って聞いてはくれなかった。おかげでミューランは年老いた宮廷医師の前で勘違いを告白しなければならなかった。
「まさか両思いだなんて思わなかったんです!」ーーと。
ジャスティンはミューランを抱きしめ「愛している」と繰り返す。
医師は髭を弄りながら「恋の病か。治って良かったな」とだけ告げて、ミューランとジャスティンを追い出した。
部屋へと戻り、首輪を外す。
ミューランの首は綺麗なまま。
今からここにジャスティンの痕が残るのだ。
誰かと番になるなんて想像もしていなかったミューランは、首筋を撫でた。
「いいのか、俺が番で」
「あなたが嫌なら別にいいですけど……」
「嫌な訳ないだろ!」
「なら俺は構いません」
「優しくする」
「優しくなくてもいいです。あなたの好きにしてください」
ベッドの上で、愛する男へと両腕を伸ばす。
ジャスティンの首に手を回して身を委ねる。
ミューランから煽られ、スイッチの入ったジャスティンは凶器のようなペニスで容赦なく奥を突き、達すると同時に首を噛んだ。
「俺たち、番になったんですね」
「ああ」
「って、ジャスティン様。なんでまた勃って……」
「まだまだ足りないだろ」
これで番契約は終わりーーなのだが、発情したアルファがそう簡単に止まれるはずもない。
ただでさえ思いを通じ合わせたと思ったら、相手は次の朝には姿を消していたのだから。ジャスティンはあの夜、ミューランの言葉をしっかりと聞いていた。だからこそ、番になったからといって逃がしてやるつもりはなかった。あんあんと猫のように鳴くオメガが可愛くて、戸惑うミューランの背中を抱えて何度も雄を打ち付けた。
随分と長い睡眠を取ったジャスティンに睡魔が襲ってくるはずもなく、ミューランは日が暮れても、夜が明けても解放されることはなかった。
「いやぁ凄いな」
「……レ、レオン様」
何度か気を失ったミューランが解放されたのは、3日が過ぎた時のことだった。
行為が終わったからといってジャスティンがミューランを手放すはずもなく、腕にすっぽりと収められたまま。明らかに『事後』な体勢が恥ずかしくて身をよじるも、ジャスティンの腕に隙間などなかった。
「あ、起こしちゃったか。悪いな」
「いえ! こんな格好で申し訳ありません」
「気にするなって。寝てていいぞ。今日はこれ届けに来ただけだから」
レオンはひらひらと一枚の紙を見せると「ここ置いておくな」とだけ告げて部屋から出て行ってしまった。
なんの紙なのだろう?
仕事関連だろうか?
ジャスティンが起きたら伝えなければと考えたのが、相手に伝わったのか、頭上からううんと声が漏れてくる。
「ジャスティン様」
「んっ、起きてたのか」
「俺も今起きたばかりで。あ、今、レオン様が来て紙を置いていきました」
「紙?」
「はい。置いておくって」
そこに、と指を指すと、ジャスティンはふわぁとあくびをしながら机へと向かった。
「さすがレオンさん、仕事が早い」
うっすらと生えた髭を弄りながら、嬉しそうに笑った。仕事関係で良い報告でもあったのだろう。ミューランも嬉しくなって笑みを零せば、来い来いと手招きをされる。ベッドから抜けだし、トトトと駆け寄ったミューランが見せられたのは一通の書類だった。
「必要事項はあらかた記入が済んでいる。後は俺とお前のサインだけだ」
『番契約書』ーーその名の通り、番になるアルファとオメガに渡されるもの。結婚証明のようなもので、提出することで国にも番であることを認められ、各種保険や保証が受けられるようになる。
慣れた手つきでさらさらとサインをしたジャスティンに「ほら」とペンを差し出され、彼の名前の隣にミューランもサインを残した。
ーーこうして番になった二人だがそれからが大変だった。
兄達に報告し、村に帰って村長へと報告。
村の子どもということになっている娘はどうすべきかと話し合い、結局は本人に選択を委ねることにした。
「俺は番になった人の元に行くけど……」
ついてきてくれるか? と聞けない代わりにミューラン達の両親の子どもになるかと尋ねた。
けれど彼女はブンブンと首を振り、そしてミューランを真っ直ぐと見据えた。
「ミューランと行く」
「うん。一緒に行こう」
荷造りを済ませ、娘と共に王都へと向かった。
荷物はレイチェルが馬車を出してくれた。
「これくらいお安いごようよぉ」と笑ったレイチェルは馬車の中で、娘が眠ったのを確認してからディーバルドの処遇を話してくれた。
彼の協力によって騒動が終結に向かっていることや彼の生まれと村での扱いを考慮し、彼は数年間の監視と王都拘束の罪だけで済んだらしい。監視がなくなっても、王都から出ることは叶わないらしいが、彼はあっさりと受け入れたのだという。どうやらミューランと話したことでオメガへの執着だけでなく村への執着も消え去ったようだった。彼がミューランに相手を自慢しに来る日もそう遠くはないだろう。それよりも先に、ミューランがジャスティンと娘、そして腹の子どもを紹介しに行くことになるのだが。
ミューラン達が村に帰っていた間、ジャスティンはずっと長い間放置していたのだという、陛下から賜った屋敷を片付けてくれていた。そこへと到着し、娘にジャスティンを紹介しようとした時、事件は起きた。
目線を合わせ、これからよろしくと手を出したジャスティンに娘は見事なまでの右フックを決めたのだ。
子どもの力なのでさほど痛くはないのだろうが、突然のことにジャスティンは目を白黒とさせている。ミューランは慌てて娘を回収したが、彼女は拳を固めたままジャスティンに宣言した。
「今日はこれで許すけど、今度泣かせたらただじゃおかないから」
ミューランは一度だって娘の前で泣いたことないし、ジャスティンの名前だって出していない。
けれど彼女は迷いなくミューランのためを思って拳を振るった。
「もう泣かせないと誓おう」
「ならいい!」
一体どこまで知っているのだろう?
いつの間にか立派になった娘の頭を見下ろしながら、同時に末恐ろしさを感じた。
けれど彼女はこれっきりジャスティンに殴りかかることはなく、案外すんなりと王都の生活へと馴染んでいった。
時が経ち、ミューランは無事に元気な男の子を出産した。
ジャスティンが気を紛らわすためにと大量に抱えていた仕事も少しずつ通常量へと戻り、レオンは宣言通り先輩としていろいろと世話を焼いてくれた。娘は兄夫婦が面倒を見てくれたり、気づけば王都で出来た友人と遊びに出かけたりしている。特にレオンの子ども達と仲が良いらしい。模擬剣を数本抱えた彼らが「お嬢いますか?」なんて呼びに来た時は目を丸くしたが、拳の語り合いでどうにかした訳ではないらしいのでミューランは見守ることにした。
もちろんジャスティンも育児・家事ともに積極的に働いてくれている。
ディーバルドはジャスティンと一緒に歩くミューランを見かける度に「幸せそうだね」と綺麗な顔をこれでもかと歪ませるが、彼も彼で監視役のアルファと良い雰囲気になっているのをミューランは知っている。いや、おそらく誰もが知っていることだろう。まるで自分の物だと主張するようにいつも腰に手を回している監視役の目は人族でありながら、どこか野生の獣のような執着を見せているのだから気づかないはずがない。それにいろいろとかわいげのない言葉を返しながらも受け入れているのだから幸せなのはディーバルドも同じだろう。
「ミューラン、花冠作ったからあげる~」
駆け寄ってきた娘の手で花冠を頭に乗せてもらい、彼女の頭には手を乗せる。
ありがとうとお礼を告げて、髪を梳くように撫でれば嬉しそうに笑った。
「似合ってる」
後ろから手を回して抱きしめてくれるジャスティン。
昼夜問わずにスキンシップを取ってくるのは、ちょっと恥ずかしい時もあるが愛されているのだと実感する。
ミューランは相変わらず平凡で、ジャスティンと番になってからもベータに間違われることも少なくはない。
けれど自分を出来損ないと感じることはなくなった。
おとぎ話ようにとはいかずとも、ミューランには愛する番と家族がいるのだから。
窓から差し込む朝日に、ミューランは深く息を吐き出した。
涙が枯れるまで泣いたのは初めてだった。
幼い頃から誰かに選ばれるなんてあり得ないと理解していたのに、こんなに泣きじゃくるなんて自分でも意外だった。
ローブのフードをすっぽりと被り、顔を隠してコソコソと受付へと向かう。
お湯を桶二杯分購入し、部屋へと戻ってタオルを浸す。絞ったタオルを顔に押しつけ、そのまましばらく押さえ続ける。本当は蒸しタオルがいいのだろうが、そんなものを用意出来る状況ではない。少しでも腫れが引いてくれればと願いながら、一度離してお湯に漬けてを繰り返す。何往復もすれば心なしか目元からは腫れと熱が引いたように思えた。顔全体の温度が上昇したからそんな気がするのかもしれないが、ミューランにとっては少しでも良くなったという事実が大切だった。
どうせ村に着く頃には引いているのだ。
ならば外に出ても不審に思われない程度でいい。とはいえ、完全に泣いた跡が消えた訳ではない。まぶたは腫れたままで何かあったのは歴然だ。けれど幸運にも今回の旅はミューラン一人。俯きがちに馬車に乗り込み、背中を丸めながら身体の前で膨れたバッグを抱え込んでしまえば声をかけられることもない。ミューランはその体勢を維持したままほぼ丸一日馬車に揺られ続けた。途中で宿でも取ろうかと考えたが、長い間留守にしては娘が可哀想だ。眠い目をこすりながら馬車を降り、バッグを背負ったまま村長の家へと向かった。
「ミューランです。ただいま帰りました」
入室許可を得たミューランは深く頭を下げて、村長室へと入った。
けれど出迎えてくれたのは皺の増えてきた村長ではなく、壊れてしまいそうなほど繊細な人形のように美しい女性だった。腰まで伸びた髪は絹のよう。ふわりと揺れればオメガ特有の香りが部屋中に舞う。すでに番を見つけた彼女の香りがあふれ出るはずがないと知りながら、甘美な香りに思わず勘違いをしてしまいそうになる。
「おかえりなさい、ミューラン。ひさしぶりねぇ」
艶のある声に魅了される男性やアルファは多いのだろう。実際、オメガであるはずのミューランも惚けそうになってしまうほどに美しい。けれどミューランが彼女に恋慕することはない。あるのは尊敬だけ。
「レイチェル姉さん。帰ってきてたんですか?」
「ミューランと少しお話がしたくて、旦那様に連れてきてもらったのよぉ」
「俺と?」
レイチェルは村長の娘だ。
年がかなり離れており、ミューランが物心をついた時にはすでに村の掟に従って村の外へと出ていた。
『優れた種』を孕むために。
10年間の猶予を持ちながら、彼女はたった一年と経たずに村へと戻った。
彼女の話によれば100人の男に抱かれたらしかった。そして2年後に3人の子どもを産んだ。今は全員、レイチェルの番であるとある公爵の子どもとして村の外で育てられている。公爵は猫獣人の風習に非常に理解がある方らしく、こうしてレイチェルが村へと帰ることを許している。村長とは手紙のやりとりをする仲でもあり、ミューランが手紙の仕分け作業をしている時に度々公爵家の封蝋を目にしている。
非常に気の良い方であるということは村長からも聞かされており、レイチェルとは彼女が帰省した際に何度か会話をかわしている。けれどレイチェルとミューランと会話をするために帰省するような仲ではないし、そんな理由で公爵が帰省を許可するとも考えづらかった。となれば、公爵が許可をするような『何か』があるということ。そもそも村長室なのに村長が不在で、レイチェルが椅子に腰をかけているのも妙だ。まるで何か人に聞かれたくない話をするためにミューランを待機していたかのようだ。
「そう。ねぇミューラン、いい話と悪い話どっちが聞きたぁい?」
赤く熟れた唇に指を這わせながら、レイチェルは微笑む。
普通の男なら興奮しそうな仕草に、ミューランの背中には冷たい汗が伝う。目の前の美しい女性が、レイチェルの姿を借りた地獄からの使いにしか見えなかった。逃げ出せるのならば、とっくに逃げ出している。けれど足が床に固定されてしまったように動かないのだ。
いつの間にか村長室は処刑台にでも変わってしまったのだろうか?
せめてもの抵抗として目線を逸らしつつ、早く解放されることを願いながら言葉を返す。
「急ですね……なら、いい話を」
「あなたを抱いた人物が見つかったわ」
「そう、ですか」
見つかった、なんてずっと探していたみたいじゃないか。
ミューランは王都でジャスティンと再会するまで終わったことにしていたのに、なぜ探すなんて余計なことをしていたのだろうか。それも村を出たレイチェルが。ただでさえあの期間の城は普段よりもずっと多くの人で溢れていた。相手を特定するなんて手間でしかないだろう。
なのになぜ?
