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二、潮風に吹かれて

1、出立(3)

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 誰もいない浴室を独り占めしたグレイは、鏡の前で数十分もの間剃刀と格闘した。
 剃刀でそっと肌の上を撫でるだけが髭剃りかと思っていたが、その単純な動作が難しく、いくつも赤い切り傷を作った。
 おまけに、顎の下という死角があるのにも気づかされた。
 何度も撫でては引っかかりを探し、剃るのを繰り返した。
 努力はしたものの、きっと傷だらけに違いない。
 グレイが顔の半分をひりひりさせながら居間に戻ると、テュミルがこげ茶色の大麦パン――ゲルステンブロートを頬張っていた。
 陽の差すところで見る彼女は、やはり透き通った色彩をしていた。
 肌も髪も、何もかもが白くて、日差しの中に溶けてしまいそうな気さえした。
 さっきまで朝食の支度も、人の気配も無かったのに。
 グレイは自分の手際の悪さを案じた。
 これから旅立つのに、いちいち身支度に手間取ってはいられない。
 テュミルは空いている右手をひらひらさせた。
 おはようの代わりらしい。
 少女は喉を上下させると口を開いた。

「はよ。朝からお疲れ」

「何が?」

 マグカップに口をつける娘の正面の椅子を引き、グレイも座った。

「いやあ、がんばったなーって思って、髭剃り」

 テュミルはなぜかほくほくしている。

「やっぱり、自分でやったことなかったんだ?」

 ふふふ、と訳知り顔で面白がられるのは不愉快だった。

「侮るなよ」

 そう言って動かした頬に微かな痛みがあった。
 出来かけていたかさぶたが少しはがれたのかもしれない。
 むっつりするグレイの手前に、アーミュがパンとハム類を乗せた皿を置いてくれた。
 透明なグラスには、薄紫色のワイン水が注がれた。
 空腹に任せて、手を伸ばす。
 簡素ながら、朝にはぴったりのさっぱりとした食事だと思った。
 キャラメル色のパンは酸味があるけれど香ばしく、噛めば噛むほど甘みが増した。
 ほろりと、そしてぷちぷちとした触感が、塩辛いハムとチーズとの相性に拍車をかけていた。

「そんなに下手くそならわざわざ剃らなくてもいいんじゃぞ? 伸ばすとこのようにダンディな仕上がりになる」

 昨日と同じ席でどっしりと構えているのは、セルゲイだった。
 彼はハムとチーズを乗せたゲルステンブロートに噛り付いた。

「アーミュはちくちく嫌だなあ」

 養女は自分の席につくと、真っ赤なジャムをゲルステンブロートの上に塗り広げた。

「だってさ、おじじ」

「ぐっ」

 セルゲイがわざとらしく目を剥いて悔しがるので、少女たちは噴出した。
 グレイもその例に漏れず、声を立て、腹を震わせた。
 笑うなんて、久しぶりだ。
 殺伐とした王宮と比べればまるで夢のような、何の変哲もない平和で穏やかな朝の景色が、グレイには眩しかった。
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