大人の恋愛の始め方

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【第1部】13.リセット

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「トモさん、何かありましたか?」
 カズが尋ねてきた。
 晩御飯の後片付けを手伝ってくれている。
 今日は働く飲食店が定休日なので、ごろごろしていた。同居人の一人、カズ──市川和宏は会社勤めをしており、帰ってきてからは一緒に食事をし、その後はこうして片付けをしているわけだ。
 同居人は全部で四人。
 主の神崎会長、そして部下のような存在の男四人だ。神崎会長がここに四人を住まわせてくれている。カズだけはここに住む理由はないのだが、本人の意思で会長宅に住んでいるのだった。
「何が」
「あー、なんとなく」
「別に何もないよ」
 何かあったとは何だろう、と首を傾げたが気にしないことにした。
「あのう、トモさん、ちょっと話聞いてもらえますか」
 カズがおずおずと言った。
 カズは顔がいい。若手イケメン俳優に似ていると誰かが言っていたが、名前が思い出せない。テレビをさほど見ないトモには、思い出せないというより、わからない、と言ったほうが正しい。
「おう、いいよ」
「ちょっと好きな子の話なんですけど」
 恋愛の話らしい。
 恋愛相談なら別の相手のほうがいいだろうが、取りあえず聞いてやることにした。
 カズは二十六才、トモよりは六才下だ。顔がいいので、きっと女にはモテるはずだ。
 そのカズは、よく行くコンビニの女性店員に恋をしているらしい。
「ふーん、好きな女か……」
「めちゃくちゃ可愛いんですけどね……彼氏がいるらしくって」
「奪っちまえばいいんじゃないのか?」
「そんなことするわけないでしょ」
「押せば相手も乗ってきたりするんじゃないのか」
「遊びならそういう女もいるかもですけど! てか、そういう女は嫌ですけどね」
 トモはそういう相手としか女は接したことがないので、カズの消極的な態度が理解できなかった。
「可愛いけど結構気が強いんですよね」
(気が、強い……)
「曲がったことが嫌いなタイプみたいなんですよね……でも、優しくて」
 カズはコンビニで見かけた時のエピソードことを話してくれた。買い物に来たおばあさんの動作が遅かったらしく、後ろにならんだチンピラの男と言い合いになったという。カズの好きな店員は、おばあさんを庇い、チンピラにもの申したらしい。
「腕に刺青があったんで、ヤクザだったのかもしれないんですけどね。彼女は怯まずに言い返してて。もちろん正論だったんで、その子は間違ってないんで」
(どっかで見た光景だな……。ああ、あの時の……)
 ふと、四年ほど前に、ファミレスで遭遇したエピソードを重ね合わせていたことに気付いた。
「その子、おばあさんに『また来てね』って入口まで見守ってあげて……。かっこいいなって」
「ふーん……。そんなに気に入ったなら、アプローチしたらいいんじゃないのか」
「いや、それは無理かな」
「手に入れてえんだろ。奪えばいいのに」
「そりゃ……恋人になれたら嬉しいですけど。奪ってまでなろうとは思いませんよ」
「なんで」
「なんでって……。さっきも言いましたけど、彼女には彼がいるんですよ。好きな子の幸せをぶっこわそうなんて思いません」
 俺にはわかんねえなあ、とトモはぼやいた。恋人がいようがいまいが、自分と関係を持つ女は多くはないが、何人かいた。
「俺はトモさんじゃないんですから。器用に立ち回れませんので」
 トモが食器を洗い終えると、カズが拭いてくれる。
「そういえばトモさん、お気に入りのホステスの店には行かないんですか? あの店。あの子、トモさんのお気に入りなんでしょ?」
「なんでわかる」
 答えたあと、どうしてだよ、と言えばよかったと後悔した。これでは、肯定したとしか捉えられないからだ。
「やっぱり? 前はしょっちゅう通ってたみたいですし。ママさんが『贔屓にしてくれてる』みたいなこと話してましたしね」
 どうやら聡子の所に通っていた時は、あまり強い香りがしなかったが、別の女のときは香水臭い。カズがそれを話した。
「だからあの店に行った時、このホステスが今のお気に入りなのかな、って思ったんですよね」
「……そうか」
(お見通しか)
「最近は違う女なんだなーって思ってました。タバコも吸わなくなりましたしね。会長があの店に連れてってくれて、ピンと来ましたよ」
 なんだかんだカズにはバレているようだ。
