この愛を思い知れ

我利我利亡者

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おまけ2

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 これは、とある国のとある田舎町のお話。田舎と言っても国の中枢から離れているだけだ。国交の盛んな豊かな大国と隣接していて、行き来の要所となるこの町はいつも両国の物や人が行き交っていてとても賑わっている。町は大きくそこここで露店や市が立ち並び、大きな店がいくつもあった。そんな大店の一つ、大層繁盛している小物問屋に、エリックという若者が務めている。
「エリック、ドラローシュさんの所の商隊が到着したそうだから、積荷を確認してきてくれない?」
「はい、分かりました」
 店の若女将に言われて、エリックはやり掛けの仕事をキリのいいところまで片付けてから店裏に足を向けた。その姿を店内で働く歳頃の見習いや若い雇い人達がポーッと熱に浮かされたような表情で見ている。然もありなん。輝くような金髪と深みのある青い目を持つエリックは、一度見たら忘れられないような美男子だ。テキパキとした有能な働きぶりも相まって、この店で……いいや彼の知り合いで、エリックが近くに居る時に目で追いかけない者は居ない。それもあって他の者が無意識に手を止めてしまわないよう、エリックは一所に落ち着かずあれこれ忙しく移動しながら働いている程だった。
 見目麗しく有能で、おまけに誰にでも優しく働き者。エリックの事を知った人は、必ずと言っていい程彼の事が好きになる。奴隷階級出身で元奴隷だと言うが、そんなの何の瑕疵にもならない。そんな事くらいでエリックの魅力は損なわれないし、その事実を差し引いたとしても彼は十分過ぎる程素晴らしい人物だからだ。
 しかし、そんなエリックだが思いを寄せられる事はあっても告白をされたり粉をかけられたりする事は全くない。エリックに片思いしている者も居るにはいたが、殆どの者は最初は恋心を抱いても直ぐに気持ちを憧れに変化させてしまう。それは何故か。エリックが恋愛対象に見れないような振る舞いをしているからではない。秘密は彼のにある。そう、伴侶。エリックは結婚しているのだ。その伴侶がエリックに懸想する者達を牽制しているとでも? いいや、違う。性根が穏やかなエリックの伴侶は、そんな事はしない。まあ、伴侶と一緒に居る時のエリックの様子を一度でも見てみれば、誰にだって納得いただけるだろう。
 昼休憩の時間になると、エリックはいそいそと店を出る。そのまま彼が向かうのは、店の近所にある手習い所だ。ここでは色んな歳、色んな人種、色んな国籍の子供達が、一緒になって勉強をしている。勿論エリックの目的は勉強ではない。エリックは学歴こそないが、地頭の良さに加え奴隷時代に主人に付きっきりで勉強を教えてもらったので、そこら辺の何も考えていない一般人より頭がいいくらいだ。今更手習い所で学ぶ事はない。エリックがここに来た目的は、手習い所で子供達に囲まれながらにこやかに世話を焼く、一人の美しい教師にあった。
 その教師は黒に近い濃い焦げ茶の緩い巻き毛を耳にかけ、熱心な様子で生徒に問題の解き方を教えている。白く瑞々しい肌にほんのり紅が差している様や、神の息吹を感じる程に整った顔立ち、洗練された指先の所作の一つに至るまで、その魅力的な点は枚挙に暇がない。エリックはそんな彼の姿を見て、思わずと言った様子で笑みをこぼす。そう、この青年こそが、エリックの愛してやまない伴侶、ユージーンなのだ。この美青年こそがエリックがモテても告白されない理由である。だってそうだ。誰だってこんなにも美しく完璧な伴侶と、彼に夢中で他は一切目に入らない様子のエリックを見ては、自分に勝ち目がない事を一瞬で悟る。
 エリックが学舎の出入口に立つと、それだけでユージーンは彼に気がつく。目の前の子供に教える事に集中していない訳ではないが、ユージーンにとってエリックは特別なのだ。どんなに気配を殺しても、彼が近くに居て気が付かないなんて事は有り得ない。勿論、それはエリックも同じ事だ。