疑問を抱きつつも、その一件が数日前に完全に蹴りがついたことに変わりはない。『いい話』でもなんでもない。掘り返さないで欲しい。つっと視線を右下に下げれば意外な反応だったのか、レイチェルは小さく首を傾げた。
「あら、意外な反応ね。もしかして王都で何かあったのかしらん?」
「ええ、まぁ……」
首を掻けば、爪の間にじっとりとした汗が入り込む。
気持ちが悪い。その手を服の裾へと伸ばしてぐしゃりと掴んだ。
「な~んだ、つまんないの。でもきっと、悪い話の方は知らないはずよぉ。私と旦那様が何年もかけてやっと見つけ出したんだから」
それが今後自分の身に降りかかる可能性があるなら、聞かない訳にはいかなかった。
嫌だと、逃げろと危険信号を出してくる頭を無視して、小さく「教えてください」と言葉を絞り出す。すると彼女は目を細め、口角を少しだけ上げた。化け猫のような、気味の悪い笑みだ。悪い話にぴったりな仮面のような表情に、身体中の毛が逆立った。
「ジャスティン様があなたを抱いたのはね、媚薬を盛られたからよ。いえ、彼だけではなくあなたも。あの日あなたたちが呑んだ酒の中に大量の、それこそ常人なら気が狂うほどの薬を盛られていたの」
「……っ」
ミューランにとって、自分に媚薬を盛られていたという事実はさほど重要ではなかった。
それよりもジャスティンが、ミューランを欲してくれたからではなく薬に犯されていたから手を出した、という事実こそが鋭いナイフのように突き刺さる。深く突き刺されたそれは、ドアハンドルを回すようにぐるりと回転しながら、ミューランの胸をえぐっていく。
「もう何年も前からそれらしい被害者がいたの。オメガとアルファが数組。それが今回、ミューランのおかげで捕まえられた」
ミューランは抱かれただけ。
それこそ性欲発散に使われただけだ。
こんなでもオメガで、欲情すれば自然と尻が濡れる。媚薬を盛られていたのにぐっすりと寝こけて、ろくに抵抗もしない。楽に挿入出来ただろう。これ以上ない絶好の穴だったに違いない。
そうだ。ジャスティンは強姦を犯したのではない。ただ目の前の穴で竿を擦っただけ。彼が罪悪感を抱くことなんてないのだ。
何も出来なかった自分に苛立ちを覚え、爪をたてて拳を固める。
「なんで? 俺、何もしてないじゃん」
「王都から帰ってきてしばらくして、体調を崩したでしょう。先生からその話を聞いて、ミューランの血液を送ってもらったの。通常、被害者の多くは数日と経たずに体内から形跡を消すわ。だからミューランは特例中の特例」
「俺が、オメガとして劣っているから?」
「たまたま体質的に合わなかったんじゃないかしら? 理由はなんにせよ、私達には幸運以外の何者でもないわ。これで人間と猫獣人の間に狭間が出来ようとも……ね」
「どういうこと?」
「人族と猫獣人のどちらもがこの件に関与していたの。ディーバルドってベータの猫獣人知っているかしらん?」
『ディーバルド』ーーこの数年で何度も耳にした名前だ。
「数年前のパーティーで姿を消したベータ」
彼さえ運営仕事を続けていれば、ミューランがジャスティンの子を孕むことはなかった。
顔も声も知らない。出身の村さえも知らない。
ミューランが知っているのは彼の名前と、猫獣人のベータだということだけ。
ある意味、この一件で一番のお騒がせ者だ。
まさかここでも関わってくるのか。
ミューランは眉間に皺がぎゅっと寄るのを感じた。目の前の人物に不快な思いをさせてしまうかもしれないが、すぐに指で伸ばすようなことはしない。
「ディーバルドは、何したの?」
声には隠すことが出来なかった怒りが乗り、ミューランの声はいつもよりも2段階ほど下がっている。
けれどレイチェルはそれも仕方ないことだと受け入れ、そして窓の外を眺めた。
「彼ねぇ『ミューラン』って名前で組織に所属していたの」
「え?」
「優秀な種を注がれ続ければオメガになれると信じていたらしくてねぇ。種を注いで貰う交換条件として、パーティー期間を中心に様々なものに薬を盛っていた。なんて言えば聞こえはいいけれど、所詮は昼も夜もよく働く穴程度にしか思われていなかったみたいよぉ」
「そう……」
『ミューラン』の名前を使ったのはただ都合が良かっただけか、それともオメガになりたいという願望こそがオメガであるミューランの名前を名乗らせたのか。
どちらにしてもミューランとしては複雑だ。
ミューランは子どもの頃から度々ベータなら良かったと思ってしまっていたのだから。
ズンと気を落としたミューランは名前を使われていたことを不快に思ったと勘違いしたらしいレイチェルは、目尻を下げ「ごめんなさいね」と呟いた。彼女も本当はこんなことを告げるつもりはなかったのかもしれない。美しいだけではなく、ミューランよりもずっと賢い彼女のことだ。おそらく、告げなければならない理由があるのだろう。ミューランは顔を上げ、話を進めてくれという気持ちを込めてレイチェルを見つめる。
「中にはジャスティン様のように狙って、定期的に盛られていた人もいるみたいだけど、あの人の精神力の強さは群を抜いているわ。誰かに手を出したのはたったの一度だけ。それ以外は睡眠を取らないことで、欲に支配されるのを押さえ続けていたんだから。一日1時間にも満たない睡眠で激務をこなし続けるなんて普通なら出来るはずもないわ。まぁこの前ついに倒れたらしいけど。今、人族の方には旦那様が報告に向かっているわ。時期に猫獣人と人族の関係について話し合いがなされることでしょう。良かったわね、子どもが出来て」
「え?」
「人族との関係が断絶されれば、以前よりもずっと猫獣人族は子孫繁栄への固執を強くするはずよ」
レオンさんが縁を取り持つまで、猫獣人とってオメガは子を産むための母胎であった。
優れた種をもらえたオメガは優遇され、そうでなければ人として見られることすらない。
ミューランが幼い頃にはすでにその風習がなくなりかけていたため詳しくは知らないが、話で聞いた限り、劣ったオメガの行く末は地獄だった。村中のアルファに頭を下げて種を注いでもらう。罵られても、傷つけられても種を貰うまで頭を下げ続けなければならない。ようやく子を孕んだ所で、そこから辿る道さえも分岐が存在して、最悪、道具に成り下がる。迷惑料として村に金を入れるために人に売られていくのだ。
けれど今のミューランにその心配はない。
少しやんちゃな娘だが、相手がジャスティンならば種は一流なのだから。
だが人族と縁を結ぼうとしている兄達はどうなるのだろうか?
いくらベータとはいえ、ディーバルドのようなベータがいないとは限らない。
むしろ今回ベータが加わっていたことにより、元々猫獣人と人族が恐れていた『発情したオメガが誰彼構わず襲うこと』よりもずっと悪い事態になったと言えるだろう。猫獣人全体を敵視されては以前のように村を出て種を貰うことすら困難になるはずだ。
「でねぇ、ミューラン。お願いなんだけどぉ、今から私と一緒に王都に行ってくれないかしら?」
「え?」
「猫獣人としても、人族としても、せっかく結ばれた縁をなかったことにするのはもったいないと思うの」
その言葉で、ようやくレイチェルが村にやってきた理由に合点がいった。
彼女は『薬を盛られたオメガ』に用事があったのだ。
ミューランの証言が必要だというのなら、猫獣人として参加せざるを得ない。
「俺でよければ」
にこりと笑えば、レイチェルはほっとしたように胸をなで下ろした。
レイチェルの馬車に乗り、王都へと向かう。
ミューランが乗っていたような乗り合い馬車とはまるで乗り心地が違う。さすがは公爵家。椅子はふかふかのソファで、窓にはカーテンがついている。物の価値、特に高級品についてはトンと教養のないミューランには分からないのだが、キラキラとした窓ガラスだけでもそこそこのお値段がするのだろう。そう思うと窓枠や、馬車に乗り込むための台すらも目が飛び出るほどの価格がするのではないか? と思えてならない。広い馬車で、なるべく物に触れないよう、真ん中でちょこんと縮こまって座る。車体はカタカタと小さく揺れるが、ミューランは極力動かないように心掛けていた。まるで置物にでもなってしまったかのよう。一方で、一緒に馬車に乗るレイチェルは堂々としたたたずまいだ。
「もっと楽にしても大丈夫よぉ」
レイチェルの言葉にミューランは小さく左右に首を振った。
レイチェルからすれば何度も乗っている馬車で、怯えるなんて馬鹿らしいかもしれない。けれどミューランは本気で馬車に傷をつけることを恐れていた。
「困ったわねぇ。王都までは休憩をほとんど挟むつもりはないのだけど、この様子じゃあ王都に着いた頃にはヘロヘロになってしまうわぁ」
「大丈夫です! 頑張りますので!」
「でもミューラン。到着して、すぐにあなたにはディーバルドに会ってもらう予定なの」
「ディーバルドに?」
「あの子、ミューランにならすんなり口を割ると思うのよねぇ」
「ということは俺は証言者としてではなく、ディーバルドに詳しいことを語らせるために呼ばれたんですか!?」
「そうよぉ。ミューランには申し訳ないけれど、しばらく汚い言葉を浴びせられると思うわ。だから少しでもそれまでの負担は軽減させてあげないと……」
ミューランとディーバルドは今まで一度も顔を合わせていない。
ミューラン側は『ディーバルド』と間違われていたから名前を知っているのであって、彼がどこで『ミューラン』の名前を知ったのかさえも不明のまま。
なのに『汚い言葉を浴びせられると思う』とは……嫌な予感しかしない。
ミューランが顔を歪めれば、レイチェルもこうなることが初めから分かっていたようで「後出しでごめんなさいねぇ。でも言ったらミューランは馬車に乗ってくれなかったでしょう?」といたずらを責められる子どものように上目遣いで許しを乞うた。ミューランが同じことをしても怒られるだけなのだろうが、レイチェルがすれば庇護欲がそそられる。村に返してくれ! との言葉はすっぽりと胸から転げ落ちてしまう。どう頑張った所で、ミューランはレイチェルに逆らえないのだ。
ディーバルドになぜか敵視? されているミューランが出来る事と言えば、王都に行く前に少しだけ心の準備をしておくことだけ。
「なぜディーバルドは俺のことを嫌っているのか教えて貰ってもいいですか?」
「ただの八つ当たりよ」
「え?」
「オメガになれなかった彼が当たる相手はオメガなら誰でもいいの。ただその矛先が、たまたま王都で出会ったミューランに向いただけ」
「それはなんとも……」
「勝手な話よね。まぁ完全に同情の余地がないかと言われれば困っちゃうんだけど」
「何かあるんですか?」
困ったように目線を下げるレイチェルに、ミューランは首を傾げた。
彼女は少し迷ったように頬を撫で、天井を見つめた。けれど「ミューランには協力して貰うんだから、話さないのは卑怯よね……」と小さく呟いてからディーバルドの過去を語ってくれた。
ディーバルドは凄く顔がいいらしい。
すれ違った人はほとんど振り返るほどの美人だとレイチェルさんは彼の容姿を絶賛した。
そして、初め見た時は本当にオメガだと思ったのだとも。
実際、彼の村の誰もが彼をオメガと信じて疑わなかったらしい。
子どもの頃から蝶よ花よと育てられ、将来は番になろうと約束していたアルファもいたそうだ。けれどバース性の診断は残酷にも彼が『ベータ』であると示した。認められなかったディーバルド達はその後、何度も検査を繰り返したらしい。けれど診断が変わることはなかった。彼はベータだったのだ。そんなことがあるのだろうか? と疑わないのは、地味顔で香りの薄いミューランがオメガであるという例があるから。いわばミューランとディーバルドは真逆の状況にあったのだ。
けれど真逆だったのは性別や顔だけではない。
ディーバルドの村はアルファとオメガが優遇される場所といえば聞こえはいいが、ベータには住みにくい場所らしい。一生村に縛られ、酷使される。彼らの村は人族とのお見合いパーティーに参加しているものの、開催される前と今とであまり状況が変わらないどころか、バース性格差が以前にもましてひどくなったのだという。道具のように、たまにでも手入れされるだけでもいい方なのだと。ミューランが出来損ないでも普通に接してくれた村人達とは大違いだ。一生が約束されたと思った場所から一気に転げ落ちたディーバルドはオメガという性に執着するようになった。
「だからあの子はオメガが憎くて憎くてたまらないの」
レイチェルはそう締めくくった。
自分とディーバルドが出会うのは運命だったのではないだろうか?
