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イルカの歌

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「春はアイドルじゃないからね。」

翌朝、9時にアッキーと事務所へ行ってうちの社長に結婚したい旨を話した。

「もう来年で春も30か。早いね。SOULもファンはついてきてるし安泰だよな。結婚しても気引き締めて仕事はこなしてよ。ファンを大切にね。」

「ありがとうございます。」

俺は社長に頭を下げた。

ブレない音楽哲学を持った事務所であり、アイドル事務所じゃないうちの方針に感謝以外のなにものでもなかった。

「ただ、」

社長の言いたい事はもう想像通りだ。

「安藤ひろことは難しいと思うよ」

俺と隣にいるアッキーも無言で俺は床に目を落とした。

「これから、春はどう動くの?」

「今晩、彼女のマネージャーと話してから、彼女の社長に直接会って話すつもりです。」

「そっか。」

社長室を出るとアッキーはため息をついた。

「行くぞ」

俺は黙ってアッキーの後ろを歩いた。


『今日お昼は遊井さんとステーキ弁当』

ひろこからは呑気なメールが届いていた。

『遊井さんも食べてる?』
『全然食べないからお肉もらった』

俺はこの一連の戦いを一切ひろこに言うつもりはなかった。
多分遊井さんもひろこには言ってないだろう。


「夜、0時になるって。遊井さん。大丈夫か?」

「待ってるよ。」

みんなを帰してから、またアッキーと2人になった。
昨日、沢村が買ってきてくれたパンは荷物置きに置いたままだった。いつ食べようかと漠然と考えていた。

「・・あと数年、待てばいいだけの話だろ。同棲するくらいでいいんじゃないか?結婚なんて無理な話だぞ。」

俺はギターをさげて音を鳴らした。

「ひろこが、完全に自分のものにならないと、もう周りに迷惑かけ放題じゃん。特にアッキーには。」

「何言ってるんだ。」

アッキーが今日はずっと困った顔してたけどやっと少しだけ笑ってくれた。

俺がギターを弾くとアッキーは聞いていた。

「春が作ったのか?」
「うん。」
「これ、ケンに聞いてもらってテクニカルな音入れてもらうといいかもな。」
「そお?」
「タイトル、歌詞もあるの?」

自分の、ただ目の前の気持ちを歌った。ある日ふと湧いてきたこの曲に俺は何かを託していたのかもしれない。

「イルカの歌って曲。」


アッキーがいなくなって、俺は1人遊井さんを待ってこの曲を弾いては歌っていた。

「結婚 結婚 しようよ 絶対 結婚 もちろん するよね 絶対」

ストレートなまでの俺の歌に、みんなに聞かせるのはまだ恥ずかしいな、と思いながら。

その時扉が開いた。

遊井さんが昨日と同じくコート姿で立っていた。


「遊井さん」

立ち上がると俺を見ていた。

ギターを持って歌ってたのが珍しかったのか少し笑っていた。

「春くん、何歌ってたの?作詞作曲はしないんだよね?聖司くんだもんね。」

「・・俺の作った歌、聞きます?恥ずかしいんだけど。」

「聞かせてよ!聞かせてよ!」  

「いやー恥ずかしい。」

「俺、SOULのファンだからさ。春くんの声、聞きたいよ。」


素直に聞いてもらおう、と思った。
椅子に座って少し深呼吸した。

「遊井さん相手には歌いたくないんですけどー歌います!」

ギターを鳴らして演奏した。

「結婚 結婚 しようよ 絶対」

あ、やっぱり歌詞がストレートすぎる、と思ったけど自分の気持ちをのせて歌った。

「僕のすべて 君にあげる 永遠の愛を誓ってくれるなら この枯れ果てた声でずっと歌いつづけるから」

ギターの音が間奏に入ると俺もさっきより真剣に音と向き合ってるのが分かった。

「その潤んだ瞳で その麗しいくちびるも全部僕に預けて いつまでも笑っていて」

ギターの音とメロディを奏でて俺は曲を締めた。  


「遊井さん?」


遊井さんを見たら涙を流していた。 

「遊井さん、すいません。泣かせるつもりなかったんですけど」

メガネをとって袖で涙を拭いていた。

「うん、春くん、その歌、すっごくいいじゃない。アルバムに入れてよ。」

「聖司もプロデューサーもダメっていいますよ。」

ギターを首から外して横に置いた。遊井さんが泣いている事にビックリしたけど、それだけひろこの結婚が重い事だと改めて感じた。
遊井さんは涙が止まらなかったみたいで、しばらくは声も出なかった。そしてやっと俺に話してくれた。

「ひろこが春くんにどんないい顔してるか分からないけど、めんどくさい女なんだよ。でも、でもね、めちゃくちゃいい女なんだよ。最強にかわいい子なんだよ。」

「それは遊井さんが1番分かってるから」

遊井さんの初めて見る目は赤く充血していた。すぐ眼鏡を付け直して俺に言った。

「ひろこ、大切にしてあげてよ。」

もらい泣きしそうだった。
でもここで泣いてたら遊井さんに弱い男って思われそうで、頼りない男にひろこを渡したなんて思われそうで、それが嫌でぐっと堪えた。

「ありがとうございます。」

俺は頭を深くさげた。
遊井さんが了承してくれた事に本当に嬉しかったんだ。



「えっと、どうしようかな。とりあえずビールでも買って来ようか?」

涙で鼻をすすりながらも遊井さんの切り替えがめちゃくちゃおかしくて俺はその場でお腹を抱えて笑ってしまった。

「遊井さん、本当おもしろいですよね。最高の癒しですよ。」

「なんで?だって2人の門出でしょ?ビール飲まなきゃ。俺、車で来ちゃったから帰り代行呼ばないと。春くんも代行一緒に乗って。送るよ。うち、十番だし。」

俺はまだ笑いが止まらなかった。
遊井さんもさっきまでの涙が嘘のように笑っていた。

「冷蔵庫に、ビールありますから持って来ますよ。」

深夜0時過ぎ。
池尻大橋のスタジオで。










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