「ああ、リック。もうそんな時間か。お昼食べに来たんだね。ごめん、ちょっと待ってもらっていい? この子にこの問題だけ教えてあげたいんだ」
「勿論いいとも。俺の事は気にせずその子が分かるまで付き合ってやりな」
 エリックのこの言葉にこのユージーンは有難うと言って柔らかくはにかみ、また目の前の子供に向き合う。エリックはその様子を優しい目付きで見守り、待っている時間で弁当を広げ場の準備をし始めた。やがてユージーンが子供に問題を教え終わると、彼はパタパタと駆け足で愛しい伴侶の元へ駆け寄る。飛びつくようにして抱きついてきたユージーンを、エリックは難なく受け止めその滑らかな頬にキスを落とした。ユージーンはそれに擽ったそうに笑うと、彼の方からもエリックの両頬にチークキスを一回ずつ返す。
「お待たせ! お弁当の準備有難う。沢山働いてお腹ペコペコだよね? さあ、食べようか」
「ああ、そうだな」
 こうして、和やかに二人は食事を開始した。エリックが昼休憩の時間になると自分の職場からユージーンの元まで歩いていって、一緒に弁当を食べるのは毎日の事である。エリックが少しでもユージーンと離れている時間を短くしたいのと、ユージーンが人の出入りが多い勤め先でエリックが誰かにちょっかいをかけられるのにヤキモチを焼いた事からこうなった。そう。このあまりにも馬鹿馬鹿しい理由からも分かる通り、二人は生粋のバカップルだった。
「やっぱり、リックの作るお弁当は美味しいなあ」
「でも、一番はジーンの料理だ。これだけは譲れない」
「えー、そう? 僕的には逆立ちしたってリックには敵わないと思うんだけど」
 二人は日替わりで昼の弁当をつくり、朝と夜の食事は一緒に作っている。弁当を食べて自分よりも相手が作った方が美味しいと主張し合うのはいつもの事だ。ハッキリ言ってただの惚気である。お互いお世辞抜きに本気で相手の方が料理上手だと思っているのだから、いつまで経ってもこの話の決着はつかない。だが、結論なんてなんでもいいのだ。突き詰めて極論を言ってしまえば、二人共いちゃつきたいだけなので話の結論なんて二の次、三の次でしかない。
 さて、今日の本題は二人のくだらないウキウキラブラブタイムではないので、この話はここら辺にしておいて。やがてメインの弁当を食べ終わり、食後のデザートを楽しんでいる頃。エリックが少し言いにくそうに口火を着る。
「……ジーン。実は、言っておかなきゃならない事があって……」
「なあに、改まって?」
「その……。仕事で……出張が……決まってしまって……」
 その時、ユージーンに衝撃が走る! ……とでも言わんばかりに、ユージーンが固まる。背後に真っ暗な背景の前で雷が落ちる幻影が見えそうだ。空気がピンクのウキウキイチャイチャラブラブタイムが、一気にお通夜の雰囲気になった。
「本当に済まない! 出張とか、人前に出る事がないっていうから今の職場を選んだのに、こんな事になってしまって……。なんでも相手の上得意が最近代替わりしたらしいんだが、その新しい主人が酷く我儘な奴で『今度の取引には噂の新しく入ったイケメン従業員を出せ。どれ程の者か俺が直々に見てやる。さもなきゃ今後の取引は打ち切る』って言われてしまって……」
 そう言って呆然として動かなくなったユージーンを辛そうな動作で抱き締めるエリック。高々出張程度で大袈裟な、と思われるかもしれないが、この二人にとっては大事だ。何せエリックは毎日ユージーンと一緒に三食食べれて二人の家に帰る事ができる、というのを第一条件に今の仕事を選んだくらいだ。それが果たせないのなら今の職場で働いている意味がない。因みに第二条件は人前に出ない仕事である事だ。無駄に思いを寄せてくる相手に労力を取られ、ユージーン以外にかける時間が長くなるのを嫌った為である。
「もういっそ今の職場は辞めてしまおうか。正直俺の実力なら次の職場も直ぐに見つかるだろうし、ジーンと離れるくらいなら仕事を失った方がマシだ」