ミューランは膝の上で拳を固めながら、ディーバルドとの出逢いに向けて精神を統一する。
たくさんの罵声を浴びせられることだろう。
おそらくレイチェルが想像しているよりもずっと多くの汚い言葉の数々を、ディーバルドは迷いなくミューランの首筋に突きつける。
けれどミューランはそれを抵抗せずに受け入れなければならない。
神のいたずらに巻き込まれてしまった相棒に、ミューランがしてやれることなんてこれくらいしかないのだから。
ほぼ2日かけて王都に到着し、すぐに拘束されたディーバルドと対面した。
レイチェルが言っていた通り、美しい男だ。
レイチェルが妖艶な人形ならば、彼は愛らしい天使のようだ。
ふわっとした金色の髪も、くりっとした透き通った青の瞳も。傷一つない手足でさえも、神の加護を一心に受けているようにしか見えない。レイチェルがオメガと間違えたのも無理はないだろう。ミューランだって事前に話を聞かされていなければオメガだと信じて疑わなかったことだろう。けれど彼はまさしくベータなのだ。
ディーバルドはミューランをキッと睨み付け、小さな口から暴言を吐き付ける。
この部屋に入る直前、彼から何を言われても言い返さないで聞いて欲しいとレイチェルから頭を下げられている。
何が証拠に繋がるかは分からないから、と。
だがミューランは頼まれずとも全て聞いてやるつもりで、汚い言葉を紡ぎ続ける彼の前に用意されていた椅子に腰を降ろした。
そして何刻も、ろくに水も飲まず、表情も動かさずに聞き続けた。
ーーけれど一つだけ、どうしても我慢が出来なかった。
「お前みたいな出来損ないがオメガになったせいで、僕はベータなんかに! お前さえいなければ僕がオメガになれたんだ!! 顔だけの、出来損ないディーベルドなんて言われずに済んだ!」
「なら、あなたがいなければ俺はベータになってましたよ。あなたさえベータにならなければ、俺は今頃自分を出来損ないなんて思っていない」
「……っ」
「オメガに憧れ続けたあなたなら分かるでしょう? 俺がオメガであり続けていることがいかに惨めか」
ミューランの言葉にディーバルドは声を失い、肩を落とした。
「ごめん」
そして初めて謝罪の言葉を口にした。
ミューランは、ディーバルドがジャスティンに媚薬を盛ったから子を成すことが出来た。
けれど言い換えれば、この一件がなければミューランは子をなすことはなかった。いくら村人達が優しく、平等に扱ってくれているとはいえ、自分を惨めに感じない訳ではない。劣等感はもうずっと昔から、ミューランの中でくすぶり続けていたのだ。
『オメガになれれば幸せになれる』と信じてきたディーバルドにとって、ミューランという存在は非常にイレギュラーで。憎しみを向ける相手であると同時に畏怖する相手でもあったのだろう。
ディーバルドは『ミューラン』と名乗り続け、オメガになることで神の間違いを正そうとしたのかもしれない。けれどディーバルドもミューランもただの猫獣人だ。神の選択を正せる訳がない。
「ディーバルド、君はオメガにはなれない」
これからも、ディーバルドのバース性が変わる可能性が消えた訳ではない。けれどミューランはあえてそう断言した。相棒が二度と間違いを犯さないようにではない。オメガではない自分を否定しないように。真っ直ぐとディーバルドの目を見つめれば、彼もゆっくりと似たような言葉を発する。
「ミューラン、君もベータにはなれない。これから先、ずっとね」
「知ってる」
声に出すことで、二人は互いの存在を受け入れる。
憎むべき相手としてではなく、同じような数奇な運命を辿ってしまった仲間として。
「どうせ外で聞いているんでしょう? 入って来なよ。僕が知っていること、全部話してあげるからさ」
「ディーバルド」
「あ、でも最後に言っておきたいことがある」
「なに?」
「耳貸して」
ミューランの耳に唇を近づけ、秘密の話をするようにディーバルドはふふふと笑いながら爆弾を投下した。
「君と会ってからジャスティン様のおかずは君だけさ」
「な、なんでそんなこと、ディーバルドが……」
ミューランは赤くなった耳を押さえて、恥ずかしさのあまり目には涙を浮かべる。
初心な反応を見せるミューランに、ディーバルドはあっさりと「何度も行ったからね」と伝える。
これが経験の差なのだろう。
先ほどまでの暴言よりも、なんでこんなことで恥ずかしがってるのさ、とどこか呆れた視線がミューランに重くのしかかる。
ディーバルドはそんなミューランに聞こえるようにため息を吐いてから、パンパンと手を叩いた。
「さあてと、僕はこれから忙しくなるんだ。ミューラン、君は早く帰りなよ。村でも男の元でも好きな所にさ」
「いいのか?」
「なにが?」
「俺だけ、その……」
幸せになって、とストレートに言っていいのか言葉に迷ったミューランは視線を彷徨わせる。
けれどディーバルドはこれでもかというほど端正な顔を歪ませて、ヒステリックな声を上げた。
「地味で無害そうな顔して、何勝手に自分だけ幸せになろうとしてんのさ! 僕だって罪を償ったらいい男見つけるし! ジャスティン様なんて年いったおっさんよりもずっと魅力的な相手見つけて自慢してやるんだから幸せそうに子どもでも抱いて待ってなよ!!」
けれど乱暴に吐き出される言葉はミューランの未来を祝うものだった。
「まぁ、君の子なんてどうせ地味でかわいげがないんだろうけどさ!」と付け足したのは彼なりの照れ隠しなのだろう。だがミューランはすでにジャスティンと別の未来を歩き始めている。家族がいるからこれ以上関わらないでくれと伝えた手前、好きだと告白することも出来やしない。
「その時まで娘抱っこ出来るように鍛えておかなきゃ……」
「馬鹿なの!? 僕のスケジュールに合わせて新しい子どもでも産めばいいだろ!!」
「そんな簡単に言うなよ」
「僕に逆らう気!?」
なんて傲慢なのだろう。
天使だなんて思ったが、これではとんだワガママ姫だ。
はめられた手錠さえも自分を飾るための品にしてしまう、とても美しいお姫様。
「……相手次第だから」
「はっ、純情ぶっちゃって。出来損ないはこれだからやだなぁ」
「出来損ないはディーバルドもだろ!」
「僕はこれから頑張るもん!」
「なら俺も頑張る」
にんまりと笑ったディーバルドに、これは言わされてしまったなと後悔する。
けれど「君の出来ることなんてたかが知れていると思うけど、せいぜい頑張れば?」なんて言われてしまえば訂正することすら出来やしない。
今日初めて会ったばかりなのに、ディーバルドは誰よりもミューランのことを理解しているようだ。
「今度こそ、行きなよ」
クイッと顎でドアを指すディーバルドに「また会いに来る」と告げれば「今度は手土産くらい持ってきてよね!」なんて憎たらし言葉で返された。
今度来る時は村長が毎朝飲んでいる凄く苦くて匂いの強い健康茶と、彼の好きそうなマカロンでも差し入れてやろうと決めて、ミューランは部屋を出た。
「ミューラン、あなた凄いのねぇ。まさかこんなにすんなりいくなんて思わなかったわ~」
「相手がディーバルドだったからだよ」
「ありがとう、ミューラン。彼の証言は人族と猫獣人の未来に大きく関わるはずよぉ」
「良い方向に進むといいね」
「ええ、本当に……」
「レイチェル姉さん、俺これから行く所があるんだ」
「場所分かるの?」
「あ……」
「今回のお礼に送っていってあげるわん」
「ありがとう!」
ジャスティンの元に、なんて一言も言っていないのに、レイチェルは迷うことなく城を歩いて行く。
ドアの前へとさしかかると、レイチェルは「もちろんお礼は他にも用意しているから期待していていいわよぉ」とだけ残して手をひらひらと振って来た道を戻っていった。
コンコンコンと三度ノックをすれば「誰だ?」と彼の声が耳に届く。
少し悩んでから「……ミューランです」と自分の名前を告げた。
「入れ」
「失礼します」
部屋へと入り、深く頭を下げる。
するとすぐに頭に向けてジャスティンの声が飛んできた。
「俺の出来ることならどんな要求でも飲もう」
なぜミューランがこの場にいるのかを問うことすらない。
ミューランが何かを要求するために来たと疑っていないようであった。
ジャスティンの目に、自分はそんな意地汚い猫獣人に映っていたのかと胸がズキリと痛む。
けれど今からミューランが口にしようとしていることはジャスティンにとっては『要求』に当てはまってしまうかもしれない。責任感を感じて、なんてことになれば悲劇でしかない。
これからしようとしているのは、水に流して、終わりにしたものを掘り返すことだ。
彼が長年悩み続けていた強姦だって、媚薬に犯されてしかたなく手を出しただけのこと。
ディーバルド相手に頑張ると宣言したミューランだが、ジャスティンをこれ以上苦しめるつもりはない。
ここに来て怖じ気づいてしまう。
いっそ適当な『要求』でもして、村に帰った方が彼のためになるのではないか?
自分の気持ちなんて小さなものはくず入れにでも捨てて、娘が大きくなっても抱きかかえることが出来るように鍛え始めるべきではないか。
答えを自分で出さなければ前に進むことは出来ないと分かっていながらも、ミューランは答えを探して視線を彷徨わせる。するとジャスティンはおもむろに一本の指を立てた。
「1億だ」
「へ?」
「1億なら1年以内にどうにか出来る。それ以上は少し時間はかかるが……用意できなくはない」
「馬鹿にしないでください!」
「ミューラン?」
番になってくれませんか? と伺いをたてに来たのだ。
けれどそんなこと伝えた所で金で解決されるだけ。
ミューランをおかずにしているなんて聞いたから、期待してしまったのかもしれない。
馬鹿みたい。
ここで金を受け取れば、ミューランだけではなく、大事な娘までも汚いもので汚れてしまうことになる。
だからミューランは別の言葉を一気に吐き出した。
「俺は、今日、あなたに伝えにきたんです! あなたにとって俺を抱いたのは人生の汚点でも俺にとっては幸せな出来事だったって! 出来損ないオメガに子どもを授けてくださってありがとうございます! では失礼します!」
一方的に告げて、頭を下げる。
これで本当に最後。
もう二度と王都になんて来ないし、ジャスティンの顔を拝むことだってない。
苛立ったミューランは乱暴にドアを開く。けれど外に出ることは叶わなかった。
「俺たちの、子どもがいるのか?」
ドアに寄りかかるようにしてジャスティンが逃げ場を塞いでしまったからだ。
だが今さら子どもがいるかと聞いて何になる。
せめて金を払うなんて言われるのも嫌で、ミューランは床に向かって嘘の言葉を吐いた。
「いますけど、あなたの子かは分かりかねます」
「他の男にも抱かれたのか」
「猫獣人は優秀な種を欲する種族ですので」
YESともNoとも言わず、けれど事実を告げる。
「俺は、お前の望む優秀な種馬になれねぇのか?」
「それは……」
「お前が認めてくれるなら、もう一度だけお前を抱くチャンスが欲しい」
チャンス、か。
誰かに咎められずに猫獣人を抱く機会など早々巡り会えないからだろう。
だからミューランを隠すように覆い被さり、退路を塞ぐのだ。
愛されているからではない。
期待しても後で痛い思いをするだけ。
平凡な自分が頑張った所で騎士様なんてやってきてはくれない。それでも、ミューランをミューランとして抱いてくれるというのなら。頑張ったご褒美として受けれてもいいのではないか? と悪魔が囁いた。
「分かりました」
ミューランはコクリと頷いて、シャツのボタンを外していく。
3つ目に手をかけた所でミューランの手に、大きな手が重なった。
「ベッドでしねぇか?」
「この部屋にないでしょう?」
「俺の部屋ならスキンもある」
「中に出してくれないんですか?」
「今日は……いい」
少し詰まって告げられた言葉は『また子どもが出来たら厄介だからだろう』という意味を孕んでいるようだった。それでは種馬になれるか確かめるためだという言い訳すらも通らなくなる。一度目で失敗したからこそ、慎重に進みたいという気持ちが理解出来ない訳ではない。
他の猫獣人が満足出来るだけの技術があるかを確かめたいだけなのか。
ミューランは胸に重たい岩が落ちてきたような気がしてならなかった。けれどこれはただ『褒美』なのだと、彼からの餞別のようなものなのだと。これ以上、欲しがるなと自分に言い聞かせる。
返事も待たずにジャスティンはミューランを抱えて部屋を出る。
ご丁寧にミューランの上にジャケットを被せて。
猫獣人の思い人でもいるのだろうか?
だとすればずっと彼が我慢し続けていたのにも合点がいく。
おかずにしていたというディーバルドの情報は間違っていたか、愛おしい相手を穢したくはなかったから適当な名前を口に出しただけなのだろう。
最低限の物しか置かれていない部屋で、異色を放つキングサイズベッドに降ろされたミューランは彼の技術がどうあれ『合格』を告げてあげようと心に決める。
ベッドの上で横たわりながら、天井を見上げる。
視界が闇に遮られずに行為に及ぶのは初めてだ。夢の中でもミューランはろくに相手の顔を見ていなかったのだから。
普通、こういう時視線はどこにおいておくべきなのだろう。
他の相手がいるのなら、ミューランの地味顔なんて見ても気がそがれるだけだろう。
あの夜、彼はどうしていたのだろうか?
