大人の恋愛の始め方

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【第3部】祐策編

15.急接近(前編)

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 休み明け、意を決して事務所に入る。
「おはようございまーす」
「おはようございます」
 皆に声をかけると同じように挨拶が返ってきた。視線だけで真穂子の姿を探し、捉えた。
 今日は月曜日だ。
 まだ怒っていて弁当がないかもしれない。弁当の準備が出来ていない、という連絡は受けていないから大丈夫だろうとは思ったが。
「お、おはよう、雪野さん」
 なるべくいつもどおりに声をかけたつもりだった。
「おはようございます」
 一応は弁当を用意してくれたようで、言葉少なく手渡してくれた。


 現場から戻り、弁当箱を返す時にそっと耳打ちする。
「今日部屋に行くから」
 返事を確認せずにくるりと背を向けた。
 絶対に聞こえているはずだった。


 仕事を終えて真穂子のアパートを訪ねると、彼女は「お疲れ様」そう言ってくれた。
 玄関先もなんですしどうぞ、と言って部屋に招いてくれたが、
「いや、ここでいい」
 謝りたかったからそう伝えた。
 祐策は言い訳もせず、詫びた。
「別に、怒ってないですから。とりあえず、上がってください」
 結局は部屋に上がるよう促され、祐策は従った。
 いつも座る場所に腰を下ろすと、真穂子はお茶を入れてきてくれた。
「晩御飯、食べて行かれますか」
 そう尋ねる声が素っ気なく思えた。
「あの、話いいかな」
「……どうぞ」
 真穂子も座り、この前出先でユキミと出会った時のことを切り出した。
「雪野さん、なんか怒ってたよね。あれはなんで?」
 わかってはいるが、敢えて尋ねてみる祐策だ。きっと「怒ってない」と言うのはわかっている。
「別に……怒ってなんていませんよ」
(ほらやっぱり)
 和宏に言われたことも含め、祐策は言葉を選ぶ。
「怒ってない? じゃあなんで、突っ慳貪なわけ? 俺に何か言いたいことあるんだったら言ってよ」
「別に……」
「別に別に、ってそんな態度じゃないだろ。俺は言われなきゃわかんねえし、人とコミュニケーションとるのそんな得意じゃないし。雪野さんみたいに人のこと察するのうまくねえし」
「そんなことはありません」
 ほらまた、と祐策は言う。
「言いたいこと言ってよ」
「…………」
「なんだよ、何にもないのかよ」
 祐策の言葉遣いは次第に乱暴になる。かつて組に在籍にしていた頃の口調が出ている。頭が悪そうな言葉遣い、だと言われて口数が減ってしまい、今に至るのだ。
「ずっと本音言わずに一緒にはいられない気がするけど」
 出された茶には口をつけないで、祐策は立ち上がった。
「帰るよ。俺は話したかったけど、雪野さんが俺の話に聞く耳持ってくれなさそうだし」
 今まで気を遣わせて悪かったよ、と言うと踵を返した。
「え……」 
 小さな真穂子の声が聞こえたが、聞こえないふりをして玄関に向かった。
 引き留めてくれたなら足を止めようかとも思った。だが真穂子は祐策の名前を呼ぶことも、引き留めることもなかった。
(なんだよ……)
 俺ばっか必死だったんだな、と祐策は悲しい気持ちになる。
(別に別れるとか言ったわけじゃないし。ちょっと喧嘩してるだけだ。……って喧嘩したわけでもないんだけどさ)
 こんな時どうするんだろう、と思ってもどうにもならない。せっかくカズにいろいろアドバイスをもらったというのに、役に立ちそうもなく、和宏に申し訳ないと思った。
「…………っ……っ……」
 ドアレバーに手を掛けようとしたとき、背後からすすり泣く声が聞こえた──もちろん真穂子だ。
(……え?)
 祐策は振り返った。
「……っ……うっ……」
 嗚咽を堪えきれないような声だ。
 手をかけたまま、立ち尽くした。
(なんで……泣くんだよ……泣きたいのはこっちだよ……泣くなんて卑怯だろ……)
 真穂子が泣くのは初めてだ。
 悲しくて泣いているのだろうか?
 祐策は靴を脱ぎ、再び部屋に上がった。真穂子の元に行き、彼女の前に立った。
 真穂子がゆっくりと顔を上げ、祐策を見た。
 涙で顔を濡らし、祐策が可愛いと思っている顔は崩れている。
「なんで泣くんだよ」
「……っ……っ……」
 膝を着き、真穂子の前にしゃがみ込む。