 単に出張するしないで何を馬鹿馬鹿しい。傍から聞く分にはそう思っても仕方がないが、エリックは至って真剣だ。なんせ、ユージーンが自分も働きたいと言うからこうして手習い所で働くのを承諾したが、彼は大層モテる。既婚者だというのが周知され、毎日エリックと仲睦まじく弁当を食べている光景を大勢に見せつけているのに、未だにユージーンに思いを寄せる相手のなんと多い事か。エリックはもう毎日ヤキモキして仕方がない。それだというのに出張だって? 本気で言っているのか? ユージーンを置いて? 自分が留守にしている間によからぬやからがユージーンに手を出したらどうする? とてもじゃないが、エリックには出張なんて考えられなかった。
「でも、リックが仕事を辞めたらその我儘な取引先の主人が難癖つけてきたりして、仕事場に迷惑がかかったりしない? 何だかんだ今までお世話になったんだし、寝覚めが悪くなっちゃうよ」
「皆には申し訳ないが、俺としてはジーンを一人にするくらいなら、仕事を辞める。それで多少賠償金を払うことになってもいいし、恨まれるのも覚悟の上だ」
「でも、折角ここまでリックが仕事を頑張ってきて色んな人から認められてきてるのに。それが他人の我儘くらいで崩されるなんて、悔しいな……」
 そう言って悲しげな顔をするユージーンに、エリックはそれもそうだな……と思い始める。別にエリックは自分のキャリアなんてどうでもいい。ユージーンと平和に暮らしていくのに十分なだけのお金を稼げて、二人の時間を捻出できるのなら、極論どんなに辛く厳しい仕事でも構わないくらいだ。しかし、その条件が満たされないのなら、どんな高給取りで楽な仕事だろうとも就労するつもりはサラサラない。それでも、ユージーンがエリックに代わって彼の為に今まで積み重ねてきたものを惜しんでくれると言うのなら、現金なものでなんだか途端に惜しい気持ちになってくる。複雑なバカップル心というものだ。
「あーあ、この出張にジーンを連れて行けたらなあ。そしたら、何もかも万事解決するのに」
「長期の赴任でもないのに、それは難しいんじゃない? 一応仕事なんだし」
「だよなあ、あーあ。辞めるしかねぇのかなぁ……」
 結局結論は出ないまま、この時の話し合いは昼休憩の終わりと共に終了した。転機が訪れたのはその後だ。先に仕事を終えて二人の家に帰ってきたユージーンが、夕食に使う食材の下拵えをしていた時の事。昼の別れ際あんなにも落ち込んでいた筈のエリックが、弾むような足取りで玄関扉を開けて帰ってきたのである。
「ジーン! ただいま!」
「おかえり、リック。どうしたの、そんなにはしゃいで?」
「それがな、凄いんだ! 聞いてくれよ、ジーン!」
 帰ってくるなりユージーンに抱きついてキスの雨をふらせながら、エリックが言う所にはこういう事らしい。エリックは今回の出張に関わる悩みを仕事仲間に愚痴ったらしい。それが巡り巡って雇い主の耳に入った。エリックが店を辞める? とんでもない! 読み書き計算が人並み以上にできて、臨機応変に仕事の対応をし、よく働きおまけにそこに居るだけで職場の人間のやる気を向上させるエリック。彼が居るお陰で、うちの店はここまで繁盛したんだ。確かに元々それなりに大きな店だったが、エリックを雇ってからの賑わいはそれ以上だ。どうにかしてエリックが退職するのを引き止めなくては……。と、必死になって頭を捻り、雇い主はあるいい考えをピコーン! と閃いた。
 エリックの務める店では年に一度、普段の休みとは別に好きなタイミングで少し長めの休みが貰える。従業員達はそれをそれぞれ実家への帰省や家族旅行などに使っていた。そして、嬉しい事に店では『商人の端くれとして色んな地方の様々なものを集めて新規開拓するのも仕事のうちだから』との理由で、出先から『新商品にどうかと思いました』と言い訳して何か土産を店に持ち帰ると、旅行代金の足しにと少額ではあるが資金を渡してくれるのだ。実際は繁盛した店の税金対策の為に雇い人にお金を還元しているだけなのだが、従業員としてこんなにも嬉しい話はない。そしてこの度雇い主は、この制度を拡大解釈させる事にしたのだ。