欲を発散するので必死になっていて、顔なんて気にならなかったのかもしれない。
ミューランは顔だけではなく、声もベータのようだ。ディーバルドのように可愛らしい声でも、レイチェルのように艶のある声でもない。野太いとまではいかずとも、ベータ男性のような声を聞けば途端に萎えてしまうかもしれない。ただでさえミューランにはオメガの武器であるフェロモンは使えないのだ。その上、初めて行為に及ぶきっかけ、いや原因となった媚薬もない。体型だって……と次第にネガティブな考えに支配されていく。
ジャスティンがいろいろと用意してくれているうちに、ミューランはスラックスと下着を脱ぎ、尻を弄った後で顔を隠すようにうずくまった。ようは尻さえ使えればいいのだ。天井を見なければ、暗闇がないのなら自分で作れば良い。両方の腕で頭を抱えてしまえばいつも通り。何も見えやしない。
「ミューラン……」
ジャスティンがその名前を呼んでくれただけでもう満足なのだ。
片方の腕を外し、早く犯してくれ、と2本の指で穴をぱっくりと開く。
ジャスティンの物を見たことはないが、一度は入ったのだ。媚薬の効果もあって穴がほぐれていたのかもしれないが、若干痛みを感じた所で受け入れるミューランが我慢すれば大丈夫だろう。
けれどクパクパと卑猥に動く下の口には一向に肉棒が挿入されることはない。狭すぎるのだろうか? ミューランはもう片方の腕も外し、両手で尻たぶを左右に引っ張った。今度はもう少し大きく開けたはずだ。今度は少し尻を高く上げてみる。するとようやく何かがミューランの肉壁を開拓するように犯していく。けれどそれは、ミューランの望むものではなかった。彼の竿でもなければ指でさえない。それ以外の何か。ミューランはわざわざ目で確認せずともソレが無機物の、男性の雄を模したものだと理解した。見たのはたった一度。10歳になった年に村のオメガは全員ソレの存在を教えてもらう。過去、オメガは村を出る前に尻を拡張していたのだという。オメガである以上、昂ぶった物をいきなり尻に入れることも可能だが、怪我の可能性もあると数十年前からミューラン達の村では拡張してから村を出ることが決まりとなっていた。だから使用したのは今回が初めてでも、存在と用途は知っているのだ。
場所を移動したことによって、勢いがそがれたのだろう。
勢いがなければミューランなんて抱けるはずがない。
だが自分から言い出した以上、抱けないなんて言い出すことが出来ずにこうして適当な張り型で代用しているのだろう。
所詮、ミューランは出来損ないなのだ。
媚薬で熱に犯されているような特殊な状況下でさえなければ抱くに値しない。
熱を感じないそれがミューランの中で動かされる度に刺激が快楽へと変わり、ミューランの尻は濡れていく。そしてミューランの目は涙で濡れていく。水音を発しながら張り型が抜かれた時にはベッドシーツはミューランの顔の部分だけじっとりと湿っていた。
「もう、いい」
これ以上待った所で何をされる訳でもない。
ミューランは上体を上げ、近くに畳んでおいた下着とスラックスに手を伸ばす。尻を拭うものを用意していないため、尻から愛液を垂れ流したまま着用することになるが、フェロモンを垂れ流していた所で発情してくれる相手などいないのだ。下着に足を滑らせ、スラックスを履き、立ち上がった。
「待ってくれ」
背後から悲しげな声が耳に届く。
振り返ってやるつもりはない。けれどせめて、餞別の言葉くらいは贈ってもいいだろう。
「本番は勃つといいですね」
嫌みにも取れる言葉を投げて、ミューランはドアノブに手をかける。背後からはジャスティンの悔しげな声が聞こえた。
「本番も何も、もうチャンスなんてあるわけねぇだろ……」
そんなに猫獣人を抱いてみたかったのだろうか。
だが勃たないものはどうしようもない。もしも相手がディーバルドならどうにかしたのかもしれないが。悔やんだ所でミューランはミューラン。そう、思うのに頭の中のディーバルドが騒ぐのだ。
「出来損ないは勃たせることも出来ない訳!?」と甲高い声で馬鹿にしてくる。
今の出来事を話せば、きっと彼ならこんなことを言うだろうと予想が出来てしまうから余計にうるさくてたまらない。そのくせ相手を勃起させる方法を教えてくれないんだからなんともずるい想像だ。
けれどミューランはオメガであると同時に男性でもある。フェロモン以外で相手のペニスを勃ちあがらせる方法を一つも知らないという訳ではない。
「……はぁ。少し手伝って駄目だったら諦めてくださいね」
わざとらしいため息を吐いてベッドへと戻ると、ジャスティンの下穿きへと手を伸ばす。
強引に外に晒せば、完全に萎えているという訳ではないようだった。緩くは勃起している。指先でツンツンと突けば、ぶるりと震わせるだけの元気はある。これくらいだったら中に入れるまで成長するのもすぐだろう。
手でしごいてやろうかと思っていたミューランだが、想像していたよりもずっと立派な雄に気が変わった。
「一体何をするつもりだ?」
亀頭を指で擦りながら舌で竿を撫でる。
もちろん根元からゆっくりと。
オメガとしては出来損ないでも、猫獣人としての特性はしっかりと受け継いでいる。
時折、ざらっとした舌でペニスの先端の穴をチロチロ弄ってやれば身体を大きく震わせながら、ミューランの顔面めがけて白濁を吐き出した。
大事な種だ。手で拭き取ってからベロベロとそれを舐める。けれどまだまだ足りない。まだまだ中に残っているのだろう。ミューランは我慢出来ずに大きく口を開け、思い切り飲み込んだ。手でしごくのは少し違った要領で、喉でペニスをしごく。奥まで突っ込むとえづいてしまいそうな圧迫がミューランを襲う。けれどその感覚さえもミューランには気持ちが良くてたまらない。キュンキュンと尻を締めては、下には何も咥えるものがない寂しさによだれをダラダラと垂らす。目を逸らした先には、先ほどまでミューランの尻に入れられていたと思われる張り型が投げ捨てられている。ジャスティンの物を見た後では、どうしても比較してしまって満足出来るか悩んでしまうが、今は穴を塞いでくれるなら、奥を突いてくれるなら何でも良い。手を伸ばし、臨戦態勢を模ったソレを躊躇することなく一気に奥まで差し込む。
「ごぶおおおお」
ジャスティンのペニスで塞がれた口からはくぐもった声が漏れる。
押さえられたことでぎゅっと喉が締まったのか、その衝撃で口内に大量の精子がなだれ込んだ。苦いばかり苦くて、ツンと青臭い匂いが鼻をくすぐる。けれどそれこそがオメガが喉から手が出るほど欲する子種で。
「っ、悪ぃ」
急いでミューランからペニスが抜き出されたことで、溢れ出しそうになったものを口元に手を添えてこらえると、ゴクリと大きく喉を動かしながら飲み干した。
「大丈夫か?」
心配そうに問いかけられる声に、ミューランは少し口を開いたが、声に出さずに閉じた。
さっきは塞がれていたから良かっただけのこと。せっかく勃たせたのに、声を聞いて萎えられたら全てが無駄になってしまう。種が欲しいのは喉ではなく、尻の穴の奥底にある子宮で。尻を使って吸い尽くすまではなんとか昂ぶり続けて貰わねば困るのだ。顔を俯けながら、身体を反転させる。背中を向けられたジャスティンは「おいっ、待て! 今、スキンの用意を!」と戸惑った声を上げるが無視をして、ミューランは広げた後孔に棒を突き刺す。ミューランが一気に体重をかけたからか、すぐに一番奥までミューランのナカを押し上げた。
「っっっっっっっっ」
ジャスティンの昂ぶりを飲み込んだ瞬間、達してしまった。
けれどそれはジャスティンも同じこと。二度ほど吐き出したことなどなかったかのように、大量に発射させたのだ。オメガの胎内でも吸い尽くすには少し時間がかかるほど。ミューランのナカにはまだ大量の液がたゆたっていた。
声さえも出ない口をパクパクと開いて、頬にはつうっと涙を伝わせる。
張り型で少しは慣れていたはずだが、ジャスティンのソレは別格だった。
痛みはなく、幸福感が胸を占める。
身体の中にあっても凄い量の種を、スキンなんて無機物に分けてやらなくて良かった、とミューランは小さく笑った。例えジャスティンに他に思い人がいようとも、今日だけはミューランのものなのだから。いわばこれはお勉強代のようなもの。そう、ミューランが貰ってしかるべきものなのだ。
その瞬間、胸の奥底に眠らせていた、オメガとしての、猫獣人としての性欲が解き放たれるのを感じた。
まだまだ足りない。
もっと搾り取れ。
頭の中でオメガとしての本性がサイレンをならす。
じゅぶじゅぶと卑猥な水音をBGMに、ミューランはパンパンと音をならして腰を打ち付ける。
自らの嬌声など気にならなかった。ただ快楽さえそこにあれば、それで十分だった。
「クソっ」
尻でペニスをしごいて快楽を得続けるミューランの一人遊びが気に入らなかったのか、ジャスティンはチッと舌打ちをしてからミューランを持ち上げた。吸収が間に合わなかった種液は、太ももを伝いダラダラとこぼれていく。
ああ、もったいない。
ミューランは股を手で撫で、尻から漏れたソレを掬い取るとペロリと舐めた。
何度も出したはずなのに、まだどろりとしており、薄まる様子はない。
股の下にはまだまだ臨戦態勢を維持したままの雄が見える。きっとまだ、出るはずだ。隠さないで、全部出し切ってくれればいいのに。ミューランは首を少し捻り、ジャスティンに恨めしげな視線を投げた。顔からなぞるように下がり、そして最後は昂ぶったペニスへ。舌を唇に這わせ、声も出さずにおねだりをする。
するとミューランの思いが伝わったのだろう。
ミューランの身体を反転させ、ベッドへと寝転ばせた。
「満足するまで逃がさねえからな!」
怒ったような声をあげながらも、服を脱ぎ捨てる彼の顔は蒸気しており、発情した雄のようだ。
顔なんてどうでもいいから、主導権を譲れということだろう。
ミューランはにっこりと笑って、身を委ねるように両腕を伸ばした。
首をホールドすれば、ジャスティンは一夜の相手にむさぼるようなキスを与えてくれる。
息継ぎの合間に『愛してる』と告げられる度にミューランは涙を零しそうになる。けれど綺麗でも可愛くもない顔をこれ以上不細工にする訳にはいかないと、涙をこらえて無理に笑顔を作り続けた。
そうすれば、ジャスティンは淫乱なオメガを遠慮なく貫いてくれる。
種をもらうため。
気持ちよくさせてもらうため。
寂しさよりも、オメガとしての性と猫獣人の欲が勝った。
キスさえも面倒になったのか、頭を抱えるようにしてミューランのナカに雄を擦りつける。
それでも『愛している』と言い続けてくれるのは、きっと彼なりのサービスなのだろう。
快楽の連続で馬鹿になる頭でミューランは「俺も」と呟いた。
性欲のぶつけ合いは、ジャスティンが眠りにつくまで続いた。
すやすやと眠るジャスティンに抱きかかえられながらミューランは天井を仰いだ。
ミューランの穴にはまだジャスティンが刺さったまま。
性の限界よりも先に耐えきれない睡魔がやってきたらしい。
一度も休憩を挟まずにやり続けてまだ硬度を保ったままとは……想像以上の絶倫だ。
アルファとはみんなこうなのだろうか?