「……って俺のせいか。悲しくて泣いてんの? 腹が立って泣いてんの?」
 ひっくひっく、と何度がしゃくり上げた後、手首の辺りで顔を拭った彼女は、
「ごめんなさい……」
 と言った。
「なんで謝んの?」
 祐策は苦笑した。
「ごめんなさい……っ……ごめんなさい……っ……」
「謝らなくていいから。なんか俺に言いたいこととか聞きたいこととか、嫌なことがあるなら、全部、言ってよ」
 頷くように、真穂子は首を縦に振った。
 真穂子が落ち着くまで、祐策は彼女の様子を見守っていた。
 嗚咽がなくなり、落ち着いたと思われる頃になると、
「横に座るよ」
 と、祐策は真穂子の左隣に座り直した。
「ごめんなさい……」
「だから謝るなって……。俺が謝られるようなこと、雪野さんしてないだろ」
「…………」
 泣かないでよ、と真穂子の左手を掴んだ。
 さりげなく握ったつもりだった。
「怒って、ないんですか?」
「怒る? なんで」
「さっき、帰って行こうとしたから……」
「ん、まあ。だって雪野さんのほうが怒ってるみたいで、何も言ってくれないから。話しする状況じゃないなって思って。時間とか距離置いたほうがいいんだろうなって思ったからさ」
「…………」
 身体をくっつけて、真穂子に少し寄りかかる。
「帰ってほしくなかった?」
 うん、と彼女は頷いた。
「けど雪野さんは怒ってただろ?」
「……怒ってません」
「俺には怒ってように見えたけどな」
「怒っては……ないです」
「ほんと?」
 うん、とまた彼女は頷く。
「でも」
「でも?」
「宮城さんにすごくもやもやして……」
「もやもや……」
「なんか悔しいっていうか、腹が立つような」
「この前のこと?」
「……たぶん」
 ユキミと出会した時のことを示唆した。
「それって、嫉妬……とか?」
 わからない、と真穂子は言う。
「あれはー……俺が悪い。本当にごめん。雪野さんのこと、ほっぽってしまったし」
「…………」
「訊きたいことあるなら訊いてよ、俺、答えられることは全部答えるよ。雪野さんに嘘つきたくないし」
 ユキミとの関係を訊かれれば答えるつもりだった。
 案の定、真穂子はユキミのことを訊いてきた。
「元カノさん?」
「違う。正直なところ……セフレに近い」
 ユキミが誘ってきた時に相手をする関係で、自分から誘ったことはない。その事実は伝えた。
「あの人、宮城さんに本気だったみたいですけど、いいんですか?」
 生活水準を落としたくないという女だ、ごく一般的な会社員になった自分と付き合えるはずがないし、本気なはずがない。欲しいものを貢いでくれない男には興味がないと言う女なのだから。
「だったとしても、俺が好きな女は隣にいる」
「……」
「信じられない?」
 ううん、と今度は首を横に振ってくれた。
 握っている手に力を込める。
「あの人、綺麗な人でしたよ」
「そうかあ? 雪野さんのほうがいいけどな」
「物好きですね」
「そんなことないはずだけどな」
 彼女は口元を緩めた。
「雪野さん、あいつに嫉妬したんだな」
「…………」
「俺のこと、どんだけ好きなんだよ。好きなら好きって言ってよ。俺ばっか好きだと思ってたじゃん」
 おちゃらけて祐策は言った。
 怒られるかな、と彼女の顔色を伺う。
 俯いた真穂子の頬が紅潮し、耳まで赤くなっていた。
(わ……マジで……。可愛いんだけど……)
 その反応に驚く祐策だった。
「めちゃくちゃ好き、ですよ、宮城さんが思っている以上に……たぶん好きですよ」
 少し声が震えている。
 会社で見る明るい真穂子とは全く違う姿だ。同僚は誰も知らない、恋をしている真穂子の可愛らしい姿だった。
「超絶可愛いんですけど」
 繋いでいた手を離すと、真穂子の両頬に手を当て、キスをした。
「こんな顔、俺以外には見せないでよ」
「んっ……」
 めちゃくちゃ可愛い、と何度も何度も唇を奪う。
 真穂子の両手は、所在なさげに浮いていた。
 どさり、と彼女の身体を倒し、祐策は覆い被さる。
「可愛い」
 耳元に顔を近づけ、囁く。
 耳に唇で触れると、彼女は小さく悲鳴をあげた。
(耳、弱いんだ? 可愛いなあ)
 ──キスを繰り返していると、その先へと進みたくのが本音だった。
 とろんと惚けた瞳に、このまま一つになりたい欲望が湧き起こっていく。
(性急すぎるかな)
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