 『エリックは今回の出張中は休みという事にして、手当は勿論給料も出さない。その代わり建前上は仕事じゃないから関係者じゃない伴侶を同道してもよし。出張中の仕事をお土産代わりと考えて、その対価として出る筈だった給料と手当とあと少し足しになるくらいだが資金を出す』。これが雇い主の出した結論だ。まあ、要はエリックは出張にユージーンを連れて行っていいし、なんなら全額ではないがユージーンの旅費も出してくれるのだという。なんという太っ腹。これも主人の広大な懐とエリックの普段の真面目な勤務態度と信頼関係があってこその離れ業である。これにエリックは大喜び。これならユージーンと離れなくていいし、なんなら可愛い伴侶を小旅行に連れて行ってあげられる! 嬉しい知らせを引っ提げて、ユージーンの待つ家へと飛んで帰った次第だ。
「ええっ!? そんなのありなの!?」
「ありもなしも大旦那様から言い出してくれたんだから、これに乗らない手はねぇぞ! なあ、ジーン。俺と一緒に来てくれるだろう?」
 驚くユージーンだったが、まあ確かにエリックの言う通りだろう。折角の好意を無下にしたらバチが当たる。何よりエリックと小旅行に行けるなんて、夢みたいだ! 勿論、ユージーンは一も二もなく頷いた。これには雇い主も一安心だ。こうして、エリックの仕事も兼ねた二人の旅行が決まった。
 取引先の店があるのは隣国である。関所を超える事や仕事の道具を運ぶ荷馬車も連れて行く事を考えると、片道最低三日は必要だろう。普通ならただ移動するだけの日なんてつまらなくて堪らない筈だが、エリックは隣に愛しい伴侶が居てくれるので上機嫌だ。一緒に仕事に来ているエリックの同僚達も、話上手で美人のユージーンがエリックが拗ねない範囲で相手になってくれるので、それぞれ満更でもない。
 隣国についたら、早速商談だ。ユージーンは宿でエリック達の仕事が終わるのを待っていようかとも思ったが、折角旅行に来たのに宿へ閉じ込めては可哀想だ。店の前がカフェになってるから、そこに居るといい。そんなエリックの提案に甘え、結局提案されたとおりに商談相手の店の前に建つカフェで時間を潰す事にした。
 なかなか大きなカフェで、席代がかかるが少し払えば眺めのいい二階席にも行ける。ユージーンはポケットマネーから席代を払って、二階席に行く事にした。ここなら人目を集めて不用意にナンパされないし、客の数も少なく静かで雰囲気がいい。何より窓際の席に行けば、エリックが商談相手の店から出入りするのを一番に確認できる。ユージーンにとってはこれが一番のメリットだ。こうして、ユージーンはカフェの二階にあるバルコニー席から、優雅に下を見下ろしてエリックの仕事が終わるのを待った。
 さて、少し話は変わるが今回のエリックの仕事相手である代替わりした新しい店主なのだが、あまり評判のいい人物ではない。いわゆる親の七光り。先代夫婦が仕事で忙しいのと遅くにできた一粒種でついつい甘やかしてしまったのも相まって、とんでもなく我儘放題のろくでなしに育っている。あまりのボンクラっぷりに長く続いた店もこいつの代でお終いだという声が、そこかしこで聞かれた。
 このボンクラ店主が態々隣国から無理を言ってエリックを呼びつけたのには理由がある。ボンクラはそこそこ上等な部類の見た目をしていた。それがどれくらいかと言うと、幼い頃は『天使のようだ』と、青年期には『名工の手がけた彫像よりも美しい』と、大人になってからも性格がゴミなのを差し引いたとしても、その整った顏に惹き付けられ寄ってくる者が後を絶たないくらいだ。ある意味この見目の良さ故様々な我儘が押し通せてしまったのが、ボンクラがここまでの増上慢となった所以であろう。
 さて、気位が山のように高いこのボンクラは、自分よりも華やかで人を惹きつける容姿をした者なんて、この世に居る筈がないと思ってこれまで生きてきた。しかし……最近どうもおかしい。病気で勇退した父親の跡を継いで大威張りで店に出るようになってから、店に出入りする殆どの者がボンクラの顔を見て頬を染めるのに、いく人かはなんてことないような視線を向けるだけで終わってしまう。これは一体どういう事なのか? 憤ったボンクラは自らのこの上なく端麗な容姿を意にも介さない奴等……具体的に言うと、隣国の取引先から出張してきている従業員を捕まえて問い詰めた。最初は下手に地位と権力がある癖に我儘なボンクラ相手に下手な事は言えないと渋っていた従業員達だったが、取引の打ち切りを仄めかすと渋々口を割らざるを得ない。曰く『隣国にある取引先の本店には、そりゃあもう美の化身か何かかと疑いたくなる程容姿端麗な従業員が勤めていて、その姿を見慣れている自分達は自然と目が肥えて、ちょっとやそっとの見目麗しさじゃなんとも思わなくなってしまったのだ』との事である。