蓋をされているおかげで流れ出すことはないが、抜けば栓をなくした液体はたちどころに流れ出すことだろう。それでも垂れたら拭けばいいだけのこと。ヤることは済んだし、ミューランとしては早く抜いてしまいたいのだが、抜く・抜かない以前に身動きが上手く取れないのだ。前回と同様に寝ているはずなのに、拘束する力が以前よりもずっと強い。頭をホールドされて、ジャスティンの胸に顔を埋めている状態だ。それでも首を少し捻るくらいは動けるので、息苦しさを感じることはない。チラリと視線を上げれば、すうすうと気持ちよさそうな寝息を吐くジャスティンが見える。数日前にぐっすり寝たばかりだからか、目のクマは真っ黒黒というほどではない。それでも初見なら確実にドン引くほどではあるのだが。
ミューランが見るジャスティンはいつだってよく寝ている。
フェロモンでリラックス出来るなんて話聞いたことがないのだが、ジャスティンがミューランの香りに安心感を抱いているのは確かだ。
だがレイチェルの話によれば、ジャスティンの気が緩められなかったのは媚薬があったから。
ディーバルドの証言により、状況は好転することだろう。この一件が完全に綺麗になるには時間がかかるかもしれないが、ジャスティンが眠れるようになる日も遠くはないはずだ。
それまでの間、どうにかしてあげれれば。
ミューランは頭に過った馬鹿みたいな考えをすぐに打ち消した。
どうにかするなんておこがましい話だ。
ミューランの役目は、ジャスティンに猫獣人を抱かせるまで。
その後のことは関与しない。する権利がない。
本当は、彼が寝ている間にお暇するべきなのだろう。
ジャスティンが結果を気にすることのないように『相手がどんな猫獣人でも問題ないでしょう』とだけ診断を残しておけばそれでいい。ホールドする力が強くとも、身体の柔らかい猫獣人なら少しの隙間さえあれば身体を捻って抜け出すことが出来る。だから言い訳にしか過ぎない。ミューランは言い訳をしてまで、少しの間でもジャスティンの元に残りたいと思ってしまっているのだ。ずるい奴だ、と自分をさげすみながらぬくもりを感じていると足音が近づいてくるのが聞こえた。部屋へと向かう道中は視界が奪われていたため、この部屋の他にも目的地となり得る場所があるのか分からないミューランは他の場所に行ってくれと、狸寝入りを決め込んだ。目を閉じながらも外の音に意識を張り巡らせる。けれど不運にも、音の主の目的地はミューラン達のいる部屋だったらしく、目と鼻の先で歩みを止めるとコンコンコンとリズムよくドアをノックした。
「アイザックです。お話があります」
聞き心地の良い低い声の主はアイザックと言うらしい。
寝ているジャスティンは一向に訪問者に気づくことはない。どこかに行ってくれと、顔の知らない相手がこのまま遠ざかることを強く願った。けれどアイザックは何度か「ジャスティン様」と部屋の主の名前を呼びかけても返事がないと分かるや否や「入りますよ」と前置きして部屋へと踏み込んできたのだ。突然の訪問者に、ミューランの心拍数は急上昇する。
「花の香り……? 探していた香りが見つかったのか?」
スンスンと鼻をならしながらも、香りの元がオメガだとまでは気づかなかったようで「寝てるならメモ残しとけばいいだろ」と呟いて、何かを置いて部屋を去った。解放されなければ机を確認することは叶わないが、仕事関係の物を置いていったのだろう。どうやら恋仲ではないようだ。オメガのフェロモンにすら気づいてもらえないくせに、ホッと胸をなで下ろす自分が嫌になる。
「帰ろう」
どうせ待った所でジャスティンが起きるのは後数時間は先のこと。
起きた彼になんでまだいるのか? なんて聞かれては一夜の思い出すらもくすんでしまう。
身をよじりながらジャスティンの拘束を抜けだし、床に落ちた服を拾う。若干皺になってしまっているが、気にしたら負けだ。部屋をぐるりと見回し、メモ紙の束と思わしきものの一番上に「合格」とだけ残した。なんて上から目線なのか。書いているミューランですら呆れてしまう。けれどジャスティンとの間に、長い言葉など無用な気がしたのだ。
「さようなら」
全く起きる様子のないジャスティンに別れの挨拶を告げ、部屋を出る。
帰り道も分からないので適当に城を歩き回って、ようやく大事なことに気づいた。
「村までどうやって帰ろう……」
レイチェルはまだ城に残っているのだろうか?
すでに帰ってしまっているのなら乗り合い馬車で帰るしかないのだが、金がない。
兄達に借りるか?
だが宿泊は飛ばすにしても、王都から田舎の村まで帰るにはそこそこの金額を必要とする。
それに帰ったはずのミューランが王都にいるとすれば余計な心配をかけてしまうかもしれない。ただでさえ兄達には子どもとのことで心配をかけてしまっているのだ。それに新たな種を腹に抱えたまま、フェロモンを垂れ流していれば、他の相手ならいざ知らず兄達が気づかないはずがない。兄達の顔の焦った顔を想像して、背筋がゾッとした。
駄目だ。
兄達には事後報告する方向でいこう。
なぜまた隠していたのか! と怒られるだろうが、真っ青な顔で心配されるよりはマシだ。
以前の体調不良は妊娠ではなく薬の副作用だったようだし、つわりが来るまではまだまだ余裕があるーーよし、野生の食料を確保しながら徒歩で帰る方向で行こう。
少し時間はかかるが、野宿をすれば宿賃もかからない。フェロモンも顔も身体もパッとしない上、金目のものすら持っていないため、夜盗に狙われる心配もない。あるとすればストレス発散に暴力を振るわれるくらい。それくらいなら、木の上で寝ていれば回避出来ることだろう。
そうと決まれば目指すべきは門。
窓から見下ろして、高さを確認する。3階だ。近くの木に飛び移って下がればすぐに下に降りられるだろう。階段を探して歩き回るよりもずっと楽だ。窓から身を乗り出して木へ移り、スススッと地上に降りる。そしてそこから塀に沿って門を目指すつもりだった。
「ミューラン!?」
ーー兄達に発見されるまでは。
お日様はそろそろ真上に上がる時刻。
適当に降りた場所で二番目に会いたくない人物に遭遇するとは、どれだけ運がないのだろう。
頬を引きつらせながら、二人の兄と対峙する。
「に、兄さん……」
「なんでミューランがこんな所にいるんだ」
「ええっと……」
「何かあったのか!? まさかジャ「しいっ!」
兄の口をふさいで、ミューランは左右前後を確認する。
人の気配はない。だがこんな誰が聞いているか分からない所でジャスティンの名前を出すのは危険だ。
彼の思い人に昨晩の出来事が知られ、ぶつかる前から砕け散ったなんてことになったら目も当てられない。
これでミューランがジャスティンとの間で何かあったことは兄達にバレてしまったが、仕方ない。
「その名前は駄目だから」
ゆっくりと告げれば、兄はコクコクと首を小さく振ってくれる。
もう一人の兄にも視線を向ければ「分かった」と言葉を返してくれた。ようやくミューランは兄の口から手を離す。けれど兄達が了承してくれたのは『ジャスティンの名前を出さないことだけ』だった。
「俺達今日は昼で上がりだから。ミューランは先に部屋行ってて」
「……はい」
子どもを産んだことを隠していたためか、簡単に逃がしてくれるつもりはないらしい。
部屋への道順を丁寧に説明されたミューランはとぼとぼと兄達の部屋を目指した。昼間までに腹を括らねばならないと思うと、胃がキリキリと痛んだ。
宣言通り、正午を少し過ぎた辺りに二人は部屋へと戻ってきた。
荷物を起き、冷蔵庫からお茶を取り出してミューランの前に置いた。
わざわざ氷まで入れてくれるとはなんとも好待遇だ。カランと鳴った涼しげな音は長期戦になることを見越した開始のコングではないと思いたい。ゆらゆらとお茶の水面でたゆたう氷をじいっと見つめた。
覚悟を決めるようにすうっと息を吸い込んで、兄はミューランへと斬りかかる。
「それで、なんで村に帰ったはずのミューランが城にいるの?」
初めの一撃はミューランの想定通り。
だから二人が働いている間に唸りながら決めていた答えを口にする。
「レイチェル姉さんに誘われて……」
「レイチェル姉さんに?」
「帰ってからすぐに村長の所に行ったらレイチェル姉さんに会って、一緒に王都に行って欲しいって」
「理由は?」
「話して良いのか、レイチェル姉さんに確認を取らないと……」
レイチェルはオメガではない二人にとっても、偉大な存在だ。
彼女が関わっていると聞けば、うかつに踏み込んではこないだろうと踏んだのだ。実際、二人は「姉さんか……」と呟いてうんと頷いてくれた。
「なるほど。隠し事じゃなくて姉さんとの秘密なら仕方ない」
計画通り。
この先、突っ込まれたことを聞かれても『レイチェル姉さん』の名前を出して避け続ければ良い。
兄達に嘘を吐くのは心が痛むが、ミューランとてディーバルドの件はどこまで話して良いものなのか把握していない。どこかから漏れて~なんてことになったら大変だ。大事になる可能性があるから、兄達に言えないのも仕方のないこと。我ながら良い逃げ道を思いついたものだと、ミューランは心の中でにやりと笑った。けれど兄達はそんなミューランが進む道をいとも簡単に塞いで見せた。
「けど、なんでその姉さんと一緒じゃないのかは秘密じゃないよな?」
「それは……今、別行動をしていて」
言葉に詰まったが、なんとか兄の目を見つめて言葉を紡ぐ。
レイチェルがミューランを王都に連れてきたこととなんの関係もないが、嘘ではない。
けれど言い訳のように聞こえてしまったのか、兄達は「ふうん」と声を揃えて机に肘をつく。じっとりとした4つの瞳に、ミューランは思わず目を逸らしそうになってしまう。
「ミューランが言えないって言うんだったら、レイチェル姉さんに聞きに行ってもいいんだぞ」
「姉さん、まだ城にいるの?」
「ああ。さっき入浴セット運んでったばっかりだからな。今から姉さんの所行くか?」
まさか接触済みだったとは……。
レイチェル姉さんを盾に切り抜けようとしたのは間違いだったらしい。かといって他にジャスティンとの出来事を隠せそうなミノはなかったのだ。このまま押し通すしか方法はない。
背中に冷や汗を垂らしつつ、なんとか兄達とレイチェルがこれ以上接触をするのを避けられないかと頭をフル回転させる。
「……お風呂入っているとこを邪魔したら悪いだろ」
「フェロモンまき散らしながら歩いている弟の事情聞き出す以上に大事な風呂の時間なんてない」
「うっ」
だが兄達はミューランよりも1枚も2枚も上手だった。
ミューランと兄達の仲が良いことはレイチェルだってよく知っている。何があったと詰め寄られれば口を割ってしまう可能性が高い。それに兄達はミューランとジャスティンの間にあったことをざっくりではあるが把握している。必要とあればレイチェル相手にも打ち明け、だから情報が必要だと深く切り込むだろう。
唇を噛みながら、必死で打開策を考える。けれど何も浮かばない。フェロモンさえ消せていればまだごまかせただろうに……と悔やんだ所でもう遅い。
「あの人と何かあったってことはもう分かってるんだ。なるべく怒らないように気をつけるから話せる範囲で話してくれ」
優しく語りかける兄達はすでにミューランを丸め込みに入っている。
もうミューランに勝ち目などないのだ。それでも簡単に口を割る訳にはいかない。頬を膨らまし、最後の抵抗とばかりにふいっと顔を背ける。
「怒られるのが嫌なんじゃない」
「なら何が嫌なんだ?」
「兄さん達にこれ以上、心配をかけたくない」
「つまりミューランの隠し事は俺たちに心配をかけるような内容だ、と。今以上に心配になる内容なんて早々ある訳ないだろ」
すでに沢山の心配をかけてしまっていることくらい、ミューランだって理解している。
現在進行中でも心配をかけていることを分からないほど幼くはない。
負けを認めたミューランは肩を落として、少し迷ったように視線を彷徨わせてからようやく口を割った。
「……あの人とセックスした」
「……っそうか」
「今回は生まれる前に教えてくれてありがとうな」
「うん」
心配にならないと言った手前、衝撃的な事実を受け止めてくれた。そして悲しげに微笑みながら、ミューランの頭を優しく撫でてくれた。けれどもう一人の兄はそれだけで納得してはくれなかった。
「で、なんでミューランはあの場にいたんだ?」
初めからそんなことは分かりきっている。
知りたいのはそこじゃないとばかりに追求の手を緩めることはせず、早く口を割れと急かす。
「だからそれはレイチェル姉さんに連れてこられたから」
「俺が聞きたいのはそこじゃない。なんであの人と一緒にいないんだ。いや、忙しい人だから本人が連れ添えないのは仕方ないかもしれない。だが城に慣れないミューランを一人放り出すのはおかしいだろ」
「それは……」
「隠し事、まだあるんだな。ミューラン、ちゃんと話なさい」
受け止めてくれるのも、こうして深く追求してくるのも、どちらも兄達がミューランを思ってくれているからこそ。
腕組みをしてじいっと見つめる兄に、ミューランは短いため息を吐いた。
「あの人が寝ている所を抜け出してきた」
「なんで?」
「残る理由がなかったから」
ついっと目を逸らしてから、居心地悪い言葉を紡ぐ。
『ジャスティンの種馬診断のため』と告げなかったのは、ミューランがそれを口にしたくはなかったからというのもあるが、同時に彼の名誉を守るためでもあった。兄達が言いふらすとは思っていないが、それでもジャスティンがミューランを実験台のように扱ったと聞けば憤ることだろう。そんなことになれば、どこからかジャスティンの不名誉な噂が立ってしまうかもしれない。そこから本命の相手の耳に届いたら申し訳が立たない。だから詳しくは踏み込まなかった。
「理由がないから抜けてきたってそれはいくらなんでも酷すぎるだろ……」
「いくら可愛い弟でも擁護のしようがない……。もう目を覚ましているかもしれないが、今からでも帰ろう。風呂に入りたかったでも飲み物が欲しかったでも適当に理由でもつけて、さ」
「そうだな。俺らへの事情説明よりも相手の機嫌のが大事だ。相手があの人なら特に」
「別にいいよ」
「よかない!」
ミューランがちゃんと話さないせいで、兄達は不躾な行動を取っているのだと勘違いしたらしい。
一度目は強姦。二度目は未遂。そして三度目の正直で……とでも思っているのだろう。
だがミューランは三度目ですらちゃんとした方法で手を出して貰うことのない出来損ないなのだ。
どんなに残念でも、これが出来損ないが全力で頑張った結果なのだ。声を荒げる兄にふるふると首を振り「いいんだ」と繰り返す。
「俺の役目は済んだんだから。もう村に帰るんだ」
「役目って、レイチェル姉さんに連れてこられたことと関係あるのか?」
「それもある」
「そうか。ならやっぱり今から姉さんの元に行こう」
「なんでそうなるの!?」
ミューランは驚いて、勢いよく顔をあげた。
もういいって言ったのに!? これ以上掘り下げる所なんてないでしょう?