 あの日、神崎会長にも誤解をされてしまったようだったので、他人の目にはそう映ったのだと悟った。
「けど、あの子のほうがトモさんに夢中って感じでしたけど」
「どうかな。まあ、そんな感じだった気はする」
「トモさんはどうなんですか」
「どうもこうも、もう店には随分行ってないし、会ってもない」
「会ってないんですか?」
「もう飽きたからな。惚れられても迷惑なだけだ」
「うわー」
 ひどいな、とカズは煙たそうな顔をした。
 カズには色々打ち明けてはいる。自分が節操なしなこと、女は寝る相手がいればいい、と。カズは最初は嫌そうな顔をしたが、今では何も言わなくなった。
「割と相性は良かったんだけどな」
「相性? ああ、身体の? てかあんな可愛い子ともしたんですか」
「ああ。あっちが本気になったから切った」
「……そうですか」
 それからはカズは無言になった。
「そっか、寝たんですね……あの子とはないかなって思ったんですけど」
 拭いた食器を片付け、二人はシンクやコンロ周りを掃除する。
「京都土産、こっそり渡してたから、特別なのかなって思いましたけど」
「……まあ、特別ではあった、かもな」
 ふうん、とカズは言った。
「寝るには都合のいい女、だった」
「…………」
「まあ、もう会うことはないし。あっちには今頃男が出来ただろうよ」
「え? なんでそんなことわかるんですか?」
「俺が通ってた時に、よく鉢合わせてた客がいた。ミヅキ狙いで、いつも先越されてたわ。デートもしたらしい。まあ、どこかの会社社長の息子だっつてたし」
「そうなんですか……」
 トモの顔が苦虫をかみつぶしたような顔になっていることを本人は気付いていないが、カズはそれを見て不思議に思った。
「先越された……うーん、悔しかったんですね」
「そういうわけじゃねえけど」
 一度、彼女が接客を抜け出して雨のなか追いかけて来たことがあった。あの時はまだ身体の関係はなかったが、既に彼女は自分に好意を寄せていたはずだ。気付かないふりをしたが。
「なんでです? ムカついたんでしょ?」
「少し、だけな」
「自分だけのものだったのに、他人に盗られた気分だったんですね」
「そうじゃ、ない……」
 関係を持ってから、彼女に当たったことがあった。あいつにも股開いてんだろ、と。彼女は否定をしたが。
「嫉妬ですよね」
「しっと……」
 嫉妬。
 ヤキモチ。
 悋気。
 妬心。
(なんだそれは……)
「トモさん、それって……彼女のことを好きだったってことだと思いますよ」
「はあ?」
「好きになるのが怖いから。そうやって拒絶して、相手に深入りしないようにしているんじゃないですか。他の女の人は、関係したら、そんな気持ちもどっか行っちゃう人ばっかりだったり、トモさんもはなからそんな気は起こらない。でもあの子は違ったんでしょう? あの人はトモさんを思ってくれて、トモさんもだんだん惹かれて行ったんじゃないですか? ……相手が自分を思ってくれるって、幸せなことだと俺は思いますよ」
「…………」
 昔、好きなのかなという異性がいたことはあった。高校生くらいの頃の話だ。年上の女性で、初めての相手だった。しかし、彼女は別の友達とも寝ていた。
(自分に寄ってくる女は、本気のヤツなんていなかった。最初っから簡単に股を開く女とヤればいいだけだと思ったんだ)
 そう思ってきた。
「トモさん、認めたらどうですか? 今までトモさんに近づいてきた人とは違うと思いますよ」
「…………」
「彼女をあきらめるんですか?」
 カズはトモに詰め寄った。
「俺に惚れても幸せになれない。俺が惚れても相手に何もしてやれない」
「恋愛って……理屈だけじゃないと思うんですけどね」
 自分はカズが理解できない、と思ったが、カズは自分を理解できないと思っているだろう。
「もう、誰かのものになってるだろ。それをぶっ壊したくはない」
 さっき俺に言ったくせに、とカズは毒づいた。
「奪えばいいのに、って自分が言ったんですよ。誰かに盗られたて後悔してるなら、当たって砕けてきてくださいよ」
 カズは笑って唆した。
「もう……半年以上も会ってない」
「でも忘れられないんでしょ?」
「……けどそれは身体の相性がよかったからで……別に惚れてはないし」
「とりあえず会いに行ってみたらどうですか? あの子の前に立って、どんな気持ちになるか。会えて嬉しいって思えば、それは好きってことですよ。なりふり構わず、ぶつかってみたらどうですか」
 トモは目を瞑った。
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