 これにボンクラは激怒した。なんだその言い草は。まるで世界一美しい筈の自分より、美しい男が居るとでも言いたげだな! と。怒りもそのまま勢いに乗って件の取引先に圧力をかけた。『噂の従業員をこちらに出張させろ。さもなくば取引を打ち切る』と。大口取引き先でなければできない暴挙である。かくして、ボンクラはまんまとエリックを呼び出す事に成功したのだが……。態々呼び出した相手にノコノコ会うような素直さが残っていては、増上慢とは呼ばれまい。どちらが格上か思い知らせる為、ボンクラは一計を案じた。呼び出した取引先の一行を、店の前で待ちぼうけさせるのだ。格下の者は格上の者の都合に振り回される。これは世の普遍的な理である。そんな間違った認識の元、ボンクラは態々呼び付けておいた待ち合わせに態と遅れる事にした。更に意地が悪いのはここからだ。ボンクラは待ちぼうけを食らわされるエリック達を影から見て馬鹿にしようと考えたのである。優雅に相手を見下す為に選んだ場所は、店の向かいのカフェの二階席。そう、ユージーンの居る場所と同じだ。ここで話を戻そうじゃないか。
 ボンクラは店員が客層に合わないと渋るのも構わず、金を押し付けてズカズカとカフェの二階へと上がり込んだ。そしてそこで目にする。美しい自分の相手に相応しい、とっても愛らしい青年を。一目見た瞬間、ボンクラはこの美青年の虜になったのだ。彼を絶対自分のものにしたい。いや、しなければ! そんな間違った使命感に駆られ、ボンクラは足音高くユージーンに近づくと、なんの断りもなく彼の向かいの席に座り込んだ。
「やあ、君! 見ない顔だね! 観光客かい? 俺が案内してやるから、一緒に来いよ!」
 ナンパにしても下手過ぎる。しかし、これがボンクラの精一杯なのだ。今まで顔と地位と金で意中の相手をひっかけてきた弊害だ。向こうから入れ食い状態だったので、自分から行く方法が分からない。これにユージーンがどう答えたかと言うと……。
「……」
 無視。ガン無視である。いや、正確には少し違う。ユージーンはボンクラにチラリとも視線を向けず、黙って飲みかけのアイスティーのグラスとコースターを手に取って立ち上がり、そのまま席を移動して別の椅子に座った。そしてまた前と同じように眼下の景色を眺め始めたのである。あからさまに避けてる分なんなら無視より尚酷い。普通ならここで『ケッ! お高く止まりやがって!』となる所だが、ここで引き下がってはボンクラの名折れである。好みの美人に無視されていささか心に傷を負いながらも、それでも尚食い下がった。
「おいおい、照れてるのか? 奥ゆかしいんだな。まあ、俺みたいにかっこいい男を相手にしたら、照れるのも無理ないけど!」
 今度のユージーンはどう答えるのだろうか。ユージーンはやはりボンクラには一瞥もくれず、黙ったまま左手の甲を見せつけるように掲げて見せ、右の人差し指で左手の薬指の付け根をトントン、と叩いた。そこにはキラキラと輝く金色の輪が。言うまでもなく既婚者の証である。その動作を終えると、またユージーンは先程と同じ要領で椅子から立ち上がり、席を変わった。ボンクラには興味も示さないし、なんなら言葉すら返さない。徹底的に『お呼びじゃない』と、全身全霊で訴えている。
 しかし、これでもボンクラは引き下がらない。なんと言ってもなのだ。伊達に名乗っちゃいない。自分がもう二連敗している事も、相手が既婚者なのも、全く気にする事ができず、ただただユージーンを何とかものにしようと執拗く食い下がる。
「何だよ、伴侶は裏切れないってか? 義理堅いねぇ。でも、ちょっとくらいバレないって。仮にバレたって、俺が何とかしてやるよ。君の伴侶がどんな奴か知らないが、きっと俺の方がいい男だし、いい思いもさせてやるぜ?」