声に出さず、表情で必死に訴える。けれど兄達は二人揃って汗をかき始めたコップを放置して立ち上がった。
「姉さんと来たっていうなら足はあるから、金もろくに持ってきてないんだろ?」
「それはそうだけど……」
「ならどっちにせよ、姉さんの元に行かなきゃ帰りの手段がない。それに姉さんの元に行けば詳しい話が聞けるかもしれないし」
だな、と顔を合わせ、行くぞ~と声をかけながらドアへと向かっていく。
どうやら二人の中ではレイチェルの元に行くことは確定しているらしい。けれどミューランの中ではすでに帰りの方法は決まっているのだ。
「歩いて帰れる!」
時間はかかるけれど、誰にも迷惑をかけない最良の方法だ。
胸を張って主張すれば、ギロリと冷たい視線が突き刺さる。
「身ごもった弟を長距離歩かせろと?」
「身ごもったってまだ一日も経ってない!」
「日数は関係ないだろ。さぁ行くぞ」
「ううっ」
ミューランの主張も虚しく兄達に両側を挟まれ、腕を組まれた状態で連行されていく。
とてもよく似た三人が横に並んで、それも腕を組んだ状態で城を練り歩けば道行く人達が振り返る。けれどそんな視線にも慣れているのか、兄達が気にした様子もない。二人が気にすることはミューランが抵抗しないか・逃げ出さないかということだけ。曲がり角や階段にさしかかると二人揃って脇をキュッと締める。
「今さら逃げないよ」
呆れたミューランがそうこぼした所で「信用ならない」の一点張り。
逃げ出した先で出会ったから余計信用がないのだろう。しゅんと耳を垂らしながら、ミューランは兄達に挟まれながら足を進めるのだった。
三人で部屋のドアを叩けば、お風呂タイムが終わっていたらしいレイチェルはすぐに部屋の中へと案内してくれた。ソファでも仲良く三人で並んで座る姿が微笑ましいとばかりにふふふとおしとやかな笑みを浮かべる。けれど本当にレイチェルがおしとやかなだけの猫獣人ならばいきなり核心を突いてくることはないだろう。
「あら、今度はミューランも一緒なのねぇ。上手くいった?」
レイチェルだって意地悪で聞いている訳ではないのだろう。
どちらかといえば興味本位。お節介といった方がいいのかもしれない。
結果を聞かせてくれと微笑む彼女は妖艶なオメガではなく、近所のお姉さんの顔だった。
「うん、まぁ……」
視線を逸らしながら濁した返事をすれば、兄達は本題に踏み込んだ。
「レイチェル姉さん。ミューランは村に帰りたいんだって」
「上手くいったのにぃ?」
「上手くいったのに、逃げ出してきたんだと」
「逃げ出したんじゃない! ちゃんと終わったから帰るんだ!」
「だとさ。レイチェル姉さん、ミューランを送ってってくれない?」
兄達はミューランから真相を聞き出すために、レイチェルの元に連れてきたのではなかったのか?
両サイドの兄達の表情を伺ったが、どちらも至極真面目な表情をしていた。
本当にミューランを村に帰すことを望んでいるかのよう。二人の考えていることが分からずに首を捻る。
ミューランでは話にならないから、帰した後でゆっくりと聞けば良いと思っているのだろうか?
中途半端な情報が伝わることになるが、核心が知られなければいい。帰してくれるというのならば、話に乗っておくべきだろうと頭の中でそろばんを弾いた。けれどにっこりと笑ったレイチェルから返ってきたのはまさかのすげない言葉だった。
「無理」
「え?」
「私、ジャスティン様には恩を売りたくても、喧嘩を売りたくはないの。だからごめんなさいねぇ」
ミューランはジャスティンに協力したのであって、彼の機嫌を損ねるようなことはしていない……つもりだ。なのになぜ、ミューランを馬車に乗せることがジャスティンに喧嘩を売ることになるのだろうか?
レイチェルの言葉の真意をつかみ取ることが出来ないミューランは「そっか。姉さん、無理言ってごめんね」と席を立ち上がった。けれどすぐに両サイドから腕を引っ張られ、ストンとソファに尻を落とす。
「じゃあ姉さん、どんな方法がいいと思う?」
「そうねぇ、ジャスティン様に聞けばいいんじゃないかしら? あの人なら良い方法を教えてくれるはずよぉ」
「そうだよね!」
レイチェルの答えに、兄が勢いよく食いつく。
どうやら初めからこの選択に持ち込みたかったらしい。兄達は少し遠回りをしてでも、ミューランをジャスティンの元に向かわせたいらしい。
事情が分からない兄達としては、重要なポストに就いているジャスティンの機嫌を損ねたくないのだろう。
弟思いの彼らだが、城勤めで、恋人だっている。今後の未来に障害となり得る可能性は排除しておきたいのだろう。逃げ出すことばかり考えていたミューランだったが、必死な二人を前にして心を決めた。
「分かった、ジャスティン様に聞きに行ってみるよ」
三人は「それがいい!」と口を揃えた。
多数決になってもやはりミューランの負けだった。
レイチェルも加わった所で両サイドどころか背後まで包囲され、今度はジャスティンの部屋へと向かう。
どうやら仕事部屋ではなく、彼の自室の方に向かっているらしい。行きは視界を遮られていても、帰り道を探してふらふら彷徨っていたミューランは後少しという所まで来てやっと気づいた。仕事を運び込まれていたようだが、元々休暇を取っていたのだろうか? 休みの日なのに、仕事をするなんてよほどのワーカーホリックなのだろう。寝ていられるなら寝かせておいてやりたいと思うのは、ジャスティンの目のクマを思い出したから。薄くなったとはいえ、クマはクマ。兄達の手を引いて「やっぱり帰ろうよ」と提案したが、二人から応答はなし。唯一返ってきたのは背後から。
「逃げちゃ駄目よぉ」
耳元で囁かれた言葉は悪魔のよう。絵本に載っているような凶悪な面構えの悪魔ではなく、淫魔ーーサキュバスの方ではあるのだが。ベッドで同じことをされたら、きっと精魂果てるまで解放してもらうことは出来ないのだろう。変にレイチェル耐性なんてなければ、ベッドの外だろうが足腰に力が入らなくなっていただろうに……。性欲が急上昇することのないミューランは背中を押されて前へ前へと進むだけ。最後の抵抗すらもあえなく却下され、いよいよドアの前へと立った。
「ジャスティン様、今よろしいでしょうか?」
コンコンコンとドアを叩き、兄が部屋の主へと伺いを立てる。
どうせ返事なんて返ってこないだろう、とドアを見つめていたミューランだが、予想を裏切るように向こう側から声が返される。
「忙しい。後にしろ」
低く、地を這うような不機嫌な声だ。兄達は恐怖でビクッと身体を震わせる。
ちょうど眠りが浅くなっていたタイミングでドアが叩かれたのだろう。突然の訪問者にジャスティンがお怒りなのは想像にたやすい。だから帰ろうと言ったのに。ミューランにとってのジャスティンは数年前少しの間だけ仕事を手伝った間柄で、二度ほど身体を重ねた仲ではある。だが兄達とっての彼は重役の怖い人。機嫌を損ねたくないから連れてきたのに、それが仇となったのだ。けれどまだ名前が知られた訳ではない。このまま撤退すれば事なきを得ることが出来るかもしれない。小さく震える二つの手をぎゅっと握りしめて身体を反転させようとした時だった。レイチェルがすうっと息を吸い込んだ。
「ジャスティンさまぁ。お忙しいところ申し訳ないのですが、このままだとミューラン、村に帰っちゃいますよぉ?」
よりによってミューランの名前を出すなんて!
それもかなり大きな声で。詳しい事情を知らないとはいえ、なんてことをするんだ!
ミューランは「レイチェル姉さん!!」と背後の人物に怒りを向ける。
けれど当のレイチェルは一仕事終えたとばかりにいい顔をしている。
それどころか兄達二人の肩をトンと叩き「さぁ邪魔者は帰るわよぉ~、美味しいケーキでも食べましょ~」とさっさとこの場を後にしようとする。
「ミューランだと?」
その名前に反応して、部屋の主はゆっくりとドアを開く。
ドアに背を向けているミューランには彼がどんな表情をしているかは見えないが、地獄の主が這い上がってきたようなおどろおどろしい感覚は肌で感じている。さながら生け贄といったところなのだろう。首筋に鼻を当てられ、腹に手を回らされる。目に涙を溜めて兄達に救いを求めても、目を逸らされるだけ。ミューランは声をあげることもことも叶わぬまま、部屋へと引きずりこまれた。
落ちて、落ちて、落ちて。
どこか異世界に辿り着く童話があったなぁと記憶を辿る。
けれどミューランの辿り着く先は異なる世界でも、地獄。
断頭台に立たされ、首を切られる。最後に娘の顔を見たかったな……とゆっくりとまぶたを閉じた。
部屋の主から罪状を告げられる時を待つが、一向にそれがミューランに降り注ぐことはない。
未だに腹に手を回され、抱えられている。右側の肩には頭が乗せられ、見方によっては抱きしめられているように見えなくもない。けれど部屋には緊迫とした空気が張り詰めている。決して甘いものではない。地獄に来たのだから当たり前だ。腹を括ったミューランはゆっくりと目を開き、そしてジャスティンへ謝罪の言葉を告げる。
「すみませんでした」
「それは、何に対しての謝罪だ?」
「帰ってきてしまったこと。それとあの三人にあなたと俺が関わりがあると知られてしまったことに対するものです」
「……っ」
身を震わせるジャスティンに、ミューランは言葉を続ける。
「去り際すらもちゃんと出来なくて、出来損ないですみません」
「ミューランは出来損ないなんかじゃない」
「言い訳して、すみません。でも今度こそ、ちゃんと誰にもバレないように帰るので」
そう、所詮は出来損ないなんて言い訳にしかならない。
依頼を請け負ったのならば、しっかりと最後まで遂行する義務があった。報酬はすでにこの腹で受け取っているのだから。
今度は夜まで待って。人に見られないようにひっそりと城を、王都を出るから。
上手くやるから、どうか許してくれ。もう一度チャンスをくれと背を向けたまま懇願する。けれど背後の彼は許すも許さないも告げず、代わりにミューランに問いかけの言葉を投げた。
「お前は俺のことを優秀な種馬として認めてくれたんだよな?」
「はい。あなたは優秀な種の持ち主です。きっとどんな猫獣人でもあなたの種を欲することでしょう」
「他の奴らはどう思おうと関係ない。俺が聞きたいのはミューラン個人の意見だ。お前を孕ませる種の持ち主として、俺は合格したのか?」
ジャスティンという人は、全体どうこうよりもまずは一個人の意見を大事にするらしい。
大きな枠を見据えたことで、後々小さなほころびが生まれることを恐れているのだろう。城で重要な役職についている彼らしい慎重な判断だ。
だがミューランの意見など、所詮一人のオメガの感想でしかない。それもジャスティン以外の雄を知らない、残念なオメガの意見だ。何の参考にもならないだろう。どう伝えたものかと悩むミューランにジャスティンは「どうなんだ?」と答えを急かす。背後から圧を感じたミューランは仕方なく、感想を述べることにした。
「俺みたいなのにはもったいないほどの種でした」
だからきっとお相手も満足してくれることだろう、と。
まさかジャスティンはそれを聞くためにミューランを部屋へと引きずりこんだのだろうか?
ミューランには些細なことだが、彼にとっては重要事項らしい。
「とりあえず満足はしてもらえたんだな……」
ホッとした声を漏らし、ミューランの腹に回した腕に力がこもるのを感じた。
相手がどんな猫獣人なのか、些細な情報すらも持たないミューランだが、ジャスティンが臆病になるほど相手を大事にしているらしいということは嫌というほどに伝わってくる。
「番になってくれとは言わない。種馬としてで構わない。種馬として……次いつ会える?」
そんなにナカの具合が良かったのだろうか。
遠慮せずに出せる上に体温が感じることの出来る手軽な穴と思われたのかもしれない。
種さえ与えれば簡単に股を開く、馬鹿で貞操観念の低いオメガ。さらに見合いの参加者でないため、問題にもならない。こんなでも抱けると分かったので、顔やフェロモン・声を気にする必要もなくなったのだろう。
どこで選択肢を間違えたんだろう?
ディーバルドとだけ会ってさっさと帰れば良かったのに。
欲なんて出さねば、こんな惨めな思いをすることはなかったのに。
ああ、馬鹿だなぁ。
黒い渦が発生した胸をぎゅっと押さえて、ミューランは答えた。
「もう、あなたの種はいりません」
そう告げればミューランを押さえ込んでいた腕は力を失ったように緩んでいった。
「満足、させられてねぇじゃねえか」
ぼそりと呟かれた言葉にミューランは心が痛んだ。
ミューランが都合良く抱かれれば彼は自信を持つことが出来るかもしれない。
けれどミューランは愛した男よりも自分の心の安全を取ったーー壊れたくはなかった。
今度こそ別れを告げるためにゆっくりと立ち上がり、振り返る。
『さようなら』の5文字を発すればいいだけなのに、目が合ったジャスティンは捨てられた犬のようにミューランに救いを乞うているから。最後の最後でミューランの心は揺れ動く。そして迷った末、ミューランは絶対に聞いてはいけない質問を投げかけた。
「あなたの思い人ってどなたなんですか?」
「は?」
やっぱり聞かずに去るべきだった。
自分でもやってはいけない間違えを犯したことくらい分かってる。けれどそんな目で見るから、口が勝手に動いてしまったのだ。
「折角練習台になったんだから聞いておこうと思って。ああ、別に答えたくないならそれでも構いませんが」
ミューランはまくし立てるように話して「やっぱりいいです。誰でも俺には関係ないんで」と締めくくると、ドアノブへと手をかけた。
「ちょっと待て。俺は何度も愛していると言ったはずだが」
「予行練習かリップサービスですよね。わざわざ言われなくても分かってます。ただ興味本位で聞いただけなんでお気になさらず」
「なんでお前相手に予行練習しなきゃならねえんだよ!」
「あなたの思い人が猫獣人だからでしょう?」
「その思い人相手に予行練習なんてする馬鹿がいるか!」
「へ?」
「俺が好きなのはお前だ、ミューラン。金づるでも種馬でも、何でもいい。唯一でなくとも構わない。それでも俺はお前に必要とされたい」
それはまるでジャスティンの思い人はミューランのようではないか。
いや、そんなはずがない。期待をするなと脳内に速報を出しつつ、目の前の相手が嘘だと、冗談だと言ってくれることを願う。
「冗談、ですよね?」
「冗談言うような場面じゃねえだろ」
「だってあなたが俺を好きなんて……信じられない」
「それは俺が了承なく抱いて、子どもを産ませたことすら最近知ったようなクズだからか?」
「それは薬のせいです! 仕方のない、ことだったんです……。俺がベータならあなたの汚点にはならなかった」
「ベータでも、俺が無理矢理抱いた事実は変わらない」
「責任感で思われた所で嬉しくありません」
「責任感なんかじゃねえ!」
声を荒げるジャスティンだが、それが責任感でなければなんだと言うのだ。
薬に負けてミューランを抱いてしまった後悔が長くとどまり続けた結果、責任感と恋情を勘違いしてしまっているのだろう。そう思えば少しは楽になれるから。自分なりの逃げ道を作ることは否定しない。けれどそれに、すでに心の処理はついているミューランを巻き込まないで欲しい。いや、ミューランが余計なことを言わなければそこで終わりで済んだのだ。ああ、なんて厄介なことを言ってしまったのだろう。ミューランは頭を抱えながら、早く切り上げようとタイミングを探る。
「嘘なんて、気を遣って貰わなくても結構です。俺は身の程をわきまえてますし、昨日はその……ちょっと欲が溢れてしまっただけで……」
「その欲のはけ口が俺じゃ駄目なのか?」
「昨日なかなか勃たなかった人が何を……」
男性の尊厳を傷つけると分かっていても、話を切り上げられるのならそれでいい。
プライドをへし折りにかかったミューランに、想像通り、ジャスティンは顔を赤くした。
「何言ってるんだ。俺は初めからずっと我慢してた!」
「だから嘘はいいですって。媚薬がなかったんだから仕方のないことです」
「俺は薬がなければ勃たないようなインポじゃない」
そう、こうなることは計算済み。
「相手が俺だったから時間がかかっただけだって、俺だって分かってます」
相手が悪かっただけ。
仕方のないことなのだ。
ジャスティンは不能なんかではない、と宥めにかかる。
「何も分かってない! 俺が移動したのは少しでもお前に負担をかけないためで」
「おかげ様で足腰は随分と楽です。お心遣い感謝します」
「尻は?」
「そっちは少しアレですけど……」
「やっぱりもっと解すべきだったか。張り型を後数本用意しておくべきだったかもしれん。いや、そもそも途中理性を手放して尽くしきれなかったのが……」
このタイミングで反省会を開催するとはよほどの真面目らしい。
真の思い人には勃起しない男だと勘違いをされないよう、是非とも今回の経験を活かして欲しいところだ。
「反省点があるなら次に活かしてください」
「またチャンスをくれるのか!?」
「縁があればまた他の方とされることがあるでしょうね。クマがなくなって、少し話かけづらさがなくなれば、きっと声をかけてくる女性やオメガは多いでしょう」
「お前とでないならどうでもいい」
「そんなに俺のナカ、気持ち良かったんですか?」
「ナカだけじゃなく、ミューランは理性を飛ばすほど綺麗で、淫乱だった」
「それは……あ、ありがとうございます」
ベッド以外でもリップサービスをしてくれるとは、よほど昨晩の行為はためになったようだ。
ベッドの中での姿を褒められた所で今後誰かに疲労する機会はないのだが、今後は褒められる機会すらない。リップサービスだ、これも報酬の一部に過ぎないのだと自分に言い聞かせながらも、ミューランの頬はピンク色に染まっていく。
けれどすぐにジャスティンの言葉によって現実へと引き戻される。
「それで、お前はこれから家族の元に、男の元に帰るのか?」
長く続いた夢の時間ももう終わり。
これからレイチェルに馬車に乗せてもらうなり、歩いて帰るなりして村へと帰る。
兄達はジャスティンに相談しろと言っていたが、ミューランとて目の前に馬車代を借りるほど馬鹿ではない。
「女の子ですけどね」
「そうか、女と一緒になったのか」
「はい、本当に元気な女の子でいつも走り回ってますよ」
「快活な女なんだな」
「いつも男の子達の輪に入って、ズボンを汚して帰ってきます」
いつだって元気がありあまっている。
帰ったらどろんこの服が山積みになっているだろう。多めに着替えは用意してきたつもりだが、早く帰らなければ着替えがなくなってしまう。膝小僧の所がすり切れてしまっているだろうから、繕い物は夜の睡眠時間を削って。でもずっと洗濯と繕いものばかりしていたら、へそを曲げてしまうことだろう。ただでさえ予定よりも長い間家を開けてしまっているのだ。遊ぼうって背中にくっつかれたらちゃんと答えてあげなければーー。
『ミューラン!』と駆け寄ってくる娘を想像して、ふふふと声が漏れる。
夢の時間が終わってもミューランには楽しいことが沢山あるのだ。それに2年経てばお腹の子どもも生まれる。失恋ごときでくよくよしてはいられない。
ミューランが娘との生活に思いを馳せれば、ジャスティンは疑問をねじ込んでくる。
「……ん? ちょっと待て。妻の話だよな?」
「娘の話ですが?」
どうやらジャスティンとミューランの中では考えていることが違っていたらしい。
だが必ずしも『家族=夫・妻』と限定される訳でもないだろう。妻がいなくてもミューランはしっかりと彼女と家族になれているはずだ。
「ミューランの配偶者は」
「いません」
「だが俺の他に種を注いだ奴が……逃げたのか!?」
「そんな人、いませんよ」
「は?」
「今まで俺のナカに注いでくれたのはあなた一人です」
確かに猫獣人は複数の男性の種を同時に孕むことが出来る。
けれど複数の精を取り込むことが可能かどうかの話であって、一人の精さえあれば子を産むことは可能なのだ。
「それはつまり、俺には子どもの父親として入り込む隙があるということか?」
「村の子どもとして育てていますので、心配は不要です」
「くっ」
ジャスティンは悔しそうに奥歯を噛みしめる。
けれどミューランには、なぜ彼が何か理由をつけてでも責任を取ろうとするのか理解が出来ない。
いささか真面目という範疇を越えてしまっているようにも思えた。
「ですから責任感を感じていただかなくてもいいのです。何もなかったことにしていただければそれで、十分なのです」
「お前は俺に、この感情さえもなくせというのか……」
「はい」
ミューランはゆっくりと首を縦に振った。
足かせにしかならないのだったら早く捨ててくれ、と。
「それでは俺はこれで」
うなだれるジャスティンに今度こそ別れを告げ、ドアへと手をかけた。
けれどミューランが開けるよりも先にドンドンドンドンドンドンドンとリズムよくドアが叩かれた。よほど強い力なのだろう。ドアノブを伝って、ミューランにも衝撃が伝わってくる。ビクッと驚き、瞬時にその場から飛び退いた。けれど向こう側の人物はノックを止めようとはしない。
「ジャスティン、起きてるか~。後10秒で返事がなければ入るぞ~。駄目な時のみ返事しろ」
10・9・8・7とカウントが始まるが、ジャスティンがそれに答える様子はない。
話す内容から察するに、親しい仲なのだろう。そんな人に自分の姿を見られていいものだろうか? とミューランはキョロキョロと隠れ場所を探す。家具すらろくにないこの部屋に瞬時に隠れられるスペースなど、布団の中以外どこにもない。けれど布団の中に入れば、膨れた布団が何か誤解を生んでしまうかもしれない……と考えているうちにカウントダウンの終了を迎え、バンっと勢いよくドアが開かれる。
「おめでとう、ジャスティン!」
声の主は部屋へと入るやいなやジャスティンに祝いの言葉をかけ、ガラガラと何かをカートに乗せて進んでくる。
あれはケーキか? それも3段ケーキ。一番上に鎮座しているプレートには『祝・番』とチョコの文字で書かれている。どうやら深紅色の髪をした彼はジャスティンの番契約を祝いにやってきたらしい。
なんだ、番がいるんじゃないか。
部屋に一夜の相手がいるとは知らずに祝いにきたのだろう。
訪問者は真っ直ぐにジャスティンの方へと向かっているため、ミューランに気づく様子はない。
ドアは開いたまま。チャンスが出来たらそこからお暇することにしよう。ちらりと二人の様子を確認してから、ミューランは足音を立てずに二人の死角へと移動した。
「寝てんのか? 起きろ、ジャスティン。ケーキ持ってきたぞ!」
「いらん」
「なんでだよ。朝、お前の部屋で花の香りがしたって聞いたから、急いでお前の番祝いケーキ作って貰ったんだぞ?」
「いらん! 子どもらにでも食わせとけ」
「今日は妙に機嫌悪いな」
「放っておいてくれ」
「普段、お前には散々迷惑かけてんだ。そうはいかねえだろ」
「その俺がいいって言ってんだ!」
言い合いをする二人に、今がチャンスだと一歩踏み出した。
「そんなに怒ったら相手も怖がるだろ、なぁ、ミューラン」
「え?」
まるで初めから気づいていたかのようにミューランの位置を的確に捕らえて、視線を投げた。髪と同じ色の瞳と視線が交わり、ミューランは蛇に睨まれたカエルのように動けなくなる。
「ん、ミューランじゃなかったか?」
「いえ、ミューランですけど。なんでその名前……」
「こいつから聞き出したからな。それに俺、これでもパーティーの責任者なんだ。問題になった名前くらい把握している」
パーティーの責任者といえばレオンだ。
あの、人族と猫獣人の縁を結んだオメガ。猫獣人にとっての英雄だ。
兵士をしているとは聞いていたが、屈強な身体からアルファのような雄々しさを醸し出している。
まさか彼に名前を知られているとは……。
レオンに名前を知られるまで迷惑をかけてしまっていたとわかり、ミューランは血の気を失っていく。
「その節はご迷惑を……」
パーティーに参加させてもらいながら自衛を怠ったのはミューランの罪だ。
彼の功績を無に返してしまう可能性があったことに今になって気づいた。
部屋へ引きずり込まれた時の恐怖など小指の爪ほどしかなかったのだ、と身を震わせながら深く頭を下げる。
「いや、迷惑かけたのはジャスティンの方だ。俺にも大量に仕事投げた責任がある。悪かったな」
「いえ、そんな……」
「こんなんだけど、ジャスティンは良い奴だし、俺たちの子育てを手伝ってくれたことも一度や二度ではない。独り者歴も長いから、辛かったら家事や子育てを丸投げしても問題ない! もちろん俺達も先輩番として手伝うし」
レオンはミューランの手を包み込み「子育て頑張ろうな!」と笑いかけてくれる。
けれど彼は大きな勘違いをしているのだ。