、いい男だし、いい思いもさせてやる……?」
 と、ここでようやくユージーンが反応を示す。ボンクラはシメシメと心の中で舌なめずりをした。しめた、食いついたぞ! 亭主か女房か知らないが、この美青年の伴侶が自分よりも見目のいい人間だとは考えにくい。オマケに反応した言葉から察するに、美青年は伴侶に不満があるようだ。しめたもの、こっちには金も権力も、何だってある! それ等を餌に、きっとこの美青年を略奪してみせるぞ! ボンクラは決意も新たに身を乗り出して美青年に語りかける。
「そうさ! 見れば分かる通り、俺はこの通りの美貌だし、おまけに大きな老舗の主でもあるんだぜ? 金も権力もなんだって思いのままさ! この国で俺の入れないVIPルームはないし、通せない無理もない! どうだい、俺についてくる気になったろう?」
 ここでユージーンはようやく視線をカフェの前の大通りからボンクラの方に向けた。底冷えのする凍るような視線だが、興味は引けた。きっとこの目が俺を見つめて蕩けるようになるのも直ぐだ。自惚れ切ったボンクラはそう考えた。しかし。
「他人の容姿をとやかく言うのは下品だからあんまり言いたかないけど……。美貌? このひねたじゃがいもの親玉みたいなへちゃむくれが? お金があるなら先ず第一に鏡を買った方がいいですよ、お兄さん」
 なんという言い草! ユージーンの穏やかな口調とは裏腹な、辛辣極まりない物言いにボンクラは呆気に取られて固まるしかない。二の句も告げられず凍りつくボンクラを放っておいて、ユージーンの方は澄まし顔で優雅にアイスティーを飲んでいる。生まれて初めて容姿を馬鹿にされたボンクラは、もはや心が折れかけていた。当たり前だ。ただでさえ攻撃され慣れてなくて打たれ弱いのに、これだけの美人に貶されては傷つくなんてもんじゃない。それでもボンクラはユージーンを諦めなかった。ユージーンがそう簡単には諦めがつかない程上等な人間だというのもあるし、ボンクラが現実を受け止めきれなかったというのもある。
「お……、俺が、じゃがいも……? へちゃむくれだって……? あんた、酷い事言うなぁ……。で、でも、あんたの伴侶よりは綺麗な顔立ちしてるだろ? こんなに見目のいい人間は、そうそう居ないぜ?」
「何を言うかと思えば……。僕に言わせてもらえば、あなたの顔なんて興味がないのも相まって、そこらの通行人との違いも分かりませんよ。似たようなのと十人集まってワチャワチャされたら、もうそれだけで個人の区別がつかなくなる。僕の素敵な旦那様と比べたら、どいつもこいつも目くそ鼻くそだ」
 そう言い切ると、心底馬鹿にした様子でハッと鼻を鳴らして嘲笑うユージーン。ボンクラはもう呆気に取られるしかない。そこらに居る凡百の通行人と大差ない? この俺の顔が? それに、伴侶と比べたら目くそ鼻くそだなんて……。見栄でも張っているのか、それとも虚勢か。そう思ってユージーンの目を見たボンクラだが、そこには心底自分の伴侶の方が目の前の男よりもかっこいいと確信している本気の光しか見られない。この事にボンクラの混乱は益々深まっていく。
「……き、君の旦那の仕事はなんなんだ……?」
「大きな問屋に務めるただの雇われの商人ですよ」
「何か、名家の出身か何かなのか……?」
「僕以外身内が居なくて天涯孤独で親の顔も覚えてないらしいから、そういうのではないでしょうね」
「ハッ! なあんだ、くだらない! ねえ君、今は惚れた欲目で相手の事がよく見えてるかもしれないがね、世の中結局金だ、権力だ! なんだかんだ言ったって、一生うだつの上がらない雇われ人としてセコセコ貧乏に生きてくよりも、俺に乗り換えてパァーっッと派手に生きたいと思うだろ? ええ?」
「あなた……。本当に可哀想な人ですね」
「は?」
 必死になって自分の魅力をアピールをするボンクラに、ユージーンは冷淡な態度で目を細めた。美人に表情だけで突き放されるといっそ恐ろしい。研ぎ澄まされた美貌がまるで刃のように突き刺さってくる。ボンクラはこの時初めてその事を思い知った。
「いいですか? 確かに僕の旦那様は高給取りじゃないし、商売の経営者でもない。血筋も高貴とは言えず、権力だって持ってないかもしれない。顔立ちだって僕は最っ高にカッコイイと思ってるけど、そんなの好みもあるし僕がそう思ってるだけって事もまあ有り得るでしょう。でもね。お金持ちじゃなくても、権力者じゃなくても、かっこよくなくても、僕は彼が彼だから愛してるんだ。他人が羨むようなものを一切持っていなくても、彼さえ傍に居てさえくれれば、それだけで僕は満たされる。人を愛するって、愛されるって、そういう事ですよ。金だの権力だの見かけの虚飾で飾り立てるのは、自分に自信が無い証拠ですし、そんなものなくても構わないと思える程愛しい相手に出会えていない証拠でもあります。何を捨ててもこの人がいい、と思えるをあなたは知らないから、そんな薄っぺらでくだらない事が恥ずかしげもなく口から飛び出すんですよ」
 そう言ってボンクラから目を逸らし、また眼下の大通りに視線を向けるユージーン。その横顔がほんの少し笑みの形に綻ぶ。その様子にボンクラは衝撃を受けた。ユージーンが何の事を……を考えているのか、そんなの言われなくとも分かる。熱の籠った瞳、薄ら紅の刺した頬、堪らず持ち上がった口角。そこには先程までボンクラに向けていた氷のような侮蔑は欠片も含まれていない。ただ、その表情一つ見るだけで、ユージーンの伴侶に向ける愛情がどれだけ深いものなのかが、簡単に窺い知れた。本当に、本当に……ユージーンは心の底から自らの伴侶を愛しているのだ。
 その横顔を見ていたら、ボンクラは何だか堪らなく恥ずかしく、悲しく、悔しくなった。今まで自分は色んなもので自らを飾り立て、それを魅力だと勘違いして悦に浸っていたけれど、それはとんでもなく愚かな事だったのかもしれない。この顔に寄ってきた女に薄っぺらな愛を囁かれた事はあっても、あんなにも愛おしげな目で見られた事はあっただろうか? 金をばら蒔いてできた沢山の友達に、あんなにも情熱を込めて思われた事は? 権力で築き上げた豪華なだけの居場所には、ここまで自分の事を求めてくれる相手は居るのだろうか? 様々な疑問がボンクラの頭を過り、その度に虚しさが募っていく。何も言えないまま、いつの間にかボンクラは呆然と俯いていた。
「もう言わないんですか? 『俺の方が』って」
「……いや、もう充分わかった。君の心は、とっくの昔にその愛しい旦那様に捧げちまってるんだな」
「おや、やっと分かりましたか。その通り。僕の心も、魂も、何もかも全部旦那様に捧げてます。ゾッコンなんです。僕の人生にこんなにも素晴らしい感情を齎してくれたあの人は、僕にとって唯一の、そして、最愛の人です」
 フフッ、と軽く息を吐く音がして、ボンクラは顔を上げる。あげた視線のその先では、この上なく綺麗な人が愛しい相手を思って笑う、とても美しい光景があった。
「……俺にも見つけられるかな。君が思う相手のような、最愛に」
「そんなの知りません。でも頑張ればそのうち現れるんじゃないんですか? 僕は預言者でも占い師でもないので、確約はしませんが。でも、話はさっきみたいな態度を取るのを止めてからだと思いますよ? あんな立ち振る舞いの人間の所にまともな人が寄ってくるとは思えませんので」
 ユージーンの辛辣な物言いにボンクラは苦笑を零す。まあ無理もない。ボンクラはユージーンに辛辣にされるだけの失礼な態度を取ったんだから。不躾なナンパに伴侶への侮辱、特に後者はユージーンにとって我慢できない失礼だった事だろう。
「君、失礼な態度をとって済まなかった。君に叱られて、何だか目の前が晴れたような気がするよ」
「そうですか。ついでに生活態度を改める気にもなりましたか?」
「ああ……そうだな。君と話していて俺は自分の今までの驕った生き方が恥ずかしくなった。少しずつかもしれないが、これからは生き方を変えていこうと思うよ」
「そうですか……。なら、早速改めて貰いましょうか」
「へ?」
 ユージーンがちょいちょい、と横を指さす。なんだろうと思ったボンクラは素直にユージーンの指さす方を見た。そこには。
「っ!?」
「どうもぉ……! うちの旦那がお世話になったみたいで……?」
 ユージーンの指さす先。そこには、全身から怒気を迸らせ、青筋を立てながら鬼の形相でボンクラを睨みつけるエリックが仁王立ちしていた。いつまで経っても取引の場に姿を表さないボンクラを辛抱強く待っていたエリック一行だったが、その様子を心苦しく思ったボンクラの部下がボンクラの居場所を教えたのである。その場所がユージーンの居場所と被っている事に嫌な予感を覚えたエリックだったが、案の定だ。最早彼の中でボンクラは困った取引先などではなく、大切な伴侶に粉をかけやがった排除すべき糞野郎になっていた。
 恐怖からビシリと固まったボンクラを尻目に、素早い動作でユージーンに近付き彼を背中に庇ったエリックに、ユージーンは蕩けるような甘い表情をしてキュッと抱きつく。これにエリックはほんの少し表情を弛め、ユージーンの頬に一つキスを落とした。
「ジーン、変な事されてないか?」
「されたけど大丈夫。何にも知らない癖にリックの事悪く言われてムカついたから、説教して心を折ってやったから」
「やっぱりジーンに手ぇ出してやがったか……! 殺す!」
「待って、リック。こんなのに灸を据えてトラブったら馬鹿らしいよ」
「だが、ジーン!」
「リックのこの手は、僕に優しく触れる為のものなの。あんなのばっちいから触っちゃ駄目!」
「……ジーンがそう言うなら……」
 ユージーンの執り成しにエリックは渋々固めた拳を引っ込める。なかなか失礼な事を全力で言われているが、今のボンクラには気にしている余裕がない。それ程までに目の前のどす黒いオーラを背負って魔王のように怒り狂う、ユージーンの旦那であるエリックが恐ろしかったのだ。ボンクラは固く心に誓った。もう二度と、絶対何があっても、他人に迷惑はかけないと。正直、怒りの権化と化したエリックは、いい歳こいてマジでオシッコちびりそうな程怖かったのである。
 この後、エリックの同僚が一同に追いついてそこで一悶着あったのを察して青褪めたり、例え怒りで強ばった顔でもエリックは自分と比べるのも嫌になる程の美男だとボンクラが心の中でこっそり敗北宣言をしたり、まあ色々あった。あったはあったが結論だけ言うと、すっかり大人しくなったボンクラはキッチリエリック達と取り引きをこなし、ついでに迷惑料代わりに多少もしたので仕事は大成功。エリックは勤め先で褒められご褒美の金一封を貰ってユージーンとささやかなお祝いをした。出先で変なのに絡まれたせいでエリックのユージーンに対する束縛が少し酷くなったが、束縛される当人は伴侶からの執着に大喜びなので周囲は何も言えずにいる。そして一番驚きなのは、この騒動から約一年後にすっかり改心したボンクラ改め元ボンクラから、ユージーンとエリックの元に結婚式の招待状が届いた事。
 なんでも元ボンクラは自分もユージーンとエリックのように深く思い合う相手が欲しくなってその一心で生き方を改めた結果、今ではすっかり周囲からの覚えも目出度くなり、ついでに素晴らしい女性と巡り会えてこの度結婚するんだとか。人生をいい方向に変えるきっかけを与えてくれた二人には、是非式に参列して欲しい、との事だった。ただムカつくやつをケチョンケチョンに貶しただけなのに、とユージーンは思っていたし、エリックはエリックでユージーンに秋波を送りやがった相手として元ボンクラの事を認識していたので、周囲はどうするのかと心配していたようだったが、結局二人は結婚式に参列したらしい。帰ってきた時には二人してケロッとした表情で『お嫁さん可愛い人だったね』だの『引き出物が豪華だ』だのと話していた。結婚式で元ボンクラが自分の嫁に向ける幸せそうで愛しくって堪らないという表情を見て、もう他所に目を向けてちょっかいをかける事は金輪際ないだろう、と確信して興味を失ったとも言う。結局、二人共自分の伴侶に危害が加わらなければ後はもうどうでもいいのである。今日も明日も明後日も、これから先ずっとエリックとユージーンの二人はこんな風に一事が万事伴侶の事で頭を一杯にして幸せに生きていくのだろう。
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