かのレオンに意見するなんて、と迷ったがこのまま話を進める訳にもいかない。ミューランは視線を彷徨わせてから、腹を決めて彼へと事実を告げた。
「お言葉ですがレオン様。俺は彼の番ではありません」
「は?」
「俺は、その……村へ帰るための相談をしてこいと兄達に言われて、たまたまこの部屋にいただけで」
「そうか……。大事な所を邪魔したな」
「邪魔なんてそんな! ちょうど帰る所でしたので、俺のことは気にせずにどうぞお祝いをなさってください」
レオンを前にすれば、ミューランの帰りなんて些細な問題だ。
猫獣人は人族ほど柔な身体はしていない。馬車なんてなくとも、歩いて帰ればいいだけだ。
「では失礼しました」と今度こそ堂々と部屋から出ようとすると「待て待て待て待て」と何やら焦った様子のレオンに肩を掴まれる。
「どうなさいましたか?」
「確認しておきたいことがあるんだが」
「なんでしょう?」
「今朝、というか昨晩の相手はミューランだったんだよな?」
「……はい」
少し迷って、こくりと頷いた。
本当は隠すべきなのかもしれないが、猫獣人のオメガである以上、レオンに嘘を吐くことは出来なかったのだ。レオンはまるで後方確認でも済ませるかのように「よし」と頷くと、今度はジャスティンへと確認作業を移す。
「ジャスティン、お前、他に番がいる訳じゃないんだよな」
「当たり前だろ! 俺が惚れたのは後にも先にもミューランだけだ! レオンさんも知ってるだろ」
「ああ。俺はな」
そして先ほどと同じように「よし」と小さく頷くと、再び視線をミューランへと戻した。
「強制するつもりはないし、最後は当人同士の問題なんだが、ミューランさえよければジャスティンとのこと、本気で考えてはくれないか?」
「でも……」
「あいつはもう数年単位で片思いを拗らせてるし、今までの経験上他に目を向けることもない。安心してじっくり考えてくれ。じゃあ、このケーキは子ども達と一緒に食うか。番記念でも失恋記念でも必要になったらその時はまた用意するから」
悩むミューランの肩をぽんと叩き、良い笑顔でそう告げる。
そしてケーキを乗せたカートをガラガラと音を立てながら回収していった。
ジャスティンと二人で残されたミューランの頭は混乱していた。
なにせジャスティンはレオンにも「ミューランだけだ」と言ってのけたのだ。
ミューランを宥めるために言うのとでは重みが全く違う。なのに迷わず告げたということはつまり自分は盛大な勘違いをしていたということになる。
恥ずかしさで顔が赤く染まったミューランだったが、自分の失態に血の気が抜けていくのを感じた。
あわあわと混乱し、百面相を繰り広げる顔を両手で押さえる。
「ミューラン?」
そんな姿を不思議に思ったのか、ジャスティンが心配そうに声をかけてくれる。けれど今のミューランはまともに彼と顔を合わせられそうもない。恥ずかしくて、顔を隠すようにその場にしゃがみこんだ。それを体調不良と勘違いしたジャスティンはミューランの元へと駆け寄り、背中をさする。
「大丈夫か!? 待ってろ! 今、医者を呼ぶ!」
急いで部屋を出ようとするジャスティンの裾を押さえて「大丈夫ですから!」と叫ぶ。
こんなことで医者を呼ばれては末代までの恥だ。
「だが……」
赤いのか白いのか分からぬ顔を俯けながら、戸惑うジャスティンに大丈夫ですと繰り返す。
「ただ、ちょっと頭が混乱してるだけで」
「レオンさんの仕業か!」
「違う! とも言い切れないんですが……」
「はっきりしないな」
「その……確認なんですけど」
「なんだ?」
「俺のこと好きって本当ですか?」
言ってから、ぶわっと顔面に熱が集まるのを感じた。
まさか自分がこんな台詞を吐く日がこようとは想像もしていなかったのだから。
俯いていたため、ジャスティンに顔を見られていない分まだマシだ。彼の裾から手を離した。
けれど聞かれた方は恥ずかしいこととは思っていないようで「そうだが、それが何か関係あるのか?」と不思議そうな声を返す。だから余計に恥ずかしくなる。穴があったら入りたいミューランは両手で顔を覆った。
「本当に大丈夫か!?」
「大丈夫、大丈夫なので少し放っておいてください」
「出来る訳ないだろ。医者を呼ぶなと言うなら、医者の元へ運ぶのはいいんだな」
「え?」
ミューランの返答も聞かずに、ジャスティンはひょいっと横抱きにして城内を闊歩する。
降ろしてくれと訴えた所で、いいや医者に見せると言って聞いてはくれなかった。おかげでミューランは年老いた宮廷医師の前で勘違いを告白しなければならなかった。
「まさか両思いだなんて思わなかったんです!」ーーと。
ジャスティンはミューランを抱きしめ「愛している」と繰り返す。
医師は髭を弄りながら「恋の病か。治って良かったな」とだけ告げて、ミューランとジャスティンを追い出した。
部屋へと戻り、首輪を外す。
ミューランの首は綺麗なまま。
今からここにジャスティンの痕が残るのだ。
誰かと番になるなんて想像もしていなかったミューランは、首筋を撫でた。
「いいのか、俺が番で」
「あなたが嫌なら別にいいですけど……」
「嫌な訳ないだろ!」
「なら俺は構いません」
「優しくする」
「優しくなくてもいいです。あなたの好きにしてください」
ベッドの上で、愛する男へと両腕を伸ばす。
ジャスティンの首に手を回して身を委ねる。
ミューランから煽られ、スイッチの入ったジャスティンは凶器のようなペニスで容赦なく奥を突き、達すると同時に首を噛んだ。
「俺たち、番になったんですね」
「ああ」
「って、ジャスティン様。なんでまた勃って……」
「まだまだ足りないだろ」
これで番契約は終わりーーなのだが、発情したアルファがそう簡単に止まれるはずもない。
ただでさえ思いを通じ合わせたと思ったら、相手は次の朝には姿を消していたのだから。ジャスティンはあの夜、ミューランの言葉をしっかりと聞いていた。だからこそ、番になったからといって逃がしてやるつもりはなかった。あんあんと猫のように鳴くオメガが可愛くて、戸惑うミューランの背中を抱えて何度も雄を打ち付けた。
随分と長い睡眠を取ったジャスティンに睡魔が襲ってくるはずもなく、ミューランは日が暮れても、夜が明けても解放されることはなかった。
「いやぁ凄いな」
「……レ、レオン様」
何度か気を失ったミューランが解放されたのは、3日が過ぎた時のことだった。
行為が終わったからといってジャスティンがミューランを手放すはずもなく、腕にすっぽりと収められたまま。明らかに『事後』な体勢が恥ずかしくて身をよじるも、ジャスティンの腕に隙間などなかった。
「あ、起こしちゃったか。悪いな」
「いえ! こんな格好で申し訳ありません」
「気にするなって。寝てていいぞ。今日はこれ届けに来ただけだから」
レオンはひらひらと一枚の紙を見せると「ここ置いておくな」とだけ告げて部屋から出て行ってしまった。
なんの紙なのだろう?
仕事関連だろうか?
ジャスティンが起きたら伝えなければと考えたのが、相手に伝わったのか、頭上からううんと声が漏れてくる。
「ジャスティン様」
「んっ、起きてたのか」
「俺も今起きたばかりで。あ、今、レオン様が来て紙を置いていきました」
「紙?」
「はい。置いておくって」
そこに、と指を指すと、ジャスティンはふわぁとあくびをしながら机へと向かった。
「さすがレオンさん、仕事が早い」
うっすらと生えた髭を弄りながら、嬉しそうに笑った。仕事関係で良い報告でもあったのだろう。ミューランも嬉しくなって笑みを零せば、来い来いと手招きをされる。ベッドから抜けだし、トトトと駆け寄ったミューランが見せられたのは一通の書類だった。
「必要事項はあらかた記入が済んでいる。後は俺とお前のサインだけだ」
『番契約書』ーーその名の通り、番になるアルファとオメガに渡されるもの。結婚証明のようなもので、提出することで国にも番であることを認められ、各種保険や保証が受けられるようになる。
慣れた手つきでさらさらとサインをしたジャスティンに「ほら」とペンを差し出され、彼の名前の隣にミューランもサインを残した。
ーーこうして番になった二人だがそれからが大変だった。
兄達に報告し、村に帰って村長へと報告。
村の子どもということになっている娘はどうすべきかと話し合い、結局は本人に選択を委ねることにした。
「俺は番になった人の元に行くけど……」
ついてきてくれるか? と聞けない代わりにミューラン達の両親の子どもになるかと尋ねた。
けれど彼女はブンブンと首を振り、そしてミューランを真っ直ぐと見据えた。
「ミューランと行く」
「うん。一緒に行こう」
荷造りを済ませ、娘と共に王都へと向かった。
荷物はレイチェルが馬車を出してくれた。
「これくらいお安いごようよぉ」と笑ったレイチェルは馬車の中で、娘が眠ったのを確認してからディーバルドの処遇を話してくれた。
彼の協力によって騒動が終結に向かっていることや彼の生まれと村での扱いを考慮し、彼は数年間の監視と王都拘束の罪だけで済んだらしい。監視がなくなっても、王都から出ることは叶わないらしいが、彼はあっさりと受け入れたのだという。どうやらミューランと話したことでオメガへの執着だけでなく村への執着も消え去ったようだった。彼がミューランに相手を自慢しに来る日もそう遠くはないだろう。それよりも先に、ミューランがジャスティンと娘、そして腹の子どもを紹介しに行くことになるのだが。
ミューラン達が村に帰っていた間、ジャスティンはずっと長い間放置していたのだという、陛下から賜った屋敷を片付けてくれていた。そこへと到着し、娘にジャスティンを紹介しようとした時、事件は起きた。
目線を合わせ、これからよろしくと手を出したジャスティンに娘は見事なまでの右フックを決めたのだ。
子どもの力なのでさほど痛くはないのだろうが、突然のことにジャスティンは目を白黒とさせている。ミューランは慌てて娘を回収したが、彼女は拳を固めたままジャスティンに宣言した。
「今日はこれで許すけど、今度泣かせたらただじゃおかないから」
ミューランは一度だって娘の前で泣いたことないし、ジャスティンの名前だって出していない。
けれど彼女は迷いなくミューランのためを思って拳を振るった。
「もう泣かせないと誓おう」
「ならいい!」
一体どこまで知っているのだろう?
いつの間にか立派になった娘の頭を見下ろしながら、同時に末恐ろしさを感じた。
けれど彼女はこれっきりジャスティンに殴りかかることはなく、案外すんなりと王都の生活へと馴染んでいった。
時が経ち、ミューランは無事に元気な男の子を出産した。
ジャスティンが気を紛らわすためにと大量に抱えていた仕事も少しずつ通常量へと戻り、レオンは宣言通り先輩としていろいろと世話を焼いてくれた。娘は兄夫婦が面倒を見てくれたり、気づけば王都で出来た友人と遊びに出かけたりしている。特にレオンの子ども達と仲が良いらしい。模擬剣を数本抱えた彼らが「お嬢いますか?」なんて呼びに来た時は目を丸くしたが、拳の語り合いでどうにかした訳ではないらしいのでミューランは見守ることにした。
もちろんジャスティンも育児・家事ともに積極的に働いてくれている。
ディーバルドはジャスティンと一緒に歩くミューランを見かける度に「幸せそうだね」と綺麗な顔をこれでもかと歪ませるが、彼も彼で監視役のアルファと良い雰囲気になっているのをミューランは知っている。いや、おそらく誰もが知っていることだろう。まるで自分の物だと主張するようにいつも腰に手を回している監視役の目は人族でありながら、どこか野生の獣のような執着を見せているのだから気づかないはずがない。それにいろいろとかわいげのない言葉を返しながらも受け入れているのだから幸せなのはディーバルドも同じだろう。
「ミューラン、花冠作ったからあげる~」
駆け寄ってきた娘の手で花冠を頭に乗せてもらい、彼女の頭には手を乗せる。
ありがとうとお礼を告げて、髪を梳くように撫でれば嬉しそうに笑った。
「似合ってる」
後ろから手を回して抱きしめてくれるジャスティン。
昼夜問わずにスキンシップを取ってくるのは、ちょっと恥ずかしい時もあるが愛されているのだと実感する。
ミューランは相変わらず平凡で、ジャスティンと番になってからもベータに間違われることも少なくはない。
けれど自分を出来損ないと感じることはなくなった。
おとぎ話ようにとはいかずとも、ミューランには愛する番と家族がいるのだから。
応援ありがとうございます!
10
お気に入りに追加
208
この作品の感想を投稿する
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる